ネイチャさんじゃなきゃ出せない味がある!
僕はそれを証明したかった。
というわけで今回もどうぞお楽しみください。
目覚まし時計が鳴る5分前、朝が弱かったはずの私であったが、いつしかこの時間に起きるのが当たり前になっていた。
2度寝の誘惑から逃れるため、名残惜しさを振り切って布団を抜け出すと、洗面台へ顔を洗いに行く。さっぱりしたところで体をちょっと動かしてみると、思いの外軽くて、疲労の抜け具合が十分な事に私は満足気に頷いた。
今日は体調が良い。しかも休校日だ。トレセン学園は現役引退後のウマ娘達が路頭に迷わない様、勉学にも力が入っているのが大きな特徴の一つだが、今日に限っては一日一杯トレーニングに没頭できる。
と言ってもオーバーワークは怪我に繋がるため、いつものトレーニング後のミーティングの時間が増えるだけなんだけども。
着いたらすぐに動けるよう最初からジャージを着こむと、スポーツバックにタオルと着替えを詰め込む。後はお財布とケータイと、メモ用のノートも忘れずに。後はあの人からもらったお気に入りのメンコと……
「これでよしっと」
あらかた準備を終えた私はもう一度鏡の前に立つ。そして声高らかに叫んだ。
「私が一番! 私がサイキョー!!」
何とも言えない沈黙が辺りを支配する。他に誰もいないので当たり前の事だけど、静かさゆえに声の大きさが際立つわけで。鏡を見ると茹でたタコのようになっている自分がいた。
あー、もう、やっぱり恥ずかしいなぁー。
私こと、○○○○(モブなのでお好きな名前を入れてください)はトレセン学園に通うウマ娘だ。トレセン学園にいるという事はもちろんレースに出るためである。私も速さに憧れてその門を叩いた、夢焦がれるウマ娘の一人だ。
しかしトレセン学園はよく中央と称される。つまりはウマ娘レースの中心であり、トップレベルの猛者たちがしのぎを削る場所なのだ。ライバル達はもう嫌になるくらい強く、下手をすればデビューをする以前に選抜レースで心が折れた子も数知れず。
そんな中で3位というそこそこの成績を残した私であったが、3位と言っても1位とは5バ身という大差だったため気分は最悪だった。これじゃあ今回のレースでは、トレーナーのお眼鏡にかなわないかなぁとへこんでいた矢先の出来事である。
「ねえ君」
「ぜぇー、ぜぇー……え? わ、私、ですか?」
「あー、慌てずとも良いよ。まずは息を整えて」
「す、すみません」
この場で声をかけてくれたのはきっと私に興味を持ってくれたトレーナーに他ならない。にもかかわらず完全にスタミナがキレていた私はすぐに対応する事が出来なかった。
選抜レースでトレーナーに選ばれるか否かで、今後が決まる事が多いのは周知の事実で、気合入れまくった結果である。戦略らしい戦略もなく、というよりかはそもそも戦略を使えなかったという方が正しいか。
他の子もそうなのだろう。中央に来る子は才能ありきで来る子が多いため、地方では敵なしというくらい強いが、意外にも同格との対戦経験に乏しい。最低でも同じレベルで、格上が蔓延るレースで考えながら走るなんて至難の業。結果、私のようにがむしゃらに走るしかなくなる。
色々と悔いの残るレースだったのは間違いない。中央の凄さというものを覚悟こそしていたものの、実際肌で感じてみると動揺を隠しきれず、ペースはめちゃくちゃ。その中で1位になった子だけは別格だ。
全体的にかかり気味になる中、慌てずじっくり温存して、回りが失速した瞬間に一気に抜けた。私が運良く3位に入れたのは一早く彼女の存在に気づけたからだ。気持ちが悪いくらい落ち着いている彼女に違和感を持ったからこそ、彼女が仕掛けた際に私はなけなしの力で、彼女の作った道に飛び込む事が出来た。
悲しいかな。つまり3位は運が良かっただけなのである。回りに乗せられて焦って走って、他の人よりちょっと早く我に返っただけ。そんな私に声をかけるとはどんな物好きか。
「ふー、お待たせしました」
やっと息が整ってきた私が顔を上げると、そこには予想外な人物が笑顔で立っていた。
「え? え?」
あまりにも理解不能な事態に私の頭はパニックだ。だってそうじゃないか。トレーナーと契約できればいいなぁとはもちろん思っていた。トレーナーとの2人3脚はウマレースを夢見るウマ娘達にとっては憧れだ。レジェンドと呼ばれるウマ娘達の背後には名トレーナーありき、これは常識である。
良いトレーナーに出会えればいいなと思っていた。反面そんなに都合の良い話なんてないとも思っていたわけで……
でもこれは予想外過ぎる。
なんでナイスネイチャの元トレーナーが私に声をかけているわけ!?
大当たりじゃないですか! 嘘嘘何で?
