ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
リキア滞在の最終日、彼女はロイから彼だけのとっておきの場所へと誘われる。
連れて行ってもらった先で、シャニーはロイの一言からついに零す。ずっと心に残ったままの傷を。
ロイは驚くそぶりも見せず、彼女の背に手を添えて呼びかけた────君の力になりたい。
────お願い! あとちょっとだけ……あと三日……あと一日だけ、ね? お願い!!
最初は一日だけの滞在予定だったフェレ。だけどもう、ここにいるのが普通になってしまって離れられない。ロイが誘ってくれた一週間を過ぎても、その都度延ばしてもらった。
まだ月末まで二週間もある!
大丈夫まだ一週間あるよ!
あと三日……。
そして──
────12月27日 AM8:30 リキア フェレ城
いよいよこの日が来てしまった。明日にはイリアに向けて出発しないと、一月からの登城に向けた準備が間に合わない。
ロイと待ち合わせているエントランスに向かう途中、シャニーは帰国後の事が頭によぎり、首を何度も振ってそれを払い落した。
(今日が最後なんだ……)
それでも、どうしても考えてしまう。あの顔が、あの声も、あの温もりが……。
もう明日からは“天馬騎士のシャニー”だ。夢から覚めてしまう……。なら──ぐっと両手を胸元で握る。
(今日は今日しか出来ない事だけをやろう。まだまだ、ロイとお喋りしたい事、いっぱいあるんだから!)
渡り廊下の窓から広がるフェレの町を眺める。この景色をゆっくり見下ろせるのも、今日が最後。二週間あったはずなのに、まだ三日くらいしか経っていない気がする。けれど、イリアの天馬騎士に戻る時は刻一刻と近づいている。
今は、ただのシャニーで居られる大事な時間。一つ深呼吸すると駆け出した。
「ローイ! おっはよー!」
今日は先にロイが待っていた。手を振りながら彼の許へ駆けていく。声に気づいた彼は軽く手を振ると、迎え入れるようにじっとこちらを見つめてくる。
「おはよ、どうしたの?」
もう肩がぶつかりそうなくらい目の前まで来たのに、まだ彼はじっと見つめてくる。
何か着方が変だっただろうか。最初は仰天して断ったが、リキア土産と言ってプレゼントしてくれた服。今日はせっかくだからと気合を入れてそれを着てきたのだが似合わなかったのか。
「太陽が眩しいなって。うん、おはよう。今日も笑顔がいいね」
朝陽と共に駆けてきた笑顔は眩しかった。ただでさえ眩しいのに、その両方が一気に駆けてくるなんてロイには卑怯にすら映った。
もう形容する言葉が見つからない。これ以上を見せられたら、どうやって彼女を誉めてあげればいいだろうか。今も既に、目の前には今までで一番のはしゃいだ笑顔がある。この顔を見られるのも明日で最後……そう思うと苦しい。
「えへへ。たくさん笑うと自分も楽しいしね」
褒められてシャニーは心が躍り、そのまま体までくるりと一回転してワクワクを止められない。
嬉しくて仕方ない弾ける笑顔は、無意識の内にロイの手を取って歩き出していた。今日はあの町のどこへ行こうか。
「よく食べて、よく寝て、よく笑うって以前教えてくれたね」
「あれ、よく覚えてるね。いつ言ったっけ。それ」
「シャニーに元気の秘訣を聞いた時、教えてもらったよ。ぼくも出来る限りやっているんだ」
「うんうん、いいと思う!」
ロイが口にした信条はシャニーのもの。彼女は歩き出してすぐに笑顔が一瞬驚きに変わった。そう言えば初めてお喋りをした時に言ったことを思い出し、あっと笑いが零れた。
ロイは何でもよく覚えている。自分は壊れた蓄音機と言われるくらいで、喋ったことを忘れている事も茶飯事なのに。何を見るにも、都度ロイは凄いと思えてしまう。
