ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
「無明な黎い剣……。そんなのが私を纏ったら……魔人じゃない?」
「そっ、それは……。で、でも、あたしはソルバーンさんとは違う……違う、違う、違う────ッ」
そこで知る真実と、新しい誓い。彼女はセチの怒りを鎮め、本来の剣を取り戻す事が出来るのでしょうか
翌日、天馬を駆るシャニーが向かったのはカルラエ城では無かった。
曇り空の向こう……あの事件──幼い頃野獣に襲われた渓谷を目指していた。
後ろには仲間たちも全員がついてきている。休みを取ると言ったら、まさか全員が一緒になって休みを取ってくれるとは思ってもいなかった。
(ありがとう。ホント、心強いよ)
あの場所は……訪れるだけでも勇気がいる場所だった。
二月も中旬に入り、極寒の隙間からようやく零れるようになって来た春の兆しのおかげか、山に積もる雪の色がどこか淡い。そんな希望を抱かせてくれる白き大地の中でも、あの場所を捉えると心が震えた。
忘れもしない悪夢の場所。今まで幾度となく空の上から見つめ、そして目を背けてきた。シャニーは一つ息を呑むとゆっくりと天馬に降下を指示し、近づく恐怖に唇を噛む。
「ここか……。あの時以来なんだな。ここ来たの」
広大な山の中にある渓谷の道中。他の人には何の変哲もない登山道の一風景も、シャニーにとっては訪れるだけで体震え、トラウマ蘇る場所。
川のせせらぎも、心地良さなどまるで感じない。耳が拾おうとするのは、その裏に隠された野獣の咆哮ばかり。
何も、何も変わっていない。この景色も、自分の傷も。敵と対峙するのとはまるで違う戦慄に、シャニーは立ち尽くしたまま渓谷を見つめるばかり。
「シャニー? がんばって」
寒空を飛んで冷え切った手を、握る声がそっと励ましてくれる。
振り向けばレンの瞳が静かに微笑んでいて、さらにその後ろからはミリアやルシャナも笑顔で頷き、踏み出す一歩を応援してくれている。
「任せて! ──行ってくるよ!」
独りじゃない。そう思わせてくれる仲間の顔は勇気をくれた。覚悟を瞳に宿し、はきと彼女たちに頷いて見せたシャニーはついに踏み出す。
膨らむ不安を煽るように、どんどん視界に大きくなってくるのは聳え立つ大岩だ。ぎゅっと手を握り、じっとそれを睨むように見つめて下まで歩いていく。
(ここで……あたしは……)
思わず口元を抑えた。迸るフラッシュバック。背中を引裂かれ、ボールの様に跳ね飛ばされてこの岩に叩きつけられた。激痛に朦朧とする中、
その空白に、きっとアイツが絡んでいる……。
「セチ……もし本当にいるなら応えて」
震える体を律しながら手を胸に当て目を瞑り、何度もセチを呼ぶ。
エーギルの流れに異常を覚えたか、レンがあたりを見渡すまで時間はかからなかった。きょろきょろしていたかと思うと、すぐに彼女の視線は一点を凝視して動かなくなった。
何が起きるのかと一緒に無を見つめていたミリアは、目の前に浮かび上がるものへ思わず指さす。
「あっ、あれ……何スか?!」
魔法など扱えなくてもはっきりと見て取れる。シャニーの体から湧き上がる焔のような青く透き通った流れ。それが少しずつ一点に集まって、何か形を作ろうとしている────人だ。
この世のものでは無いとはっきり分かるのは、きっとその“人”が真正面に捉えている人物と鏡のように向かい合っているからだ。
「……ふえっ?!」
明らかに主張してくる気配に瞳をそっと開けたシャニーは、目の前でじっと見つめてくる翠緑の瞳とかち合って思わず尻餅をついた。
「そんなに驚く必要ある? あなたが呼んだんでしょ?」
目の前に、自分がいる。今日の朝、姿身に映してきた自身の姿そのものが目の前に立っていて話しかけてきた。シャニーは口をあんぐり開いたまま固まってしまう。
気配は本物だ。この呆れたような視線だって知っている。でも、いつものような敵意は感じない。彼女の存在に頭は追いつかないが、心が理解して立ち上がる。
「あなたが風の精霊……セチ?」
輪郭がぼんやりとして湖面のように揺れる姿はとても人ではない。向こう側が透けそうで透けないくらいの淡い存在に畏怖を抱く。
それ以上に驚いたのはその容姿。精霊が自分と同じ姿をしているのが違和感でしかない。違うのはせいぜい瞳の色くらい。
美しい翠緑の瞳を持つ乙女は、笑いかけることもなく静かに口を開いた。
「そうだよ。初めまして……かな?
