どうぞ見てやってください。
今回は長いので章仕立てです。
ウマ娘のキャラが魅力的過ぎるのが悪い。
(1)プロローグ
実に気持ちの良い朝だった。
「どうもどうも不屈のテイオーさん」
この一声がなければ!!
「何でもうバレてるのさ!!」
「そりゃトレセン学園で話題になってましたからね。あのスランプだった子、ウッキウキで周りに話していたそうですよ? すっごくカッコよかった! カリスマの塊だった! とか。今やもうトレセン学園は不屈のテイオー祭りですよ? ほら、見てくださいこれ。動画でも不屈のテイオーステップというのが……」
「やめてやめてぇぇぇぇ!! 若さゆえの過ちなんだぁぁぁぁ!!」
「若いと言ってももうちょっとでアラウンド30……」
「今ここで死にたい?」
「ごめんなさい」
思わずガチトーンの僕に平謝りの記者ちゃん、朝から騒がしい事この上なかった。
「でも大分まともな顔になりましたね? 荒療治が相当に効きましたか?」
「睡眠薬盛って拉致は普通に犯罪だと思うけど?」
「ちなみにお薬はタキオン製で、実行犯はマックイーンさんとその他メジロ家のSPさん達ですよ」
「あいつらぁぁぁぁぁ!!!!!」
道理で完璧な仕事のわけだよ。ある意味プロフェッショナルの方々じゃないか!
「さらに言うとタキオン製なのでやっぱりというか、なんか寝ながら虹色に発光してました」
「タキオォォォォォォォン!!!」
「それでレインボーウマ娘はいくら何でも目立ちすぎるって事で、マックイーンさんがSPさん達に指示して、空気穴開けた遮光性の袋に詰め込んで運んだんですよね」
「マックイィィィィィィィン!!!」
「袋詰めの人をトランクに入れて運ぶって、何かいけない事しているみたいでドキドキしました」
「みたいじゃなくて本当にやっちゃいけないやつ!!!」
ツッコミが、ツッコミが追いつかない! 僕は別に常識人枠じゃないはずなんだけど、相手が非常識すぎてやらざるを得ない! どいつもこいつも何やってんだよ!!
「というか早朝にもかかわらず、どうして僕のところ来たのさ?」
そしてその異常なテンションの高さは何? 今日は寝ざめもスッキリしていて、頭の回転も悪くないけど、それでもこのハイテンションにはまるでついていけない。
「よくぞ聞いてくれました。実は良い写真が撮れましてね? それをお渡ししようかと」
「良い写真? まさか」
虹色テイオーの写真だったら必殺ウマ娘キックをかまそう。そう心に決めて記者ちゃんから写真を受け取る。しかし僕の予想に反して、そこには何と僕のトレーナーが映っていた。
「これは……」
「ふふ、良い写真でしょう?」
「トレーナー、笑ってる」
やられたと思った。これでは怒るに怒れない。記者ちゃんは記者と言う調査側の仕事でありながら、生粋のエンターテイナーだ。こうしたメリハリをつけるのが抜群にうまい。トレーナーの笑顔の写真は、ツッコミするのに精いっぱいで、ノーガードだった僕の心にガツンと来た。
「これ、どんな状況だったと思います?」
「いきなりこっちに振るのはずるくないかな? 散々振り回されたからもう考える力残ってないよ」
「ふふふ、ではお答えしましょう。これ、不屈のテイオーの話を今の愛「担当」バから聞かされた時ですよ」
「……僕の?」
「今のトレーナーさんの愛「だから担当ね」バはテイオーさんの大ファンですからね。そりゃトレセン学園にあのトーカイテイオーが出たとなれば食いつきますよ。そんな彼女達だからすぐにトレーナーにも伝えに行くだろう、そう思って先回りしていたんですよね。そしたら案の定ってやつです。で、感想はどうです?」
反応に困るとはこの事だ。だってこれ、トレーナーが優しく微笑んでいるって事は、僕の今を知って喜んでくれたって事だ。そこに例えようがない嬉しさと同時に、穴に入ってしまいたいほどの気恥ずかしさも覚えるわけで。
「ノーコメント」
「はいはい、ノーコメント頂きました」
僕の誤魔化しを想定していたのか、記者ちゃんは満面の笑みだった。
「さっき『見せる』じゃなくて『お渡ししたい』って言ったよね? つまりはこの写真貰っていいのかな?」
「ええ、記事にするためじゃなくて、テイオーさんのために撮った写真ですから」
この子のこういう所が本当にずるいと思う。流石スズカの専属記者になったまでの事はある。もはや僕に残された手は開き直るしかない。
「ではありがたく頂戴するよ」
僕は写真を飾るか持ち歩くか考え、財布の中に入れる事にした。これで何時でも一緒ってのはちょっと重いかな?
「それでいつトレーナー奪還作戦を決行するのですか?」
「なんかそのネーミング、悪意がない?」
「気のせいです」
「……まあいっか。あの後色々考えたんだけどさ。トレーナーに会うのはもう決めた事ではあるんだけど、ちょっと悩んじゃって」
「何か引っかかってる事でもあるのですか?」
「何て言えばいいかなぁ? 何か僕が思っていた僕自身と、皆が思うトウカイテイオーにずれがあるっていうか」
「なるほど、そう言う事ですか」
「どうにもここら辺のずれがもやもやして落ち着かなくて。今トレーナーに会ってもどうすればいいか分からないんだ」
「その割にはそんなに深刻そうじゃなさそうですね?」
記者ちゃんはなかなかに鋭い。記者ちゃんの言う通り僕は困ってはいるけど、かつて程深刻ではない。というのも何をするか僕自身もう決めていたから。
「答えになるかは分からないんだけど、ちょっと久々に皆に会ってみようかなぁって」
かつて一緒に走り、勝利の栄光をめぐって争ったライバル達に。今だったら置いてきた過去の自分も受け入れられそうだから。過去の清算ってわけじゃないけど、今の自分が何者なのか、改めて見つめなおしてみたかった。
「良いんじゃないですか? きっとそれは今のテイオーさんに必要な事だと思います」
「やっぱりそう思う?」
「ええ」
彼女の優しい視線がどうにも照れくさく、僕はそっぽ向いてしまう。
「ちなみに初めは誰に会うとかは決めていたりするんですか?」
「実はね。もうアポイントは取ってあるんだ」
「おお! 今までが嘘だったかのように早い行動ですね。差し支えなければ誰か聞いても?」
「ダブルジェット!」
「へっ? ダブル……あ、もしかして」
ダブルジェットと言うウマ娘はどこにもいない。初め僕の意味不明な言動に、怪訝な表情を浮かべた記者ちゃんだったが、すぐに持ち直して答えを探し始める。
まあ問題にするには簡単すぎるけどね。ダブルジェットと言うウマ娘はいないが、ダブルとジェットを類義語に変えれば答えはすぐに出てくる。そう、大勝ちか、玉砕か、常に全力疾走の青い弾丸、そのエンジンが尽きるまで走り続けるその名は、
「そう、ツインターボだよ!!」
(1)ツインターボ
ツインターボと聞けば何を思うだろう? やっぱり大逃げ、ターボエンジン、逆噴射、あたり? とにかく快勝か大負けかの一発屋、そういうイメージが強いだろう。ツインターボの底抜けに明るく、負けても後ろを振り返らない清々しさで、良い意味で大馬鹿、それが世間のツインターボの評価となっている。
成績としては重賞としてG2を勝ったウマ娘であるが、その上の舞台で戦っていた僕は直接彼女と戦った事はない。実のところツインターボは僕の一個上で、僕がデビューする前に栄えあるG1である有馬記念に出走した事があるのだが、ブービー賞と言う散々な結果だったらしい。
なので僕が知るツインターボは有馬記念が終わった後の彼女であった。ツインターボは何故かやたら僕に絡んできては「勝負しろ―」だの自由奔放に振る舞い、嵐のように帰っていくはた迷惑な存在であった。
何てゆーかあのテンションに付いていけないのだ。僕はリズムを狂わされるのがどちらかと言うと苦手な方で、練習中に出くわすとその後がボロボロになったりした。トレーナーは良いメンタルトレーニングだと言っていたけども、付き合わされるこっちの身にもなってほしい。
ただ彼女の「走るのが好き!」が全身からにじみ出している姿は嫌いじゃなかった。そんなツインターボの評価が一変したのが、病院で彼女と出くわした時であった。
僕にとって2度目の故障の時だった。骨折から一か月後、その日は経過を見るための診察の日だった。どうせ診断結果なんて要安静しか出てこないと分かり切っている中、いちいちチェックしなきゃならないのは煩わしく、僕はどこか投げやりな気分になっていた。
一緒に来るはずだったトレーナーは病院に来る途中で、ネタを狙っている質の悪いマスコミの尾行に気づいた事から、別れて行動する事になってしまった。今トレーナーは囮としてマスコミを引きつけてもらっており、僕の診察後に合流する予定となっている。
診察はめんどくさいし、トレーナーもいない。そんな僕の気分は最悪そのものだ。