「シャニー、ちょっとワガママを聞いてくれないか?」
ぼうっと彼を見上げながら歩いていたら、厩舎へ向かう曲道のところで引いていた手を引き込まれた。
「わがまま? うん、いーよ! なになに?」
「今日はぼくだけのとっておきの場所に連れていくよ。街じゃないんだけど、いいかい?」
とっておきの場所……それを聞いてまた胸が弾んだ。彼の特別な場所。他の人は知らない場所。
どこへ行こうとも彼と一緒なら楽しい。日程を十日以上伸ばしても、それでも足りないくらい。その彼に、誰にも踏み入れさせないはずの秘密へ連れて行ってもらえるのなら、断る理由なんて何があるだろう。元気よく手を挙げる。
「もちろん! すっごい楽しみ。じゃあ、あたしの天馬で行く?」
ゆっくりと空へ舞い上がろうと一度は天馬に指示したが、イイ事を思いついてしまった。
ニシっと笑うともう一度指示を与えて急加速。いくら今まで何度もシャニーと天馬に乗って来たロイでも、ティトが見たら説教すること間違い無しなこの飛び方を驚かないわけがないはず。
「わぁ?! シャニー、もうちょっとゆっくり飛んでくれ!」
「へへへっ! ちゃんと掴まって無いと落っこちちゃうよ~!」
落馬しそうになってしがみついてくるロイにしてやったりの笑みを見せ、そのままトップスピードで駆け抜けていく。彼には悪いが、温もりを独り占めに出来るのは今日だけなのだ。
「東の方に……って、シャニー、そっちは西だろ?」
「あっ、ごめんごめん。リキアは慣れてなくてさー」
後ろから飛んでくる指示を適度に間違えながら目的地を目指す。でも、
◆◆
「ここだよ。何か考え事をするときはここに来てフェレを眺めるんだ」
「わぁ~……」
天馬を下した先に広がっていた光景にぱっと笑顔が広がる。感動に言葉もなく、開いたままの口角がどんどん上向いていく。
彼が連れて来てくれたのは、フェレを一望できる高い丘。
「どうだい? いい場所だろ?」
「素敵……。うん、心が落ち着くよ」
心地よい風に草がそよぐその場所には何も無い。何も無いからこそ風を感じ、広がる景色に心が洗われるようだ。そして何より……何の邪魔もなく隣の彼だけが映る。
草原へ一緒に座り、しばらくぼうっとフェレの街並みを眺める。透き通った青空の下、白の壁に赤やオレンジ……イリアには無い明るい色合いの屋根が街を彩り、見ているだけで気持ちが華やぐ。
「リキアはいいところだなぁ。暖かいし、明るいし。みんな優しいし、ロイもいるし……」
思わず零れた。イリアが求めているものが、このリキアには全てある気がする。あまりにも眩しい光の世界とさえ映った。以前に姉もリキアの繁栄を羨んでいたが、自分の目で見つめてみてその意味がはっきりと分かる。
どうしたら、イリアをこんな光溢れる世界に変える事が出来るのだろうか。たった一人の命を守るために、ここまで心をすり減らしているのに。
「気に入ったなら、いつまでもいてくれていいよ」
ふいにかけられた言葉に思わず振り向いて瞳が震える。動乱の終結を前にした時にもかけられたこの言葉。これだけはしっかりと覚えているし、今ならその意味は分かっているつもりだ。
(あたし……ロイの傍に居たい。支えてあげたいな……)
心を引き寄せられたような気がする。このまま……。
だが、静かな笑みを浮かべると小さく首を横に振った。“もう一人の自分”は決してこの気持ちのまま生きることを許してはくれなかった。
「そうしたいところだけど、みんな待ってるから。今あたしがここにいるのも、ホントは罰を受けてだしね」
今この瞬間も民は吹雪に震え、仲間は騎士団内の厳しい目に耐えながら仕事をしているのに、自分だけ抜け出して光の世界で遊んでいる。