テンパる私に天啓が走る。この直感は間違いない。私はかの有名なトレーナーに対してビシっと横を指さした。
「えっと、ウマ娘違いじゃありません? 一位はあちらですよ?」
「君で間違いないよ」
「ほわーーーっつ!!!?」
これはきっと夢だ。私が望んだ都合のいい夢。そうに違いない。
……まあ現実だったわけだけども。
頬をつねってみても普通に痛いし、どれだけ位置を変えてみてもトレーナーの視線は自分に向く。逆立ちして水入りバケツに顔を突っ込んだら目が覚めるかもしれないと、バケツを探してみたが、レース場でそんなものあるわけもなく、私は現実を受け入れざるを得なかった。
ちなみにこの時の私の事を聞いてみたら、トレーナーは随分面白い子だなと思ったらしい。解せぬ。実績のある有名なトレーナーに声をかけられて舞い上がっちゃうのはしょうがない事だろうに。
そんなこんなで始まった私とトレーナーであったが、関係は良好で順調そのものであった。何せトレーナーにはあのナイスネイチャとやってきた実績があり、私にそれを疑うなんて考えはまったくない。あまりにも私と意見が食い違っているなら、反抗もありえたかもしれないが、逆になるほどと思わされる方が大半で、ベテランならではの豊富な知識は私にとって宝の山だ。
ちなみに私がなんでナイスネイチャの事を知っていたかというと、ファンだったからである。男の子なんか、子供の頃よくヒーローごっこして遊ぶものだけど、ウマ娘だってその例にもれず。レースで華々しく活躍するウマ娘は羨望の的だ。
残念ながらナイスネイチャにG1を勝利した経歴はない。それでも私にとって、ナイスネイチャは特別中の特別であった。
初めは親近感からであった。下町育ちのナイスネイチャの実家はスナックとの事で、お客さんと談笑する母の姿を見て育ったとの事らしい。それ故かおじちゃんおばちゃんに愛され、商店街のアイドルなような存在になっていたとか。
私も似たようなもので、実家がド田舎なせいか、地元の期待を一身に背負っている。ウマレースで速い子がいるなんて情報はすぐに広がるわけで。好きで走っていただけなのにいつしか私は地元のヒーローみたくなっていた。要するに商店街に愛されるナイスネイチャを自分に重ねちゃったのだ。
しかしながら速いと称されても、私としてはそれが所詮地方で強いというだけで、私自身井の中の蛙でしかない事を知っていた。それ故私は有頂天になるような事はなく、むしろ冷めていたように思う。上には上がいる。突き抜けた才能に勝てない、悔しさすら感じない圧倒的な差、そんな中央のレースを度々テレビで見てきたから。
そう、私は勝者じゃなくていつも敗者を見ていた。いつか自分に訪れるであろう未来として。自分はきっと中央に行っても、結局出戻りになるんだろうなぁと。
才能に恵まれていて、さらに人の縁もありと、そんな幸運にたどり着けるのは極わずかである事を私は知っていた。別に地元の期待が嫌なわけではないけれども、そう上手くはいかないぞと。
何とも現実的でひねくれた私であったが、そんな私を変えてくれたのがナイスネイチャであった。
両親がレース会場に連れて行ってくれた有馬記念、そこにはあのナイスネイチャも出走していた。結果は3位、3年連続同じ順位であった。皆が1位を褒め称える中、私はナイスネイチャの表情を見ていた。
なぜならその時の彼女の目には諦めが映っていたから。張り付いた笑み、己の悔しさを誤魔化すため、現実を見ないようにするための消極的な自画自賛、言うなればそれは心の折れた表情であった。無理もないと思った。スターという絶対的な壁、それに挑戦し続けるという事は、それだけ心をすり減らす事なのだ。
そう、これが現実。両親はきっと私に夢を持ってほしかったのだろうけど、私はむしろ限界を思い知らされた。これこそが私の未来。きっと私はG1の舞台に立てずに終わるであろう。
そしてナイスネイチャはもう戦いの舞台に立たないだろう。
でも次のレースでナイスネイチャは当たり前のようにいた。結果は惜敗の2位、最後の競り合いで負けての1バ身差であった。それからもナイスネイチャは出走し続け、その時代その時代のスターに打ちのめされ続けた。
私はそんなナイスネイチャに目が離せなくなっていた。どうして続けられるのか? 何がそこまで彼女を駆り立てるのか。そして私はとうとう目撃してしまったのだ。テレビで一瞬映ったナイスネイチャの顔を。
その時ナイスネイチャは一位の選手をじっと睨みつけるかのようにしていた。その後はすぐに笑顔になり、応援に来てくれていた商店街の人達へ感謝を告げていたが。あんな表情を浮かべていたのが嘘かのよう。
でも私は忘れない。
私はあの一瞬に心を奪われたんだ。ナイスネイチャの本気の表情に。
身近な存在は私にとってのヒーローとなった。
それからの私はナイスネイチャの出るレースを調べては、レース場に足を運ぶようになっていた。商店街のナイスネイチャ応援団の皆様と一緒になって声援を送った。彼女がレース場を去るその日まで。
ナイスネイチャのファンであるからにはその周りを調べるのも当然な事で、彼女を支えていたトレーナーを知っているのは当然だ。憧れの選手を育て上げたトレーナーに見出してもらえたのはすっごく嬉しかったが、その反面何故私が選ばれたのかは実に謎であった。
あの選抜レースで私は埋もれた側だったのだから。