だからツインターボを見かけた時、本音を言うと「うわぁっ」て思ってしまった。でもめんどくさい気持ちは一瞬で、すぐに疑問が降って湧いた。何故ここにツインターボがいるのだろう、と。何せここは病院である。
普段見ない彼女の物憂げな表情に僕は釘付けになった。声をかけるべきなのか、そうでないのか、判断する間もなくツインターボは僕に気づく事もなく、診察券を片手にその場から離れた。彼女の向かった先は、
「あの方向にあるのは確か……呼吸器内科?」
ウマ娘にしては珍しい科の受診に僕は眉を広める。
「ん、そこにいるのはトウカイテイオーか?」
「そんな君はツインターボのトレーナー、だよね?」
僕の言葉に対して彼は頷く。
「トレセン学園の近くで良い病院と言えば、ここが一番だから何時かは誰かと出くわすと思っていたが、よりにもよって君だとはな。君は一人か? トレーナーは?」
「途中でマスコミに嗅ぎつけられてね。今代わりに囮してもらってる」
「それは災難だったな。足の調子は?」
「普通としか言えないかな。早く治ったりするものじゃないし」
「そりゃそうか」
お互いはぐらかしているような何とも言えない会話であった。知らないふりをすればとも思ったが、いくらツインターボを見ていないと言って取り繕っても、そのトレーナーを見かけた時点でほぼアウトだ。
遅かれ早かれ話題の行きつく先はツインターボとなる。だから僕は覚悟を決めてターボのトレーナーに尋ねた。
「その、さっきツインターボを見たけど、どこか悪いの?」
僕の質問に対して彼は無言になる。どう答えようか考えているようであった。口に出すのを躊躇うほどの症状、きっとツインターボが抱えたものは軽いものではない。沈黙に耐えかねて僕が何か次の言葉を考え始めた矢先、彼はようやく口を開いた。
「ズルはしたくないって本当はターボから止められているんだが、ここで出会った時点で隠しようがないよな。それにここで出会ったのがテイオーってのも何かの縁だ。テイオー、察しの通り、あまり面白くない話だ。それでも聞くか?」
「……うん」
「そうか。分かった」
ターボのトレーナーは徐に僕に向き直ると衝撃的な事実を告げた。
「……ターボは肺をやっている」
「……え?」
「ターボがスタミナがないのは小柄な体のせいと言われているが、本当は違うんだ。肺が傷を負っているからターボはスタミナを上げたくても上げられないんだ。ちょうど君がデビューする前、有馬記念の時だ」
「そんな……」
僕は絶句した。いつも突っ走っているイメージだった彼女に、ここまで重い事情があったなんて。思い返してみたってそんな素振りは一切なく、ツインターボはいつだってあのままのツインターボだった。
「俺の痛恨のミスだった。初のG1で舞い上がってた。勝たせたいあまりにターボに限界以上の力を出させてしまった。原因は鼻出血、と言ってもただの鼻血じゃない。外傷性の出血じゃなくて、内因性、つまりは気道、肺からの出血だった。テイオーは知っているか分からないが、肺からの出血はなかなか治らない。癖にもなるという」
「それって危ない状態なんじゃないの? なんで走らせるのさ!?」
素人でも分かる。肺は足と同じくらい走るのに大事なものだ。肺にダメージがあるのであればそもそも走るべきではない。
「ターボが走りたいと言ったからだ」
「それでもトレーナーとしては止めるべきでしょ!!」
僕もウマ娘だ。走りたい気持ちは良く分かる。でも命の危険を抱えてまで走るのは間違っている。僕のトレーナーだって絶対レースには出さないはずだ。怒り心頭の僕はターボのトレーナーを睨みつける。でも彼女のトレーナーは全く動じる事無く、僕の怒りを真っ向から受け止めた。
「俺だって彼女の状態は分かっている。だからレースに出る際は条件を付けたんだ。もしも息が苦しくなったらそれ以上は本気で走らないって」
「っ!!」
もしもって言ったって息切れは必然だ。ウマレースは距離が短いから楽とかじゃない。短いなら短い距離の中で全力を出し切るのがウマレースだ。余力を残してゴールなんて余程の実力差がないとできるわけがない。皆が皆、本気で一位を取りに来るのだ。
でもツインターボにはその本気が許されない。そんな、そんな残酷な事って……
「……酷すぎる」
「それでもやるといったのはターボだ」
静かな口調であったが、ターボのトレーナーのその言葉には強い決意がにじみ出ていた。
「だから俺はこうして彼女のトレーナーを続けている。どんだけ笑われようが、あいつはやると決めた。あいつが覚悟を決めたのなら俺もそれについていくだけだ」
その時僕は何か腑に落ちた気がした。ターボのトレーナーはとっくの昔に覚悟を決めていたんだ。きっとツインターボが己の在り方を決めたその時から。
「もしもあいつが引退するとしたら誰かにスタートダッシュで負けた時だ。その時まであいつは走るよ」
僕のトレーナーの言葉がよぎる。トレーナーとウマ娘は一心同体。まぎれもなく強固な信頼でツインターボとそのトレーナーは繋がっていた。
「って事でテイオー、ターボの代わりに宣戦布告だ」
「えっ?」
「次の有馬記念はターボが頂く」
何を馬鹿な事をと思う。有馬記念はファン投票で決まるので、出走できる可能性はゼロではない事は確かだが、正直今のツインターボの成績では厳しい。さらに問題なのはその距離だ。2500mは今のツインターボには無茶過ぎる。
「だからテイオー、君も頑張れ! 大丈夫、怪我なんてどうとでもなるさ」
ターボのトレーナーはニカッと笑う。きっとツインターボが再び有馬記念を走るのは、無茶なのは分かっているのだろう。それでも虚勢を張り、勝負相手を鼓舞する姿は強く、どこか神々しくすら見えた。
「だから、ターボを失望させるなよ」
「はは、言ってくれるね。僕は無敵のテイオーだぞ。ツインターボなんてちょちょいのちょいさ」
「おし、テイオーはそうでなきゃな! そうじゃなきゃ倒し甲斐がない!」
「だから、だから絶対来てよね。僕待ってるから」
皆が知る通り、その約束は果たされる事はなかった。彼女の実績では有馬記念に届かなかったのだ。それでも僕はツインターボと言うウマ娘を尊敬している。ツインターボは有馬記念に出れなかったものの、七夕賞を勝ち、そしてオールカマーでなんと後続から10バ身ぶっちぎっての大勝利を決めてみせたのだ。
僕自身も怪我に悩んでいた時に起きた、大逃げと言う常識外れの大勝利、それにどれだけ勇気をもらったか。レースを見た後、僕は涙があふれるのが止まらなかった。あの時の強いツインターボが忘れられず、僕は彼女の事をこっそり内心で師匠と呼んでいる。
僕は一つ誤解していた事がある。確かにトレーナーはターボにスタミナが切れたら本気で走らないように条件を付けたと言った。でも今にして思えばそれはただの口約束で、これからも走るためにそれらしい理由をこじつけただけだったように思う。
ツインターボはスタートしたら最後、エンジンが壊れるまで、いや、壊れたって全力で走り続ける。一見逆噴射からの急減速はレースを諦めたように思えるが、それは抑えたのではなくただのスタミナ切れだ。自ら手を抜いたわけじゃない。ツインターボはスタミナがキレても、負けが確定してもなお全力で走り続ける。彼女に勝負を諦めるという選択肢は存在しない。
勝った七夕賞やオールカマーのツインターボはどう見たって全力全開だ。レース後にせき込むくらいに肺を酷使して走りきった。
そう、トレーナーは建前だけは用意しておいて黙認したのだ。ツインターボがなおもレースに出て全力で走る事を。もし完全に壊れてしまっても責任を取る、そのつもりで。
「えっとここで合ってるかな?」
電車で揺られる事一時間、都会から離れた新緑溢れる自然が豊かな場所にそこはあった。広い土地がある故の大きな公園には何個か運動施設があり、その中の一つにウマ娘専用の練習場がある。
といっても距離はウマ娘にとっては最低限のもので、一周1200m程度しかない。しかしながら無料で開放されている施設と考えれば、芝の管理がしっかりと行き届いていて、かつレースだってやろうと思えばできるここは上出来、いや、最高と言ってもいいだろう。
かつてここが地元のウマ娘がG1を制した時、市から記念として作られたものであろうそうだが、その場限りの約束ではなく、きちんと管理をしているのは本気を感じられて、素晴らしいの一言だ。
今はまだ早朝なのだが、こんな早くにも拘らず、それなりに多くのウマ娘が練習に励んでいた。親と一緒にランニングする子供に、寄り添って走る熟年夫婦(別に利用できるのはウマ娘オンリーではないよ!)、そして今後レースで活躍を夢見る若い子達、いつかこの場からまた優秀な者が出てレースを走る時が来るのだろうか?
