黄昏の精霊たち   作:松谷若草色

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一章 力の目覚め
1-1 船でのこと


 リヴァレットは船べりのざらついた木製の手すりに身体をもたせかけていた。頭頂部にまとめてある黒い髪が、強い風にあおられてほつれていくのに任せて、さっきからじっと海を眺めている。ぬるいとも冷たいともつかない潮風が、彼女の耳に下がった紫色の石を際限なく揺らしていた。

 紺碧の空と、それと同じような色合いの海の境界線のあたりに目を凝らしてみる。いかにも見分けがつかない妙に心惹かれて、リヴァレットは先ほどから飽くことなく水平線のほうを眺めていた。

 

 船が波をけたたてて生まれる白波の()()は、一体どこから青一色になってしまうのだろうか――

 

 こんな益体のないことを考えている時、かえってもっとも生産的でいられる気がする。そうしているうちに、水平線のはてに違和感のある色を見つけて目を凝らした。

 数日ぶりに陸地――ラトランド大公国領だ。

 おそらくは。

 お母さんがいたらなんて言ったかな。

 

 リヴァレットは自分の母親がここにいたらと想像してみる。白銀の髪を風になびかせながら目を輝かせてはしゃぐだろう、きっと。

 

  ――見て、すごいなリヴァレット。ひとつに見えてた海と空の()()()があそこなんだー―

 

 素直で可愛らしい母が、物珍しがってはしゃぐのが目に浮かぶようだった。

 母は森の民<アルブ>。

 森の民と言っても、里が海にほど近かったのもあり、海にまったく縁がなかったわけじゃないらしい。潜りもすれば釣りもした、といっていた。それでも大きな船には乗ったことはないらしい。

 だから今リヴァレットが経験している船上生活の、一日中揺れが絶えない感覚や、潮騒に包まれて過ごす生活はきっと未体験なんだろう。

 

 

 海の青、空の青、雲の白、波の白……

 

 

 じっと眺めていると、自分の中が空っぽであるような気持になる。

 訪れたことのない母の故郷に意識がとんでいく。そこはアルブの里と呼ばれるらしい。北方大陸の大森林の最奥、秘境中の秘境。

 母が言うには。

 魔晶石を動力源にして動く乗り物があり、住人が当たり前のように魔術を使って暮らしている。

 世界中から孤立してひっそりと暮らしているのかと思いきや、案外南方大陸とひっそり交易をしていたりする。お母さんも香辛料や調味料に詳しかった。

 そして、ラトランドの交易船といさかいになったことがきっかけで、お母さんは森を出てお父さんと出会った。自分が生まれる前の話なんて実感はわかない。けれどただ、漠然と世界のはじっこでどんなにつましく暮らしていたとしても、いずれは誰かに見つけられてしまい、場合によっては()()()のだ、ということは分かった。

 その時は、母も戦ったと言っていた。

 なんというか――あの無邪気なお母さんが、雷の精霊の化身となって戦うところなど想像もつかない。

 お母さんがお父さんと出会う前、昔の話。

 その血が自分にも半分流れていると思うたび、妙に頼もしいような……

 

 そんなことを考えていると、急に真横で声がした。

 「(おか)が恋しい?」

 ビクリと身をひいて、あわてて声の主を確認する。

 「ごめん、おどろかせた? 君、ずっと海を見てるから」

 そばに男の子がいた。全然気がつかなかった。

 リヴァレットが想像以上に驚いたせいか、きまり悪そうな表情でこちらを見ている。

 「別に…… 恋しくて見てたんじゃない、よ」

 警戒しながらも、そうと悟られないよう返事をしておく。けれどあまり自信はない。

 「そう? そうか――」

 返事をした男の子を改めて見る。年のころはリヴァレットと同じくらい。こげ茶色の髪が(自分と同様に)潮風にまかれている。大きな手、そして鳶色の瞳が印象的だった。

 「どこからきたの?」

 やけに親し気で言い方をかえれば馴れなれしい。リヴァレットの髪の色をみて興味をひかれているのかもしれない。リヴァレットの黒い髪の毛は父譲りで、あまり見かけない。

  「北方大陸(ノーザンメイア)」端的にそうこたえると、彼はリヴァレットから視線を外してはにかむ。

 「北方か。……北方はいいところ?」

 なんとなく距離感をはかりかねながら、リヴァレットは考えてみる。

 タリオがいいところか? 自分が気に入っているか?