とある日、トレーニングが終了した時に尋ねてみた事がある。どうして私を選んだのかと。返ってきた言葉は辛辣だった。
「走力は並み、スタミナも並み、スタートもちょっと出遅れ気味だったな」
グサッと刺さる事をさらりと言ってのけるトレーナーだが、事実なので何も言えない悲しみ。
「でも君は見る力がある。土壇場で君は作戦を切り替えたろ?」
「それはたまたまです。凄そうだなと見ていた子が偶然にも勝負を仕掛けてくれたので、私もそれに便乗しただけと言いますか」
そう、私のした事は作戦と呼べるほどでもないのだ。
「一位になった子はフィジカルの強さだけでなく、走り方も決めていて、しかも実践できちんと最後までやり遂げた。今の時点であそこまでできるなんて凄い子なんだろう。でも才能で言うなら君も負けてない」
「散々並みって言われたんですが……まあ自覚がありますけど」
「確かに今はすべてが劣っているかもしれない。でもね。幸い君には伸びしろがある。速さも、スタミナもまだまだ発展途上だ。ここはトレーナーである俺に任せてくれれば良い。それこそ限界まで引き延ばしてやるさ」
「……それはありがたい限りです」
一体どんなスパルタが待ち受けているのか、何せこのトレーナー、物腰が柔らかい癖にしごきがえぐい。戦々恐々とする私を知ってか知らずか、トレーナーは言葉を続ける。
「だけど心だけはそう簡単にはいかない。月並みではあるけれど負けん気こそが勝敗を分ける。そして君は諦めなかった。それはレースにとって一番必要な才能だよ」
トレーナーは言う。諦めない事が何よりの才能だと。でも私にとってそれは当たり前の事だ。
「だってネイチャさんは諦めなかったから!」
私の憧れの人はレースを捨てたりしない。
「ははは、君はそんなにネイチャが好きか?」
「もちろんです! ネイチャさんがいなかったら今の私はここにはいません!」
私の熱弁に心底愉快そうに笑うトレーナー。茶化されたようでちょっとカチンときた私であったが、トレーナーの次の言葉に固まってしまった。
「だそうだ、ネイチャ」
「はえ?」
何時からそこにいたのか、トレーナー室の外から遠慮がちに入ってきたのはどうにも私の憧れの人っぽく見える。
「ネイチャさん……のそっくりさん?」
だって彼女はもう引退したのだ。トレセン学園にいないはずの人がここに来るなんてあり得ない。となると残りの可能性はそっくりさんしかいない! そうじゃないと恥ずかしすぎる!! さっきの話聞かれていたって事でしょ? お願いです。そっくりさんであってください!!
一抹の望みをかけて私はネイチャさん?を見る。さあ、今すぐそのカツラを取ってどっきり大成功って言ってくれ!
「あっははははは……その、ネイチャさん本人です」
じーざす神はいなかったよ。
これはきっと夢だ。私が望んだ都合のいい夢。そうに違いない。
……まあ現実だったわけだけども。 PART2
てっきり引退後のネイチャさんは実家へ帰っていると思い込んでいた私であったが、実はトレセン学園近所に住んでいると聞いた時の驚きたるや。実家がスナックだった経験を活かし、近所で喫茶店をしているとの事で、トレセン学園に来ようと思えば10分程度で来れるらしい。
さらに言えばネイチャさんとG1を争ったトウカイテイオーも近くに住んでいるのだとか。凄いねこの町。
その後の私に待っていたのは、元ネイチャさんのトレーナーに指導してもらっているだけでも幸運なのに、ネイチャさんの店の休みの日には、ネイチャさんからも教えて貰えるという夢のような日々であった。
時には軽くではあるが合わせで走ってくれる事もあり、G1出走経験があるベテランの走りを生で体感できる興奮は一言で言うとパない。
全力で走れば流石に現役の私の方が速いのであるが、マークされた時の揺さぶりに私はどうしても対応しきれない。思いっきり重圧を掛けられる事があれば、存在を感じないほど無になる事もあり、終いにはその中間、つけられているのか、そうでないのか、ちぐはぐなプレッシャーに晒され続けて、まるで技のデパートといったネイチャさんに私はかかりまくりだ。
ネイチャさんとの特訓はとにかく内容が濃く、刺激的だった。もちろんトレーナーの指導だって抜群だ。きっと他の有名トレーナーの指導もこちらに劣らず凄いのだろう。でも元ネイチャトレーナーだからこその特権があったりする。それは……
「後輩ちゃん、頑張ってる? 待望のお昼の時間ですよ」
「待ってました!」
ネイチャさんのお手製弁当である。ここだけの話なのだがネイチャさん、トレーナーと婚約済みなのだ! 『レースではブロンズコレクターだったかもしれないけど、恋のダービーは一着だったんだぁ』と思いっきり惚気るネイチャさんだが、その花が咲くような微笑みは嫉妬する気も起きない。
あれだけ頑張った人なんだ。嫉妬するよりも報われて欲しいと思うのはファンとして当然である。それに二人が婚約しているからこそ私はその恩恵に預かれるわけで。
婚約しているという事は同棲も始めているわけで、基本トレーナーのお昼ご飯はネイチャさんの特製愛情弁当である。味よし、バランス良しの一級品だ。
初めこそプライベートに干渉しすぎるのは良くないと、ネイチャさんは遠慮していたらしいのだけど、私と初めて会ってから一週間くらい経った後だったろうか、私の寮暮らしの話になり、食生活の話となったのだ。そこでちょっとした問題が勃発したわけです。