老若男女、様々な人がいる中で、僕の心の師匠はいた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
いつかと同じように、雄たけびを上げながらエンジンでぶっ飛ばす青毛、あまりにも変わらなさに僕は自然と笑みが出る。僕より数年前に引退したツインターボ、彼女は今元気な姿で走っていた。
そしてゴール先では、携帯のカメラモードでターボの勇姿を撮影している男性がいる。無論それは彼女のトレーナーだ。ターボは引退したから、元トレーナーにはなるであろうが。ツインターボの引退後も彼は彼女と共にいた。
誤解なきよう言うと別にツインターボはレースの復帰を目指しているわけじゃない。今この場で走っている事自体が彼女達の次の勝負場所なのだ。
ウマチューバー、要はyou tuberのウマ娘版の事をそう言うのだが、色んな才能がある者達があの手この手でしのぎを削る舞台で、突如現れた異質な存在。それがターボチャンネルだった。
ディープなウマレースファンはその名前だけでツインターボを連想したが、いきなり現れたそれが本物であるかは分からず、ツインターボの性格からして、編集が思いのほかめんどくさいとされるyou tuberをやるとは考えにくく、割と懐疑的な姿勢であった。
それでもまずは一回は見てみようと思ってしまうもので、怖いもの見たさで投稿動画を見た視聴者は度肝を抜かれた。
まず画面に現れるのはレース場の様な場所だ。そこに猛烈な勢いで走ってくるツインターボらしき者、彼女がゴールのテープを割った瞬間にタイムが表示され、最後に「逆噴射を恐れていてはレースはできない」とカッコいいような、そうでないような一言が表示され、何の補足もないまま終わったという。
一分にも満たないそれに困惑した視聴者は数知れず、でも走ってるのはまぎれもなくツインターボ本人で、情熱と謎とシュールさを黄金比率で兼ね備えた、良く分かんないチャンネルは瞬く間に話題となった。
ただ走ってタイム計って格言タイム、という徹底的に無駄をそぎ落とし、お金的にも労力的にも低コストで済むターボチャンネルは、その気楽さを逆手に取り、毎日朝八時に配信され、今ではニュースやワイドショーと共にいわゆる朝の顔となっている。
これ普通に飽きない? って思うかもしれないけど、飾り気がないからこそ癖になるようなところがあり、短いからこそさっと見れる強みもある。狂気の産物の様でかなり考えられているとは専門家の見解だ。
またいつものルーティンだと油断していると、いきなりネタをぶっこんでくるのがこのターボチャンネルの侮れないところだ。
格言がただの料理のレシピだったり(もちろん書き留める時間なんてくれない)、「ぶっちゃけネタ切れ、良いネタあったら教えて」と視聴者にぶん投げて来たり、ターボの代わりにいきなり知らんおっさんが走ってきて、最後の格言が「ターボ風邪ひいたので代理で走りました」とただの連絡事項になってたりと、結構やりたい放題やっている。
ちなみに謎のおっさんとはもちろんツインターボのトレーナーである。動画のためとはいえ、なかなか体を張っていらっしゃる。
またネタの宝庫の格言タイムとは別に、走り自体は割とガチ気味と言うのも面白く、良いタイムが出た日なんかは、しょーもない格言の後ろで喜ぶターボの声を聞いた視聴者全員がほっこりし、世の働き盛り達は「俺ら(私ら)も頑張るかー」と普段の2割増しのやる気で出社していくと言う。
「おー、テイオー! よく来たなー!!」
腕をブンブン振りながらツインターボは僕を迎える。その横でターボのトレーナーは苦笑していた。自分で言うのもなんだけど一応僕は有名人である。だから普通は周りにばれないように振る舞うものであるが、大声で叫んで豪快に手を振られては目立ちまくりだ。それに僕だけでなくツインターボだって結構な有名人なのである。
案の定周りはざわつくわけであるが、僕はもうこれがツインターボと開き直って彼女の元へと向かう。そしたら
「え、ちょっ!?」
思いっきり抱きしめられた。ツインターボは僕より小柄のため、僕の肩に顔を埋めるような感じになったが、それでも僕はどういう訳か、何か大きなものに包まれている感覚になった。
「本当によく来た! 本当に……」
「……うん」
僕は静かに頷いた。かつてはお互い一線を駆け抜けた身だ。ウマレースと言う世界の酸いも甘いも知っている。だけど僕もツインターボもそれを言葉にできなかった。だからこそ僕らは言葉よりも行動を選択したのかもしれない。ツインターボからの抱擁は言葉よりも勝る何かがあった。
しかしながら問題はその先である。これからどうしようか? 正気に戻ると何かこう羞恥心が湧いてくる。あの元気全開がモットーのツインターボですら顔を赤らめ、戸惑っているようで。勢いで行動するとこういう事がよくある。二人で困っていると助けの船は訪れた。
「あ、あの……テイオーさんですよね? サイン貰えますか?」
そう、ツインターボがいきなり大声で僕の存在を暴露したからこそ、ファンの方々がやってきてくれたのだ。何が良い方へ転ぶか分からないものである。
「よーし、ターボのサインが欲しい奴は並べ―!」
「いや、ツインターボさんのは結構です」
「なんだとぉぉぉ!?」
「いや、だって私含めてここにいる人達、もう全員ターボさんのサインもう持ってますし」
「あ。そういえばそっか」
何ともツインターボらしいやり取りで僕は笑ってしまう。ウマレースで愛されたツインターボはここでも愛されているようであった。
「ハイハイ、僕から提案。せっかくなら連名のサインにしようよ。僕とツインターボの」
「おー、それはいいな。ターボとテイオーのサインはきっと価値が出るぞ!」
「本当ですか!? 是非是非」
僕の提案に湧きたつファン達、それからは僕とターボでどこか漫才のようなやり取りをしつつのサイン会と相成った。ちなみに漫才は意図しての事じゃない。
二人で会話していると自然とターボがボケ、僕がツッコミになるのだ。昔はこのズレこそが苦手だったのだが、今ではこのズレこそが楽しい。唐突なサイン会は和やかに進んだ。
しかしながら僕がここに来たのはただツインターボに会いに来たのではない。
僕がここに来たのは約束を果たすためだ。更衣室でジャージに着替えると僕は入念にウォームアップを始める。一方ツインターボはストレッチのみをひたすら行っていた。視線をずらすとターボのトレーナーは横断幕に何か書いている。こっそり覗き見るとそこにはひらがなでゆるーく「ありまきねん」と書かれていた。
そう、約束とはかつて病院でした有馬記念で勝負するという約束だ。といってももはや2500mはツインターボだけでなく僕も走れない。ツインターボは肺の問題があるし、僕だって足が持たない。言いたくはないがお互いボロボロの身だ。
だから僕らが走るのはその5分の1の距離、500mだ。それはターボチャンネルでいつもツインターボが走っている距離でもある。そう、この距離こそが現役を引いたツインターボが走れている理由だ。
肺の問題はスタミナに直結する。だがツインターボに他の部分で問題はない。距離を短くすれば全力で走る事も可能なのだ。しかし残念な事にウマレースは最低でも1000mある。ウマレースにツインターボが走れる場所はなかった。
そこで諦めなかったのがツインターボのトレーナーだ。彼女のトレーナーは新しく作ったのだ。彼女が全力で走れる場所を。今のツインターボが楽しく走れているのは、間違いなくトレーナーのおかげだ。病院の時に感じた彼の覚悟は本物だった。
「よーし、ターボは準備出来たぞ!」
「僕も十分!」
「分かった。じゃあ二人ともスタートラインに立ってくれ」
言われるがままにゲートのないスタートラインに立ち、よーしと気合入れていると、いきなり学生の集団が現れて僕は目を丸くする。何事かと思っていたら、どうやら吹奏楽部だったようで突如始まる音楽。それはもちろん有馬記念のファンファーレだった。
「うわー、なかなか粋な演出だね」
これはウマ娘ならやる気が出る。
「でしょ!? ターボのトレーナーはいつだってサイコーなんだ!」
得意げな笑みで答えるツインターボの姿は眩しい。かつての僕のトレーナーの言葉がよぎる。ウマ娘とトレーナーは一心同体だって。
「でも僕だって負けてないよ」
失ったと思ってたけど、僕のトレーナーとの絆はまだ残っている。だったら僕だって負けられない。今はもう衰えちゃったけど、完璧とはいかないけれど、僕とトレーナーが積み上げてきたものは確かにある。なんちゃってであろうがレースに出るからには
「負けられない!!」
「いーや、勝つのはターボだ!!」
そして二人だけのレースの火蓋は切って落とされた。
この勝負の行方については教えてあげない。知りたかったらターボチャンネルを見るように! その際はもちろん「イイね」を忘れずにね! とりあえず僕の感想としては最高の一日だったよ。
(2)ナイスネイチャ
「うへぇ、体が痛い」
ツインターボとのレースは僕の体に多大なダメージを与えた。今の僕はもれなく全身筋肉痛である。たった500走っただけでこれとは……ちゃんと今の僕が足の壊れない全力、つまりは80%くらいだったんだけどなぁ。終了後のストレッチだってがっつりやった。それでも結果は見てのとおりだ。
寝る前は最高の気分だったのに、朝になったら動けなくてびっくりした。衰えを感じてしまって何とも微妙な気分になる。もしこれでストレッチしていなかったらと思うとぞっとするよ。
「買ってて良かった無臭の冷湿布」
ペタペタ張りつつ僕はスマホを弄る。とりあえずターボチャンネルを確認してみたが、早速先日の勝負の動画が上がっているようだ。普段の倍近くの再生数になっていてめちゃくちゃバズっている。とは言うもののそれくらい予想はしていたので、僕はマイペースに動画の中身を確認する。
「うーん、姿勢が今一だなぁ。そりゃタイムもあんなわけだよ」
久々に見た走る自分のフォームに駄目出し、ちなみに今回の格言は『そして約束は果たされた』である。いや、これ当人同士しか知らない身内ネタじゃない。でも謎ゆえ色々考察できるようになっていて、コメントの伸びがえげつない。
「やっぱりあのトレーナーやり手だよなぁ……ん?」
そしてサジェストに上がるオグリ先輩がやっているらしき動画、試しにクリックしてみたら、オグリ先輩が幸せそうに延々とご飯食べてました。
後になって知ったんだけど、ターボチャンネルとオグリチャンネルは2大奇ウマチャンネルと呼ばれていて、シュールウマ娘動画で双璧を成すらしい。ちなみにオグリ先輩の方のプロデューサーはタマモクロス先輩だとか。
「本当に美味しそうだなぁ。お腹減ってくるよ」
そんなこんなでペタペタ作業完了、というわけで僕は本命である今日の目的地をググる。
トレセン学園の近くの商店街で最近できた評判のカフェ、その名はカノープス。カタカナなのにやたら達筆なそれであるが、気になって調べてみたらなんと先日会ったツインターボ直筆らしい。思いもよらない特技があったものである。
やたら気迫あふれた店の看板とは裏腹に、店そのものは小奇麗かつオシャレで、思わず足を止めてしまう程という。提供するものは定番のコーヒーや紅茶、軽食、スウィーツ、と言った感じで目新しいものは特にない。
しかしながら値段設定が良心的で、マスターの腕の良さからか、提供されるメニューに外れがない事から、若者達の憩いの場となっている。またそのマスターは商店街の方々からやたら人気があり、そんなおば様たちの井戸端会議の場としても使われているそうだ。トレセン学園が近い事から練習帰りのウマ娘達の利用者も多いとの事。
つまりは大人気という事である。お店の評判は口コミやツイッターから徐々に噂が広がっていき、今ではすっごく繁盛する店になっているそうで。そんな忙しい店を切り盛りするのが、かつての僕のライバルの一人、ナイスネイチャだ。
確か彼女の実家はスナックを経営しているらしく、大人のお客に囲まれて子供時代を過ごしていたというのを聞いた事がある。それ故昔からネイチャは生活力が高く、現役時でも一人で料理や洗濯、掃除などをきっかりこなせていた程の実力者だ。
だから彼女がカフェを始めたと知った時、意外でも何でもなかった。唯一驚いたのは店を構えたのがトレセン学園の近くって事かな?
