世界観的に前作、トウカイテイオー27歳と繋がっているため、カテゴリーとしてはトウカイテイオー27歳で投稿しましたが、これ単品でも見る事ができるかと思います。そして今回テイオーちゃんの出番はなし! あくまでメインはライスシャワーです。ではでは今回もお楽しみいただければ幸いです。
カッコ可愛いライスシャワーちゃんを見よ!!
そこに栄光はありませんでした。
聞こえるはずの歓声はなく無音。
その意味は落胆と消沈。
向けられるのは憧れの眼差しではなく妬みと怒り。
この時ライスは理解しちゃったんだ。
望まれない勝利というものがあるんだって事を。
ライスは人を不幸にする。それは思い込みなんかじゃない。だってライスが何かすると不吉な事が起こって、皆嫌な顔をするのだから、れっきとした体験談に基づくものです。ライスが誰かを笑顔にできた事は一度もありません。何時しかライスは家族の前以外で笑う事ができなくなっていました。
そんなライスがトレセン学園に来たのは自分を変えたいと思ったからです。でもライスの決心とは裏腹に、自分改革はなかなか上手くはいきませんでした。ライスは走るのは大好きです。でも勝負事はあまり好きではありませんでした。
誰かの夢を壊して自分の夢を優先する、それはライスが目指している自分と真逆にあるような気がしたからです。だからライスはウマレースでデビューするために重要な、トレーナーを得るために行う選抜レースにも出ず、これじゃあ駄目とは思いつつも、ただひたすら自主練に打ち込んでいました。
レースは勝つためにある。でもそのために真剣になれない。どうにも燻り続けているライスに声をかけてくれたのがライスの後のトレーナー、おねえさまでした。
「君、なーんであっちにいかないの?」
彼女が指さした先はもちろん選抜レースの会場です。いきなり話しかけられて思考が停止しちゃったライスに対して、その人はニカッと笑いかけてくれました。
「お姉さん君が走るの楽しみにしてたんだぞ? なのに会場にいないからビックリしちゃった」
「……ライスが見たかったんですか?」
おねえさんの意外な言葉にライスは驚きます。自分のレースを見たいなんて人がいるなんて思いもしなかったから。
「ええ、ライスシャワー。私はここ最近のあなたの練習見ていたからね。才能ある子はトレーナーから人気も出る。だからスカウト合戦になるかと思って今日は気合入れてきたんだ。にもかかわらずこんなところにいるんだもの」
「……期待を裏切っちゃってごめんなさい」
「え、ちょ!? 謝って欲しいんじゃないの」
「ライスを怒っているんじゃないんですか?」
「せっかちさんね。理由を聞かずに怒れるわけないじゃないの」
ライスはどうにも会話の要領が悪いのですが、その理由の一つが早とちりしてしまう事です。でもその人は別に気にした様子も見せず、むしろ優しい眼差しをライスに向けてくれました。
「ねえ、おねえさんに話してみない? 何を悩んでいるのか」
「……ライスは人を不幸にしちゃうのが嫌なんです」
何故この時に限って話そうと思ったのかライスには正直分かりません。良い人だとは思っていましたが、信頼できるかと言われればそこまででもなかったんです。初対面ですし。でもしいて言うのであれば、もう心が限界に近かったのかもしれません。
すべて話し終えた後、ライスは少しスッキリした気持ちになっていました。自分でもここまで溜まっていたなんて思いもしなかったくらい。後は聞いてくれたおねえさんがどういった反応するかなのだけれど。やっぱり幻滅されちゃうでしょうか?
「ははーん、分かったぞ」
でもおねえさんはなおも笑顔でした。とりあえず引かれなかった事に安堵したライスだったけど、おねえさんの次の言葉はライスを強く揺さぶりました。
「君、負けた事がないでしょ?」
「え?」
「だからそんな事が言える。才能ってかくも残酷なものなのね。良い? 本来勝負ってもっと熱くて面白いものなのよ」
「熱い、ですか?」
「あなたが勘違いしちゃったのは自分の実力より遥かに下、格下ばかりを相手していたからよ。だからライスシャワー、私があなたに教えてあげるわ。『負ける』という事を」
「……普通逆じゃないでしょうか?」
おねえさんはトレーナーなのに凄く変な事を言います。でもライスにそれが必要だと確信しているみたいでした。
「良いのよ『負ける』で。中央は君が思っているような甘い世界じゃない。ほら、あの子、見てみて! ポニーテールの子よ!」
トレーナーが指さした先には、選抜レースに参加した多くのウマ娘が今や今やと自分の出番を待っていました。その中でポニーテールの子は次のレースに出走予定らしく、気合十分な様子で待ちきれないと飛び跳ねていました。
「あれは……トウカイテイオー、さん?」
「お、知ってる?」
「ええ、彼女は有名ですから」
あまり人と話さないライスすら知っている有名人です。今年の新人でずば抜けた才能をもつウマ娘、あの会長が認めるほどのものだとか。
「目をかっぴらいてよく見なさいよ」
「はあ……」
ライスは半信半疑でしたが、わざわざ自分に話しかけてくれたおねえさんを無下にもできず、言われるがままトウカイテイオーさんを見ました。そして思い知らされたんです。トウカイテイオーさんの圧倒的な強さを。
「どう?」
「……凄かったです」
ライスは思い込んでいました。多分本気で走ればライスは勝てると。それは半分は正解でした。少なくともテイオーさんが走ったレースでは、テイオーさん以外の人には勝てる自信がありました。でもテイオーさんだけは分からない。負けるかもしれない。
普通、負けるのは嫌な事です。でもライスはむしろドキドキしていました。全力を出し切っても勝てないかもしれない相手と戦う、それにどんなに心が躍るのだろうと。これがおねえさんの伝えたい事なのかな?
