ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ   作:右利きのサウスポー

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無間の風刃と無尽の焔────魔人同士のバリトゥードが始まる


第6話 無間と無尽のバリトゥード

(軽いッ。体が軽い……これなら!)

 

 構えを取るソルバーンへ、シャニーは雪を巻き上げ突っ込んだ。

 湧き上がるエーギル、宙に舞う感覚。あまりの軽さは氷を滑るかのよう。いや、風そのものになったような気分だ。

 それ以上に驚愕したのは、湧き上がるエーギルの変化だった。知っていたセチの魔力は、解放すると重くて、息苦しくて、恐怖ばかり湧き上がる黎き風だった。

 今は違う。清く澄み、爽やかで心地良い。体から全ての毒を吹き飛ばしてくれそうな、いつまでも纏いたい青き巨いなる風。激情に燃え上がる強大な嵐ではないのに、全ての悪夢を薙ぎ払えそうな穏やかなる風の刃だ。

 自身を包む風に体が浮く感覚は天馬で滑空しているかのよう。渦巻く烈風でソルバーンの拳から飛んでくる火炎を跳ねのけながら距離を縮めていく。

 白銀を射抜く青き風は瞳から迸る翠緑の魔力をなびかせ、その軌跡は流星のごとく魔人へと突っ込んだ。

 

「先手必勝ッ、翔刻の青嵐(イクシード・アクセル)!!」

 

 時と時の間を跳び越え加速するかのような流星が、巻き上げる白銀の雪煙の中にふっとその翠緑を消し、黄金の目がピクリと動く。

 

(この俺がロストしただと……?)

 

 視界から消えた妖精を次にソルバーンの視界が捉えた時には、すでに左手の絶好のポイントを押さえられていた。

 魔人から噴きあがる烈火の守りを自身に吹き荒れる烈風で押し返しながら、シャニーは脇に構えていた剣で渾身に斬り上げる。

 

(刃が……通った!)

 

 確かな感触は以前の戦いでは一度も無かったもの。

 刃に渦巻く風のエーギルで、ソルバーンを包む炎の鎧を切り裂いていた。そのまま踏み込んだ軸足に全体重を移動させ、鋒が天を向くほどに最後まで斬り上げた。

 

(さすが……セチの風。その鋭き事、千の剣なり)

 

 刃の直撃を受けた魔人は久しぶりに覚える痛みに一歩退いた。カウンターの剛腕を振り下ろすも、もうその場には残像すらない。

 

「ぐう……ッ、ふふふ、さすが風の妖精。以前とはダンチだぜ」

 

 脇にできた大きな切傷。久しぶりに見た自身の流血を見下ろしてソルバーンは嬉しそうに口元を釣り上げた。流れ出す血の全ては噴きあがる炎の前に消し炭となり、あっという間に傷が塞がっていく。

 

(あたしの力じゃ……そこまで深くいかないか……!)

 

 シャニーは霞に構えを取り直す。まるで体が岩か何かで出来ているかのように硬く、確実に剣先で捉えたはずなのに押し込めなかった。

 自身の手に残る感触が間違っていないことは、目の前で好戦的な笑みを浮かべ続ける業火の魔人を見てもはっきりと伝わってくる。

 

「これなら少しばかりは燃えられそうだな!」

 

 ソルバーンが一吠えして両手をばっと広げると、それまで抑えていたかのように業火は更に膨らんで煌々とし始めたではないか。迸った衝撃波が風の守りをも貫いて足元が浮きそうになる。

 

(底が全ッ然見えないぞ……。一体、この人のホンキはどこなんだよ?!)

 

 噴きあがった閃光に腕で目元を押さえ、踏み込んで衝撃波に抗っていると魔人のシルエットが突然土煙を挙げた。

 

「速ッ?!」

 

 弾丸のごとく突っ込んできたソルバーンはあっという間に目の前に迫り、両手を組んで振り上げる。

 

「喰うぜッ!!」

 

 ハンマーのように降り下ろされた組手が大地を抉り、それだけで隕石が衝突したかのように爆炎が迸り地面が天へと跳ね上げられた。

 風に飛ぶような身のこなしで避けたシャニーだったが、目の前で起きている究極の破壊衝動に、言葉にならない乾いた声が漏れる。

 

(あんなの当たったら……痛いじゃ済まないぞ……)

 

 相手は何周りも上背がある2メートルを優に超す魔人。その筋骨隆々とした体から繰り出されるあのハンマーが当たっていたら……想像するだけでも寒気がする。

 野生のままのスピード、衝動に任せた破壊の拳。全てを焼き尽くす無限の業火。これが、『赫竜』のソルバーンと言われる魔人……今更ながら、とんでもない相手をデートに誘ってしまったらしい。

 呆然としていたわけでもないのに、飛び掛かるかのように地を駆ってくる暴君はもう目の前に迫っていた。

 

「誘ったんならそう簡単にイッちまうなよ! 妖精(セチ)ッ!」

「勝手にストーカーしといてよく言うよ! でも、動きは見切ったぞッ、逢魔の閃光(レイヴン・カレイド)!」

 

 鋭い回し蹴りが襲い、強靭な右足から吹き出した豪炎の刃が木々を薙ぎ倒していく。

 蹴りを、そして炎の刃を風に舞って避け、そのステップのまま時を跳び正面に立つ。衝動のまま荒ぶる暴虐に整える間も与えず、再び脇へ構えた剣で描いた弧が月光の輝を放つ。

 再び炎を押し退けて切り裂く風の刃が、魔人の体を大きく抉った。

 

(行ける、これなら行けるぞ!)