今日の僕の主な目的は再会ではなく、アポイントなしでネイチャの店に客で訪れる事だ。といっても現役のウマ娘も来るカフェだ。僕が来たともなれば大騒ぎだろう。僕としてもネイチャの仕事のジャマはしたくない。
だからこそ僕は変装して、こっそりネイチャの仕事ぶりを見るんだ。そして後でツインターボから教えてもらった彼女のLINEに「いい仕事っぷりだったよ」って送ってやるんだ。どうこのプラン? 完璧でしょ!?
サングラスにマスクなんて馬鹿な事を僕はしない。メッシュが入った目立つ髪の色はあえて変えず、僕は髪型だけを変える。違和感があるカツラ、染色はもってのほかだ。いつものポニーをやめて、三つ編みにし、服はゴスロリファッション、さらにはカラーコンタクトも入れる。何と言う完璧な変装!
「楽しみだなぁー」
僕は意気揚々とネイチャのお店、カノープスへと向かった。
「ねえ、アンタ、テイオーでしょ?」
なんでバレたの!!!?
それまでの流れは僕としては完璧だった。マックイーンを真似た口調と仕草で来店し、マックイーンを真似て紅茶とショートケーキを注文した。そうやってまんまと潜入した僕は、優雅に紅茶を啜りつつ、忙しそうに仕事をこなすネイチャを眺めていた。
事前の評判のとおり、店は凄く居心地が良く、ネイチャの作ったケーキは当たり前のように美味しい。頑張っている彼女の姿を眺めていると、人の事ながら妙に嬉しくて口元が緩む。ウマ娘の二人組と、商店街のおば様達が会計を済ませ、店内の客がまばらになったその時だった。
僕の背後に忍び寄ったネイチャが耳元で呟いたのだ。一応疑問口調であったが、確信を持ってる事は明白で、僕はどうしてとネイチャに視線で問いかける。
「だってアンタ、LINEの友達に追加されていたんだもの」
「え? 嘘!? ターボから教えてもらったのは確かだけど、僕まだ登録してないよ?」
サプライズのためにカフェから帰った後に登録しようと思ってたんだから。流石に友達登録したら相手にばれるのは分かっている。
「となるとあれか……テイオー、昨日多分アタシの電話番号追加したでしょ?」
「確かにしたけどそれが何?」
LINEと一緒に電話番号も教えてもらったから、こっちだけ先に追加したけど、それって相手には通知されないよね?
「LINEはさ。登録している電話番号で自動友達追加っていう機能があるんだよ。あんたその機能オンにしたままだったでしょ?」
「え? という事は……」
「昨日いきなりテイオーからLINEの友達追加の通知が来て、今日の今日でここぞとばかりに変な客。何でそこでマックイーンを選んだかな? いくら何でも察しちゃいますよ」
要するにバレバレだったという事? 僕ってただ自滅しただけなの? サプライズするどころか全て筒抜けだった事実に僕の顔は羞恥に染まる。
「慣れない事をするもんじゃないね。ネイチャさんを騙そうったってそうはいかないよ。あ、後あまりにも面白い姿だったから写真撮らせてもらったんだけど」
「いっそ殺して!!」
「あっははは、でも随分とお茶目になったね」
「まあ、現役引退したしね。レースがない分、気は大分楽かな?」
「そっかそっか」
「ところで写真、消してくれない?」
良い雰囲気で流そうとしたってそうはいかないぞ。その写真はまぎれもない僕の黒歴史なのだから。マックイーンなんかに知れたらどうなるか。
「それは嫌、こんな面白い写真滅多にないし」
ネイチャは明確に否定を口にする。
「どうしても消してほしいっていうなら条件次第かなぁ?」
意味ありげな視線を僕に向けるネイチャ、つまり交渉次第って事らしい。
「……どうすれば消してくれる?」
「そうだなー」
随分と楽しそうな表情で顎に手を当てるネイチャに、僕は戦々恐々だ。しかし彼女の出した要望は意外なものだった。
「だったら店終わった時間にまたここに来てよ。夕飯御馳走するからさ。お互い引退した身でもう争う必要もないし。こうしてせっかく再会できたんだもの。今だから話せる事で思い出話に花を咲かせようじゃない」
「「それじゃあカンパーイ!!」」
僕は今や必須となった夜の相棒、スト〇ロはちみー割をぐいっと飲む。一方でネイチャはウーロンハイという渋いチョイスだ。ネイチャの用意してくれた料理に箸を伸ばしつつ、会話を弾ませる。あ、これおいし。
「しっかしテイオーがお酒なんてねぇ。現役時代からは考えられないよ」
「それはネイチャも一緒でしょ?」
「選手は体が基本だし、不摂生の元となるものは遠慮したかったのは確かよね。でもはちみーで割るのはあんたらしいね」
「はちみーは僕のアイデンティティーの一つだし」
「昔から思ってたけどアンタのはちみーに対するその情熱はなんなのさ」
「……本当のところ今は割と普通だったり」
実のところ今の僕はそんなにはちみー狂いではない。手放せないくらい大好き! から普通に好きと言うレベルまで下がっている。
「え、それ割と衝撃的な事実なんだけど!?」
「いや、大人になったら味覚って変わるじゃない? 昔ほど甘いのが好きでもなくてさ。昔の癖で買いすぎてたところ、スト〇ロで薄めたらちょうどいい塩梅だったんだよね」
「あー、分かるなぁ。何で子供の頃ってあんなに甘いモノ好きなんだろうね」
「後は抵抗を感じるというか。甘いものはカロリーがさぁ。現役時はそれだけ運動していたけど、今は昔ほどがぶがぶとはいかないよね」
「やめて。それアタシにもダメージが来る」
ネイチャ曰く、カフェに出す用のケーキの試作品とか、自分で味をチェックするので、避けたくても甘いものは避けられないのだとか。味のチェックをしなかった手抜きはすぐにばれるとの事。そうした苦悩もあるのか。なかなか大変だなぁ。
「でも今日だけはそう言うのなしで行こう! 後の事は明日のアタシに任せる」
「りょーかい!」
しかし不思議な時間だなぁ。現役の頃を考えれば、こうして一緒に和やかにご飯食べているなんて信じられないや。別にお互いの事嫌いじゃないけど、どこかピリピリしているというか。やっぱりライバルって側面が大きかったんだよね。
最初こそお互いの近況の話ばっかりだったが、徐々に本題は過去へと遡って行き、やはりというか現役の頃の想い出話となる。現役時代にはとても言えなかった、不満とかの暴露大会だ。
服の話題なんかは完全に同じで笑っちゃった。人であれウマ娘であれ、アスリートならよくある事なんだけど、運動で体を鍛えているともちろん筋肉が発達するわけで、ウマ娘なら特に足が重要なわけだ。
その結果どうなるかと言うと、鍛えた太ももが太すぎてジーンズなどのズボンが入らなくなるのだ。悲しいかな、僕らの努力の結晶がファッションではジャマになるのである。
可愛い服を見つけてもズボンならまず絶望的、太もものサイズに合わせるとウェストはだぼだぼで見れたものじゃなく、泣く泣く諦めたのは一度や二度じゃない。レースは大好きだし自慢の足ではあるけれど、女の子らしさが失われている気がして、当時は結構悲しくなったなぁ。
後ウィニングライブとかも、勝負でくたくたなのになんで踊らなきゃならないんだよと二人で総ツッコミ。頑張ったのは僕らなんだからこっちが見せてほしいと言ったら、ネイチャが代理でトレーナーに躍らせるのは? とか言い出したからもう大変。