実のところ、私はかなりの偏食で苦手なものが多く、バランスよい食事というものをビタミン剤で補うようにしていた。それをネイチャさんが許さなかったと。ネイチャさん曰く、ビタミン剤でも栄養は取れるけど、心の栄養にはならないとの事。
「美味しい」と感じる重要性を延々と説かれ、いつの間にかネイチャさんが私の食育をする話が決まっていましたとさ。こうして私は本来トレーナーだけに注がれるはずの愛情弁当を、ついでに食べられる権利を得たのである。
「今日はトマト入っているけど、火は通してあるから後輩ちゃんの苦手な青臭さは……ってそっこーで食べてるし」
「いや、ネイチャさんの料理美味しいし。もう心配するだけ無駄って分かってますから」
「ネイチャさんとしてはそう言ってもらえるの嬉しいわけだけど、早食いは健康に良くないからね。落ち着いて食べなよ。もちろんトレーナーも」
「うぐ、そこで俺に飛び火するか……」
「そりゃネイチャさんの将来の旦那様ですもの。長生きしてもらわないと困りますから」
思わず尊死しそうになりました。
まるで絵に描いたような世界。厳しいと思っていたウマレースの世界だけど、私は自分が思いうる限り最高の環境の中にあった。
ただそれでレースが勝てるかと言うのは全く別の話である。デビューは堂々の1位だったし、それからも何回か勝つ事は出来た。しかし重賞に出走するようになってから明らかに勝てなくなった。
別にドベとかそういう訳ではない。入賞は出来ている。2位という惜敗もあった。実力が劣っているとは思っていない。あれだけ濃厚な時間を過ごしてきたのだ。成長している実感はある。
なのに1位になれない。
どこかで壁にぶち当たる事は覚悟していた。しかし実際になってみると尋常じゃなく焦る。夜に思わず外に出て走りたくなる事も何度かあった。しかし競技者として一番気を付けなければならないのはオーバーワークだ。
ぎりぎりすんでの所で思いとどまり、かわりに眠れぬ夜を過ごした事が何度もあった。このままじゃいけない。何かしなければならないのに何をすればいいか分からない。そんな悩める私にネイチャさんは声をかけてくれた。
「お疲れのようだね」
「ネイチャさん……」
その時の私は酷い顔をしていたと思う。
「悩める後輩ちゃんにネイチャさんが勝てるようになる魔法を教えて進ぜよう」
「魔法、ですか?」
訓練とはほど遠いファンタジーな言葉に私は首をかしげる。するとネイチャさんは突然立ち上がり、高らかに叫んだ。
「アタシが一番! アタシがサイキョ―!!!」
「えっと……その、なんです?」
たとえネイチャさんが憧れの人であったとしても、この意味不明すぎる行動に「流石です!」って返せなかったのはしょうがないと思う。しかしネイチャさんは私の微妙な反応なんて諸共せず、満面の笑顔を見せた。
「もちろん魔法だよ。後輩ちゃんが勝つために必要な事。それはこうして叫ぶ事!」
「はあ……」
「冗談じゃないからね。アタシは本気。きっと後輩ちゃんはこう思っているはず。能力で劣っているわけじゃないはずだ。そしてそれはアタシもトレーナーも思っているよ。そんなやわな鍛え方をしたわけじゃないしね。断言しても良いよ。後輩ちゃんの実力はすでに勝てるレベルにあるって」
だったら私はこれから何をすればいいんだ!? 思わず叫びたくなるところを抑える。私が今すぐ答えを欲している事を理解してか、ネイチャさんは率直に言った。
「後輩ちゃんに足りないのは勝つ意識」
「そんなわけ!! 私はずっと勝ちたいと思ってます!!」
「うん、『思って』いる。だから負けたんだよ」
「え?」
「ちょっと……昔の話をしようか」
戸惑う私にネイチャさんは遠い目をしながら語り始めた。
「テイオーは何時だって言っていた。僕が勝つって。礼儀正しいお嬢様のマックイーンだってそう。勝負の際には何時だって私が勝ちますわと豪語して見せたよ。二人とも例え負けたとしても次こそは勝つと言い続けるのをやめなかった。アタシはずっと思っていた。一度でも勝てばきっとあの二人のようになれるって。自信を持てるって。でもね? 二人は別にG1を勝ったから言い始めたわけじゃない。それこそデビュー前から一位になるって回りが呆れるくらい言い続けていた。最初は何て怖いもの知らずなんだろうって思っていたよ。馬鹿なんじゃないかとすら思っていたかも。そしてこうも思っていた。勝ちたいと『思って』いるのはアタシだって一緒だって。でもね?」
瞬間、それまで淡々と語っていたネイチャさんの何かが変わった。私は、ネイチャさんのその変わりように思わず身構える。ネイチャさんの鋭い視線が私を射抜いた。逃げる事は許さないと言わんばかりに。
「『声にしてあげる』と『思っているだけ』は全然違うんだよ」
その言葉の重みに私はただ圧倒された。とてつもない存在感、『本物のアスリート』の持つ気迫は凄まじく、私は立ち尽くす。
「『声に出す』と言うのは行動した結果。自分だけでなくそれを聞いていた他人も知る事になる。行動すればそれだけ記憶に残るんだ。一方で『思っている』は本人の中でだけで完結している狭い世界に過ぎない。『思っている』は何も残さない。その思いがどれだけ強いものだろうとね」
普段はあまり見る事のない本気のネイチャさんの気迫は凄くて、今のネイチャさんは現役時代の鬼気迫る彼女そのものであった。
