【
夜中に目が覚め、胸元を探る。
暗闇に心細さを感じるのは、またあの夢を見たからか。
夢は不安だけを残して消えていく。
探していたものは、あの日に彼の手に渡ったことを思い出し、深いため息をつく。
使い魔であるイヌガミの勝手な行動だったが、それは主人である自分を思ってのことであり、自分もまたそれを取り返そうとしなかった。
あれは父との
それが手元になくなって、せいせいしたとも感じている。
(これは、あなたの父親から贈られたもの。捨てることならいつでもできます。今はしっかり持っておきなさい)
親代わりの老婆の言葉を思い出す。
結局あれは、自分には重荷でしかなかった。
父親は自分を捨てて家を出た。母親については名前さえ知らない。この寒々しくも広い家で、老婆と使い魔たちと暮らしてきた。
自分にはそれで十分だ。そのはずなのに、胸の奥が寒くてしかたがない。
なぜ今さらこんな気持ちになるのか。
自問すれば思い浮かぶのは先日の事件。それを共に解決した彼の顔。
それを思い出すと、寒さが少しだけ和らいだ気がした。
◇◇◇
【
思いもしなかった厄介事となった【霊長知能総研】の事件から1ヶ月。俺は比較的平和な毎日を送っていた。
悪魔や異界の噂を時々聞くようになったが、具体的な被害は聞こえてこない。
それはひとえに【俺たち】が処理しているからなのだけれど。
【霊長知能総研】からもれ出た【マガタマの卵】が野生動物に取り憑き、【成り損ないの悪魔】が生まれた。
【成り損ない】はすぐに死んでしまうが、ごく稀にマグネタイト消費の少ない低級の【外道】になって生き残ることがあった。
悪魔が出たと連絡が入れば、駆けつけて「破ァ!」をする。ワンパンで終わるので、移動にかける時間の方が多いくらいだ。
こんなの十分平和のうちに入るだろう。
そんな雑魚でも覚醒していない一般人には脅威なので、早めに処理する必要がある。もし人間を襲ってマグネタイトを得たならば、そこからさらに被害が拡大するかもしれない。
そうなれば恐怖から人の心が荒れて、より悪魔が生存しやすい環境になってしまう。
地道な活動が、今の俺たちには必要だった。
「平和すぎて退屈だよな」
「ウン、ソウデスネー」
何も知らずにのん気なことを言っている山本と登校する。
こういう普通の友人がいるから、俺も普通でいられるんだと思う。
「そういや伊吹オマエさ、最近、葛葉さんとはどんな感じなの?なんかあったっぽいけど」
「別に何もないけど。でも確かに、ちょっと距離とられてる感じはするな」
剣術訓練から帰った後、教官に言われた言葉を思い出したせいで葛葉を意識してしまった。なんとか普通に話をしようと思ったのだが、何故か前より距離がある気がしたのだ。
何かあったのか聞きたいのだが、先述の【成り損ない】を警戒するよう言われてしまい、呪術を教わる時間もとれていなかった。
「今日はシフト外してもらったし、話ができるといいんだけどな」
「派遣バイトだっけ?俺もやってみようかな」
「キツいからやめといた方がいいぞ」
主に覚醒するための修行が。
そんな話をしているうちに学校に着き、いつものように靴箱を開ける。その中に、いつもと違うものが入っていた。
「なんだこれ?」
「ラブレターじゃん。初めて見た」
まさかこんなものが俺に届く日がくるとは思ってもいなかった。
・・・・・・
放課後。手紙にあったとおり体育館の裏に向かう。
行く前に葛葉と話をしたかったのだが、話しかけるタイミングを逃してしまった。もしかしたら、今日も【成り損ない】を探しに行くのだと思われているのかもしれない。
気がのらないまま呼び出された場所へ着くとそこには、三人の女子がいた。
もじもじしている小柄な少女と、その友達らしき二人。全員が一年の後輩のようだ。
「あ、あの。伊吹先輩ですよね?わ、わたし、その……」
押し出されて出てきたのはごく普通のどこにでもいるような少女だった。
「俺で間違いないの?キミと会ったことあったっけ」
「はい。ぃ、一週間前にその、おっきな犬から助けてもらいました」
大きな犬?憶えがないな。その辺りは【成り損ない】を退治していたはずで……。
ああ、そうか。そういえば一週間前に大きめな【スライム】を退治した時、一般人が近くにいた気がする。
夕暮れだったからスライムを犬だと勘違いしたのだろう。
「ああ、あの時の」
「そ、そうです。ありがとうございました」
いいえいいえ。どうもどうも。お互いに頭を下げ合っていると、見学の二人が早く進めろと言ってくる。