でもおねえさんの考えていた事はライスの想像以上でした。
「言っておくけどね? ライスシャワー、あの子はまだ序の口よ」
「え……」
「才能あるったってまだまだひよっ子よ。中央にはこれ以上がうようよとしているわ。はっきり言わせてもらうけど、負けて当たり前の世界なのよ。たとえ君やテイオーほどの才能があったとしてもね。中央には本気で走るウマ娘しかいないんだから。君が勝ったら他の人の夢が壊れる? 寝言は寝てから言いなさい! あなたの心配は杞憂よ!」
圧倒されるライスにおねえさんは両手を広げて言いました。
「喜びなさいライスシャワー、ここはあなたの全力を受け止めてくれるわ!」
スカウトに来たという割にはおねえさんは本当に無茶苦茶でした。『負ける』とか、『まだまだ弱い』とか。でもライスは確かに心動かされたんです。全力を出しきった世界に何があるのか。それでも届かないとはどういう事なのか。
ライスは知りたいと思いました。
それからライスはおねえさん(以降はトレーナーさんと呼びます)と正式にトレーナー契約を結びました。ライスが承諾したら急に抱きしめられてビックリしちゃった。その、嫌ではなかったけど。
でもいざトレーニングとなったらトレーナーさんはすっごく厳しくて、ライスは自分が所詮井の中の蛙であった事を思い知らされました。トレーニングを終える度どんどん力強くなっていく体、研ぎ澄まされていく感覚はライスもビックリするくらいで。
その甲斐あってか見事初のレースも勝利を飾る事が出来ました。二戦目は内側に包まれてしまって結果は残せなかったけど、三戦目にはまた勝利。この時に一度骨折しちゃったんだけど、幸い療養で済む程度で復帰には問題ない感じでした。
このまま順調に勝ち上れるのかなと考えていた時、とうとうライスは出会ったんです。全力でも勝てない相手と。あのスプリングステークスで。
(速い! 速すぎる!! 全く追いつける気がしないよ!! でもレースはまだ終わってない!! ライスは頑張るんだ!! 最後の最後まで!!!)
心は最後まで折れなかったし、その甲斐あって入賞できた。けど、結果を見てライスは唖然としちゃったんだ。
(二着と7バ身差? 嘘だよね? じゃあ四着だったライスとはどれだけ差があるの?)
それがライスとミホノブルボンさんの初めての対戦。
ぼんやりとしたまま控室に戻ると、トレーナーさんはライスに聞いてきました。
「どうだったライス? 本物の強者との戦いは?」
「……トレーナーさん」
その問いにライスは何も答えられなかった。
「いい? ライス。これがウマレースよ。凄いでしょ? 本物ってやつは。とんでもないでしょ?」
ライスは頷きました。圧倒されちゃったのだ。凄いとしか言いようがない。でも何だろう? 何でこんなに心がざわつくのだろう? 今までにない感情に戸惑っていると、トレーナーさんは優しく抱きしめてくれました。
「本当にご苦労様、悔しかったね」
その瞬間、ライスの中にくすぶっているそれの正体に気づきました。ライスは悔しかったんです。悔しくて悔しくてたまらなかったんです。
「ライス、何も……何もできなかった!! 気づいたらブルボンさんははるか遠くにいて。頑張っても頑張っても追いつけなかった!!」
ライスは子供のように泣きじゃくってトレーナーさんに縋りつきました。
「よーしよし、全部はきだせぇ。思ってること全部言っちゃいなぁ」
その翌日、ライスはおねえさんに顔を合わせる事が出来ませんでした。昨日大泣きしてしまったのが、あまりにも恥ずかしくて。トレーナーさんもそんなライスを察してか何も言いませんでした。
レースの翌日なので今日のトレーニングはオフ、ライスはトレーナー室でゆっくりしていました。何もする事がないライスがトレーナー室にいるのは、顔を見られたくないけどトレーナーさんの近くにいたかったからです。
トレーナーさんはパソコンで作業を、ライスはソファーで読書を、そんな時間が30分ほど続いた時でした。ふとトレーナーさんがライスを呼んだんです。
「ねえライス?」
「何ですかトレーナーさん?」
「ブルボンに勝ちたい?」
ライスが思わずトレーナーさんの方を見ると、トレーナーさんの視線はなおもPCの方を向いていました。まるで自分で考えろと言わんばかりに。思い起こすのはブルボンさんとの絶対的な実力の差、ライスはあれに追いつけるのでしょうか? 遠い夢物語なのでしょうか? それでも、それでもライスは!!
「……勝ちたいです!!」
それは自分でもビックリするくらい大きな声でした。トレーナーさんはライスの方に向き直ると、今までにないくらい真剣な表情でライスを見つめてきました。ライスはその射抜くような視線に真っ向から対峙します。ここで視線を逸らしたら本気じゃないと思われるから。
「ふふ、良い表情になったね。相分かった! 私に任せな!!」
「ライス、勝てるようになりますか?」
「もちろん! 何せ今のライスと昨日のライスでは決定的に違うものがある!!」
「違うもの?」
「昨日ライスは敗北を知った。悔しさを知った。本物の強さを身を以って体感した。それでも勝ちたいと思った。私は前に言ったよね? 敗北を教えてあげるって。今ならその意味が分かるんじゃない?」
ライスは考えます。敗北の意味は何なのかと。しかしそんなの分かりきった答えでした。だって今のライスはこんなにも勝ちたいと思っているのだから。
「もちろん今までのライスが手を抜いていたわけじゃないのは知っている。でもね? 知らない事はどうしようもないのよ。悔しさを知らないあなたと悔しさを知るあなた、その意志の強さの違いは明白だわ。そう、真の強者は敗北の先にこそいるのよ。ライス、今あなたはやっとスタートラインに立ったの」
「スタートライン……ここが……」
おねえさんは勝気な笑みを浮かべてライスの肩に手を置き、そして言った。
「勝ちに行くわよ、ライス!!」
「はい!!」
トレーナーさんは何て頼りになるんだろう。トレーナーさんはライスに色々大切な事を教えてくれた。新しい世界を見せてくれた。そして何よりもライスを大切にしてくれる。まるでライスが大好きな絵本、幸せの青いバラのおにいさまのように。
でもトレーナーさんは女の人だから……
「あ、あの……トレーナーさん?」
「何、ライス?」
「その……お願いがあるんだけど」
「ライスがそう言ったりするの珍しいわね。何でも言ってみなさい!」
「おねえさまって呼んでも良い?」
「はへっ!?」
それからのライスは必死でした。ブルボンさんに勝ちたくてひたすら練習に励みました。頑張っても頑張ってもブルボンさんの強さは圧倒的で。レースで会うたびに負ける事の繰り返し。ここまで差があると流石に心も折れそうにもなります。でもそれ以上に楽しかったんです。懸命に励んでもなお勝てない相手がいるって事が。こんなに心躍る事はありません。
もちろん負けるのは悔しくて悔しくてたまりません。でもライスにとってはブルボンさんは誰に気を使わなくても良い、全力でぶつかれる人なのです。あの人がいるからこそ、ライスは気弱なライスじゃなくて、挑戦者ライスでいられるのです。
それにライスはただ負けているわけじゃありません。勝てないにしろ差は着実に縮まってきています。それはライスが成長しているまぎれもない証拠です。ライスはまだまだ強くなれます! おねえさまと一緒なら!!
