それは二度目の十六歳のことだった。
俺こと伊吹雄利(いぶきかつとし)は、新しい人生を順調に歩んでいた。
俺は多少おぼろげではあるが、前世の記憶を持っていた。科学基盤の現代社会で普通に生きていた時の記憶だ。
そして今世もまた、前世とほぼ同じ現代社会で生活している。
幼い時は成長後の記憶と子供の体の差異に混乱したが、今はどういうことか理解できている。ここはいわゆる平行世界だ。
歴史は前世とほぼ同じ道をたどっていて、世界の国々もだいたい同じだ。細いところは違うが、誤差の範囲だと思う。
日本国内でも色々と違う気がするが、生きていく上で問題はない。
そんな世界ではあるが、前世の記憶があるぶん、学生生活はとても楽だった。
小学生程度の知識なら、塾へ行く必要なんてない。中学生になって少し難しい部分も出てきたが、勉強の重要さを理解して努力をおしまなかったので、学校の成績はとてもよかった。
そのおかげで割と有名な高等学園に入ることができたし、そこでの勉強にもついていくことができた。
運動だけでなく、勉強もできた方が人生は生きやすい。だからいい成績をとれるよう頑張っていた。
そして一番重要な能力、コミュ力もしっかり鍛えてきた。前世は深刻な厨二病を発症した結果、交友関係が狭くて独特なものになってしまった。
悪くはなかったが、もっと色々な人と話せた方が良かったななんて考えたことがある。だから後悔をくり返さないよう、幼い頃から他人と仲良くなる努力を続けてきた。
そのおかげで、今世はすでに前世の倍以上の人と仲良くなれた。
特殊な能力なんて必要ない。前世知識が一番のチートだ。
そう、思っていた。
今日のこの日に、悪魔に遭遇するまでは。
◇◇◇
今世では、神社仏閣がけっこう大切にされているようだった。学園へ向かう途中にも大きめの神社がある。
今日も部活の朝練に向かうためにその神社の横を通ったのだが、急に強い違和感がした。
まるで薄いカーテンの向こう側で大型トラックがアクセルをふかしているような圧迫感が神社から漂ってくる。
前世からの厨二病を引きずっているわけではないが、今世は違和感を感じることが幼いころからよくあった。
例えば子供の頃、違和感をたどった先でカラスの雛を見つけたことがある。巣から落ちたようなので戻してやったのだが、それ以来カラスが友好的になった気がする。
だがそんないい話は稀な方で、だいたいは得体の知れない動物の死体だとか、気味の悪い物体を見つける方が多かった。
動物の死体は穴を掘って埋め、物体の方は破壊して埋めれば妖しい気配はなくなった。両手を合わせて平穏を祈れば完璧だった。
今回もそういうものだと思い、簡単に済ませるつもりで神社の敷地へ入った。
朝の神社は清浄な空気が満ちていて好きなのだが、今日はそれが張り詰めているように感じる。
俺が入ったのは裏口側だったのだが、本殿への通路の途中が木の柵で封じられていた。まだ朝早いからかと思ったが、いつもだったら散歩がてら参拝している人がいたはずだ。
首をかしげつつ別な道を進もうとしたが、その先でも通路が閉じられていた。
もしかして、何か良くないことが起こっているんじゃないのか?