ライブの中でやばい曲と言ったらやっぱり『うまぴょい伝説』で、僕らのトレーナーがうまぴょい伝説を熱唱し、踊る様を想像したら笑いが止まらなくなる。ウマレースファンからは不評だろうけど、ウマ娘側には間違いなく受けるだろう。
それからもゲートが無駄に仰々しくて狭すぎない? とか、どこのファンファーレが上手、あるいは下手とか、話題は尽きる事無く、会話に花を咲かせた。
「アタシはさ、これと言った武器がない。いや、これはちょっと間違いかな? 得意だったものはあったけど、いつだってその上がいたから自信が持てなかったんだ」
いつしか過去話は楽しい話題を通り過ぎ、僕達がずっと内で抱えていた闇の部分にまで及んでいた。最初に僕が色々ぶっちゃけたわけだけど、ネイチャもなかなかに溜まっていたようで。
「アタシにとってアンタは目標でさ。着順で勝った試合もあったけどその時はあんたは本調子じゃなくて。さらに言えばその時のアタシは一位でもないんだ。余計に惨めだったよ。アタシが求めた勝利はこんなんじゃないって。皆入賞だって素晴らしい事だ、頑張ったと誉めてくれたけど、違うんだよ。アタシだって勝ちたいんだ」
ネイチャは巷ではブロンズコレクターと呼ばれている。有馬記念に3年出場して3回とも3位だった事に起因している。安定感があると言えば良く思えるし、勝ち切れないと言えば悪くも思える、上にも下にも振りきれない称号であるが、ネイチャ自身それをどう思っているか聞くのは初めての事だった。
「一番自分が嫌になったのは3回目の有馬記念の時かな。アタシは3着になった時、安心してたんだ。アタシ頑張ったよねって。悔しがる事ができなかった。それ自覚しちゃったときは夜中にも拘らずもう叫びたくなっちゃってさ」
僕はネイチャの夢を阻んだ側だ。だから僕にネイチャへ何か言える事はない。それでも彼女の苦悩は分かるような気がした。何せ僕らの問題にとって根っこは一緒なのだ。レースに本気だったからこそ悩むし、苦しい。
本気の勝負の世界ってのはそういう所なのである。
「でもアタシはテイオー、アンタがいたおかげで踏ん張れたんだ」
「え、僕?」
「ちょっと言いにくくはあるんだけど、テイオーは怪我が多かったじゃない? でもその度に這い上がった。といっても這い上がった事自体はどうでもいいんだよね。もちろん3度怪我から復帰するのは凄いんだけどさ? アタシはさ。アンタのぎらついた目が忘れられないんだ。まさに狂気の沙汰だったよ」
「あのー、それって褒められてるのかなぁ?」
「怖かったんだよ。アタシはこんなもんなのかなって悩んでいる一方で、アンタは怪我しようが関係なしに、死に物狂いで勝負に勝とうとしていた。才能の差、アタシはいつもそれを感じていたんだけど、あの時のテイオーを見て思い知らされたんだ。勝ちたいと思う気持ちこそが真の才能なんだって」
なんだか大層な言われ方に待ったをかけたくなったが、F1娘ちゃんも言っていたっけ。動機が不純であろうが、勝利を願う思いの強さこそが重要なのだと。僕は勝利にこだわった。自分の居場所を守るために。全身全霊をかけて、怪我で徐々に壊れていく体に抗った。そこに嘘偽りはない。
「だからアタシはその時から言い訳をやめた。余計なこと考えず本気で勝ちに行った。ま、そこで勝てないのが現実だけどね。アタシの場合ちょっと気づくのが遅すぎたから。それでも納得できるレースだったよ」
「何か褒められすぎてむず痒いな。でもちょっとだけ訂正させて? 僕もさ、ネイチャと同じく勇気をもらった側なんだ」
「へー、テイオーの場合は……マックイーンとか? それともルドルフ会長?」
「ん-ん、ツインターボだよ。マックイーンもカイチョーも間違っていないけど、一番はやっぱりツインターボ」
「お、何だか意外なところがきたね」
「だってさ、あのオールカマーはとんでもないじゃん」
「そっか。あれは確かにウマ娘として理想像だよね」
「流石ネイチャ、分かってる!」
僕達が圧倒して勝てるというレースは少ない。能力が競っているからこそ作戦を使い、自分の有利な状況を作り出す。逃げだって常に全力じゃなく、相手がペースを上げても追いつけない差を作るために策を凝らす。だが大逃げだけは違う。作戦も何もあったものじゃない。純粋に実力のみで相手を黙らせる究極の勝ち方だ。
多分大逃げの代名詞と言えばスズカ先輩だろう。異次元のスピードで最後まで逃げ切るスズカ先輩は一つの完成形だ。そんな先輩だって怪我をして復活した奇跡の人だ。でも僕が尊敬するのはやっぱりツインターボなのだ。
絶望の中であっても諦めない、その意思は繋がっていく。ツインターボから僕に。僕からナイスネイチャに。そして誰かがきっとナイスネイチャから勇気をもらっているんだ。そう思うと心が温かくなり、ふと笑みがこぼれた。
(3)メジロマックイーン
ふと疑問に思った。
「僕って抱き心地が良いのかな?」
ネイチャとの暴露大会は深夜まで続いたわけだが、事件は別れ際にこそ起こった。
「それじゃあまたね、ネイ……ふぐぅ!!」
いきなり腹へと突撃かまされたのである。淑女ならぬ奇声を発してしまった僕だが、たらふく食って飲んでのお腹に対しての致命の一撃に、中身をぶちまけなかっただけ褒めてもらいたい。
なんとか持ち直してネイチャに文句言おうと思ったらネイチャはギャン泣きしてました。
「うわぁぁぁぁん、テイオーが元気になって良かったよぉぉぉぉ」
酒入りまくってすでに理性が働かない状況、別れ際というシチュエーションが僕の引退の時を彷彿とさせたのか、色々と思い出して感極まってしまったらしい。普通なら感動のシーンだとは思う。でも僕はそれどころじゃなかった。
「ネイチャ、ストップ! ホントストップ!! お腹押さないで!! やばいから!! 色々とやばいからぁぁぁぁ!!!!」
リバースを最後の最後まで耐えきった僕はきっと英雄だ。
ほぼ思い付きで始めた挨拶回りだけど、会う人会う人、必ずどこかのタイミングで抱きしめられている気がする。嬉しいは嬉しいんだけど、後で思い返すと妙に恥ずかしいんだよねぇ。といっても回るのは後一人、僕のライバルだったウマ娘はまだまだ沢山いたけど、流石に遠出で日帰りは難しいので、今回は近所のみに限定していて除外してある。
僕の近所にいる知人のウマ娘はラストの一人、ウマレースのライバル達は皆強敵であるが、その中でも僕の一番のライバルと言えばマックイーンだろう。
マックイーンはウマ娘でもメジロ家という由緒ある家系で、絵にかいたようなお嬢様だ。だからか冗談抜きでテラスで優雅に紅茶を啜っている姿がよく似合う。でもウマレースにかける情熱は本物で、筋金入りの頑固者でもあり、憎たらしいほど強い。
そして忘れちゃならないのはマックイーンがトレセン拉致事件の実行犯って事。最後の最後に彼女に会う事に決めた僕であったが、最後だからといって感動の再会なんてものはなく、会ってすぐに僕はマックイーンに恨みをぶつけた。
「マックイーン、よくもやってくれたねぇ!」
「でもしっかりお楽しみいただけたみたいでしたけど? 不屈のテイオーさん?」
しかしマックイーンは僕の怒りの声に対してどこ吹く風で、むしろ余裕の表情を浮かべながら逆に煽ってくる。そうだよなぁ。やっぱり知ってるよなぁ。でも記者ちゃんに散々言われたせいで、今の僕には耐性があるのだ!