もし、もし万が一この世界にいることを許されるとしても、それは誓いを果たしてから。そう決めた。何か、何かこれだけは自分が残した軌跡なのだと胸を張って言えるものをイリアに残したら、その時は。それがいつになるのか……いや、必ず果たすと誓って。
その誓いを静かにロイは頷いてくれた。しばらく言葉もなく町を二人で見下ろす。
「あたしがリキアに生まれてたら、どんな女の子になってたのかな……」
独り言のように漏れた言葉。
よくイリアと他地域の女性は比較される。イリア以外の国で女性が戦場に立つことは、それだけで語り草になるくらいのこと。
今まではイリアの普通に染まって生きてきたが、ふいに気になった。なのに、横から聞こえてくるのは笑い声。
「シャニーはどこで生まれていても変わらないと思うよ」
振り向けばいたずら好きな笑顔がこちらを見つめていた。こんな顔もできるのかと驚いたが、お返しに「もう!」と頬を膨らせて睨むように見上げてみる。
「あーっ、またそういうロマンのない事言う!」
「他意はないって。どこで周りを笑顔にしてるかだけだよ、きっと」
膨れっ面を近づけたら鼻を突かれた。くすぐったくて思わず笑いながら彼の手をはたく。
彼が言うならきっとそうなのだろう。自分は自分──周りがなんと言おうとも、どこで生きていようとも、自分の精一杯で大事な人たちに笑ってもらいたい。その気持ちは変わらないのかもしれない。
「イリアに生まれて良かったって思ってるけどね。そうじゃなかったら、ロイとお喋りも出来なかったし」
天馬騎士としての修行があったから、今この場所にいる。無駄なこと、意味の無いこと、そんなものは何も無いのかもしれない。
喜びも、悲しみも、挫折も、後悔も……その全てがあるから今ここにいる。きっとこれからもそうだ。自分だけにしか描けない軌跡の全てを抱きしめてみると、本当に今が貴重で過ぎていくのが惜しい。
「どうかな。案外うちの騎士になってたかもよ」
またドキっとするようなことを、ロイはさらっと笑いながら言ってくれる。どんな出発だったとしても、描いた軌跡はどこかで交わっていた……そう思える不思議。
「ロイのとこの騎士かあ」
静かに目を瞑ってイメージしてみる。一体どんな事をしていただろう。騎馬兵? 剣士? やはり天馬に乗っていたのだろうか。
「……うん、素敵!」
どの軌跡を描いていたとしても、きっと自分は笑っていたに違いない。ロイの笑顔を支えたい────その気持ちはいつも同じ。
「でも、イリアも大好き。その為に騎士になって今も戦ってるつもり」
それでもやはり、今の自分が一番自分らしく、自分を自分たらしめるものと思える生き方をしている気がする。
姉の背中だけを追って走り抜けた見習いの時とは違う。自分だけの誓い、自分だけの夢を抱き、描いた軌跡は多くの仲間と絆を結んで繋がった。“天馬騎士のシャニー”は自分だけしかいないと断言できる確固としたものを掴んだとはっきり言える。
「うん。手紙からも伝わって来るよ。頑張ってる姿を思い浮かべたものさ」
「ホント?」
「ああ。民の事を想う気持ち、ぼくも励みになっている」
「……嬉しい。うん、みんなのために頑張ってる。頑張ってるんだ……」
手紙が彼の支えになり、そして自分の頑張りをロイに認めてもらえた──途端だった。ぷつんと何かが切れて、頬を一筋流れ落ちた。
「この前の戦いだって、民を守るために……戦った……はずなのに……」
挫折と後悔に打ちひしがれて失意へと叩き落された中で、必死に忘れようとしてきた一か月。でも、ロイの前で思い出していたらもう我慢できなくなってしまった。一か月使って少しずつ癒してきた傷口が一気に開き、あふれ出して止まらない。
「どうしたんだ?」
「だけど……だけど…………」
リキアにいる間は、ロイの前では絶対に泣かないと決めていたのにもう堪えきれなかった。両手で顔を覆っても、声は漏れるし涙は止まらない。三角座りの中へどんどん俯き沈んでいく。
