【暗渠地下神殿】
高い天井とそれを支える柱が並ぶ地下空間に、うめき声が響いていた。
それを発しているのはかつてアブディエルと呼ばれていた大天使であり、しかし今はそれとは分からないほど大きく膨れている。
まるで大きな赤ん坊をかたどった人形のようであるが、その身の内にある力は以前よりも増していた。
その空間の入り口にひざまづき、祈りを捧げる男がいた。
男は口の中で言葉をくり返しながら、ただひたすらに祈っていた。
その祈りの効果なのか、熱病に苦しんでいるようだったうめき声が小さくなり、アブディエルの目が薄く開いた。
『う、ヴェルドレ、司祭』
「……」
ヴェルドレは呼びかけられてもなお祈り続けている。
『ヴェルドレ、なぜだ。なぜお前は、このような事をした。答えろ。答えろヴェルドレ』
「……お許しください」
強く問われたヴェルドレは、声を絞り出すようにして答えた。
『なんだ、と?』
「お許しくさい、神よ。私は、私は怖いのです。世界に危機が訪れ、哀れな人々に審判が下る。それは逃れ得ることではない。ですが、いや、だからこそ、私は恐ろしいのです」
ヴェルドレは一度しゃべりだすと、堰を切ったように立て続けに言葉を並べた。
「天使様はおっしゃいました。世界は確実に破滅すると。このままでは世界にあふれた悪魔が無秩序に振る舞い、地上が地獄となるであろうと。それを防ぐために愚かな人々を導き、汚れた魂を粛正し、神に従う良き者たちが住まう地を作り出すのだと。ならば、と。私は御言葉に従い、成すべき事を成してきたのです。天使様。私の行いに、間違いはあったでしょうか?」
『お前の献身は知っている。だが……』
「そうでしょうとも。私は天使様の御言葉通り、神の国を作るために行動して参りました。人々に神の教えを広め、天使様を呼ぶことのできる機械を配りました。それも来たるべき神の国のため、世界のためを思ってのことです。ですが……その時が来ないではありませんか!」
ヴェルドレの声は次第に大きくなり、ついには地下空間に響き渡るほどの声量となった。
「預言されていた邪神は降臨しましたが、それも一瞬の事だったと聞きます。しかも人の力により退けられたとも。また、世界の各地で魔王が出現しましたが、それにも対抗できているらしいではありませんか。黙示録の獣たちも現れたようですが、どれもこれも大した被害は出ていません。いえ、死んでいる人々も多いでしょう。ですが、
ヴェルドレはひときわ大きな声で叫ぶと、数秒使って荒い呼吸を整えた。
「天使様。私は、怖いのです。このままでは、私が行ってきた今までのことが無意味になってしまいます。いえ、それどころか人を欺き世界を混乱させた悪の首魁とされてしまうかもしれません。全て天使様の御言葉に従い、神の国のために尽くしてきたことなのに、私はただの犯罪者となってしまうかもしれない。それが恐ろしいのです」
『貴様は、神を疑っているのか』
「そんな事はありません。しかし、人々は愚かなのです。私は神が望まれた通りに正義を成しただけなのに、世界は、世間はそれを理解しようとしない。であるならば、どんな方法を使ってでも、神の国を作るべきでしょう。そう思いませんか?」
ヴェルドレは理性的な男であったが、保守的でもあった。自分は正義であり、その自分を守るのは正当なことであると疑っていなかった。
その盲信こそがヴェルドレを司祭にまで押し上げた推進力であり、致命的に間違えることになった原因でもあった。
「天使様の御言葉通り、今まさに世界は破滅の危機を迎えています。ですが人々は愚かにもそれに抵抗できてしまっている。であるなら、世界の危機を後押しする必要があります。そうでしょう?大丈夫、全ては神のお導きです。準備はすでに整っているのです。私はそれにやっと気づくことができました!」
『ヴェルドレ、貴様、狂ったのか』
「何をおっしゃいますか、これこそ神の意志なのです。私はそれに従ったまで。これによって天使様はより強くなり、神の国の実現へと大きく近づくことになるでしょう。そうです、これこそが祝福なのです!」
最初とは一転し、幸福に満ちた表情でヴェルドレは祈りを神へと捧げている。