「楽しんだのは確かだけど、それはそれ、これはこれ! 心の準備ってものがあるでしょ!! いきなりあんな、トレーナー室なんて……」
あ、いけない。あの部屋の幸せな雰囲気を思い出して、怒り顔が崩れてにやけちゃう。そしてそれを見逃すマックイーンじゃない。
「トレーナー室の感想は?」
「……サイコーでした」
どう訴えようとも、幸せだった事を認めざるを得ない僕に勝ち目などなかった。くそう、ヘタレテイオーの汚名返上ならずだよ。
「コーヒーでいいかしら? それとも紅茶?」
「コーヒー、ブラックで」
「あら?」
「ネイチャのとこで食べ過ぎたんだ……」
明日の事は明日の自分に任せた結果、体重計で悲惨な目を見たばっかりなのである。ミルクも砂糖も我慢しないと。
「羽目を外しすぎたって感じでしょうか?」
「飲むだけならまだしも、ネイチャのご飯美味しいからさ。ついつい」
「なかなかに満喫してますわね」
「現役時代は暴飲暴食厳禁だったからねぇ」
「ええ、あれは辛かったです。本当に!!」
怒りをこらえて、歯を食いしばるマックイーンである。何をそこまでと思うかもしれないが、マックイーンは僕以上に甘いものが大好きにもかかわらず、太りやすい体質であった。だからマックイーンにとって、甘いものは最高のご褒美であり、最大の敵であったのだ。
僕も経験があるが、減量で断食中のマックイーンに会うのはマジで危ない。たまたま僕がマックイーンと出くわしたとき、僕はルンルン気分ではちみーを持っていた。そしたら急に感じていた重さがなくなり、何事かと思ったら消えているはちみー、辺りを見回すとふーふー息を荒げながら僕のはちみーを抱えるマックイーン。
もちろん僕は文句言おうとしたが、彼女の異様な様子に躊躇してしまう。どこか逝っちゃってる目つきでボトルのキャップを開けようとしては、ブンブンと首を振りキャップから手を離す。でももう片方の腕はがっちりとボトルをキープしており、未練を断ち切れない。それはまさに理性と本能の争いであった。
両者の戦いは完全に拮抗状態に陥ってしまっているようで、この後トレーナー室に行こうとしていた僕は恐る恐るマックイーンに声をかけたわけだ。
「あの、マックイーンさん? 減量中大変申し訳ないんだけど僕のはちみー返してくれる?」
それがいけなかった。外部からの刺激によりマックイーンの理性が覚醒、どこからか取り出した野球バットで、まさかのフルスウィングをかましたのだ。
「ユタカァァァ、わたくしに悪魔を滅する力をぉぉぉぉぉぉ!!!」
「あぁぁぁぁ!? 僕のはちみぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
この時僕は理解したんだ。減量中のマックイーンに甘いものを所持した状態で会ってはいけないと。ちなみにこの特大ホームランでロストしたはちみーは後に正気に戻ったマックイーンに弁償してもらいました。
「でも凄い大きいオフィスだね。流石はメジロ家」
「あら、何か誤解しているようですが、全部わたくしの自腹ですのよ?」
「え、実家から一切の融資なしなの?」
「一種のけじめのような物かしら。本気でやろうと決めましたから」
「そっか……」
マックイーンとの再会場所はなんと彼女のオフィスであった。いよいよマックイーンと会おうと決めた時に、僕はようやく彼女の今を知ったわけだが、彼女のやっている事の規模が大きすぎて、開いた口が塞がらなかった。
何せ引退後、マックイーンは一念奮起して起業し、ウマ娘専用のスポーツグッズメーカーを始めていたのだから。急に表れた新参者に既存のメーカーは大慌てだ。初めこそポッと出の者に何ができると言われていたが、マックイーンの場合、組んだ相手がやばかった。
アグネスタキオンである。タキオンは気分屋で変わり者とされていたウマ娘であったが、その本心を知る者とそうでない者で評価がまったく変わる。
タキオンは僕と同じで足に爆弾を抱えていた。その爆弾は僕以上のもので、本気で走れば間違いなく再起不能レベルまで壊れるほど。思いっきり走りたいのに走れない、その鬱屈とした思いはウマ娘の可能性の追求になった。
彼女の目標はウマ娘の体そのものを進化させる事だ。全力で走っても壊れない体とは何なのか、を追求し続けていた。だが研究を続けるには多大な費用と、実験データの蓄積が必要になる。
タキオンはお金の方は何も問題なかった。本気でこそ走れなかったが、それでも彼女は強く、ウマレースでの賞金が沢山あったのだから。一方で実験データについては全くと言っていいほど足りなかった。何せ実験対象が自分しかいなかったのだから。たまに彼女のトレーナーが犠牲になっていたが。
とにかくこの調子ではいつか行き詰まるのは必然だった。そこに現れたのがマックイーンである。マックイーンはウマ娘の進化ではなく、道具にそれを求めた。従来より足への負担が少ないウマ娘用シューズさえ作れれば、怪我の可能性は飛躍的に下がると。
タキオンのウマ娘自身の進化が理想であるのならば、マックイーンの道具案は現実的なアプローチだ。似て非なる二人であったが、ゴールそのものは一緒だ。ウマ娘達が誰も怪我する事なく走れる世界を。二人が組むのは必然だったのだろう。
今マックイーンの作った会社は、主に足への負担が軽いウマ娘用シューズを作りつつ、それで得た利益の一部を研究費としてつぎ込む事で、ウマ娘の可能性を模索している。
「ホント良くやるって決心したよね。マックイーンは凄いや」
「だって嫌でしょう? 夢に向かって走る皆に、わたくし達のような思いをさせるなんて」
「まったくだ」
度重なるケガで苦労した僕であったが、それはマックイーンも一緒だ。骨折ではないにしろソエを発症した事もあるし、何より繋靭帯炎、靭帯の炎症の一種であるが、ウマ娘にとってこの病気は致命的であり、2度と走る事が叶わなくなるそれを、よりにもよってマックイーンは発症してしまった。
僕とマックイーンは最大のライバルであったが、実のところお互い全力で走れた試合はない。僕が調子のいい時はマックイーンの調子が悪く、逆にマックイーンが調子のいい時は僕が崩れている。なんで天皇賞でまた足を骨折するかな。一度でいいからお互い最高の状態で走ってみたかった。
「不完全燃焼も良いところだよね」
「わたくし達ウマ娘は人より速く走れますが、その足はあまりにも脆い。一体どれだけのウマ娘が最後まで怪我無く走れたでしょう?」
「僕達が知っているのはゴルシとかくらいかな?」
「アレは規格外ですからね」
アレ扱いにマックイーンの苦労がしのばれる。ゴルシってフリーダムすぎて基本的に滅茶苦茶だけど、マックイーンに対しては殊更なんだよなぁ。何かこう、もう一段階強化されるというか。一種の信頼? なんだろうかあれ。
「タキオンにゴルシの体を研究させてみればいいんじゃない?」
「良いですわねそれ。でも今彼女は海外にいるんですよね」
「そうなんだ?」
「何でも未知の生物の化石を見つけたとか。UMAと言うらしいですが……」
「UMA……つまりはウマ? ウマ娘の僕達と関係あったり?」
「何でもわたくし達のルーツかも知れないって話ですよ? 人とウマ娘の違いが明らかになるかもしれないって。だからUMAって名前になったらしいです」
「うわぁー、それ凄い発見じゃないの?」
「だから実はタキオンさんも真面目にゴ―ルドシップさんには興味津々ですの。あくまでゴールドシップさんの発見物にですが。ルーツが分かれば研究にだって役立つはず、一度話をさせろってそれはもう毎日、あら? 電話ですね。ちょっと失礼」
「はいはーい」
退室するマックイーンを見送りつつ、僕はのんびりコーヒーを啜る。今僕がいるのは会社のトップが君臨する場所、要するに社長室なのだが、社長室なだけあって眺めが壮観だ。こんなのドラマの世界だけだと思ってたけど本当にあるんだなぁ。
『だからそんなにすぐに会えませんって』
『今どこにいるかもはっきりしていないのに』
『金の力でなんとかしろって、無茶言わないでくださいまし』
そして聞こえてくるマックイーンの困ったような声、これ間違いなくタキオンだ。噂をすればなんとやらってやつ? 研究に向かって一直線、相変わらずタキオンは飛ばしてるなぁ。これ相当長くなるかなぁって思ったら、思いの他早くマックイーンは戻ってきた。
「あれ? もっとかかるかと思ってたけど?」
「タキオンさん一人なら確かにそうですが、今の彼女にはストッパーがいますから」
「ストッパー?」
「家族ですよ。旦那さんと娘に止められれば一発です。通話中に別の者から家族に連絡してもらいました」
「え? 家族? え、娘!?」
「普段の彼女が嘘のように家族にはゲロアマですのよ。これ見てください」
「あ、可愛い」
渡されたスマホにはタキオンとその家族が映っていた。旦那は案の定タキオンのトレーナー、ひねくれものの彼女を操れる唯一の存在だ。タキオンの奇行を受け止められるのはこの人しかいない。
そんな二人の間に挟まれているのが娘ちゃんだろう。まさにミニタキオンと言った感じだが、目元は優し気でそこは父親譲りのように見えた。三人とも幸せ全開といった感じで、特にあのタキオンがとろけきっている。見ているこっちが恥ずかしくなるくらいだ。