 まず父がうかんだ。そして母。村のみんながいて……食べ物、美しい夕日、川のせせらぎがよぎる。よそで自分の故郷について説明するのは初めての経験だ。

 「……うん、そう…… いいところ。わたしは気に入ってる」

 変な会話だと思いながら、そうこたえる。

 そんなリヴァレットの様子を、彼はまるでいつくしむかの様に見ていた。

 「そうか」

 まるでタリオの村人のような距離感だと感じた。よそでこの気さくな雰囲気にに遭遇すると、案外警戒してしまうものなんだなと考えながらリヴァレットも聞いてみた。

 「あなたはどこからきたの」

 不意に彼は口をつぐんだ。

 リヴァレットは質問を返しただけ。何もおかしな点はないはずだ。聞いてきたくせに自分は聞かれたくないのか。

 視線を外してふたたび目をほそめて水平線をにらんだ。

 もうもうと駆け抜ける潮風が、二人のあいだにながれる沈黙を浮き彫りにしている。

 

 「遠くだよ、でもずっとここにいた」

 

 彼の声は、まるで自分のこたえを聞かれたくないかのような囁きだった。なのに耳元でささやかれたかのように、リヴァレットにははっきりと彼の声が聞こえた。

 思わず聞き返す。

 「どういうこと?」

 「ああ、いや」と彼は慌てた様子でこたえていった「ごめん、こっちのこと。……俺は、来たというよりも帰り。コーネリアからラトランドに帰るところなんだ」

 彼の返事に対してふうん、とリヴァレットは返事をした。

 また沈黙。

 空を見あげると海鳥が一羽、天高く舞っているのが目に入った。

 「――君、ファンが目的地なの?」彼がおもむろに船の行き先を口にした。

 「そう…… 大学にいくの」

 「ペトロス大学?」

 「その大学」

 こたえると、男の子はにっこりと笑った。

 「なら、また会うことになる」

 「生徒なの?」

 「そんなところかな」

 にこにこと親し気に笑ってそう言ってから「じゃあ、また」と残してあっさりと甲板の方に行ってしまった。

 

 不思議な余韻があった。

 

  

 気を取り直して、これから始まる新生活のことに想いを馳せる。

 新しい環境に、新しい人間関係。きっとタリオの生活とは全然違うんだ。不安になりそうなものだが、そういう感情が微塵もない。

 そのことについて考えていた。

 ラトランドはかつて父がいた国だ。

 そしてこれから学ぶ大学の学長が、異母兄だと聞かされている。

 異郷であっても、そうした妙なゆかりがあると思うからこそ、不安がないのかもしれない。生まれてからずっと父の庭で過ごしているような安心感がある。

 なにより同郷のシャーロットも一緒だと思うと、不安どころか胸が弾む思いだった。

 まあ、当のシャーロットはここ数日、頼もしいとはいいがたい感じになっているが……

 

 船から見えるラトランドは、晴れあがっていて美しかった。真っ白な雲と、それに溶け込むかのような真っ白な建物。海岸線には、緑色の木々…… それに混ざって白い建物の集落が所々に見える。

 自分の黒い髪の毛が潮風に遊ばれるのをぼんやりと眺めながら考え事をしていると、背後の扉がギイときしんだ音を立てた。

 「あ、お父さん」

 身を縮こまらせて扉から出てきたノアが、まるで羽を伸ばすように背筋をのばしていた。

 「お前、海好きなんだな」

 父の言う通り。確かに船に乗ってからというもの、こうして海を眺めていることが多い。

 「うん――あのね、陸地が見えた」

 「んん? ああ、本当だ。そろそろつくな」

 ノアは目をほそめてリヴァレットの指す方を見た。娘の言う通り、かなたに陸地が見える。

 「シャーロット、どう?」

 リヴァレットは無表情でノアにたずねた。

 「まあ、ダメだな」

 「シャーロットって水軍の指揮とか執らなきゃいけなくなるかもなんだよね、将来」

 彼女はポートエリン家の一粒種だ。つまりノーザンメイア伯を襲名する可能性があるということであり、そうした場合はポートエリン水軍を率いる、ということをも意味する。

 「大丈夫かな」船酔いなんてしてて、という部分をリヴァレットは呑み込んだ。

 ノアは言葉を慎重に選んだ。

 「……シャーロットはあれでいて、根気強いところがある」

 

 ノアは落ち付きはらった娘の態度をみて、エレオノールも十代の頃はこうだったのだろうか、と考えていた。ころころと表情を変える母とは似ても似つかぬ落ち付きはらった態度である。

 それか、俺に似たのかな――

 エドは妹をみてどんな顔をするだろうか。ノアの胸中は複雑だった

 

 それぞれの想いを胸に、親子は並んで海を眺めていた。

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