「そ、それでですね。わたし、その……。伊吹先輩!好きです!付き合ってください!」
思い切るように言ってきたので、それをしっかり聞いてから答えた。
「ごめんなさい。俺はキミの気持ちには応えられません」
俺の言葉で、後輩少女は身をこわばらせた。代わりに、見学の二人が文句を言ってくる。
「ちょっと、なんでよ。せっかくマナちゃんが勇気を出して告ったのにヒドくない?」
「そうよそうよ。告られたんだから付き合いなさいよ」
後輩少女は何か言いたそうにしているが、言葉が出てこないようだった。
なんとなく受け入れたくないと言うのは納得してもらえないだろうから、適当な理由を探す。
「よく知らない相手にいきなり付き合ってくれって言われても困るよ。それに俺は……」
「葛葉先輩ですか?」
「えっ」
俺は忙しくて遊んでいるヒマがないと言おうとしたのだが、後輩少女が言葉を奪っていった。
「葛葉先輩ですよね。聞きました。伊吹先輩は、葛葉先輩と毎日いっしょにいるって。でも最近はそうじゃないですよね。ケンカしたんですか?もしも別れたのなら、わたしが先輩と付き合ってもいいよねって思ったんです。でも伊吹先輩は、まだ葛葉先輩のことが好きなんですよね。そうですよね」
「いや、えっと、俺はそもそも葛葉とはまだ……」
「すいません。わたし、勘違いしてました。そうですよね、ちょっとケンカしたくらいで、簡単に別れたりしませんよね。ごめんなさい。忘れてください。失礼します」
「あっ、マナちゃん!」
「まってよー」
後輩三人は走って行ってしまった。
俺の言葉をぜんぜん聞いてくれていない、ちょっとした嵐のような三人だった。
特に問題なく終わったはずなのに、喉に何かがつっかえているような気がしてしまう。
ため息をつきながら校舎へ向かっていると、山本が俺を見つけて手を振ってきた。
「おい伊吹、おまえどこ行ってたんだよ。探したぞ」
「ほら、朝の手紙の差出人のところだよ。もう終わったけど」
「そうか。そんなんことより、早く靴箱のところへ行った方がいいぞ。葛葉さんが、三年の赤根沢先輩につかまってたぞ」
急いだほうがいいと腕を引っ張られる。
「葛葉が?その赤根沢先輩ってどんな人だよ」
「知らないのか?学力テスト全国一位の天才だぜ。しかも運動もできる上に女子に優しいって評判の、学校一のモテ男だぞ」
言われて思い出した。
いつも女子に囲まれている、色々な意味で目立つ人。たぶんあの人のことだ。
少しクセのある黒髪なので、前世のとあるゲームに出てきたワカメを連想した憶えがある。
赤根沢って名前もワカメっぽいし。
「そのワカ……赤根沢先輩がなんで葛葉を?」
「そりゃあ、葛葉さんカワイイからだろ。たぶんそうだって。早く止めないと取られるかもしれないぞ」
「まあ、そうかも…いやいや、取られるって違うだろ。だいたいさ……」
言いかけたところで、逃げるように歩いている葛葉を見つけた。その後ろから、件の白服ワカメ先輩が追って来ている。
「早くいってこいよ」
山本に押されて走り出す。
「葛葉!」
「伊吹?」
すこし驚いたような葛葉を背に庇い、ワカメとの間に入る。
「逃げる女の子を追うのは、止めておいた方がいいんじゃないですか?先輩」
「キミ、誰?あー、もしかして、伊吹くんかな?葛葉さんとよく一緒にいるって噂の。ボクは葛葉さんに来てもらいたい所があるんだ。せめて今日一日だけでいいんだけどね」
「でも本人が嫌がっているでしょう?だよな、葛葉」
たずねると、葛葉は少しだけ考えてから答えた。
「伊吹が一緒でいいなら、行きます」
・・・・・・
そうして連れてこられたのは、校舎から少し離れたところにある弓道場だった。
ワカメ先輩に続いて中に入ると、弓道部員たちが出迎えてくる。
「葛葉さん、いらっしゃい。待ってたわよ。赤根沢くん、よくやったわ」
「ナンパだと勘違いされて、オマケもついて来たけどな。ちょうどいいから、そっちも世話してやってくれよ」
「りょうかい、りょうかい。私は弓道部主将の
美綴先輩に言われて、他の部員たちが寄ってくる。
男子更衣室に連れ込まれて、弓道着に着替えさせられた。
「弓は引いたことない?なら型の練習からした方がいいね。誰かゴム貸してあげて」
何が起こっているのか理解できないまま、弓のレクチャーが始まる。
先輩のマネをしているだけで、姿勢がいいとかしっかり引けているとか褒めてもらえた。でもなんで俺はこんなことをやっているんだ?