その様子をロイは驚くでもなくじっと見つめ、そっと背に手を添えた。
「シャニー、良ければ教えてくれないか。何があったのかを」
背中に添えられたロイの手が温かい。シャニーは心を直接ロイに擦られているような気持ちになった。不思議だ、どうしてこんなに人の手は温かいのだろう。
「君の力になりたい」
涙の向こうへ届いたロイの声が、抉れた心にすっと沁みて温もりに包まれる。
────あんたは独りで居たらいけない子なんだよ
ふと、レイサの声が脳裏をよぎった。師の言う通りだ。どれだけ強がっても、凛と構えようとしても、誰かに支えられ、愛してもらえないと傷の一つも癒せない弱い心だ。いくら傷ついても、悔しさに震えても、同じ過ちを繰り返す未熟な人間だ。力を貸して欲しい。今だけでもいい、温かさに包んで支えて欲しい。
「……聞いてくれる?」
「ああ。いつもシャニーに元気をもらってきたから、今度はぼくの番だ。ただ、隠し事は無し。全部話してくれよ」
「うん……」
シャニーは少しずつロイに伝え始めた。十一月から何が起きて今ここにいるのかを、時には涙に詰まり、時には怒気を含んで。震えてきた感情の全てを吐き出すように。
「ホントなんだ。ロイには信じて欲しい。悪手だったとは思ってる。けど……だって……」
今でも、あの時何が最善だったのか答えを出せていなかった。でも言えない。あの時の自分が間違っていたとは。もし、今あの場面に戻ったとしても、きっと同じことをする自分しか想像できない。
また溢れそうになった時、ふわっと温かさが背中に広がる。いい匂いがする……。
「信じるさ」
耳元で囁くように聞こえてきた声に心がジンと震えた。
「信じてもらえなくて悔しい。理解されなくて悲しい。そうだろ? ……分かるさ、ぼくだってよくあるから」
包むように背中へまわされたロイの腕。彼にさえ分かってもらえたらもういいとさえ思える、温かくて強い感触。肩に回された彼の手に顔をうずめた。全てを受け止めてもらえているような安心感にますます涙が止まらない。
「してしまったことは省みないといけないと思う。だけど、シャニーが本当にしたいと思ったことは、間違っていなかったとぼくは思う」
彼女の行動は手段であり結果。その行動をとらせた彼女の心の叫びを、ロイはしっかりと受け止めて慰める。
「シャニーは、騎士だから開拓区の人たちを助けたの?」
「違うと思う」
心地よい温かさに身を任せていた心へ不意にかけられた問い。考えるより先に声が出ていた。
「もしこのリキアで同じ憂き目に遭ってる人がいたら……戦うと思う。ロイがそんなこと許すわけないって、信じてるけど」
あの時飛び出したのは騎士だから、イリアだから、リキアだから……そんなことは関係なかった。ただ、守りたい。その気持ちだけ。
騎士になったから守っているのではない。守りたいから騎士になった。それだけははっきり言える。ロイの手は、その想いを認めてくれるように背中をさすり続けてくれる。
「見習い時代は今回みたいな任務はなかったの?」
「その時はずっとロイの軍にいた形になったしね。ロイがそんな事するワケ無いって信じられたから」
言われたとおりに動いて、攻め込んだ見習い時代。それでも良かった。指示する人を心から信じられるなら。
自分で考えて動かねばならなくなった途端に湧きあがる疑念や不安、そして葛藤。その根源を否定して駆け出しても、周りから浴びせられたのは非難、怒号、そしてひたすらの問責。
「今は何を信じたらいいか分からなくなっちゃって。仕事だって割り切れる人ってすごいと思う……」
こんなに自分の心を殺し続けなければいけないなんて。今更になって騎士なんか向いていないのではないかとさえ思えてくる己の無力。