「後輩ちゃん、あえて言わせてもらうけど、アタシはきっと勝てたよ。アタシだってそんな柔な鍛え方はしていない。アタシだってトレーナーと死ぬ気で駆け抜けたんだ。同じか、それ以上の実力があったと思っている。でもそれは体だけの話。心は大きく引き離されていたってわけ。テイオーやマックイーンが勝利を口にする度、思うだけで口にしなかった私との差は開いていった」
ネイチャさんは言った。体を鍛えるのと同様に、心も鍛えなければならないのだと。中央であるトレセン学園には、才能ある選手はもちろんの事、優秀なトレーナーも沢山おり、それぞれ最高峰のトレーニングをしている。体を限界まで鍛える事はある意味最低限の努力なのだ。中央に来てさぼる奴なんて愚か者は早々いない。
だからこそ最後に勝敗を決めるのは心の強さなのである。
「後輩ちゃんは自分に自信がある?」
「それは……正直に言うとないです。だから勝って自信をつけようと……」
「順序が逆だよ。自分を信じられない者に勝利は絶対来ない。だから今から変えるの。自分自身を。後輩ちゃん、自信がなかろうと、半信半疑だろうと言い続けるんだよ。アタシがサイキョ―だって。いつかきっと、そんな何気ない行動の積み重ねが後輩ちゃんの力になる。後輩ちゃん、アタシのトレーナーとアタシに教えられているからには、あんたはナイスネイチャになるんじゃないよ。後輩ちゃん、あんたはナイスネイチャを超えるの」
「ネイチャさんを、超える……」
それは途方もない事であった。でも自分の口で言葉にした途端、何か心が燃え上がったような気がして、思わず握った手に力を籠める。
「今日は初めの一歩だよ。アタシが聞いてあげるから今ここで叫んでごらん」
「え、今からですか?」
「選抜レースの件、ネイチャさんトレーナーから聞いているんですよ? 負けん気で粘ったらしいじゃん? さっきだって勝ちたいと思っているって言っていたし。根っこの部分は持っているんだ。後はそれを外に表現するだけ。簡単でしょ?」
「簡単って言われましても」
「ああ、そうそう。これ、これから毎日やってもらうからね。朝、昼、晩に一回ずつ。しかもその内の一回は誰かに聞いてもらう事」
「え、そんな無茶な!?」
「ほらほら、今はまだ身内だから優しいよ? 今を逃したら後輩ちゃんの寮の友人あたりに聞いてもらう事になるかも?」
「そ、それもハードル高い!」
「だったら観念して今ここで叫んじゃいな。ほら、ほら」
「う、あ、ああああああああ、分かりました! やりますよ!! 私が一番! 私がサイキョ―!!! これでどうですか!!!」
しかしそこにはとんでもない罠が潜んでいた。
「よし、録音完了っと」
「え゛!? トレーナー」
「記念すべきサイキョ―宣言頂きました! じゃあ」
「ちょ、どこに行くんですか!?」
「もちろんライバルトレーナーに聞かせてくる! 今後はうちの子も強くなるから覚悟しろって!!」
「ぎゃー!! ちょ、やめてくださいって!!」
慌てて追おうとしても、がっちりとネイチャさんに掴まれた私に動く事は出来ない。そんな中、ピンク色のツインテールが通りすがった。オールラウンダーの変態(良い意味で)事、アグネスデジタルである。私は藁にも縋る思いで彼女に声をかけた。
「で、デジタルさんですよね!? お願いです。私のトレーナーを止めて……え?」
全てを告げる間もなく、彼女はサムズアップをし、後輩ウマ娘ちゃんを育てる先輩ウマ娘ちゃん、二人のやり取りが尊いと言い残し、天に召された。こうして私がトレーナーを阻止する事はかなわなかったのである。
とまあ、こんな紆余曲折があって私に新たな日課が増えたわけです。とりあえず朝一に姿見を見ながら叫び、夜寝る前にまた叫ぶ。問題は誰かに聞かせなきゃならないお昼だ。恥ずかしくて嫌だとは思ったけど不思議とやらないという選択肢はなかった。見てしまったから。
私は会えたんだ。あんなにも焦がれていた本気のネイチャさんに。私を変えてくれたあのヒーローに。そしてネイチャさんは言ってくれた。ナイスネイチャを超えろと。
「私が一番!」
「……?」
「サイキョ―ってよくツインターボさんが言っていたらしいです。アハハハハ」
最初は誤魔化しながらだった。授業中、どのようにうまく自然に流せるように一番と言えるか考えすぎて、先生に当てられた時に「はい、サイキョ―です!」と盛大に自爆してしまった事もあった。
「バクシンバクシンバクシンシン!!」
バクシンオーさんがトレセン学園に遊びに来た時はチャンスだ。彼女の暴走に合わせて一番一番と叫ぶ事ができる。一発芸として、プロレスの指一本立てるアピールの物まねとかもやってみたっけ。
よくもこれほどまで無駄に知恵が回ったと思う。それでも効果としてはあったようで。ふと友人と会話をしていた際、『次のレースはどうなりそう?』と聞かれたのだけど、
「私、勝つよ」
私は自然とそう返していた。考えるわけでもなく無意識から出た言葉だった。
「わぁ……」
「あ、その。ごめん生意気だったかな?」
「そんな事ない! 今の君すっごくカッコよかった」
「そ、そう?」
「絶対応援行くから頑張ってね!」
その翌日のレース、長く勝利から遠ざかっていた私は初の重賞を勝利した。壁を一つ抜けた感はあったけど、喜び切れなかったのはライバルが軒並み不在であった事だ。そのレースではよくても同等、後は格下しかおらず、格上がいなかった。