そしてその時はとうとう訪れました。
「勝った? ライス、ブルボンさんに勝ったの!? おねえさま!!」
トレーナー用の特別席にいたおねえさまと目が合う。おねえさまは席から立って、ガッツポーズを見せてくれました。ライスはそれが嬉しくて手を振り返します。ライスにとってそれはまぎれもなく最高の瞬間でした。この時までは。
異変に気付いたのはそれから程なくしてからだった。いつもであれば勝者に対して観客が湧きたつはずなのに、不自然なほど静かであった。G1という大舞台にも拘らず。ライスが次に気づいたのは視線、皆が皆睨みつけるかのようにライスを見ていました。
その視線はかつてのライスが受けていたものと一緒、嫌な奴を見る時の顔です。
なんで、なんでそんな目でライスを見るの? どうして?
変われたと思ったのに。この大舞台でブルボンさんに勝って、ライスが頑張ってきた事を証明できたはずなのに。
周りの人すべてがライスを責めているように見え、唐突な孤独感がライスに襲い掛かりました。たまらなくなって視線を下げると手が震えていました。怖くて怖くてたまらなかったんです。だからライスは気づきませんでした。ブルボンさんがライスの近くに来ていた事に。
「あの、ライスシャワーさん」
「ひっ、ごめんなさい!!!」
この時のライスにはブルボンさんと話す事なんてできませんでした。ライスに出来たのは一刻も早くその場から逃げる事だけ。レース場を後にしたライスは真っ先に控室へと駆けました。おねえさまとライス以外誰も入ってこない安全な場所へ。
控室まで戻るとライスはドアをしっかり閉め、その場にへたり込みました。
「ライス?」
「おねえさま?」
先におねえさまが戻ってきている事にちょっと安堵したライスだったけど、おねえさまの表情を見てライスは言葉を失いました。おねえさまはどこか焦燥した様子で、苦しそうな顔をしていたんです。
「違う。違うのよ」
「おねえさま……」
「こんなの違う!! 私がライスに見せたかったのはこんな光景じゃないの!! ライスは頑張ったじゃない! 皆ずっとライスがブルボンと戦っていたのを知っていたじゃない!! 挑戦していたのを知っていたじゃない!! それなのにどうして、どうしてなのよ!!!」
それは初めて見るおねえさまの涙でした。
「ごめんなさい! ごめんなさいライス!!」
泣き崩れるおねえさまはしきりにライスに謝りました。おねえさまは何も悪くないのに。
ライスがおねえさまの手を取ると、おねえさまはライスを抱きしめてくれました。きつく、きつく……
勝ったのに祝福されないとても悲しいレースでした。でもおねえさまが泣いてくれたからこそライスはぎりぎり踏みとどまれたんだと思います。ライスとおねえさまは二人で泣き合いました。涙が枯れるまで……
でもこの時の傷はライスとおねえさまに深く残りました。ライス達はどうしていいか分からなくなっちゃったんです。ウマレースを走るからには勝利を目指すべきなんでしょう。でもこんな辛い思いをしてまで勝利するべきなのか、その答えがどうしても出ず、ライスだけでなくおねえさまも立ち止まってしまったのです。
だからといってさぼるような事はせず、練習もきちんと続けてきました。でもどこか上の空だったせいか、次のレースでライスとおねえさまは致命的なミスを犯してしまいます。かつておねえさまと一緒に見たトウカイテイオーさんとの直接対決、気合は十分、そのはずでした。
いえ、むしろ気合が入りすぎていたのかもしれません。だからトウカイテイオーさんが不調であった事に気づく事が出来ませんでした。見たらすぐに分かるくらい調子が悪いテイオーさんに、レースでテイオーさんが沈むまでライスたちは全く気付かなかったんです。
もしブルボンさんだけでなく、テイオーさんに勝ったらどうなってしまうのか。そればっかり考えてしまっていた故のミスでした。勝つ前から勝った後の事を考えるなんてあってはならないのに。
このままライスたちは駄目になっちゃうのかな? そう思い始めていた時の事です。
ライスは心が落ち着かない時は良く本を読みます。だから不調の時に本屋に寄ったのは必然でした。きっとそれは逃避みたいなものだったのかもしれませんが、いくらトレーニングしてもうち消せないモヤモヤをどうにかしたかったのです。
ライスが行ったのはトレセン学園の近くで一番大きい本屋で、その大きさはデパートに匹敵する程です。だからイベント場みたいな所もあって、そこでは良く本の作者さんが来たりもします。
今日という日は漫画家さんがサイン会でいらしているようでした。凄く盛況のようで、多くの人が並んでいます。その光景を見てライスは素直に羨ましいと思いました。そして自分との差にちょっと悲しくなり、その場を立ち去ろうとしたのですが、ちょうど人の波が開けるタイミングがあって、ライスは見ちゃったんです。作者さんの姿を。
「え、あの人ってウマ娘?」
作者さんの予想外の風貌に驚き、ライスは呆然とサイン会の光景を眺めてしまいました。それがいけなかったんだと思う。列整理をしているスタッフさんにライスもファンの一人だと勘違いされちゃったのです。
「はいはい、順番だよ。サイン欲しい人はこっちに並んでね」
「え、いや、ライ……私は……」
咄嗟に自分の名を隠してしまったのは、期待を裏切られたウマレースのファンの眼差しを思い出してしまったから。このスタッフがウマレースを見ているか分からないけど、もしそうであった場合はまたあの視線にさらされる。それが嫌で今のライスは耳を隠すために帽子もしていたりします。
「色紙がない? 大丈夫。今日発売の最新刊を買ってくれたら『ただ』だから」
でもスタッフさんはそんなライスの不安を別の意味に取ったみたいでした。
「あ、その、あうぅぅぅぅぅ」
安堵したのも束の間、これといった断りの理由を見つけられなかったライスは、あれよあれよと流されるまま人の列に連れていかれて、最後尾へと並ばされてしまいました。
流されやすい自分を恨むとともに、どうしようかと焦る。この場合ファンを装うのが一番だろうけど、もしも何か漫画についてどこが好きなの? とか聞かれたりしたらすぐにバレちゃう。ライスは本が好きだけど、漫画はそれほど得意分野じゃないんです。
漫画家になるのだって努力が必要なはずで、きっと作者の人も苦労の末にこうしてサイン会を開けるまでになったはずなのに、ライスのせいで作者の人にガッカリさせたくない。
待っている間にスマホでこっそり調べようかな?
