篝火幼稚園(1)
家族会議から一週間が経過した。
私は篝火幼稚園に預けられていた。篝火幼稚園は篠ノ之神社の隣にあって、私のいる場所からでも自宅の屋根が見える。
幼稚園はスモックが制服として定められ、私もまた淡い青色のスモックを身に着けていた。
私は境内に腰掛けて、紙パックに刺したストローからスムージーを吸い上げる。
飲みかけの容器を脇に置き、足をブラブラさせながら顔を上げ、すぐ傍に立っているお手伝いの少女を見やった。
中学校の制服に緑色のエプロン。パーマをかけた髪をくるんと巻いた、一見しただけならばゆるふわ美少女である。
「失禁涙目の幼女とかご褒美じゃんよ…………ハァハァハァ…………」
彼女の名は篝火ヒカルノ。住職の姪っ子さん。同じ町内に住んでおり、姉や
「くっそう、ストローになりてえなあ………………身体を通過した汁を幼女に飲まれてえ…………なんだよ、もう体液交換じゃんよ…………ハァハァハァ……」
奥の参道で織斑一夏ら男子たちが玉砂利を蹴飛ばしてじゃれ合い始めた。制服にエプロンを着けた
振り向いた篝火ヒカルノが、ジュルッ、と唾を飲み込む。
「あぁあぁあ……混ざりてぇなあ……一夏くんとくんずほぐれつしたいじゃん? あと十年遅く生まれてたら…………ハァハァハァ……ハァハァハァ…………」
篝火ヒカルノはお小遣いと目の保養を兼ねて幼稚園を手伝っていた。あまり勤勉な性分ではなく、住職が目を離した隙を見計らい、足を止めて園児たちを眺めているのが常であった。
「お願いです! 神様仏様! 今すぐ一夏くんを
「ハァハァハァ……………今すぐ一夏くんの
「しゅ、しゅごぃいっ……一夏くんが中にぃ…………キツキツだよぉ……一夏くんの波動を感じるぅううっ!! ……ハァハァハァ……」*1
千冬と比べ、篝火ヒカルノは親御さんたちと積極的に交流しようとはしなかった。遠巻きに眺めて、愛想笑いを浮かべながら、たまに手をふるくらいであった。
利用者のほぼ全員が町内に住んでおり、家のお手伝いだと皆知っていた。親御さんたちからの評判は良くも悪くもない。園児たちは……あまり近づかないようにしていた。むしろ、園児たちの人気は
園児と別れた
「ハァハァハァ……一夏くんで上書きされちゃったぁ…………一夏くんのカタチにされちゃったぁあぁ…………ひとつになっちゃったぁあぁ…………ハァハァンブォッ!!」鼻を二本の指で勢いよく突き上げられてのけぞる。
「篝火、お前、もう一夏に近づかないでくれないか? 接触禁止だ。視るのもダメだ。一夏から半径10メートル以内に近づいたら先生に言いつける」
ヒカルノに鼻フックの刑を処しながら、
私は眼前の残念な少女を眺めた。
今から10年後、20代半ばを迎えた篝火ヒカルノという女は夏山の川縁で
あろうことかスクール水着を身に着け、ビールの飲みすぎと運動不足で
このとき、
「箒……この女から何か言われたか?」
「私の
当然の反応である。私も意図を理解できなかった。
「
正直なところ、私も意味が分からなかった。きょーせーてぃーえすって何? と思った。
「……ちーちゃんセンセ、今からお巡りさん呼ぶ? お医者さん呼ぶ? ヒカルノセンセ、べんきょーのしすぎで頭がパーになっちゃったんだと思うよぉ」
クズ姉は腐っても篠ノ之束である。勉強と運動だけはできた。
篝火ヒカルノもまた、勉強と運動ができた。遊びに付き合ってもらったついでに、IS理論を教えたら面白いように吸収していった。あまりにも覚えが良いので、IS発表後、研究者必携の書となるであろう【IS理論】を今、彼女に執筆させているところだ。ヒカルノは嫌がるだろうが、いずれは姉との共同名義で出版させようと考えていた。