「私は変われたのかな?」
一人ベッドで自問自答しても答えは出ない。目をつぶっても寝る事が出来なかった私はカレンダーを手に取る。来月に印がついているその日、私は初めてのG1を迎える。今回勝利した事により、ぎりぎり滑り込めたレースであった。
本当の結果はこのレースで出るのだろう。私はそう予感していた。
何せ一番人気は選抜レースでぼろ負けした一位のあの子だ。あの子と走るのは選抜レース以来となる。あの子は連戦連勝でずっとスターの道を歩んできていた。私と彼女との差は埋まったのかそうでないのか。
「私は一番、私は一番」
私は同じ言葉をただただ繰り返す。一番一番と寝落ちするまで続けていた。
それからも私はトレーナーから課せられたトレーニングを続け、ネイチャさんの弁当を食べ、ネイチャさんの言いつけを守り続けた。もう出来る事はすべてやったと思う。後は座して待ち、レースで全てを発揮する。そのはずだったのだが……
「は、吐きそう」
試合当日の私のコンディションは最悪であった。緊張しすぎて前日は満足に眠れず、今日は朝から疲労を感じている始末。当日になったら吹っ切れるにワンチャンかけていたが、緊張状態はなおも継続中。
「今日はよろしくね」
一方で一番人気のあの子は流石に舞台慣れしているだけある。すでにG1一つとっているのは伊達じゃなかった。爽やかに挨拶された私であったが、こっちは笑顔どころか手を挙げて返すのが精一杯であった。
気を落ち着けようにもすでにレース場内にいるため、トレーナーとネイチャさんには会えないし、自分一人でどうにかできるのならとっくにやってる。
そんな最悪の私がゲートインしたらどうなるか?
その答えは出遅れである。あの子に近い中盤を狙っていたはずに最後尾になってしまった。もう頭が真っ白になってしまい、事前にトレーナーと考えていた作戦は全部飛んでしまった。ペース配分だって正しいかどうかわからない。ただ無策でついていっているだけなのだ。
あまりにも酷いレースで情けなくなる。いくらなんでもこれはない。あれだけ繰り返したのに。心も強くなったはずなのに。
私が一番、私はサイキョ―
どうして私はここにいる? 一番を取るって言ったじゃないか。
私が一番、私はサイキョー
あの気持ちは嘘だったのか? そんなわけない! 恥ずかしかったのは確かだけど、一位を取りたいのは本当だ。だから恥ずかしくても続けた。繰り返した。
私が一番、私はサイキョー
これが一位になれるレースか? チキンハートで本気すら出せない愚か者がサイキョ―か? マークするはずのあの子はもう遠くに行ってしまった。一位を取るって言っておいて私は何をしている? 私はサイキョ―なんだろ?
私が一番、私はサイキョ―
サイキョ―がこんな場所にいていいわけないだろ。サイキョ―なら一位も当然、サイキョ―ならどんなに苦境に落ちいったって負けはしない。サイキョ―なら、サイキョ―なら、
サイキョ―なら!!!!!
『覚えておけよ、お前はサイキョ―だ!! 俺とネイチャが言うんだから間違いない!』
トレーナー……
『あんたこそサイキョ―、今こそナイスネイチャを超えるんだよ!!』
ネイチャさん……
ふと脳裏に鏡の前にいる自分の姿がよぎった。毎朝の日課となったそれ、初めは半信半疑で、慣れてきてもちょっと恥ずかしく、その先は堂々と当たり前であるかのように。
うん、私は変わった。そう断言出来た瞬間、
何かカチリと音がした。
私が一番、私はサイキョ―
そんなの当たり前でしょ? 私が一番その言葉を言ったんだから。積み重ねが力になるのなら一番言った奴が勝つに決まってんじゃん!
そうだよ。私はサイキョ―だ! サイキョ―ならここから余裕でぶっちぎる! セオリーなんていらない! 作戦なんて不要! だってサイキョーだもん。サイキョ―に常識が通じると思うな!! 私は、私は!!!
内から溢れだす激情を放出するかのように咆哮する。
「私はサイキョ―だ!!!!!!!!!!」
「そこをどけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!」
私は常識破りの中盤に差し掛かる前からのスパートをかける。どうせ作戦はとうに崩れている。出遅れの事を考えると、その後予定通りに走ったって良くて入賞が関の山。前であれば色々できるが後ろから出来る事は何もない。あの子以外にちょっかいをかけてどうするというのか。
だったら今ここで私が限界を超えるしかないだろ!!
私は一人、また一人と抜いていく。途中抜いていった子の困惑した表情が見えた。それがあんたの敗因だ。私がかかったと思ったのだろう? スタミナ続かないと思ったのだろう? でもそのまま行ったらどうしようとも思った。自分の直観を信じなかった。だから何もしなかった!
そんな奴に私は追いつかれたりしない! 私は宣言したぞ? この大舞台で。私はサイキョ―だと。今から一位を取りに行くぞと。私は嘘つきが嫌いだ。私は何が何でも自分が言った事に責任を取る!
回りが私をどう扱っていいか分からなくなり、困惑している中、一番人気のあの子だけは違った。私が彼女の背後に近づいた時、彼女もギアをあげたのだ。自分の直感を疑わず、真っ先に対応してくる。これがG1ウマ娘か!