そんな考えがライスの頭に浮かびました。幸い待っている間スマホを弄っているファンの人達は多くいます。ここでライスが調べていてもそんなに変ではないはず。でもそれって正しい事なのかな? 漫画家さんのためって言ってるけど結局これって自分の保身のためなんじゃ?
どうしよう? どうしよう? と悩んでいるうちにライスの順番がやってきます。何も決められていないライスは思わず悲鳴を上げてしまいました。
そして追い打ちとばかりに作者の驚いた顔、焦る余りライスは忘れていました。漫画家は『ウマ娘』であるという事に。今のライスは耳を帽子で隠しているため、人には分かりにくくなっていても、ウマ娘がウマ娘を見抜く事は実に簡単です。
さらにこの表情、ウマ娘だから驚いたのではないのでしょう。『ライスシャワー』だからこそ驚いたのです。
ライスは今度こそ泣きたくなりました。何でライスはこんなに間が悪いのか。漫画家さんだってきっとブルボンさんのファンに違いない。でも漫画家さんは、
「おおお! まさか同志が来るとはね!!」
満面の笑みでライスの手を握ったのでした。予想とは真逆な嬉しそうな顔にライスは呆気にとられちゃいました。同志って? そんなライスを知ってか彼女は
「ま、私が勝手に思ってるだけなんだけどね?」
と言葉を付け足し、手慣れた様子で色紙にサインを書くと、最新刊であろう漫画と色紙をライスに手渡してくれました。
ライスをライスシャワーと知りつつも、好意的に見ているこの漫画家さんは一旦どんな絵を描くのだろうと、漫画本へと視線を落とします。そこで表紙に描かれた人物にライスの視線は釘付けになりました。
月が出る闇夜に佇む耳としっぽが生えた人間、最初ウマ娘かと思いましたが、耳がウマ娘のそれとは異なっており、どちらかというと猫っぽい感じです。色は髪も服も黒、その目は金色に光っている。言うなれば黒猫の擬人化でしょうか? 性別は見た目が中世的で分かりませんが、ウマ娘に倣って『ネコ娘』とでもしておきましょうか。
彼女の強いまなざしには意志の強さが感じられ、みずほらしい服装にもかかわらず堂々としている姿にライスは心を奪われました。そして極めつけは腰巻に書かれていた宣伝用の一文、
『孤高』であれ
頭を殴られたかのような衝撃でした。『孤独』ではなく、『孤高』……訳もなく漫画を握り締める手に力が入ります。そんなライスに漫画家さんは言ったんです。
「頑張れリアル孤高のヒーロー、私は応援しているぞ!!」
「……えっ!?」
ライスがその『孤高』だって。そしてヒーローだって。
その後の事はあまり覚えていません。一体ライスは漫画家さんとどんな顔をして別れたのか……どこか熱に浮かされた様にふらふらとしてたのだけは覚えています。ライスが我に返ったのは寮に戻った後で、手に持っていた袋には漫画家さんの最新刊だけじゃなく、一巻からすべて揃っていました。
別に騙されたとかは思いませんでした。ライスがあの表紙を見た時にはすでにこの漫画に惚れこんでいたから。漫画家さんの一言がなくったって、きっとライスはこの漫画を買っていたと思います。
まずサインを棚に飾って、飲み物を用意します。それを自分の机に持って行くと、ライスはとうとう第一巻を手に取りました。本を読むのに緊張するなんて初めての事で、ライスは変な話、レースに挑むような気持で最初のページを捲りました。
この漫画はファンタジーのようで、創作上のいわゆるエルフのように、人間と違う猫人という種族がメインの話でした。物語の主人公は最新刊の表紙にもなっていた、黒猫をモチーフとした男の子(なのでネコ娘は間違いですね)で、彼はその見た目から忌み嫌われる存在でした。
これはライスたちの世界で過去に起きた魔女狩りに起因しているのでしょう。当時魔女とセットにされたのが魔女の使い魔とされる黒猫で、黒猫は不幸の象徴として扱われていた時代がありました。またそうしたエピソード以外にも、黒は死を連想させて不吉だからというのもあるでしょうか?
話しているだけでも凄く理不尽ですが、そうした時代は確かにあったのです。
しかし物語の黒猫さんはとても強かでした。どれだけ蔑まれようが、意に介した様子なくどこ吹く風。投げられた石にも当たらないし、その逃げ足は天下一品。黒猫さんに害をなそうとした人達はいつだって煙に巻かれてしまいます。
そんな彼はいつだって楽しそうにしており、何をされたって堂々としていました。それがどうしたと言わんばかりに。
そして黒猫さんは一人の少女と出会います。色素が抜けてしまったかのような白い肌に白い髪、黒猫さんとは真逆の見た目の彼女は聖女として崇められていた子でした。
黒猫さんが理不尽に虐げられる存在であるとすれば、白猫ちゃんは理不尽に期待されている存在です。衣食住は保障されてとても良い生活を送れてこそいますが、これといった力もないのに見た目だけで崇められ、そこから来る重圧に今にも押しつぶされそうでした。
奇しくも二人は似たような境遇にいたのです。少女は思います。一人で何だってできるのに蔑まれる黒猫さんと、一人では何もできないのにちやほやされている自分、どちらも他人が作ったレッテルに苦しんでいる。だからこそ少女は思わずにはいられなかったんです。見た目さえ変えれば逃げられるのではないかと。
「あなたは隠そうとは思わないのですか? ちゃんとした服を着て、髪の色を変えれば余計なやっかみを避けられるのでは?」
「正直なところ、それ、考えた事はあるよ。でもさ、俺は自分が好きなんだ。あいつがカッコいいって言ってくれた今の自分が」
黒猫さんは言いました。彼の恩人は不吉な黒髪の自分を気にせずに優しくしてくれたと。彼の黒髪が好きだと何度も言ってくれた事。だからこそ黒猫さんはぶれません。
「服はちょっと思うところはあるけど、髪の色を変えるのは絶対違う。これは俺自身だから。もし俺が色を変えて友人が出来たとする。それで君は俺が幸せになれると思う?」
「それは……その……」
何か言おうとしても少女の思いは言葉になりませんでした。
「それが答えだよ。偽りの自分じゃ決して幸せになれない。誰からも責められなくなるかもしれないけど、心に平穏は訪れない。自分が認められていないのは変わらないんだから。だったら俺は意地を張り続けるさ。俺はその他大勢に信用されるよりも、大切な人が好きと言ってくれた自分でいたい」
この黒猫さんの言葉にライスは理解したんです。腰巻に描かれた『孤高』の意味、そしてその強さに。
大好きな人さえ認めてくれたらそれでいい。そっか、そういう事なんだ。
だったらライスは……ライスは!!!