その耳にアブディエルの言葉は、やはり届いていなかった。
◇◇◇
【???】
気がつくと、大きな石の上に突っ伏していた。
頭を振りながら周囲を見回すと、うら寂しい陰気な河原が続いている。
懐かしい感じがするここがどこかを考え、すぐ答えに思い至った。
既視感があって当然だ。ここは以前も来た【賽の河原】だ。
それに気づけば芋づる式に、ここにいる理由も思い出す。
俺はメガテン世界で【ガーディアンシステム】と呼ばれる、死ぬと守護霊を変えて復活する能力を持っている。
死んでも復活できるのはいいのだが、その時に持っているガーディアンポイントと呼ばれるポイント量によって、次の守護霊のランクが変化する。
このポイントが少ないと弱い守護霊になってしまうので、連続して死に続けると最終的にはゼリーマンと呼ばれるよわよわ守護霊となり、それに引きずられて自分もよわよわになってしまうというデメリットもある。
ガーディアンポイントは悪魔を倒すことによって増加するので、任務をいくつもこなしてきた俺なら弱体化することはありえない。
なんなら、一気に4つくらい上のランクの守護霊になるかもしれない。
ゲームと違ってガーディアンポイントの蓄積具合が見えないが、なんとなく感覚で分かる。
ポイントは貯まっているので、ものすごい強敵との戦闘中に死亡して、より強い守護霊に変えて復活。逆転!という展開も燃えるが、現実は物語のように上手くはいかない。
守護霊が変われば弱点などの属性相性も変わるし、ステータスだってもちろん変わる。
その違いに慣れておいた方が、最初から安定して戦えるだろう。
ただし現実は、ゲームと違って死のうと思って簡単に死ねるものじゃあない。
街中で『死んでくれる?』をしてくれる【魔人 アリス】はいないのだ。
正確に言うと【アサイラム】内にアリスに類似する存在はいるらしいが、それへの
なので困った時の神主だのみだ。神主ならなんとかしてくれる!
そう思って聞いてみれば、「アリス?会えるよ」という返答をもらった。神主マジすごいな。
だが残念なことに神主が仲魔にしているわけではなく、『幼い少女の霊』という概念が悪魔になった形だけのアリスなので、無邪気に死をもたらす残酷な部分は持っていないらしい。
というか存在を魔人に寄せないように、人殺しから遠ざけているのだとか。
なら気楽には頼めないなとガッカリしていると、神主がニヤリと笑って言ってきた。
「安全に死にたいなら、最高に頼れる存在が目の前にいるじゃないか」
あー、そう言えばこの人は、毎日のように人を殺しているんだったか。
「人聞きが悪いなあ。僕は本人がそう望んだからやっているんだぜ。それに、すぐに復活できるよう肉体を必要以上に傷つけたりしないし、安全にも気をつけているんだぜ」
「えー、本当でござるかあ?」
「よし、そんなに死にたいならサクっと殺ってあげよう。葛葉ニキなら復活は自分でできるだろうから心配ないな!」
神主が右手を振りかぶる。
「ちょっ……」
ちょうどそこから記憶が途切れている。
ノリがいいのも考え物だ。
ここへ来た経緯は思い出せたので安心(?)できた。
以前のように船着き場を探して河原を歩くと、目的の老人はすぐに見つかった。
「やあカロンさん、また来たよ」
「お前さんか。ふむ、きちんと魂を磨いて来たようだな。どれ、寄越すがいい」
俺の中からコインが飛び出し、カロンがそれを受け止める。
「とてもいい仕事をしたようだな。これなら次も期待できるだろう。どれどれ、いま次のを用意してやろう」
カロンが川に向かおうとした時、持っていたコインが光りながら浮かび上がった。
カロンが慌てて水に手をつっこみ、コインを取り出す。
光るコインは無事に回収できたようだが、それとは別のコインが水の中に浮かんでいた。
コインを包む水は体積を増し、どんどん大きくなっていく。集まった水は徐々に形を取りはじめ、見覚えのある大きな女性の姿になった。
『やっほー生贄くん。元気してた?あれ、死んじゃってるから元気とは違うかー。でもまた会えて、お姉さんうれしい』
なんか以前とキャラ違いませんかね?