そんなことを考えていたら、葛葉も女子更衣室から出てきた。
小柄ながら道着を着こなし、銀髪をポニーテールにまとめている。ものすごく様になっていて、思わず驚きの声がでてしまった。
「うんうん、やっぱり似合ってるね。私の睨んだとおりだわ」
美綴先輩が満足げに頷いている。
「えっと、どういうことです?」
「それはね……。葛葉ちゃん、あなた、弓道経験者でしょ」
先輩の質問に、葛葉がうなずく。
「やっぱりね。最初に見た時にピーンと来たのよ。姿勢とか動き方とかで、なんとなく分かるの。道具とか好きに使っていいから、どんどん射っていってね」
葛葉は小さく頷いて、道具を選び始めた。
男子更衣室からワカメ沢先輩が出てくると、他の部員が準備していた道具を渡す。先輩はそれを横に置かせて、柔軟運動を始めた。
「キミは勘違いしてたみたいだが、ボクはそいつに言われて弓道部に勧誘しただけだ。なにぶん、ウチの部はちょっと前に主戦力だったヤツがケガで抜けてね。団体戦で使えそうなヤツを探していたんだよ。ボクは勝てるけど、他が微妙だからね」
「赤根沢の実力はともかく、だいたいそういうことなの。だからできれば、葛葉さんに弓道部に入って欲しいんだけど」
「そうだ。ボクに負けたら入部してもらうっていうのはどうだ?弓道経験者だって言っても、最近は射ってなかったんだろ?腕が落ちてたなら、戻すためにも練習する必要がある。ちょうどいいだろう」
なんでそうなるんだと思ったが、俺が反論する前に葛葉が言った。
「いいですよ。その勝負、受けます」
おお、と部員たちがどよめく。
ワカメ沢先輩は、自分で言うくらいだから強いのかもしれない。
果たして葛葉は勝てるのだろうか。
「赤根沢、3。葛葉、4の皆中。葛葉の勝ち」
「「ありがとうございました」」
双方が互いに礼をする。
弓道素人の俺にはよく分からなかったが、ピシッとかまえた姿勢とか、撃ち終わった後の残心とかが、とても美しいと感じていた。
「嘘だろ。まさかボクが負けるとは」
「なんだよ赤根沢。あれだけ言ってて負けるなんて信じられないなあ」
「うっさい美綴。文句言うならオマエもやれ!主将なら皆中させてみせろよ」
「ほら、私は指導で忙しいし」
にぎやかに話す様子を、他の部員たちがほほえましく見守っている。
思っていた以上に、仲の良い部活のようだった。
・・・・・・
部活の時間が終わり、弓道場の前で先輩たちと向き合う。
「今日はありがとうございました。型の練習だけでしたけど、とても楽しかったです」
「それはよかった。よかったら伊吹くんも入らない?素質あると思うよ」
「今は刀の方の練習が忙しくて、弓まで手がだせません」
「あれ、剣道部だったっけ?違うよね?でもまあ、しかたないか。それと葛葉ちゃん、やっぱり入らない?」
「すいません。わたしも忙しいので」
「そっかー、残念だなあ」
「実力が分かっただけで十分だろ。どうしてもって時に、助っ人を頼めばいいんだから」
「ダメダメ。葛葉ちゃんもそれが無理だから入部を断ってるんでしょ。あーもう、本当に残念だなあ」
「オマエは気分の浮き沈みが忙しいヤツだな」
職員室に用事があるという先輩たちと別れて、葛葉と並んで帰る。
赤根沢先輩は、思っていたよりもいい人だった。美綴先輩もとても明るく楽しい人だった。もしも悪魔の心配がない世界だったら、弓道部に入ってもよかったかもしれないと思えるほどに。
「いい人たちだったな」
「うん」
「時間があったらまた行ってもいいかもな」
「うん」
いつものように話をしていて、ふと気付いた。
今、すごく自然に話せてないか?
いままであったためらいとか話辛さとかが、いつの間にかなくなっていた。今だったら、なんとなく避けられていた原因を聞き出せるのではないだろうか。
「……」
「……」
でもストレートに聞いていいものだろうか。何か地雷があった場合、また昨日までの状態に逆戻りしたりしないだろうか。
話を切り出すタイミングをうかがうが、イヌミミモードではない静かな葛葉では、表情が特に読みづらい。
ならばと思い切って聞こうとしたら、葛葉の方が先に言葉を発した。
「伊吹。その、聞きたいのだけど」
「あっ、えっ、なに?」
「伊吹は、ひとり?」
「そうだけど」
双子の兄弟とかドッペルゲンガーとかいないけれど、そういう質問じゃないかもしれない。知らんけど。
「もし、よかったら。葛葉の家に、来ない?」
思ってもいなかった質問でビックリした。まさか家に誘われるなんて思いもしなかった。
だって【葛葉】の家だぜ?霊能者の家系で、しかも業界ではビッグネームなはずだ。
一般人が気楽に遊びに行けるものではないだろう。
「行っていいのか?ちょっと気になってたんだよ。どんな所なんだろうなって。式神が家事とかしてたりするのか?」
「うん、手伝ってくれてる。ほとんど、お婆ちゃんがやってくれてるけど」
「そっか。楽しみだな。いつ行っていい?今週末だと早いか?」
「あの、ええと、うん。そうだよね。準備もあるから、一月後とか」
「一月後か。わかった。楽しみにしてるよ」
「うん、よかった」
葛葉がうれしそうに笑った。
それを見て、ああ、また話せるようになってよかったと思った。
◇◇◇
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夕暮れの校舎から出た時、メールの着信音が鳴った。
確認すると画面には『from:Steven [Devil summon program]』の文字が並んでいる。
「おーい、なにしてんだ。先に行くぞ」
呼びかけられたので、携帯端末をしまう。
「すぐ行く」
そう答えて、歩き出した。