でも、ロイは認めてくれた。信じてくれた。それだけでもう十分。静かに笑う。
「へへっ、あたしらしくなかったね」
それでも、ロイは腕を解くこと無く、背中をさすり続けていた。
今ここでこの笑顔を許してしまったら、また彼女は同じ悩みに苛まれ続ける。リキアを離れ、イリアに戻っても。そんなことはさせまいとロイは彼女を離さなかった。
「もっと自分を信じていいんじゃないかな。自分を自分が信じてあげなかったら可哀想だよ」
周りからの声、騎士団の掟、他騎士団との軋轢。それらが少しずつ、少しずつささやき続けたのだろう──お前が間違っているのだと。今の彼女は明らかに自分自身に嘘をついて笑っている。
いつでも自然体だった、朗らかな天真爛漫を取り戻して欲しくて励まし続ける。正しいかそうでないかではなく、考えを理解し、認めて傍で支え続ける。それが仲間。
「ぼくも甘いと自分を思うことがあるけど、本当に間違っていたら仲間が正してくれる。そう信じて今も自分の理想を追求し続けているんだ。もちろんその一人が君さ」
仲間を信じるには、自分をまず信じなければならない──騎士団の軋轢に負けそうになっていた心にロイの言葉が刺さる。年は一個しか違わないのに、人を惹きつける力と言うのはこういうものなのか。
すぐ後ろにいる彼を見上げてその凛々しさに見とれていた。そんな人に信じていると言われて、また涙が溢れてくる。
「なんか……騎士団に入ってから泣き虫になっちゃったみたいでさ」
彼が信じてくれた心を自分も信じようと誓いながら涙を拭う。せっかくロイに買ってもらった服の袖は、涙ですっかり色が変わってしまった。この一年、一体どれだけ泣いただろう。
「いつでも強くある必要はないさ。ぼくも君への手紙に弱音を書いてだいぶ救われてるんだ」
「うん……ロイにもそんな事あるんだって思ったもん」
「弱い所は見せにくいよね。だから、お互い様だ。泣きたい時は泣けばいいよ。ここなら誰もいない」
朗らかな自分に涙は似合わない。苦しいこともぐっと堪えて笑って生きてきた。
だけど、今はもう無理だ。敬愛する人に泣いていいと言われた今、もう我慢できなかった。
堰を切ったように溢れ出した慟哭を抑えられず、気づけば優しさの中に飛び込んで顔を埋めていた。
(こんなになるまで溜め込んでいたのか……)
ロイは静かに頭を撫でて再び太陽が昇るのを待った。涙を預けてくれるならいくらでも受け止めるつもりだ。いつでも元気をくれる、大事な人の朗らかな笑みを取り戻す為なら。
「ご、ごめん!」
どれだけそうしていたか分からないが、ようやくに自分がしてしまったことに気づいたシャニーは慌てて後ろに跳ね飛んだ。ロイの胸元は、はっきりと色が変わってしまっている。
気にするな────優しい微笑みが返ってきて、シャニーの口元にも自然な笑みが戻ってくる。
「もう大丈夫?」
「うん! すっごくスッキリした。やっぱりロイはスゴイや。頼もしいよ」
満面の笑みが目の前で輝き、ロイは静かに頷いた。これだ、これが知っている彼女の笑顔。ようやくに返ってきた笑顔は丘の向こうまで広がる紺碧の空のように美しかった。
「やっと吐き出してくれたね。言ってくれないままだったらどうしようかと思ったよ」
安心してロイにもふっと笑みが浮かぶ。まさかここまで彼女が自分から言わないとは思わなかった。
それを聞いたシャニーが目を真ん丸にし始める。
「もしかして、気づいてたのに聞いてくれなかったの?!」
「ぼくから聞いたら、きっと全部聞けないと思ったからね」
「いじわる! ずっと聞いてくれるの待ってたのに」
「はは、すまない。許してくれ」
ロイの優しさに感謝しつつも、シャニーはぶうっと頬を膨らせておく。ずっと心配だったのだ。全然聞いてくれなくて、自分に興味がないのかと。でも、違ったのだ。
