【霊長知能総研】に向けて川沿いの道を辿ることおよそ30分。俺たちは葦の茂る川縁を、靴を濡らしながら歩いていた。
地面かそれとも枯れた葦なのか分からない場所を慎重に歩く。
葛葉は運動に慣れていないという割には、歩きにくい場所でもしっかりついてきていた。
「きゃっ!」
「危なっ!大丈夫か?」
「足が、沈んだ」
葛葉の右足が、土のない部分を踏んでしまったようだ。
俺がちょうど振り返ったタイミングだったので間に合ったが、運が悪ければ盛大にコケていたかもしれない。
「水が染みて、気持ち悪い」
「もうちょっとで足場につくから、そこまで急ごう」
なぜ俺たちがこんな歩きにくい場所にいるのか。その件に関しては数分前に遡る。
葦土沼遊水公園から川を上流に向けて歩き始めて十数分たったところで、ついに川沿いを辿れる道がなくなったのだ。
「伊吹、道は向こうに続いてるけど」
「真正面から『人面魚を作ってますか?』なんて聞いて『はい、そうです』って答えないだろ。川に異常が出てるんだから、まずは排水口を中心に調べてからの方がいい」
そう説明して、そして現在。やっと目的地である【霊長知能総研】の裏側にたどり着いた。
排水口は複数あり、その周辺をイヌガミに調べてもらったところ、やはり水中に魚の変死体が多く沈んでいた。
建物は白い外壁が清潔そうで、ガラス温室の中に背の高い植物が見えている。
川より高い位置にあるが、裏口から続く階段と、葦に隠れるような小さな桟橋があった。
裏口には監視カメラがあったが、アガシオンが無力化してくれた。
「さすが葛葉。使い魔の扱いがうまいな」
「みんなが協力してくれてる。いい子たちばっかりだから」
葛葉がやさしく頭をなでると、アガシオンもイヌガミも気持ちよさそうにしている。
監視カメラの下で濡れた靴を乾かしつつ小休止し、そのついでに【悪魔関連報告スレ】に経過報告をした。
883:名無しの転生者
やっぱり霊長知能総研は怪しいな。葛葉フレンズは、引き続き内部に潜入調査をよろしく。もし違ってたらゴメンねしといて。フォローはこっちでするから。
884:名無しの転生者
>>883 もう黒確定していいだろ。メシア教は叩くべし。
885:名無しの転生者
>>880 応援の準備は整った。これから何人かで向かうから、暴れて攪乱してくれてていいよ。その分こっちが楽になるから。
886:名無しの転生者
>>885 異界戦闘未経験の新人を突撃させた上で囮にするとか、鬼畜生かな?
887:名無しの転生者
そろそろこのスレ終わりだから誰か新スレ立てといて
888:名無しの転生者
>>887 空気嫁
889:名無しの転生者
>>887 オマエが立てろ
「ダメだこりゃ」
相変わらずのカオスっぷりである。
「?」
「こっちのことだ。ところで休憩はもういいか?ここからは、気合いを入れていこう」
装備を確認して、【霊長知能総研】へ侵入を開始した。
◇
不用心なことに、裏口のカギはかかっていなかった。
葛葉の使い魔たちに調べてもらったが、罠や感知装置の類いすらないらしい。
ドアを開けると、獣臭さと血の臭いが漂ってきた。葛葉を振り返ってみるが、大丈夫だというように頷いてきた。
内部は薄暗く狭い廊下が続いている。
横合いにある小さな部屋から異臭が強く漂ってくるので、慎重に中の様子をうかがった。
中を見たことを、後悔した。
犬や猫を始めとした、動物の死骸が乱雑に並べられている。しかもその死骸は共通して、頭部が異形化していた。
吐き気をこらえて飲み込み、携帯端末のカメラを向ける。数枚撮影して閉めようとしたら、葛葉に扉を押さえられた。
「わしも見る」
「見ない方がいいぞ。気分が悪くなるだけだ」
『心配すんなって。お嬢はこのくらい平気ダ。葛葉一族をなめないほうがいいゼ』
イヌガミが言ったとおり、葛葉は表情を変えずに部屋の中に入って行った。死骸の前に座りこみ、いつの間に身につけたのか白い手袋ごしに死体を検分していた。
「すごい苦しんでた。かわいそう」
「生きたまま体が変化したんなら、激痛だろうな。というか魚だけじゃなく、動物まで人間化させようとしてるのか。ここのヤツラは、いったい何がしたいんだか」
「人間……でもこれは……」
葛葉がしゃがみ込んだまま、何かを考え始めた。
今のうちに撮影した写真をアップロードしようとして、電波が圏外になっていることに気がついた。
「葛葉、ちょっと一瞬外に出てくるけど……」
そう言いかけたとき、部屋の隅に何者かがいることに気がついた。それは葛葉に向けてゆっくりと手を伸ばそうとしている。
「……!」
まだ距離がある。いや、魔法で遠距離攻撃をするつもりか?