気が付くと陽はすっかり昇り、お昼の時間になっていました。
……ライス、完全に寝坊しちゃいました。
漫画の単行本は現時点で10巻まででそんなに長くはありません。嵌ってしまったのもあって、あっという間に読み終わっちゃったんだけど、2度目、3度目と何度も読み返してしまいました。このままじゃいけないとベッドに入ってみるものの、続きを妄想したりなんかしちゃって頭はフル回転。結局寝られずもう一度読み返したりしてたら、そのまま寝落ちしちゃっていました。
ふとスマホを見るとメールと着信履歴が凄い事になってました。確か今日はトレーニングは午前だったような……
「大変!!」
ライスは慌ててその差出人たるトレーナー、おねえさまに電話をかける。おねえさまはずっとスマホと睨めっこしていたのか、1コールもしないうちに繋がった。
「……おねえさま?」
「ライス!! 大丈夫なの!!? 今どこ? 何か危ない目に遭っていない!?」
繋がって早々訪れるおねえさまの怒涛の攻勢に耳がキーンとする。凄く大げさに聞こえるけど、今までライスは遅刻した事なかったから。おねえさまに凄く心配かけちゃってたみたい。申し訳ない気持ちになりつつもライスはおねえさまに理由を素直に話す。
「ごめんなさい、ライス寝坊しちゃった」
「寝坊? …………ああー、良かったぁ。もうすっごく心配したんだからね!!」
怒られるかなと思ったけど、おねえさまはただただ安堵した様子で、悪い子のライスはそれが嬉しいと思っちゃった。だからかライスはそのまま尋ねてみました。
「ねえ、おねえさま?」
「何?」
「ライスってカッコいいかな?」
「へっ?」
いつもならこんな事絶対聞かないだろうけど、それでも聞いてしまったのは昨日の漫画の影響かな? 黒猫さんは大切の人が信じてくれた自分でいたいと言っていましたが、ライスにとっての大切な人はトレーナーであるおねえさまです。だから聞きたくなっちゃった。おねえさまがライスをどう思っているか。
おねえさまの答えはライスの想像以上でした。最初どこか呆気にとられたような声をあげたおねえさまでしたが、一度火が入ったらもう止まりません。
「そんなの決まってるじゃない!! めちゃくちゃカッコいいわよ!!! ミホノブルボンに勝ったのよ!? あのアウェイの中で!! 良いライス? せっかくの機会だから言わせてもらうわ。選手にとって声援は大きな力となるわ。一番人気ともなるとなおさらね。つまりあの時のミホノブルボンはね。100%を超えた120%のミホノブルボンだったの。そんな怪物をあなたは差し切ったのよ!!! あなただけの力で!!! これがどんなにすごい事だか分かる!!? 外野がどう騒ごうが関係ない!! それこそがライスの強さの証明になるんだから!!! 誰が何と言おうともライスは私にとってのヒーローよ!!!! それ以外の答えなんてあるわけないじゃない!!!」
おねえさまの熱は凄まじく、怒涛の勢いで早口で捲し立てるように言い続けました。その一言一言がライスの胸の奥に届き、心がじんわりと温かくなる。えへ、ヒーローってまた言われちゃった。
そうだ。これでいいんだ。
皆から要らない奴と思われるのはとても辛い事。
でもライスは他の誰よりも、おねえさまに喜んでもらいたい。
ライスにレースの面白さを教えてくれた大切なおねえさまに……
回りの思惑なんて知った事ですか!
こんなに大切にしてくれるおねえさまの方がライスにとっては大事なんだから!!
「おねえさま、心配かけてごめんなさい。でももう大丈夫だから」
「ライス?」
「おねえさまが応援してくれる限り、ライスは走れるよ!!」
この時、ライスは初めて自分の殻を打ち破ったんだと思う。それまではレースでは本気であっても、日常ではそうではありませんでした。でもライスはもう人の顔色をうかがうのはやめたんです。ライスが目指すのは誰にも好かれるヒーローじゃない。自分の信念を貫き通す孤高のヒーローなのだから。
よく心技体と言われますが、ライスで言うのなら、この時になって初めて心が追いついたんだと思います。全てがそろったライスは一つ上の段階に行けたような気がしました。おねえさまとの特訓が凄く集中できるんです。体から溢れるパワーは底なしの様で。
「はあ、はあ……おねえさま、タイムは?」
お姉さまの答えは満面の笑みでのVサイン、それはつまり
「自己ベスト更新よ!! 凄いわ! これで三度目よ」
「……やった! ライス、強くなってる!!」
「ええ、間違いなく。あなたは強くなってるわ! 勝てるわよライス。天皇賞に!!」
天皇賞、それこそが次のライスたちの目標。
「やっぱりマックイーンさんですか」
「だと思うわ」
マックイーンさんはテイオーさんと同じくらいのスター選手、とっても強くて人気もあります。それに勝つという事は……
ふとおねえさまの顔を見ると心配そうにこちらを見ていた。
「ライス……」
「おねえさま、もしライスが勝ったら喜んでくれる?」
「そんなの当たり前じゃない! それこそ私の愛バがやったんだ!! って今度こそ周りに自慢しまくるわ!!」
「だったら大丈夫、ライスは勝ちに行くよ! 皆が望んでいない勝利であっても、ライスたちが望んだ勝利のために!!」
「あーん、なんてカッコ良くて愛くるしいのかしら私の愛バは!」
おねえさまがライスを抱きしめるのはもはや日常茶飯事で、ライスもお返しにと抱きしめ返す。その時におねえさまは言ったんです。
「ありがとね、ライス。あなたが頑張ってくれているおかげで私も救われた」
それは思いがけない言葉でした。でももしライスがおねえさまの力になれていたのだとしたら、これ以上嬉しい事はありません。そして全てはおねえさまがあの時に話しかけてくれたから起きた事。ライスはこの恩を生涯忘れないでしょう。
だからライスもおねえさまに言いました。ライスを見つけてくれてありがとうって。
一度目は偶然でも二度あれば運命、ライスはそんな事を思いました。それは天皇賞から二週間前の事、ライスはあのライスに勇気をくれた漫画家さんと再会したのです。
きっかけは記者の取材を受けた事。ライスにとってマスメディアの方々は好きではありません。記事の中のライスは徹底してヒールに描かれていて、展開が面白くなるよう、一番人気という大正義と勝手に対立している構図にさせられちゃっています。
ライスがブルボンさんに勝った事がここまで引きずるんだなと、ライスはどこか他人事のように思っていました。もう過去の事を乗り越えたライスにとっては些細な事ではあるのですが、それでも面白くはないのは事実なので目を通さないようにしていました。
ライスとしては集中するのに邪魔になるので、直接の取材はNGで、その代わり好き勝手書いても構わないというスタンスを取っています。