「心配してくれてたんだ? いつから気づいてたの?」
「手紙を受け取った時かな。シャニーを一目見て確信した」
「そんな最初から?! えへへ……。ありがと、ロイ。すっごい……救われた」
自分の気持ちがはっきりした気がするし、ロイにも伝えられた気がする。弱さも未熟さも、何でも見せられて涙を預けられる特別な人なのだと。
憧れの人がますます尊く見えて、離れたくない気持ちがどんどん膨らんでくる。
「うん、良い笑顔だよ。居てくれたら元気の出る笑顔だ」
一緒に居たい。傍に居て支えてあげたい。そんな気持ちをますます強くするロイの優しい言葉。恥ずかしさなんてもうどこかに飛んでいて、自然に身を寄せていた。
「君の笑顔を信じて待っている人はたくさんいるはずだ。もっと自分を、もっとみんなを信じて、前へ進んで行こう」
彼がこう言ってくれるなら、もっともっと自分を信じよう。仲間を信じよう。何か、将の心得を知った気がする。静かに頷き、そしてもう一度笑った。
その後、丘の上で広がる景色を見つめながらずっと互いの夢を語りあっていた。二人の影が重なる時まで。
◆◆◆
────12月28日 AM11:00
ついにこの時が来てしまった。二人は昨日と同じ場所に向かい合って立っている。違うのは、シャニーの着ている服が私服ではなく軍服なのと……。
「シャニー、髪切ったのかい?」
心地よい風に乗って甘い香りを運ぶ青い髪。ロイの前には、一年前なら当たり前にあったショートヘアが戻ってきていた。
「えへへ、やっぱりこれが一番かなって」
すっかり吹っ切れた笑顔は一年前よりさらに朗らかで、揺れる青髪に美しく映える。
「うん、それが一番似合ってるよ」
「ホント!? 良かった良かった!」
髪型を誉められて小躍りしたシャニーだったが、何かそれ以上が続いてこない。昨日あれだけ喋っても次から次へと湧きだしてきたと言うのに。わずかな時間でも喋っていたいのに、なぜこんなに言葉に詰まってしまうのだろう。
互いに見つめるだけで時が過ぎて行ってしまう。ようやく紡げたと思ったのに、それは時計が無情にも別れを伝えたから。
「どうしても行ってしまうのかい?」
「引き留めてくれるの? えへへ、嬉しいなぁ」
何度も何度もロイは同じことを聞いてしまう。それが彼女にとって問われても困ることだと分かっていても。
もう一時間もしないうちに、目の前にある顔を見られなくなってしまうと思うと、さすがに冷静では居れなかった。
でもシャニーにとっては嬉しかった。こんなにも聞いてくれることが。自分の事を求めてくれる、敬愛する人の気持ちに応えてあげられないことが悲しい。
「でもさ……、みんな待ってるから」
自身にも言い聞かせるようにして絞り出した言葉。こんな湿っぽい別れ方はしないつもりだった。
そんな空気を吹き飛ばすように、シャニーは天馬から袋を一つ降ろすとロイに突き出した。
「はいっ、これお世話になったお返し!」
何をしたら彼が喜ぶか随分と悩んだ。彼の周りにはいろいろなものが溢れていて困っているようには思えなかった。それでも、自分の気持ちを伝えることが大事だと、結局最初に思い付いた作戦で落ち着いた。
どうか上手くいきますように────その気持ちを込めて、袋を受け取るロイの顔を見つめる。
「これは……?」
「寒いからマフラーとセーター! 気に入ってもらえると嬉しいな」
最初はマフラーだけの予定だった。一週間だけのつもりだったから。だけど、滞在は二週間を優に越え、プレゼントは二つに増えていた。
「これシャニーが編んだの?」
「うふふ、まーね。サイズ大丈夫かな」
袋から出てきた赤色のマフラーを手にして嬉しそうに目を輝かせるロイの反応が、シャニーの顔に浮かぶ笑顔をさらに明るくさせる。