「ええ、可愛いですとも。でも何かイベントがあるごとに写真送られてみてくださいな」
「うはぁ、それはなんというか……色々キツイね」
でも、悪くない。タキオンは人一倍最速、厳密に言えばウマ娘という種の限界に拘っていたウマ娘だ。そんなぎりぎりであった彼女が、安らぎを見つける事が出来たのは何よりだと思う。マックイーンも文句こそ言っているが、その顔は本気で嫌がっている感じではなさそうだ。
「とりあえずタキオンさんの場合は、旦那さんから弁当なしって言わせれば止まります」
「完っ然に餌付けされてる!!」
「たまにですけど研究に没頭しすぎたのか朝に起きれなくて、旦那さんにおんぶされながら出社とかもありましてよ?」
「……本当に研究とウマレース以外駄目駄目だよねタキオン」
それでも支えてくれる家族がいるのはやっぱり嬉しいんだろうなぁ。ついつい甘えたくなっちゃうのは分かる気がする。僕が純粋にタキオンの事を羨ましがっていると、マックイーンはふと目を細め、微笑んだ。
「でも本当に元気になりましたわね、テイオー。安心しましたわ」
ターボの時もそうだったけど、こうした優しい笑顔は苦手だ。気恥ずかしくて思わず視線をそらしてしまう。例の拉致事件も完全な善意だから質が悪いんだ。癪なのが僕が100%喜ぶと確信して行動を起こしている事だ。目の前の彼女は一体どれ程の情報を持っていたのだろうか。僕は恐る恐る尋ねる。
「一つ気になっているのだけれど、記者ちゃんってひょっとしてマックイーンが雇った感じ? その、僕の現状を知るためにさ」
例の拉致事件を見るにそう考えるのが自然な気がした。僕としては別にそれがどうという事じゃない。たとえ裏があったとしても記者ちゃんの行動は僕を思っての行動だし。でも被害者として真相だけは聞いておきたい。
「順序が逆ですわね。記者さんがテイオーのところに行っているのを知っていたので、わたくしの方から教えて欲しいとお願いしたのですわ。すっごい釘を刺されましたけどね」
「釘って?」
「テイオーさんは今が一番大事な時間なんです! じっくり時間をかけて癒していく事が重要なんですから、迂闊な事はしないでくださいよ!! 良いですね!!? ですって。ほら、このように誓約書まで書かされましたのよ?」
「ごめん、ちょっとどういう顔していいか分からない」
藪から蛇とはこの事か。迂闊な質問をした自分を叱りつけたい。どいつもこいつも良い奴過ぎか! こんちくしょー!! 顔が火照ってしょうがないじゃないか。
「でも一番はやっぱりテイオーのトレーナーさんですわ」
「僕のトレーナー?」
「実はわたくし、あなた達が解散した時、どうしても納得いかなくて、トレーナーさんに直談判しに行ったんですの。何でテイオーを説得しに行かないんだって、やめるにしたってこんな喧嘩別れみたいでは良くないって」
そんな事があったなんて全然知らなかった。当時は周りを見ている余裕なんてまるでなかったしなぁ。
「でもトレーナーさんは言いましたわ。テイオーが再起するには自分じゃダメだって」
僕は困惑を隠せなかった。僕にとってトレーナーは唯一無二の存在だ。でもトレーナーにとってはそうじゃないのか? そんな不安に駆られる。トレーナーが駄目なんて事はないはずだ、そう言い切れないのは何故だろう?
「初めは現実から逃げるための口実だと思いました。でもトレーナーさんの瞳はしっかりわたくしを見ていて、本気でそう思っているんだと理解しましたの。彼は言いました。ウマレースの世界は狭いと。それはそうですわね。基本はトレーナーとウマ娘の二人三脚の世界ですから。友人といってもライバルである事が多く、閉じられた世界であるのは納得でしたわ。わたくしも引退後に戸惑いましたから。自分が世界のすべてと思い込んでいた場所が、とても狭い世界でしかなかった事に」
狭い世界、か。確かにそうだ。僕はトレセン学園に入学して以来、ずっとレース中心で生活してきていた。集中すれば集中するほど視野は狭くなり、外の世界は忘れていった。だから引退して新たに一人暮らしを始めた時、自由な時間をどうしていいか分からなくなっていた自分に困惑したものだ。
「テイオーのトレーナーさんの懸念は、もしも今弱ったテイオーを助けてしまった場合、テイオーがトレーナーさんに依存しかねないという事でした」
その言葉を聞いた時、ぞくっとした。僕にとって完全に図星だった故に。これだ。僕がトレーナーと一緒なら大丈夫と言えなかった理由は。
マックイーンはさらに僕のトレーナーが言った言葉を続ける。
『テイオーの心はウマレース関係者じゃ救えない。特に俺とテイオーじゃ距離が近すぎる。弱りきった心には優しさは毒のように回るだろうし、厳しさは慈悲なきトドメの一撃となりかねない。弱り切った心はゆっくりほぐさなければいけない。まず第一に体を健康にする事、心は体の調子に引きずられる。体さえ元気であれば気力がわいてくるし、気持ちが外に向いてくる。心の整理はそれからじっくり始めればいい。ストレスの元であるウマレース関係者がいないところで。今のテイオーに必要なものは俺じゃない。十分な休息と外の触れ合いだ。そして離れられるチャンスは今しかない』
本当にトレーナーには恐れ入る。ほとんど言った通りになってるじゃないか。
確かにあの気が滅入っていた時に、優しい言葉を賭けられていたら、僕はトレーナーから離れられなくなっていたに違いない。あの時の僕は余裕がなく、世界には自分とトレーナーしかいないと錯覚していた。そんな状態で叱られたりしたらどうなっていたかなんて見当もつかない。とにかく悪い結果にしかならないだろう事は間違いなかった。
立ち直るきっかけだってどんびしゃだ。過去にトレセン学園にいたから全く関係ないわけではないが、それでもF1娘ちゃんが外側の人間だったからこそ、僕は素直に聞き入れる事が出来た。
「恐ろしい、と思いましたわ。当時者であるにもかかわらず、ここまで客観的に見れる冷静さ。トレーナーさんの言った事は確かに道理にかなっていました。でもそこにはトレーナーさんの心がない。だから聞いたんです」
「……何を?」
「あなたは寂しくないのか? 辛くないのか? 何より後悔しないのか? だってテイオーのトレーナーさんの考えは、二人が二度と再会できない可能性も含んでいましたから」
マックイーンの言わんとしている事は分かる。もし僕が元気になったとしても、トレーナーに未練がなかった場合、僕は決してトレーナーに会いには戻らないだろう。清々したと新たな夢に向かって進んでいるはずだ。僕を心から想ってくれていたトレーナーを一人残して。
「トレーナーの答えは?」
「答えは簡潔でしたよ。テイオーが幸せだったらそれでいい」
僕は言葉に詰まった。僕はマックイーンに顔を見られないよう咄嗟に後ろを向く。
「ほんっとうにあの人ときたら……昔からそうなんだよ」
思い出すのは初めてパートナーとして組んだ時、あの時だってトレーナーはそうだった。僕のためを思って憎まれ役を買ってくれていた。自分の事はどうでもいいと言わんばかりに。
「トレーナーはさ、何時だって僕の事を最優先に考えるんだ。ほんっとさ、こんなに愛されて困っちゃうよね? 本当に……」
「わたくしじゃ役者不足かも知れませんが」
言葉に詰まった僕を見て、マックイーンが抱きしめてくれた。
それ以上はもう我慢できなかった。
「……ごめん、ちょっと胸借りるね」
「存分にお泣きなさい」
世界はこんなにも優しくて、
僕は、僕は本当に愛されていた。
(4)トウカイテイオー
とても穏やかな気分だった。心が充実しているといつもの朝がこうまで違うものか。
一度底まで落ちてみるもんだと考えた自分に苦笑する。でもそれくらい今の僕は満ち足りていた。何せ落ち切ってしまえばそれ以上は下がる事もなく、後に起こる事すべてが+となる。
今までの鬱屈した気持ちはどこへやら、どこまでも上がっていく己の調子に僕は笑ってしまう。ちょっとしたスイッチが切り替わっただけなのに、なんでここまで違うのか。理不尽にすら感じるが、塞ぎこんだのは僕の自業自得だったからなぁ。
今日も今日とて外出する予定の僕であったが、今日は気合の入れ方が違う。今までも手を抜いていたわけじゃないけれども、今日はちょっと意味合いが異なる。何せ今日会うのは女性ではなく男性、異性だ。
もちろん僕にとっての異性と言えばトレーナーである。遠回りに遠回りを重ねた僕であったが、一歩ずつ進み続け、やっと会うための心の準備ができた。
服はいつものジャージなんかじゃなく新品ピカピカのおニューの服だ。部屋であーでもないこーでもないと探し回った挙句、全部気に入らなくて急遽町まで買いに行った代物である。
でもいわゆる女の子女の子した服ではない。何せ再会場所となるのは、トレーナーの都合上トレセン学園だ。変に悪目立ちはしたくない。だから僕が選んだのは一見シンプルだけど、でもワンポイントが可愛らしい、そんな服だ。
服の店員さん曰く、フォーマルさが持つ清廉さと女性の魅力を内包した、できる女性の服らしいが、正直そんなのは分からないので、単純な好みで決めました。だってつい最近までヘタレだったし、できる女を装ったって……ねえ?