「ここは絶対に抜かせない!!!」
本来ここで私は彼女の後ろにつくべきだったのだろう。無論その理由はスリップストリームだ。風の抵抗を前の人に受けさせ、勝負所まで体力を温存できる。でも私はそれをしなかった。
技術で勝負する場はもうとっくに終わっている。それこそ私がスタートに失敗した時から。今更技に頼るなんてしない。そんな小細工であいつに勝てるわけがない。実力でねじ伏せる。すべては真っ向勝負!! 後ろにつかず抜きに入る姿勢の私を見てあの子が不敵に笑う。
「上等!! やれるもんならやってみろ!!!!」
王者の風格とでも言うのだろうか? 彼女の言葉には他にはない強さがあったが、私はびくともしなかった。
「あんたは私に勝てないさ! だって私はサイキョ―だからな!!」
だってそうなんだ。何せサイキョ―と言う度に私のパフォーマンスが上がる。積み重ねれば積み重ねるほど強くなる。私は、今ここで勝ちたいんだ!
第3コーナーを回り、最後の直線で私達二人は抜け出した。逃げの子も刺し切って二人だけの勝負となる。その差は一バ身。これがあの子との、一位の壁。
私は絶対に勝ちたい!! 私は正真正銘100%勝ちたいと思っている。だから!!!
「んなくそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
「抜かせるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
私はひたすらに彼女の背を追い続ける。
残り2ハロン、
残り1ハロン、
まだ彼女は落ちない。それでも私は己の心の中で叫んだ。
私が一番、私はサイキョ―、と。
次の瞬間、
私は確かに彼女を抜いていた。
息が途切れ途切れで電光掲示板を見る余裕なんてなかった。ゆっくり歩きながら息を整える。止まってしまえばそのまま倒れてしまいそうであった。体が重くて顔すら上げられない。私は彼女を抜いた。それは間違いない。でもそれがゴール前なのか過ぎた後なのか。答えを知るのが怖い。ここまでしたのに負けていたらどうしようと震える。
早く掲示板を見たいのに呼吸は全然整わなかった。その矢先の事である。
「おめでとう」
頭の上から声がかかった。さっきまで競り合っていたあの子であった。やっとの事で私は顔を上げ、彼女に問いかける。
「私、勝った……の?」
「うん、君の勝ち。電光掲示板を見てごらん」
言われるがまま、私は掲示板へと視線を向けるとそこには私の番号が一着とでかでかと記されていた。ハナ差の勝利であった。
「あ……勝った。勝ったんだ!! うわっと」
勝利を確認した瞬間、気が抜けて私はへたり込んでしまう。
「ちょっと大丈夫?」
「ハハ、ちょっと気が抜けちゃって」
尻もちをついた後、私は立ち上がる事が出来なくて乾いた笑いを浮かべる。
「怪我とかじゃないよね?」
「うん、痛みとかはないし。ただ疲れすぎちゃっただけだと思う」
間違いなくオーバーワークであった。体って限界まで使い切るとこんな事になるのか。
「なんか納得しちゃった。こりゃ負ける訳よね。最後は自分自身って言うけど、そんなになってまで勝ちたいって思われちゃあね。慢心したつもりはないけれど、足りないって思わされちゃった」
淡々と分析をする彼女に対して私はどう答えていいか分からなくなる。流石にここで『だってサイキョ―だし』とは言えなかった。変に私の切り札を真似されても困る。そんなこんなで私が悩んでいると、突然彼女は私を指さした。
「でも次は負けないからね。私は負けず嫌いなの。次はあんた以上の気迫で勝ってやるから。首を洗って待ってなさい」
それに対し私は、
「絶対負けてあげない」
笑ってそう返したのであった。一瞬呆気にとられた彼女であったが、それでこそと言い、笑って立ち去って行った。
彼女と入れ替わるようにして、トレーナー専用の特別席にいたトレーナーとネイチャさんが駆け寄ってくる。二人から思いっきり抱きしめられ、あ、これやばいと思っていたら、さらには私の両親までもが乱入してくる始末。
トレーナーの配慮で私には秘密裏に招待されていたようで、抗う力も残っていない私は4人にもみくちゃにされるのであった。
無事ウィニングライブを終え、へとへとになりながら帰路についた私であったが、感慨に浸るような事もなく、即ベットで爆睡してしまった。
勝った事を考えられるようになったのは翌日になってからであった。嬉しいというよりかは、実感が沸かないというのが最初の感想。勝利を実感させてくれるのは筋肉痛という愉快な状況で、私はベッドの上でごろごろしていた。今日は流石にトレーニングはお休みである。かなり体を酷使したため簡単な体調チェックなどはあるが、ほとんどフリーだ。疲労も簡単には抜けきらず、ぼーっとして過ごしていたが、夜だけは別だ。
食事もできるネイチャさんのカフェで祝勝会をやるのだ。ネイチャさんの料理は美味しいのですっごく楽しみである。でも私には一つだけ気がかりな事があった。
もやもやを抱えていた私は予定よりも早く寮を出てしまい、待ち合わせ時間から3時間も早くネイチャさんのお店に到着してしまった。きっと私は話したかったんだと思う。ネイチャさんと二人きりで。
そしてそれはネイチャさんもそうだったのかもしれない。私がカフェの入口まで着いた時、ネイチャさんはカフェの前で掃き掃除をしていた。何かきっかりかみ合った気がして私はネイチャさんに声をかける。