「ありがとう。さっそく帰り道で使わせてもらうよ」
「うん! 似合ってる!」
その場で巻いてくれた姿に思わず小躍りするシャニーの元気な声が丘に弾む。傍にいてあげられない自分の代わりに彼を温めてあげて欲しい──心の中で祈った。分かっていても切なくなってくる。もう、彼と会えなくなるとは。
「シャニー、遅くなったけど、ぼくからもクリスマスプレゼントだ」
感傷にふけっているとふいにロイの声がした。プレゼント……その言葉にはっとする。もう服を買ってもらって十分もらっているのに。
彼がポケットから取り出した小さな箱が宝飾品だとすぐ分かってごくりと息をのむ。もったいぶって蓋を開けてくれないが、彼が出してきたものだ。きっとスゴイものだと中を見なくても分かる。
「わあ!」
ようやく開かれた箱の中から現れたのは、青い宝玉を使ったピアスだった。陽射しを映して美しい輝きを放つ様子に思わず感嘆が漏れる。
「で、でもこれ、すっごい貴重なものなんじゃ」
エデッサ城の宝物室に置いてあったものくらいしか見たことは無い。
騎士と言っても、市民と大して変わらない生活では宝玉なんてまるで無縁だ。それをいきなりもらって感激半分、狼狽半分。自分が贈った編み物と比べてしまうと、とても釣り合っていなくてたじろぐばかり。
「気に入ったら仕事で使ってもらえればいいよ」
ずいっと差し出して箱を手に握らせるロイの笑顔に負けた。彼の気持ちだ、しっかりと受け取るとさっそく耳につけてみた。
「どう? 似合うかな?」
鏡は鞄の中。だけどそんなものは要らない。目の前に一番聞きたい人がいる。
「ああ、すごい似合ってるよ」
「えへへ! 嬉しいっ、ありがとう! 大事に使うからね!」
見たかった満面の笑みを最後に見せられてロイの表情は優しい。送った宝玉の石言葉は────『絆を繋げる』。傍にいてあげられない自分の代わりに、この子を守ってあげてくれ──そう何度も祈る。
二人の間に流れる静かな時間。言葉など無くてもこのままずっとこうしていられそうな気持ちにさせてくれる互いの笑顔。
だけど、もう時間だ。ぐっと足先に力を込めて、シャニーはロイへ背を向けて天馬にまたがった。
「また頼りに来ていい?」
ずっと傍にいることはできない。だけど、また来たいと自然に思える場所。第二の故郷と言える場所が出来てシャニーは誓った。必ずここへ戻ってくると。そしていずれ、誓いを果たした時には、その時には……。
「もちろんだ。言ったろ? 今度は連絡しなくてもいいから、気が向いたらいつでも来てくれ、待ってるから」
「ありがとう。絶対また来る!」
天馬が宙に浮き始めた。もう時が戻ることは無い。
どんどん離れていく互いの姿を名残惜しむ様に二人の視線は繋がっていた。このままでいたら帰れなくなってしまう。
「それじゃ……じゃねー!」
敢えて勢いよく飛び出し、フルスピードでイリアを目指しながらロイが見えなくなるまで振り返って涙を堪える。
結局、伝えたかった本当の気持ちは最後まで言えないまま。もしそれを口にして、ここへ来ることがもう出来なくなったら……そう思うと怖くて震えてしまった。今言わなければ二度と会えないかもしれないと分かっていても、とても勇気が出なかった。
「待ってるよ。いつまでも」
届かないと分かっていても手を伸ばしながら、ロイは遠く小さくなる背中を見送る。
今回も彼女は行ってしまった。命を危険に晒す極寒の大地へ、笑顔を振りまくために。
だけど、彼女は約束してくれた。必ず戻ると。それを信じてあの背中に祈る。大切だと想ってさえいれば、いつかまた、きっと会えると信じて。
再び別の道を歩む二人。だが、互いの軌跡はきっとそう遠くないうちに再び交わる────ロイはそんな気がして止まなかった。