外見も以前より神々しくなっている気がするし。
『もちろん違うわよ。前の私は邪龍の私で、今の私は龍神の私だからね。存在としては神である私の方が当然前より強いから、安心してくれていいわよ』
まったく別の守護霊ではなく、同じ存在の別側面が来るとは思わなかった。
『当たり前よ。なんたって貴方は私の生贄なんだもの。死に別れたって逃がさないわよ。ヘビは執念深いんですから』
伊吹童子はするりと寄ってきて、背後から顔を寄せてくる。
『あとこれは神霊つながりで聞いたことなんだけど、今ってどんどん顕界しやすくなっていってるみたいで、いろんな悪魔たちが頑張ってるらしいの。だから私も負けないように、生贄くんを本気で応援しよっかなって思ったの』
たしかにGP(ゲートパワー)が上昇しているせいで、強力な悪魔が分体を送りやすくなっているとは聞いていた。
そのせいで悪魔の力を使って理想の世界を作ろうという、ゲームで【ガイア教】と呼ばれる新興宗教が増えているとも聞いた。
悪魔が人をそそのかしたのか、はたまた人が都合の良い悪魔を崇めたのかの違いはあるが、やっていることはどこも同じようなので【ガイア教】とひとくくりにしていた。
『そうそう。これからやっかいな相手も増えてくるだろうし、生贄くんも力を求めてまたここへ来たわけでしょ?だから私としてもちょうど良かったのよ。それじゃあ、一皮剥けた私の力をしっかり使いこなしてね。期待しているわ♥』
背後から力強く抱きしめられるが、苦しくはない。
大きな力を受け止めて使いこなせるだけの実力を持っているということだろう。
いつの間にか閉じていたまぶたの外に光を感じ目を開けると、見覚えのある河原の石の上だった。
見知った空だなと思っていたら、前回と同じく神主が顔を覗き込んできた。
「お帰り。うまく逝って帰ってこれたみたいだね」
神主(おそらくシキガミ)に記憶している限りを伝えると、「やっぱりこれからはガイア教も相手にしなきゃダメか」なんて言っていた。
◇◇◇
時間は少し流れ、俺は高校を無事に卒業した。
そしてほぼ同じタイミングで、葛葉家に婿入りという形で小夜ちゃんと結婚した。
結婚式は旧家らしい堅苦しいものだったので、基本的にはお互いの親族だけの参加だった。
なので、友人を含めた関係者への披露宴は別の日に行った。
参加してくれた山本からは、「いつかそうなるだろうとは思っていたけど、さすがに卒業と同時に結婚とか予想してなかった」というコメントを頂戴した。
「実はお前、女子にけっこう人気があったんだぞ。それまで普通の『いい人』だったヤツが、実は高ランクの人外ハンターだったんだ。カモが実は名品のネギを背負ってたって判明したみたいなもんだからな」
「ネギってそこまで重要か?」
「じゃあネギだけじゃなくて高級鍋セット一式そろえてたってコトでいいよ。で、そんな美味しそうなカモに近づこうとするんだけど、そうすると必ずどこからともなく葛葉さんがあらわれるんだとか。一部の女子たちはお前が首輪を付けられて飼われてるんじゃないかって噂してたらしいぜ」
葛葉家にとって俺は監視対象だったのだろうが、事情を知らない一般JKを遠ざけてくれるというありがたい面もあった。
聞いた話だが、一般人を彼女にしたらその家族がいつの間にかメシア教徒になっていたとか、任務で出かけるのを浮気と勘違いされたとかあるらしくて、他人事ながら大変だなあと思っていた。
それに俺は複数の女子に囲まれてちやほやされたいわけでもないし、感情の爆弾をうまく管理できるとはとても思えない。
「俺には小夜ちゃんがいてくれればそれで十分だから」
「くっ、これが結婚できる男の実力ってヤツか!?」
などと大げさリアクションをされた。
そもそも、ハーレムというものに憧れは持っていなかった。
【終末アサイラム】でハーレム持ちの転生者に何人か会ったことがあるが、全員が苦労人の顔をしていた。
地方の霊能組織の関係者に多かったが、仕事の他にもヤらなきゃいけない事があるようで、たまに遠い目をしていたのが印象的だった。
披露宴には友人以外にアサイラムの関係者も招待していて、彼らからの出し物で俺が小夜ちゃんに告白したシーンの隠し撮り動画を大スクリーンで流された。
ゴテゴテの編集入りで茶化されていたおかげで致命傷で済んだので、関係者には後でお礼代わりに重要任務をおすそわけしてやろうと思う。
根願寺経由の塩漬け依頼だから、さぞやりがいがあるだろう。
そんなこんながあったものの、大きな事件は起きないままに時間は過ぎて行った。
悪魔の存在が認識が一般人にも浸透したせいか少し強くなってしまったが、【終末アサイラム】による覚醒修行や避難訓練のおかげで被害は食い止められている。
人外ハンターも増えてきたし、このままゆっくりと終末に向かうことになるのだろう。
そう思っていた。
・龍神 伊吹童子
弱点属性相性は据え置き。
レベル、ステータスは大幅に上方修正。(邪龍 LV.25周辺、龍神 LV.40周辺)
スキル追加
・ヴェルドレ司祭
敬虔なメシア教の司祭だが、臆病な一面を持っている。
つるっぱげ、ではなく、ふさふさしたロンゲ。