声まで一緒……そうだ、今までずっと頭の中に響いてきた声が、外から今度は話しかけてきている。こんな超常的な光景なのに、疑う気になれないのは何故だろう。
「ずっとって、やっぱりクマに襲われたときから?」
今迄の人生でセチを感じた事など一度だってなかった。閃電の魔術師との戦闘でうっすら気づき、黒き紳士に鎖を断ち切ってもらってからだ、急速にその存在感が内から膨らんだのは。
「うん。キミの叫びに応えた。大事な人を守りたいってね」
セチにそう言われ、流れ込む様に鮮明と脳裏に浮かぶあの光景。背中を引裂かれ、大岩に叩きつけられた意識はもう遠かった。隣には腰を抜かして動けないウッディがいて、野獣の視線はそちらへ向かっていた。
確かに……叫んだ気がする。誰か助けてくれと、助ける力をくれと。
────だれか……ッ。アクマでもなんでも……ウッディを守れるチカラを貸して! そのためなら────なんでもするからッ
はっきり頭を走った。そうだ、呼んだ、叫んだ。そして、その願いに応える声も。
────今こそ
「そうか……」
もう受け入れるしかない。シャニーは意を決し一歩前に踏み出した。
「あの時はありがとう。あなたのおかげで、あたし達は生き延びられた」
その叫びに応えて力を貸してくれたのが、まさか精霊だったなんて。埋もれていた記憶が蘇っただけでも驚いているのに、頭はその存在に追いつけるはずもない。
でも、目の前にいるのは命の恩人だ。差し出した手でセチの手を取ろうとした。触れられる……その驚きにも似た喜びにそのまま握ろうとした途端だった。
「──ッ」
セチは手を払って睨みつけてきた。はっきりと感じる手先の感覚よりも、突き刺すような視線が痛くて表情が固まる。
「……都合の良い人だね」
そんな彼女を軽蔑するかのような瞳が静かな怒りを口にした。
「え??」
「必要な時だけ呼んでおいて、用が無くなったら拒絶してさ」
口調は静かだが、だからこそ怒りが言葉からはっきりと滲み出ている。
シャニーは喉が張り付きそうになった。セチが怒っている──ニイメはそう言っていたが、なぜ怒っているのかあの時はまるで分らなかった。
鋭い眼光と共に本人の口から怒りを浴びせられて初めて、心当たりが色々浮かんでくる。思わず視線を逸らしてしまった。
それをセチは許さなかった。今度は自ら近づき、今まで伝えたくても伝えられなかった怒りをぶつけた。
「キミは私を何度も拒絶したんだよ。私はキミを助けたいのに、なんで……あんな酷いこと言うの?」
ウェスカーに弄ばれた時も、ヴァルプスギルに絶体絶命へと追い詰められた時も、しきりに呼び掛けたつもりだ。自分の力を使えと。
その内なる声に怯え、向き合うこともせずにただ、怖いと一つに片づけて手を取ろうとしてくれなかった。
これまでも
────うるさい! あんたにあたしの何が分かるんだよ!