敵意は見えない?いや、狂人かあるいは本能で動くタイプかも。
走りこんでもギリギリ間に合いそうにない。でもまだ魔法を手から飛ばすことは成功してない。
ならやっぱり、体当たりで動きを止めるしか。
思考が頭を駆け巡ったが、それを行動に移す前に、葛葉のリュックからアガシオンが顔を出した。
『
バチッ!と電流が音を立て、焼かれた何者かが力なく倒れた。
「大丈夫……みたいだな」
「ん」
葛葉がアガシオンの頭をなでた。
俺は、助けられなかった。間に合わなかった。
アガシオンがいたから無事だったが、いなければもしかしたら、ケガをしていたかもしれない。
俺が迷ったから、弱かったから、そんな理由で
「ごめん。次は、必ず」
「?」
守る、という言葉は恥ずかしくて口にできない。
それは俺の決意であり、誰かに聞かせる必要のないものだ。
葛葉が、倒れた何者かへと近寄る。
俺も後ろからのぞき込むと、それは少し大きな犬のように見えた。
「犬、だな」
「ん」
「でも今こいつ立ってたよな」
「そうなの?」
「立ってた。それにこの前足が、手みたいになってる」
見た目はほぼ犬であるが、骨格がなんとなく人間に近づいている。
人間寄りの犬。というかこいつ、どこかで見覚えがある。この感覚は、そう、前世の記憶だ。
「こいつ、コボルトだ」
【地霊:コボルト】
亜人の一種で、犬とよく似た特徴を持つ。妖精の一種とも言われる。文明のレベルは低く、汚らしい容姿をしている。主に洞窟に住む。
初期のメガテンシリーズにはよく登場していた悪魔だ。主に序盤の雑魚敵だが、レベルが低い時は攻撃が痛かったと記憶している。
普通の悪魔ならなんでもないのだが、他に大きな問題がある。それはこいつが普通の悪魔ではなく、受肉しているという点だ。
この世界がメガテン世界だと言っても、悪魔が気軽に出現できるわけではない。
悪魔の肉体を構成するのは主に【生体マグネタイト】と呼ばれる謎物質であり、悪魔たちはこれを【マッカ】と呼んで取引に使っていたりする。
生体マグネタイトは活動することで減少していくので、肉体を保つために生物を襲う。
人間が悪魔に襲われやすいのは、この生体マグネタイトが他の生物よりも多く持っているためらしい。
コボルトも本来は他の悪魔と同様に生体マグネタイトで構成されているはずなのだが、このコボルトの肉体は、死んでも生体マグネタイトの塊にもどったりしていない。普通の犬の死骸のように見える。
つまりそこから導き出される答えは……。
「人面魚は、人面魚じゃなかった」
「ああ、ここは動物を人間ではなく、悪魔化させるための研究をしているんだ」
◇
葛葉とともに【霊長知能総研】を進む。通路は細長くて薄暗い。
ガラス張りの部屋の中では様々な動物が飼育されているが、そのどれもが異常な変化をしている途中で、苦しそうな声を出していた。
俺にはどうやって助ければいいかわからない。だから今はこれ以上の被害を出さないために、元凶を倒すべく先を急いでいた。
「吐き気がしてくるな」
「ふくろ、いる?」
「大丈夫。そういうことじゃないから」
葛葉がいてくれてよかった。一人だったら嫌悪感のあまり、関わりたくないと言って逃げていたかもしれない。
でも、俺はここまで関わってしまったんだ。俺が始末をつけなければならない。
研究所内を歩き回っていると、大きめの部屋に出た。そこは天井が高く、上階のガラス窓から見えるようになっている。そして監視カメラが四方に設置されていた。
「檻のある扉もある。ここは実験と観察の部屋か」
部屋を横切ろうとしたところで、壁のスピーカーが鳴った。
『テステス、マイクテス。あー、そこの二匹のモンキー、聞こえとる?アポなしで勝手に入ってくるとかホンマ