姉は論文や学術書の執筆にまったく興味を見せず、むしろ莫大な資金をどうやって使うかに腐心していた。資金力を頼りに力業で原材料を買い揃え、ISコア製造に着手していた。しかし、分かってはいたものの歩留まりが極めて悪い。7000個以上試作してみたが、最初の1機用のコアが未だ採れずにいる。
だが、もしもヒカルノだけであったならば、20から30年ほどかかる工程を、クズ姉は一年足らずで終えてしまっていた。
何をどうすればよいのか分かっているとはいえ、資金の集め方が尋常ではなかったのだ。
【必要ならば躊躇無く身内を犠牲にし、末代まで禍根を残そうとも良心の
「アアタタタタっ……くふぅ……ヤバイっ、こ、これってっ、ち、千冬様の一部を粘膜で包んでる? 包んでるじゃんかっ…………ハァハァハァ……」
普通の人間ならば苦痛を感じたらやめてほしいと懇願し、態度で反省の気持ちを表すものだ。
しかし、ヒカルノは反省どころか…………なんとなく興奮しているように思えた。
「ハァハァハァ……ち、千冬様に……鼻フックして頂けるなんて光栄の極み!! ……明日、みんなに自慢できるんじゃん? ……あれ、これって……狭くて小さなキツ
「………………っ」
ちーちゃんセンセは無言で腕の力をゆっくり抜いた。
鼻フックを解き、ティッシュで何度も拭う。
「ハァハァハァ……
「ちーちゃんセンセ」
私は自分の頭を指で突いた。クルクル回して手を開いてみせる。
ちーちゃんセンセが
ヒカルノは両手で鼻の表側をさすった。
ちーちゃんセンセが戻ってきた。ヒカルノを無視して私に話しかける。
「……あいつから連絡あったか?」
私は首を横に振った。
姉の姿をもう一週間見ていない。父は本来、神事の時だけアルコールを口にするような人であった。しかし、あの日を境に打って変わってしまった。毎晩深酒をし、母を乱暴に抱くようになった。
私はできるだけ寝室には近づかないようになり、ひとり別室で寝た。
IS理論を世に送り出すよりも早く、篠ノ之家は家庭崩壊してしまったのだ。
「そうか……」と呟いて、ポケットから携帯電話を取り出した。
着信履歴には姉の名が並んでいた。
今すぐにでもクズ姉と縁を切りたいところであるが、ISを世に出し、社会基盤の新様式を確立するまでは姉にいてもらわなければ困る。私が成長するまで待っていられないし、ヒカルノでは変化が緩やかすぎてダメなのである。
「あいつ、リサの家に転がり込んでるぞ」
「ちょーちょーさんのおうち?」
「もう一週間厄介になっている」
両親と食卓を片付けたとき、姉のボイスレコーダーが消えていた。金の無心に使うつもりなのであろう。
私は地面に降り、ヒカルノの背後に回った。大きく溜息をついてから、腕を振り上げ、手首のスナップを利かせる。
パチーン! パチーン! パチーン!
尻を押さえるヒカルノ。頬を赤らめ、おずおずと振り向いた。
「……ほうきちゃん……ご、ご褒美……?」
「ヒカルノセンセにお願い♪ こーしゅーでんわで、あるところにお電話してほしいんだ」
ヒカルノの表情があからさまに曇る。
「束おねーちゃんじゃないよ」と言ったらヒカルノが緊張を解いた。
ちーちゃんセンセにボールペンとメモ帳を借りる。市外局番03で始まる番号を走り書いて、ヒカルノに見えるように掲げた。
「ここにお電話してほしいんだ」
「ほうきちゃんのお願い……いいじゃんよ」
ヒカルノが二つ返事で了承する。
「おねがいしまーす」
私は天真爛漫な笑みを浮かべながら、ヒカルノの手にメモを握らせた。
■篝火寺
敷地が篠ノ之神社と隣接している。紅葉が有名な名勝。
■篝火幼稚園
篝火寺の敷地内に併設された幼稚園。
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