「ネイチャさん」
「おや、後輩ちゃん。随分と早く来たね。楽しみで我慢できなかったのかい?」
「それもありますけど、その……」
私はG1を勝利してナイスネイチャが成し遂げられなかった事を達成した。ネイチャさんがナイスネイチャを超えろと言った張本人ではあるけど、実際どう思っているのだろうか? それが気になってしょうがなかったのである。
私が勝てたのはネイチャさんとトレーナーのおかげだ。でもその勝利は二人の苦い敗北から来ている。二人のおかげで私は夢を持つ事が出来、本気で勝ちたいと思えたからこそ、私は思った。誰でもないネイチャさんこそ勝ちたかったはずなのではと。
だからといって私が何かできるわけではないのだけれど、どこかで折り合いをつけたい自分もいるわけで。これから二人と一緒に走り続けるためにも。私のそんな思いを知ってか、先に言葉を発したのはネイチャさんだった。
「悔しくないと言えば嘘になるよ」
「え?」
「アタシが勝てない理由に気づいたのは、全盛期も過ぎて徐々に衰え始めた時だった。だからもし後半年早ければと考えた事は何度もあったね。もしそうであったらアタシもG1に勝てたかもしれない」
きっとそうであろう。あの時のネイチャさんを知っていた私には断言できる。
「でも勝利だけが人生じゃない。負けた後も続くんだ。アタシはG1に勝てなかったけど、負けた後のこの世界が気に入ってる。勝てなかったからこそトレーナーの苦悩に寄り添えたし、こうして支える側に立つ事が出来た。そして後輩ちゃんに会う事も出来た」
「わ、私ですか?」
「アタシに憧れるなんて変わった子もいたもんだと思ったけど、あそこまで真っすぐな思いをぶつけられると嬉しくてね」
あのトレーナーの騙し打ちの時か。あれはずるいと思う。嬉しかったのは嬉しかったけど。
「一つ聞くけどさ? もしアタシがG1に勝っていたら後輩ちゃんはウマレースの世界に来てた?」
とても難しい質問であった。私が憧れたネイチャさんは勝利の栄光を得たネイチャさんじゃなくて、勝利を諦めなかったネイチャさんなのだから。
「……それは、分からないです」
失礼な話かもしれないけれど、もしネイチャさんが勝っていたのだとしたら、私はネイチャさんを才能ある者として敬遠していたかもしれない。私にかかる期待の大きさに負けて、ウマレースの世界から逃げ出していた可能性すらある。
「つまりはそういう事さ。だから後輩ちゃんが後ろめたく思う必要はないよ。考えてごらん? 後輩ちゃんが引退したとして、あなたのレースを見てウマレースの世界を目指しましたって言われたら」
「それは……」
「アタシはG1を取るよりも栄誉な事だと思ったよ。自分の走りをここまで真剣に見てくれる人がいた。ましてやその子が後輩になり、私の夢の続きを見せてくれた。これのどこに不満があるのさ。最高だよ」
「ネイチャさん……」
「だから堂々と胸を張りな。あんたはただ真っすぐに進めばいい」
私は力強く頷く。
「しかしどうするかね。掃除が終わったら今日の祝勝会の買い出しに行く予定だったんだけど……」
「わ、私手伝います!」
「いや、後輩ちゃんは主賓でしょうに」
「良いんです。変に特別扱いされる方が疲れるし。何かしていないと落ち着かないというか」
「勝ったってのに謙虚な事で。まあ良いか。じゃあ荷物運びだけ手伝ってもらおうかな? その後はカフェでゆっくりしてな。お礼は弾むよ」
「お、お礼は良いですから」
「大丈夫、お金とかじゃないから。ただテイオーとマックイーンが来るだけ」
「ほわーーーーっつ!!?」
「今から何聞くか考えておくんだね。レジェンド二人に話を聞けるチャンスだよ」
「わ、分かりました! え、えーと……」
こうして私とネイチャさんは喫茶店を後にした。
まだまだ夢の道は続く。しかしこれからも順風満帆とはいかないだろう。私が勝ったレースはタイムとしてはあまり良くなかった。あれは気力だけで場を荒らしたにすぎない。技量なんて関係ないと言い放ったが、それはそもそも技量の及ばないところまで追い込まれてしまったからだ。本来ならもっとスマートにいかなければならなかった。
私と競ったあの子はさらに強くなるだろう。敗北を知った時、初めて真の意味で勝利への渇望が生まれるのだから。一回りも二回りも成長してくるはずだ。
一方で私はこの勝利がまぐれではないと証明しなければならない。やるべき事はまだまだ沢山ある。でもとりあえずは一つだけ決まっている事がある。今までもこれからも続けようと決めた例のあれだ。
私は己を変えた魔法の言葉を呟いた。
私が一番、私がサイキョ―!
祝勝会の後、トレーナーに泣きつかれて慌てるネイチャさんが見れます。トレーナーは勝って嬉しいのと、ネイチャを勝たせてやれなかった後悔、でもこうして今一緒にモブウマ娘を育てている喜び、感情がぐっちゃぐちゃになって幼児退行気味で、ネイチャのお腹に顔を埋めている感じ。そんなトレーナーの頭を撫でながら、今ある幸せを実感するネイチャさんの図。
これがエモいと思ったらあなたも仲間だ! ネイチャさん、良いですよね。
ネイチャさんに甘えるイラストは下記のリンクからどうぞ。
https://www.pixiv.net/artworks/101028973