なんとなくだが、妖しい気配は収まるどころか強くなっている気がする。
とりあえず今回はここから出よう。神社なんだから、ここの人が何かするだろうし。
そう思って振り返った時、奇妙なものが視界に入った。
薄い茶色に黒の虎縞模様が入った生き物がいた。体高はおよそ2m。
ただの大きな虎かと思ったが、強烈な違和感がわき上がってくる。
まさかあれは、いや、ただの見間違えだ。自分に言い聞かせながら様子をうかがっていると、それがこちら向いた。
そこにあったのは、赤い肌のサルの顔……だと思うのだけれど、なぜかぼやけて見える。
「ヌエ?」
おもわず呟いてしまった。
昔話で語られる妖怪【鵺】。体は虎で頭が猿。他にも色々混ざっているパターンがあるが、正体不明のキメラモンスターであるのは間違いない。
ふと頭に浮かんだのは前世で遊んだテレビゲームに出てきた悪魔の姿であり、それとはデザインが違うななどと現実逃避してみたが、ヌエは相変わらずそこにいる。
興味を持たれてしまったのか、こちらをじっと見つめている。
逃げだそうにも逃げ道はヌエの先にある。妖気は強いが、害意はないように感じるから大丈夫じゃないかな。
なんて思っていたが、ヌエがゆっくりと体勢を変えるのが見えた。
ネコが獲物に飛びつく前にするように、後ろ足に体のバネを溜める格好。
ここで背中を向けたら、一気に飛びかかってくるだろう。
落ち着いて、ゆっくり下がるんだ。
自分に言い聞かせようとしたが、足が動かない。蛇に睨まれた蛙って、こういう状態か。
まだ、何かできることがあるはずだ。
息を止めていることに気付いて必死に呼吸をして、体を動かそうとする。様子をうかがいながら後ずさる。
呼吸を落ち着かせながら、やっと数歩下がった時、ヌエがニヤリと笑った気がした。
やばい。
とっさに腕をクロスしてガードするが、車に跳ね飛ばされたような衝撃を受けて体が浮き、石畳に押し倒された。
なんとか受け身をとったので後頭部をぶつけずに済んだが、肩を前足で押さえつけられた。
顔を近づけてくるのを両手で防ぐが、そもそも力が違いすぎる。いつまでも耐えることはできないだろう。
ふんふんと鼻を近づけてこちらの匂いを嗅いでくるのがくすぐったくて気持ちが悪い。俺は美味くないぞと言いたかったが、ダメージのせいで呼吸するのがやっとだった。
俺の今世はもうここで終わりなのか。
まぶたの裏に映るのは、羽の生えた天使が回るゲームオーバーの画面。何度も見た縁起でもない前世の記憶。
セーブができない人生だから、コンテニューなんて無理に決まっている。
けっこう頑張って生きてきたのに、こんなことで終わりとか悲しすぎる。
「くるな、やめろ!離れろよ!」
必死の抵抗もむなしく、ヌエがその口を開けるのが見えた。
長い舌でベロリとなめられて、背筋が粟立つ。
手も足も出ない。
それでも、最後の瞬間まであがいてあがいて、生き抜いてやる。
とにかくなんとかして、一矢むくいてやる。
決意を込めてにらみつけると、ヌエがわずかに動揺したように見えた。
「あっ、タマ公。やっと見つけたぞ。こんなとこまで遊びに来るなんて、誰かに見つかったらどうする……、って何やってんだお前!!」
白羽織に袴を履いた男が叫んだ。
◇◇◇
「いやあ、すまなかったね。まさか人が迷い込んでくるとは思ってなかったから。いちおう無事だとは思うけど、ケガとかしてないかい?」
「押し倒された時に背中を打ちました。あとマジで死ぬかと思いました」
「それは本当にすまなかった」
男が土下座で謝った。
横でお座りしていたヌエがそれを見て、ペコリと頭を下げた。かなり知能が高いようだ。
「とりあえず、この霊水でも飲むといい。痛みが消えるはずだ」
差し出されたペットボトルには、見たことのないラベルが張られていた。たぶん地方で売られている天然水の一種だろう。
「このヌエのタマ公は東京の藤原神社で飼っているんだが、ちょっとした理由があってこっちに一時的につれてきているんだ。わたしはその間のお世話係として雇われているんだが、まさかタマ公が見えるどころか触れる一般人がいるなんて思ってなかったよ。それとどうやって結界内に入ったんだい?」
「普通に入れましたよ。というか結界とかタマ公が見えるとかって、どういう意味なんですか?」