しまいには、ようやく声を掛けてきたと思ったら怒鳴りつけてきたわけだ。
存在に気づいていなかったとしても、ぶつけたい文句は一つや二つでは済まないが言うだけ無駄だろう。
「だ、だって! ヤっちゃえなんてセチが言うから!」
何故なんだ──シャニーは早口に答えながらセチに目で訴えた。
何度も何度も囁いてきた声は、間違いなく修羅の道へと誘おうとしてきた。気に入らないものに、この力をぶつけて黙らせろと。一度踏み込んでしまえば楽園だぞ……と。
ところが、セチの表情はますます歪んでいくばかり。
「あれはキミの声を映しただけじゃん? 仕返しだよ。無視するキミが悪いんだからね」
「へっ?! あ、あたしの声?!」
人のせいにするな──そう言わんばかりに眉を釣り上げる自分の顔が、怒りを吐き捨ててきた。
投げつけられた怒りにシャニーは自分を指さすだけで精一杯。そんな事ない……すぐに言い返そうとしたが、目の前で睨むように見つめてくる翠緑の瞳を、嘘だと言えないのは何故なのか。
また視線を逸らしたシャニーの頬に手を添え、セチは無理やり正面を向けさせる。
「皆を守る力を私に求めたよね? でもキミの声はそれ。制御出来なくなるのは、キミの願望の問題じゃん」
拒絶するだけ拒絶して、都合の悪いことはすべて人のせいにして何も認めようとしない。悪夢だと言って逃げてばかりいる契約主に現実を突き付けても、彼女は視線だけまた横に逸らす。
「そんなこと……」
「誰でもあるよ。
その気持ち自体を責めているわけではなかった。過ちを受け止めず、人のせいにする姿が許せなかった。今もシャニーの顔に納得は浮かんでいない。そんな事は無いと言い返したいのだろう。あれこれ考えを巡らせているとはっきりと分かる、黎き虚ろな目。
「無明な黎い剣……。そんなのが私を纏ったら……魔人だよね?」
「────ッ。そんな、そんなつもりじゃ!」
この際、はっきりと言ってやることにした。一度契約した以上、この人間が死ぬまで付き合うしかない。
「そんなこと無いって言うなら、ヴァルプルギスって騎士を何で殺そうとしたの? 私が止めなかったら、あのままヤってたでしょ?」
「そっ、それは……。で、でも、あたしはソルバーンさんとは違う……違う、違う、違う────ッ」
錯乱に目が焦点を失い、シャニーは頭を抱え何度も首を振った。
心の震えを見透かされたか、さらに問うようにセチの瞳は強い。それをされるとシャニーの声は更に弱く震え出す。魔人──その未来に、必死になって集めていた守りの薄氷など、あっという間に崩れて雲散していった。
ヴァルプルギスの時も、閃電の魔術師と戦った時もそうだ。最初は民の為と確かめながら戦っていたが、最後の方はそんな事はどうでも良くなっていた。
それを思い出し、自分の心と向き合った彼女はもう反論するのを止めた。
──力を持つものは、正しくその力を使う義務がある
ユーノに言われた言葉が痛いほどに突き刺さり、観念するようにセチを見上げる。力を何に使うか誤った自分が間違っていたのだと。
「エーギルを使い切ったんだと思ってた。セチが止めてくれたの?」
「キミ……何も知らないんだね」
後一閃でヴァルプスギルに止めを差せる──恍惚な気持ちで振り上げた剣が、突然何かに引っ張られるように固まったのを今も覚えている。止まったのではなく、止められたのだと知ってシャニーの目が驚きに見開いた。
「今のうちに言っておくけどさ」
無知というものは怖い。ため息交じりのセチは、加減を知らない契約主を蒼褪めさせるに十分な言葉を投げつけた。
「エーギルを使い切るまで放出したら死んじゃうよ? 石みたいになってね」
「し、死ぬ?! い、いいい、石って……?!」
「あの時は
死──その言葉を聞いて表情が固まる。エーギルはその人の命そのもの。それを全て燃やし尽くしてしまえばどうなるか……考えるまでも無い事だった。
今更気づいて思わず口に手をやるシャニーの顔は蒼い。日常的に命を危険に晒していたなんて。同時に湧きあがる恐怖はセチの放った言葉の中にあった。
「それって……
「失礼な表現だと思うけど、そう言う事」
主導権を握る──セチは確かにそう言った。意識がどこか遠いところにあるように思える、あの独特の感覚の意味が分かってぞっとした。