でも今回の記者さんだけは例外です。何せその人は見る側、読者受けする記者さんではなくて、取材を受ける側、ウマ娘受けが良い記者さんなんです。かのスズカさんが絶対の信頼を置いている記者さんとの事で、この人ならと思ってライスとおねえさまは承諾しました。そして蓋を開けてみたらびっくり、記者さんの後にウマ娘の漫画家さんもついてきたのです。
「やあ同志! 調子はどうだい?」
「え? え? 漫画家さん? 一体どうして?」
戸惑うライスに漫画家さんは不敵に笑い、記者さんを指さして言いました。
「何を隠そう!! こいつ、私の親友!!」
「そこ静かに! 部外者のあんたここに連れて来るのに私がどれだけ無理したか」
「でもお前、それだけの価値があると思ったんだろ?」
「……その言い方はずるいなぁ」
「伊達に長い事友人やってないってね」
「えっと……?」
予想外の来客に戸惑うおねえさまに記者さんは慌てて名刺を取り出す。
「お初にお目にかかります。私○○社の○○です。今日は宜しくお願いします!」
「ええ、あなたの事は知ってるけど……」
「こっちは○○出版社専属の漫画家、○○です。『孤高の黒猫』っていう作品知っていますか?」
「ここうのくろねこって……ああ! それじゃああなたがライスの背中を押してくれた人なのね! あの時は助かったわ。私もライスも一杯一杯だったから」
「いや、私はただサインを書いて渡しただけでありますです!」
漫画家さんが行ったのは何故か敬礼、そしてそのまま記者さんの後ろに引っ込んでしまいました。
「何故そこで私に隠れるの?」
「……大人の女性の魅力に当てられて」
「思春期の男の子みたいなこと言わないでよ」
「だってすっごい出来る女オーラ出してるんだぞ? こんな予期せぬアクシデントにも笑顔で対応できる懐の広さ、やばいって。パーフェクトレディだって」
とても仲良さそうな二人を見てライスは笑ってしまいました。そしておねえさまはプルプル震えていました。ライス知ってるよ? それって可愛いものを見たときの反応だって。ライスを抱きしめる直前、いっつもプルプルしてるもん。
このままじゃおねえさまが漫画家さんに飛び掛かりそうなので、代わりにライスがおねえさまの腰に抱き着きます。
「ライス?」
「おねえさま、駄目だよ?」
そうしたらおねえさま何を思ったのか、ライスは思いっきり抱きしめ返されました。こんな感じで取材の始まりはしっちゃかめっちゃかでした。
それで何で漫画家さんが来たかという話ですが、漫画家さんはライスと二人で話をしたいとの事で、記者さんに懇願したのだそうです。だから今、おねえさまには記者さんと話してもらっていて、ライスは漫画家さんと二人で別室にいます。もはや取材とは名ばかりの面会でした。
「時間もあまりないし、単刀直入に聞くけどさ」
本当なら一ファンとして漫画の話とかしたかったけど、取材時間は決められていますし仕方がないです。それにライスは漫画家さんがわざわざここまで来てまで、話したいという事に興味がありました。
「ウマ娘ってさ? 走るべきだと思う?」
「え、どうなんだろう? ライスは走る事が好きだけど……」
ライスにとって当たり前の事実ではあるけど、ウマ娘としては考えた事はありませんでした。でも確かにウマ娘には足が速いっていうイメージが一般常識であるだろうし、公道にはウマ娘専用レーンだってあるくらいです。
そこまで考えて思い至りました。確かにウマ娘と走るはセットで考えられていると。そしてそれをライスに問いかける意味、つまり漫画家さんは走りたくない?
「お察しのとおり私は走れないウマ娘なのさ。厳密的に言えば走りたくないウマ娘、かな。私はウマ娘であるにもかかわらず、走る事に興味を持てなかったのさ」
ライスは言葉を失いました。ウマ娘が走る事が当たり前とされている世界で、走らない事がどれ程生きづらいか、想像に難くありません。
「人は他人に対して当たり前のようにレッテルを張る。自分にとって都合が良いようにね。私もそんな思い込みに苦しめられた一人なわけ。『ウマ娘って走るの好きなんでしょ? どうして走らないの?』って。悪意の有無は関係ない。その言葉自体がプレッシャーだったよ。しつこく言われ続けると、段々自分もそうするべきって思い込んできちゃってさ。好きでもないのに走る真似したっけ。でも心は苦しくなる一方なんだ。そんな時だったよ。あいつに出会ったのは」
あいつとはきっと記者さんの事なんだろう。
「あいつは私に言ったんだ。自由にやればいいじゃないって。最初はなんて無責任な奴だと思ったよ。そう簡単に言ってくれるなと怒りすら覚えた。でもさ、あいつもっと酷かったんだよ。あいつはウマ娘になれなかった人間なんだ」
「それって……」
「普通ウマ娘から生まれる女の子はウマ娘になる。でも極まれにウマ娘の因子を引き継がないで人間として生まれて来る事もあるんだってさ」
初めて聞く話でした。ライスはウマ娘から生まれる女の子はウマ娘って信じていたから。
「あ、先に言っておくけどあいつの両親は凄く良い人たちだよ。娘の友人でしかない私に毎年ミカン送ってくるような人達だから。問題は周囲の方さ。ウマ娘じゃなくて残念とか、逆に人で良かったとか、散々言われて、母親がウマ娘だから血縁まで疑われる始末。勝手に蔑まれて、勝手に同情されて……本人は何も悪くないのに『常識』ってやつに振り回され続けた」
漫画家さんから聞く記者さんの過去は壮絶でした。ライスの不幸なんて些細な事に思っちゃうくらいに。どこからも浮いてしまった存在、世間は『常識外れ』には冷たいものです。
「でもあいつはいつだって堂々としているんだ。それがどうしたって言わんばかりに。私が漫画家になれたのもあいつのおかげさ。あいつは私が漫画を描いていると知ったらすぐに見せろと言ってきたんだ。そしてあーでもないこーでもないと駄目出ししてきた。頭にくる事もあったけど私はそれが嬉しかったんだ。ただお世辞で面白いっていうのではなく、真剣に見て、真剣に批評して、ウマ娘の漫画家じゃなくて、ただの漫画家として見てくれた」
漫画家さんの話を聞いて分かった気がした。なんでスズカさんが記者さんに絶対の信頼を置いたのか。世間の身勝手さを身をもって知っているからこそ、その悪意から守ろうとした記者さんの真摯な心がスズカさんに届いたんだ。
そしてライスは気づきました。
「ひょっとして漫画の黒猫さんのモデルって……」
「ん、半分正解」
「半分、ですか?」
「あいつは言っていたよ。私はとある人に救われたって」
ライスは黒猫さんの恩人さんを思い出しました。きっと記者さんのした経験は黒猫さんと合っています。だから半分正解なのでしょう。じゃあもう半分は一体?