二階の窓から、白衣を着た男がこちらを見下ろしている。
あの特徴的なおかっぱ頭とワシ鼻とメガネは、前世で見覚えのあるそれそのものだった。
「Dr.スリル。やっぱりお前か」
『んん?ワイのこと知っとるんか??はっ、さてはデビルサマナーか!貴様らなんべんワイの邪魔したら気が済むんや。ガキやとしても許さへんで。ワイの研究成果を披露したるさかい、目ん玉かっぽじってよう見てきや。おい、犬どもの檻を
Dr.スリルの声で、扉の檻が開かれる。中からはコボルトたちが、わらわらと出てきた。
『そいつらはちゃんとした完成品や。廃棄物どもと同じと思たらケガするで。まあ、ケガどころで済めばええがな。貴様らが生きてたら実験に使うてやるから、せいぜい頑張って生き延びてや。ほら犬ども、エサやで。GO!』
命令によって、コボルトたちがよだれを垂らしながら駆け寄ってきた。
「来るぞ、葛葉」
「伊吹は
葛葉が、イヌガミとアガシオンを呼び出す。
「そんなこと言ってる余裕は無さそうだぞ」
念のために持ってきていた、皮のグローブを両手にはめる。警察に見られても問題ない装備がこんなものしか用意できなかったが、何もないよりかマシだろう。
『GAAAAッ!』
先頭で突っ込んできたコボルトの噛みつきに合わせて、顎の下からアッパーカットを決める
コボルトは舌を噛みながら浮き上がり、後ろに倒れた。
「よし」
意外と動きが見えるし対応できる。これが覚醒して、その後も続けた修行の成果か。
これならば、何匹かかってこうようが全然イケる。
『
『イブキって強いの?
「だいたいの武道の基本練習はしたことあるけど。ワンツー!」
コボルトを殴り倒しながら答える。
空手とか剣道とか、ちょっとでも使えた方がいいと思って色々手を出していた。でも面白いモノ、やりたいことが多すぎるせいで、どれも長期間は続けてこなかった。
こんなことになると知っていれば、スポーツ競技よりも格闘技をメインにしてたんだけど、メガテン世界だと知るのが遅かったから仕方がない。
俺と使い魔とで、攻め寄ってくるコボルトを蹴散らしていく。このままなら、葛葉の出番は無さそうだ。
ちょうど振り返った時、葛葉の背後に駆け寄る小さな影を見つけた。
「葛葉!」
「!?」
俺の警告で周囲を見回しているが、敵が素早いせいで姿をとらえらていない。
使い魔たちは雑魚の迎撃にいそがしく、葛葉の守りがいない。
ならば俺が、なんとかしなくては。今度こそ、全力で、俺ができるすべてを出し切るんだ。
両手の平を前にむけ、そこに力を集める。
いつも途中までは上手くいっているんだ。そこから先は、気合いでなんとかしろ、俺!
「できるできる、俺ならできる!やるぞ、
広げた手のひらから、衝撃波を飛ばす。思った以上の反動に驚いたが、気合いでブレを押さえた。
衝撃波は葛葉に向けて飛びかかった小さな影に命中し、急角度で壁に叩きつけた。
ほら、やればできたじゃないか。
血を吐いて壁から落ちたのは、二足歩行の猫。おそらく【ケットシー】だろう。犬どもと言っておきながら猫も混ぜてくるあたり、Dr.スリルの性格の悪さがうかがえる。
「伊吹。術、使えるようになったの」
「初めて成功したよ。いけるとは思ってたけどな」
「そう。頑張ったね。じゃあ、見てて、
葛葉が放った冷気によって、コボルトたちの体が凍っていく。動きを止めたコボルトたちを、使い魔の二匹がトドメをさしてまわっていった。
「つぎは、これね」
「アッ、ハイ」
葛葉は意外とスパルタなようだ。
アガ「おじょう、機嫌よさそうだね」
イヌ「か弱い女性扱いされたからダロ」
アガ「ならなんでお礼しなかったの?」
イヌ「きっとツンデレってやつダな」