着替え終わったら姿見の前で一回転、うん、悪くないかな? できる女かは実感ないが、僕らしくはある。それさえ分かれば十分、何せ相手は僕の内まで知り尽くしている人だ。必要以上に着飾る必要はない。
「よし、行こうか」
ヘタレ時代にも何度か通ったトレセン学園への道、かつて不安に押しつぶされそうになりながら歩いた道であったが、今日という日は足取りも軽く、すいすいと進む。
すれ違いにならないようにトレーナーの予定は把握済みだ。今日の彼は今の担当ウマ娘が二人とも休日のため、一人デスクワークをしているはずだ。
年甲斐もなくはちみーの歌を口ずさんでいると、学園にはあっという間に着いた。僕は門の前で一度立ち止まる。これまで何度もここでUターンをし、家に逃げ帰ったっけ。そして悲しみのスト○ロはちみー割りを飲むわけだ。
今にして思えば何とも滑稽な話である。なにせ僕は引退してもトレセン学園の近くに居続けた。ちゃんと歩いて通える距離で部屋を探していたのだ。こんなに未練たらたらで帰りたいと思っていたのに、よくもまあ今の今まで行かずに粘ったものだ。
なお、拉致事件については自分からじゃないので例外とする。
「さてと」
最初の一歩は恐る恐る、二歩目は普通に、三歩目からは力強く、気が付くと僕にとって一番の壁だったトレセン学園の門は、いともあっさりと通り過ぎていた。呆気にとられた後、今の自分が心底おかしくて笑ってしまう。
「ははは、そりゃそうだよね」
だって別にトレセン学園が壁を作っていたわけじゃないのだ。トレセン学園の門は何時だって開かれていた。壁を作っていたのは僕自身、そんな当たり前の事実を今更知るなんて、これを笑わずにいられるかって話。
乗り越えられた事を素直に喜ぶべきか、こんなのに時間かかりすぎた事を恥じるべきか、なんとも微妙なラインである。しかし物思いにふけっている時間はない。
「あれ? あれってひょっとして……」
「え、嘘、本物なの?」
「前にも来たって言ってたじゃん! 本当の話だったんだよあれ!!」
回りからひそひそ話が聞こえる。周囲から好奇の視線を受けた僕であったが、ちゃんと想定済みだ。笑みを浮かべて僕は軽く手を振る。そして口の前に人差し指を立て、静かにっていうジェスチャーをした。
自分がテイオーであるというのを隠さない正面突破である。今は忙しいから、後で話を聞くみたいなニュアンスを出しつつ、僕は堂々とトレセン学園内のトレーナー室への道を進んだ。後で大騒ぎになるかもしれないけどかまわない。トレーナーとの再会までの時間さえ稼げれば良いのだ。後の事は後の自分に託す。
途中前に来た時に説教したあの子の姿が見えた。ノートを見ながらトレーナーと一緒にディスカッションをしている。余程集中しているのか、彼女は僕に気づく素振りは見せず、その真剣な表情に僕は安堵のため息を漏らした。
「こりゃ復帰戦が楽しみかな?」
頑張れ、心の中でエールを送りつつ、僕はさらに先へと進む。そして僕はとうとうトレーナー室の前まで辿り着いた。それまではスムーズに進んでいたが、流石にここまで来ると緊張する。この扉一枚奥にトレーナーがいるのだ。
誰よりも会いたくなくて、誰よりも会いたかった僕のトレーナーが。
きっと大丈夫。僕はもう大丈夫。自身にそう言い聞かせながら、ゆっくり拳を上げる。ここで一旦目を閉じ深呼吸、ゆっくりでも良い。僕は間違いなく進んでいる。一歩一歩確実に。そして僕はとうとう扉をノックした。最後の壁、それを超えるために。
「どうぞー」
聞こえてくるのはとても懐かしい声。それだけで心が震える。僕は一人呟く。
僕は無敵で不屈のテイオーだぞ!
ただの自慢だった僕の決まり台詞はいつしか、僕を何よりも奮い立たせる魔法の言葉となっていた。なけなしの勇気を振り絞って僕は扉を開ける。
その先にいたトレーナーは何も変わっていなかった。
トレーナーは昔と同じく自分の席に座り、コーヒーカップを片手にPCと睨めっこしていた。そんなトレーナーに対し、僕は構ってほしくてはちみ―片手に突撃するのだ。かつての日常が鮮やかに蘇る。子供の頃の僕の残影が、ドアを開けたと同時にトレーナーの方へ駆けていき、さあさあと大人の僕に手招きをした。
「テイオー」
呆然とした様子で僕の名前を呼ぶトレーナーに、僕は一歩進み出て手を振った。
「久しぶり、だね。トレーナー」
やっとの事で会えたトレーナーである。言いたい事が沢山あるはずだった。でもいざ目の前にしてみたら、どうしても言葉が出ない。この胸の内から溢れ出す思い、どう表現しろというのか。心がぐちゃぐちゃで感情が追いつかない。
永遠とも思えるほどの静寂、どうしようか困っているとトレーナーがゆっくりと近づいてくる。思わず気を付けをしてしまったのは緊張故か。
「テイオー!!」
「ひゃい!?」
トレーナーにきつく抱きしめられる。まさかの行動に僕は完全に硬直してしまった。僕から抱き着いた事は何度かあるけど、トレーナーからは初めての経験だ。
痛いくらいの抱擁、でもその強さこそがトレーナーの思いそのもののような気がした。ふと肩にちょっとした冷たさを覚え、何気なく目線だけで追う。そして僕は驚愕した。その冷たさはトレーナーの涙だった。もしかしたら初めて見るかもしれないそれに僕の心は揺さぶられる。
やめてよ、そんなの見せられたら僕もたまらなくなるじゃないか。せっかく笑顔で再会すると決めていたのにさ。元気な姿を見せるって決心していたのに。
「お帰り、テイオー」
「……っ!」
こんなの泣くに決まっているじゃないか。最近は涙腺が緩くなりっぱなしだ。
思い起こすはトレーナーと過ごした日々、トレーナーとは本当にずっと一緒だった。楽しい時も、苦しい時も。きっと苦しい時の方が多かったかもしれない。それでも一緒に乗り越えてきたのだ。トレーナーと二人三脚で。最高の勝利も、苦い惨敗もそのすべてが糧となり、今の僕がいる。
かつては違っていたかもしれないが、僕は今の僕が嫌いじゃない。夢には届かなかった。理想にも届かなかった。それでも僕には、僕に憧れてくれる人がいて、僕を支えてくれる人がいて、僕を愛してくれる人がいる。僕を、僕として見てくれる人達がいる。皆が皆、僕を抱きしめてくれた。
ああ、暖かいなぁー。本当に暖かい。
言いたい事は沢山ある。溢れる思いは留まる事を知らず、そのどれもが優劣つけ難いものだ。でも初めの一言だけは決まった。僕が今言うべき一言はたった一つだ。
「ただいま、トレーナー!!」
僕はトウカイテイオー。
最高に幸せなウマ娘、トウカイテイオー、27歳だ。
トウカイテイオー27歳 完
トウカイテイオー27歳完結!
皆様ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。
最終話にてようやく他のウマ娘キャラが出てきたわけですが、今まで溜めに溜めた分、書いていてめちゃくちゃ楽しかったです。それぞれのウマ娘キャラの引退後の生活を妄想するのはなかなかに滾りました。
例えばウマ娘ではポンコツ愛されキャラのようなツインターボですが、史実を調べればその印象はかなり変わりますよね。鼻出血の件、書く前から知ってはいたのですが、より詳しく調べると思った以上に若い頃に発症していてびっくりしました。てっきりオールカマーのあのぶっちぎりは鼻出血起こる前だと思っていたので。めっちゃカッコいいターボが組みあがるのは必然でした。
マックイーンとテイオーの勝負も実は一戦だけだったりと、何やら意外過ぎて、でもだからこそ引退後こんな会話してそうって想像ができ、二人のやり取りに深みが出てくれたかなぁと。
ウマ娘はこういったルーツがあるからこそ、掘り下げればカッコいいキャラになるのは当たり前なのですが、一方自分の中で予想外だったのはトレーナー達ですかね。お前らクッソ熱いな?
ウマ娘に負けないよう、手抜きなキャラ付けはすまいと思って書いていたら、がっつり濃くなっていました。今作ではウマ娘はトレーナーと二人三脚という面を強調していたため、なんかトレーナーというキャラも引き上げられましたね。これは嬉しい誤算でした。
主役のテイオーについては割とストイックな面が強調されており、些かアニメやゲームと離れてしまったかもしれませんが、こういった複雑な内面を持つキャラは初めてで、作者的にはかなりお気に入りです。テイオーの成長した姿の一つとして捉えてもらえれば嬉しいなぁ。
一応の完結はした今作ですが、後々F1娘ちゃんのその後や、記者ちゃんの過去話(裏設定のようなもの)、そしてもちろんテイオーの今後など、書き切れていない部分はあるので、設定がしっかり固まったら短編集として出そうかなぁと思っています。
トウカイテイオー27歳にお付き合いいただき、ありがとうございました!!
……誰かターボチャンネル、動画で作ってくれないかなぁ。
動いてるところを見て、実際どれほどシュールかを体験してみたいかも。
なんてねw