「そしてとある人に救われたあいつに私は救われた」
あれ? これってもしかして……そうか! 続いているんだ。かつては記者さんも白猫さんだったんだ。記者さんにとっての黒猫さんが助けてくれて今の記者さんがいます。そして漫画家さんにとっての黒猫さんは記者さん、そしてライスにとっての黒猫さんは漫画家さん。
黒猫さんの『孤高』がずっと昔から今に至るまで続いている。目を見開くライスに漫画家さんは不敵に笑って言いました。
「次は同志、あんたが黒猫になる番だ!」
「ライスの……番? ライスが黒猫さんに?」
「きっとさ、私達のような外れてしまった人は世界に沢山いる。目に見えていないだけで。だから頑張れ同志! 私もあいつも頑張るから!! あんたの気高き孤高を周囲の奴らに見せつけてやれ!!」
それはライスにとってこれ以上ない激励でした。ふつふつと燃え上がる闘志に心を震わせ、漫画家さん、いえ、ライスの同志さんに力強く頷いてみせます。
「分かったよ! ライスは黒猫さんになる!!」
そして二人は去って行きました。残されたライスとおねえさまに残ったのは、何とも言えない充実感と笑顔でした。
「ライス、凄い子達だったね」
「うん」
「あの子達、記事とか漫画のネタよりも、ライスを優先してた。あの記者ちゃん私に何て言ったと思う?」
「何て言ったの?」
「私は誰かが不幸になった記事を書きたいんじゃありません。誰かが幸せになった記事を書きたいんです。今回はそのための先行投資ですよ、ですって。あのスズカが惚れこむだけの事あるわ。人を頑張らせる天才よあの子。トレーナーと記者って違う職業で変な話なんだけど、負けられないって思っちゃった。そっちはどうだった? 顔を見るに良い事あったみたいだけど?」
「漫画家さんはね。ライスに黒猫になれって言ってくれました」
「そりゃまた洒落た激励だね」
二人は会場を埋め尽くす観客にも勝る心強い味方でした。かつておねえさまは言いました。ブルボンさんは120%の力で戦っていたと。観客の声援を力に変えて走っていたと。でもね、今のライスはもっと凄いんだ。130%の力で走ってみせるんだから!
それから一週間、試合から一週間前となったその日、ライスをさらに燃え上がらせる事が起こります。
「ライス、新しい勝負服出来たわよ!!」
「本当!? 間に合ったんだ!!」
「ほら、見てみなさい!!」
「うわぁー!!」
ライスは思わず感嘆の声をあげてしまいました。濃い目の紫が強調されたドレス、美しいだけでなく、どこか芯の強さを感じさせる造形はライスが思う黒猫そのもの。そして極めつけは胸と帽子につけられた青いバラ。ライスの好きな絵本と好きな漫画、その服はライスがなりたい自分そのものでした。
「凄いわね。ライスそのものを体現したみたい」
「本当おねえさま? ライスこの服に見合っているかな?」
「ええ、当たり前よ。絶対似合うに決まっているわ」
「えへへ」
無茶を言った甲斐がありました。実はライス、同志である漫画家さんに一つお願いしていたのです。それは次の天皇賞の勝負服のデザインを考えてくれないかって。時間もぎりぎりだったし、無茶振りしているのは分かっていたんですけど、どうしても漫画家さんの描くライスを見てみたくて。
最初うえー、うえーって言っていた漫画家さんでしたが、プロってやっぱり凄いです。たった一日でデザインが送られてきたんです。それを見て本人曰く、ビビッときたおねえさまがすぐに仕立て屋さんにイラスト持って行って、急ピッチで作ってもらったのが今回の勝負服です。
「さあ、ライス試着してみて」
「はい!」
着てみるとサイズがピッタリだけでなく、心にもフィットしたような気がして、ライスは顔がほころぶのを止められませんでした。急く気持ちに押されるまま姿見まで走る。目の前にいるのはかつて見た理想の自分、これがライス、ライスシャワーなんだ!
「ライス、すっごくカッコいいぞぉ!」
「そっか、ライスカッコいいんだ!」
あまりにも嬉しすぎて子供のようにはしゃぐのを止められません。鏡の前でくるくる回っているとおねえさまはライスに質問してきました。
「ライス、今ちょっと調べてみたんだけどさ。ライスって青いバラ好きだけどその花言葉の意味は知っている?」
「不可能、だよね。子供の頃、調べた事あるんだ。自分が好きな花が残念な意味だったのにがっかりしたのを覚えているよ」
「ふっふっふ、それが変わったんだなぁ」
「え?」
「青いバラは遺伝子的に絶対作れない色だから、不可能って言われていたみたいなんだけどね? 数年前とうとう青いバラを作る方法が見つかったんだ」
「……本当に!? 本当に青いバラが」
「だからそれに合わせて花言葉の意味も変わったんだって。不可能である、から不可能を可能にするっていう意味にね」
「不可能を可能に……」
一体どうしたって言うんでしょう? 何で何もかもがライスの力になるんでしょう。それまでおねえさまと二人三脚でやってきました。それだけでも心強かったのに、同志を得て、己の姿を得て、さらには青いバラにまで祝福されるなんて。ライスの力の源は底知らずです。
ここまで来たのであれば130%なんてもんじゃありません。140? 150? いいえ。
ライスは次の天皇賞、200%の力を出せちゃうんだから!!