「そのまんまの意味だよ。この神社は今は外部の者が近づけないよう結界をはってあるから、我々が許可した人じゃないと入れないようになってるはずなんだ。それとタマ公はいわゆる霊的存在というヤツで、普通の人は触るどころかみることすらできないはずなんだ。キミはひょっとして、霊感がある人なのかな?」
そう聞かれて、腕組みをして過去を振り返る。幽霊だとかなんだとか特に気にした覚えはない。
「タマ公ほどはっきりした悪魔は見たことないですよ。幽霊らしい幽霊も見たことないので、たぶん今回が初めてじゃないですかね。まあヘンな気配とかならたまに感じることがあるけど……」
「なるほど、半覚醒みたいな状態なのかな。それにしてもタマ公がこんなに懐くなんて聞いたことないな。キミはこんな感じの妖しい呪物とか何かヘンな物を持ってたりするかい?」
男が取り出したのは人差し指くらいの魚のミイラっぽいもので、禍々しい気配が少し出ている。
男がそれをタマ公に差し出すと、器用に爪でつまみ上げて丸呑みにした。
「あー、持ってないけど、似たようなのなら壊して埋めたことがある」
「それ、どこ?」
「ええと、たしか……」
憶えている限りの場所を教えると、男は懐から取り出したメモ帳にそれを書き込んだ。
「なるほど、後で確認しておこう。キミが呪われている気配はないから、タマ公にしか分からない程度の残滓がついていたのかもしれない。ひょっとしたら、タマ公に呼ばれたから入って来れたのかもね」
ありがたくない呼ばれ方だ。
タマ公は理解しているのかしていないのか、首を90度近く傾けている。
「それでええと、キミの名前はなんだったっけ?」
「伊吹雄利(いぶきかつとし)です。そこの軽小坂学園の二年です」
「伊吹くんだね。わたしは織雅大助(おりがだいすけ)だ。職業は今のところ、アルバイターと言うべきなのかな」
「バイトで神社でヌエの面倒みてるんですか?」
「こっちにも色々あるんだ。そんなことより、キミのことの方が重要だ。キミには選択肢がある。ひとつはここで起こったこと何もかも忘れて日常に戻る。こんなことが起こった時のために、安全に記憶を消す方法が用意されているんだ。昔から行われてきたことだから、心配する必要はない」
そんな言い方されても、あまり信用できない。
妖怪とか目撃者である俺の存在ごとなかったことにするとかしてもおかしくない気がするんですが。
「そしてもう一つの選択肢があるんだが、それを教える前にひとつ聞きたい。キミはひょっとして転生者ではないかな?」
転生者。その言葉が他人の口から出てくるとは思わなかった。
「えっと」
「転生者。前世の知識を持っている人と言い換えてもいい。キミはさっきタマ公のことを【悪魔】と言ったよね?普通の人なら妖怪と言うはずなんだ。ヌエを悪魔と呼ぶのは、前世のとあるゲームシリーズをプレイしたことある人だけだと思うんだが、どうだい?」
その通り、俺は転生者だ。そしてそのゲームのことももちろんよく知っている。【女神転生】通称【メガテン】。
長く続くRPGのシリーズタイトルだ。
地球あるいは文明を【女神】に例え、それが一度破壊されて再生される過程を転生としているらしい。
そのタイトルどおり、このシリーズではだいたい毎回世界が滅びる。
主人公が頑張ればなんとか滅びを回避することができるものもあるが、ストーリーの途中で滅びたりあるいは滅びた後からスタートすることもある。
そしてそれは前世があるからこその知識だし、そんな質問をしてくるからには、同じ知識を持っていないとおかしい。
だから答えの代わりに、こちらから質問を返す。
「もしかして織雅さんも、転生者なんですか?」
「そうだけど、わたしだけじゃないよ。他にもたくさんいる」
「ええー」
そこから続いた織雅さんの話によって、俺の人生は大きく変わることとなった。
俺は全然特別じゃなかったし、何なら平均よりほんのちょっと上くらいの人間だったと判明する。
転生者はけっこういて、ネットの専用掲示板で交流していて、霊能力は修行で習得できるだとか。
悪魔や妖怪は現実に存在していて、霊能力者がそれらと戦っているとか。
そしてこの世界が、メガテンの世界観によって成り立っているとか。
メガテンの世界観は滅亡がすぐ近くにある。そしてこの世界もその例にもれず、近いうちに滅亡する気配が濃厚なのだとか。
俺の幸せな人生計画が、根本から崩れ去る音がする。
長く続いた