ニイメの言っていたことは本当だったし、もう片足を突っ込んでいるような状態だったのだ。何も知らずに生きてきた今までが恐ろしく感じる。どれもこれも、一つ間違えていたら死んでいたかもしれない。
「でも、あの時止めた理由は違う」
異常に恐れる契約主がセチには心外だった。
別に呑み込んでやろうなんて思ったわけではなかった。今まで中からずっと見てきたつもりだ。この人間が何を考え、何を拠り所にして、何を誓ってきたのかを。
「みんなを守るのに、あの騎士を殺す必要あったの?」
精霊に求めた力は制圧する暴虐の凶嵐ではなく、春を導く反抗の息吹だったはずだ。
道を外れた黎き剣を見て見ぬ振り出来なかった精霊からの問いに、シャニーは静かに首を横に振った。あくまで自分の意思があの剣を握っていたのなら、尚更に恐ろしい。
「この前も暴走する自分を制御出来なくて、みんなを不幸に巻き込んだんだ。大事な仲間をまた傷つけたらって……怖くてもう使えない」
十一月の事件はきっと、この先も絶対忘れられない。最初は守りたい一心だったのに、最後には戦場に誰もいなくなるまで駆け抜けて。あのままセチが止めていなければヴァルプスギルも、もしかしたら仲間にまで──そうと思うと声が揺れる。
それがセチには許せなかった。必死になって差し伸べた手を怖いと言って払いのける主の姿に、また静かな怒りが、そして大きな落胆が滲む。
「キミ達を守ってあげたいのに、私がキミ達を傷つけるというの?」
「ううん……違う」
あの剣が自分の意思だったと分かった目が震え、シャニーは唇を噛みしめる。
ずっとこの声のせいだと思ってきた。自分ではない自分が囁くからだと自分を守って来たけれど、そうではないと知った今、ギュっと勇気を振り絞った。逃げない、その誓いを自らに言い聞かせるようにセチを見つめる。
「自分が弱いから。守る剣が欲しいのに、違うことを望んでいたんだと気づいたから」
答えを求めて彷徨う、ぼやけた夜に侵された黎さ明け、青の瞳は真っ直ぐセチを見つめ始める。
ずっと共にいて手を差し伸べてくれていたのに、背を向けて避け続けてきた。顧みることもせず、自身の理想像だけを信じ、過ちを犯す現実を認めなかった。
周りを囲む者たちに背中を押され、勇気を絞って踏み出した先でようやく気づいた一歩前の姿。踏み出した事で、やりたい事と出来る事の間にある、為すべき事を見出せた気がする。気づいた今、もう逃げないとまた一歩踏み出した。
「今迄の事は悪いと思ってる。本当にごめんなさい! なんとか、なんとか見つけるから、これからも手を貸して欲しい。──お願い……します」
もう一人の自分からの詫びと祈り。セチはすぐ答えを返さなかった。
────うるさい! あんたにあたしの何が分かるんだよ!
差し出した手にあんな風に怒鳴って剣を振って来た顔が、じっと見つめて懇願してくる。こんな詫びの言葉一つで、今迄抉られ続けてきた気持ちを流して一緒に前を向こうなど、そんな気持ちよく行ける筈無かった。
「……勝手な人」
不機嫌そうな言葉を残してふいにセチの姿が風に溶けていき、エーギルの流れが自身の体の中に吸い込まれていくのを見てシャニーは焦った。
まだ話したいこと、聞きたいことは一杯あるし、あんな一言を最後にいなくなってしまうなんて。
「でも、文句言えたし、キミの気持ちが知れて……、──ちょっとだけ気が晴れたかな」
ぎょっとしてあたりを見渡すが、やはりもうどこにもあの姿はない。この感覚は間違いない。再び頭に直接話しかけてくる声は以前よりどこか明るかった。
「後は行動で見せてもらう。忘れないで。私も、キミが繋いだ絆のひとつ。一人で抱え込まないで、ちゃんとキミから私を呼んでよ、
相棒──その言葉にシャニーはドキッと胸が跳ねた。
許してくれたわけではない、認めてくれたわけでもない。だけど相棒はチャンスをくれた。
もう絶対に逃げ出さないと心に刻み、胸元に置いた手をぎゅっと握りしめるとシャニーは新しい仲間に誓いを立てる。
「ありがとう、セチ。あたし、絶対に見つけるよ。あなたと一緒に戦える剣を」
殺意なんかではなく、守りたい気持ちを刃に乗せられるように。
ウッディを助けたい一心で叫んだあの時。その純粋な気持ちを青焔と燃やし、刃に掲げられるよう絶対なると誓って、シャニーは相棒と共に仲間たちの許へ帰っていった。