「ね、ライス? この試合勝ったらさ。青いバラを見に行ってみようか?」
「はい!!」
そして戻ってきたG1の舞台、天皇賞(春)、かのマックイーンさんは一番人気、入場と共に凄い歓声を受けます。ライスは二番人気でしたが歓声はさほどありません。ライスにはヒールとしての役割が与えられていましたから。
でもそんな事はどうでもいい事です。ライスはただ前だけを見ていました。おねえさまがいて、記者さんがいて、漫画家さんがいて、そしてこの服がある。今のライスに怖いものは何もありません。全力で走るのみです。
ゲートに入ると訪れる静寂、僅かなこの時間にライスは一人呟きました。
「ライスは『孤高の黒猫』、そして『漆黒のステイヤー』……行くよ、ライスシャワー! 絶対勝つんだ!!」
スタートの合図が出ると一斉にライスたちは駆け出します。レースの展開はライスとおねえさまが予想していた通りになりました。メジロパーマーさんが逃げ、その後ろにマックイーンさんがいるグループがある。ライスの位置取りはその真後ろでした。
プレッシャーをかけるつもりでしたが、マックイーンさんも冷静です。慌てる事無くじっくりと己の位置をキープし、勝負所を待ちます。つまりマックイーンさんの自滅は期待できない。ライスが飛び出すのはマークしているマックイーンさんが仕掛ける時。それの意味するのはライスとマックイーンさんの真っ向勝負です。
マックイーンさんが仕掛けた瞬間、ライスも同じタイミングで駆け上がりました。ぐんぐんと伸びるマックイーンさんにライスは必死に追いすがります。マックイーンさんの飛び出したのは最高のタイミングでした。周囲が全力で走ろうとする数秒前、そのごくわずかな時間を狙って仕掛けたのです。
マックイーンさんを徹底マークしていたライスはそれに乗る事が出来ましたが、出鼻をくじかれた周囲の人達は完全に出遅れてしまいました。それによって追い込みの人達もルートを潰されてしまい、天皇賞の最後は逃げのパーマーさんと、それを追うマックイーンさん、そしてライス。三人の戦いとなりました。
しかし天皇賞は3200Mというウマレースでも過酷な長丁場。徐々に逃げていたパーマーさんの足が鈍ってきます。こうしてまた一人脱落し、最後に残ったのはマックイーンさんとライスのみ。
マックイーンさんに離されない様必死に食らいつくライスでしたが、ふとマックイーンさんに何か壁のようなものが見えました。かつてのライスが言いました。ここを越えちゃダメだって。分相応でいようって。また孤独になりたいのかって。
でもそれが聞こえた瞬間、ライスは笑っちゃったんだ。誰かの評価を気にするなんてもううんざり。皆が望む負けるライスはライスなんかじゃない。この勝負に勝つ。あのとても強いマックイーンさんを差し切る。それこそが本当のライスシャワーなんだから。もし『一番人気が勝つ』という『常識』でライスを止めようというのなら、その『常識』ごと抜き去る!
歯を食いしばり、ライスはギアをさらにあげる。それでも届かないのなら、さらにその上、まだ上へ!! 最後に見たのは驚愕するマックイーンさんの顔、そしてライスは全てを抜き去りました。
ライスが一着を確定し、レースが終わった後、辺りを静寂が支配しました。声援はありません。あるのは戸惑いといつもの無遠慮な視線だけ。でも今度のライスは面を上げてあくまで堂々とします。
するとライスの後ろから声がかかりました。
「ライスシャワーさん」
「マックイーンさん」
「強かったですわ……凄く!!」
「ありがとう」
「次は負けませんわよ」
「受けて立ちます」
お互いふっと笑うと握手を交わします。マックイーンさんは頭が良いのでしょう。マックイーンさんが真っ先にライスを認めた事で、周りの余計な声を抑えたんです。きっと過去のライスの試合に思うところがあったのでしょう。
野次が飛ばなくなっても、会場は盛り上がりはしませんでした。でもライスは知っています。おねえさまは泣いて喜んで、周りの客を振り回していたし、記者さんはもちろん漫画家さんだって応援に来てくれていました。そして。
「ブルボンさん?」
回りの様子なんて関係なくブルボンさんは拍手してくれていました。ライスはかつての目標であったブルボンさんが応援してくれていた事実に胸が熱くなり、深く礼をしました。
そう、ライスは不幸なんかじゃない。ライスは本当に応援して欲しい人達に応援してもらっているのだから。ライスはこんなにも恵まれている。例えこれから人気が出なくたって、もうライスは逃げたりしないよ。これが、これこそがライスシャワーなんだから。
ふと気づくと親と一緒に見に来ていた子供がライスに手を振っていました。初めてできた小さなライスのファン。ライスは自分が考えうる最高の笑顔で手を振り返しました。
この話の原案は、トウカイテイオー27歳の記者ちゃんの過去話でした。裏設定で記者ちゃんの友人は走れない(走る事が好きでない)ウマ娘の漫画家と決めていたのですが、ふとした時に、ここにライスシャワーの話を入れたらって思い至り、そこからアイディアが出まくったため、思い切って書いてみた感じだったりします。
ライスのトレーナーは男か女か悩んで、変に恋愛要素あると余計かなと思っておねえさまにした次第です。でもそれがちょうどよくハマってくれましたね。自己批評にはなりますが、良い感じで「どけ、私がおねえさまだぞ!」的なキャラにできたかと。
おねえさまはかなりはっちゃけていますが、内心はドキドキです。ライススカウト成功した日なんかは、家で飛び回って喜んじゃってたので、弟にうざいとツッコミをくらってます。
『孤高の黒猫』については、多分知っている人にはバレバレかと思いますが、某有名バンドの歌をモチーフにしていたり。
多分この世界のライスちゃんは、史実とは違って拙作のテイオーとも戦い続けた大ベテランになっているかと。何かネタを思いついたら、27歳テイオーとも絡ませてみたいですね。
それでは今回もお読みいただきありがとうございました!!