 

 右下から左上にかけて体に大きな斬撃の痕を残し、一歩、二歩と後ろによろける魔人の顔は相変わらずに修羅のごとき眼光を保って迫ってくる。

 ここで怯むわけにはいかない。この剣が持ち合わせる防御は、無間の刃を浴びせ、相手の思考を妨害してひたすら次の手を遅らせることしかない。

 

二の颯(ツヴァイ)万華の流星(ジリオン・ミーティア)ッ」

 

 まさに光速。ソルバーンの背後を取り、炸裂の矢風に刻を跳び越え斬撃の嵐に飲み込んでいく。駆け抜けた風はかまいたちか、次から次へと斬り刻み、目から迸る翠緑だけがあたりに軌跡を描く。

 

(技のキレが全然違う……これならッ)

 

 元々スピードと手数に任せた連撃がセチの魔力で無間の刃と昇華し、流星の如く襲い掛かる凄嵐のかまいたちが白銀と輝く。四方八方から切り刻まれたソルバーンは烈風に炎を吹き飛ばされてついに膝を突いた。

 

「へっ……この俺が目で追うのが精いっぱいとはな」

 

 膝を突くなど一体いつぶりだろうか……記憶にあるうちにそんな光景は無かったはずだ。さすが“同類”か、その動きはもはや捉えきれていない。精々、急所を外すくらいまでしか許さない、刹那すら跳び越えるあの動きはまさに神速と言って良いほどだ。

 

(なるほど……これが風の異能というわけか……)

 

 一体この異能を自身の目で見るのは何年ぶりだろうか。光速に空を駆け、時空すら切り裂く千の刃を携えて、瞬きする間も与えず斬り捨てる。

 あまりに攻撃的な異能に契約者が求めるものが破壊ではないとは、以前の契約者が見せたものしかり、随分と“贅沢な”使い方をするものだ。だが……だからこそ面白い。ゾクゾク湧きあがる興奮をソルバーンは抑えきれなかった。

 

「さすがだよ、言う事ねえ。ようやくだ、ようやく目ェ醒ましやがった。もっとだ、もっと見せろ! セチの死の舞を(シルフィード・ダンス)もっと見せろヤァ!!」

 

 魔人と言われる所以かのように、普段の気の抜けたような顔つきはそこにはない。狂喜を叫ぶその眼は見開き、口元は大蛇の如く裂けた。

 あれだけの斬撃を与え、隆々とする体にはっきりと傷跡を残しているはずなのに、その顔は苦痛に歪むどころかますます悦の咆哮に吊り上がっていく。

 

(どうしよ……不死身の化け物じゃんッ)

 

 尽くせる手はすべて尽くしているはずだ。確実に相手の剛拳を躱し、セチの魔力に身を乗せて自身を矢のように鋭くした渾身の刃を浴びせて……。なのに何故だ、どうしてあんなにピンピンしていられるのか。刃は通っている、流血もしている、なのに何故だ……。

 それでもシャニーに考えている暇はなかった。とにかく前に出て相手の思考を妨害し続けなければ、相手の暴虐にペースを持っていかれたら終わりだ。

 

「刃さえ通ればこっちのもんだ! 狂咲の風花(フレンジー・フルール)!」

 

 確実に相手の体力を削っていることは間違いない。最初に見せた獅子のごとき跳躍をソルバーンが見せなくなってきている。

 体に漲るセチの魔力は今も滾々と湧きあがって体に満ちる。

 

(もう少しなんだ! もう少しだけ……隙を作れれば……)

 

 我慢比べがしばらく続く。風の刃を千と浴びせて一歩、また一歩と魔人を後ろに押し退けていく。

 

「どうしたよ? それがテメェの全力かァ?!」

 

 あまりに間合いを詰めすぎて、浴びせられた反撃の拳が頬を掠めた。

 間一髪避けても風の護りを一瞬でも吹き飛ばされると、それだけで熱波が頬を引裂くかのように痛みが走る。それでもひるまずさらに一歩踏み出し、再び脇から斬り上げ一閃。ついに魔人が膝を突いた。

 

「セチ! 行くよ! この剣に集まれ!」

 

 気流を起こして飛び上がり、白銀の刀身に青焔が揺らめく。一閃に懸けるべく魔力を全開に噴き上げ、紺碧の波動は音を立てて刃を包み燃え上がった。持てる全てを刃と掲げ、上段に構え決意を叫ぶ。

 

「これがあたしの進む道だ! いっけええッ青焔の軌跡!(リベリオン・シルフィード)!」

 

 生み出したダウンバーストと共に見開いた翠緑の瞳が流星の如く空を裂き、渾身に魔人の肩を叩きつけた。

 確実な手ごたえが腕を痺れさせるほどの衝撃となって跳ね返ってきて、青焔が起こした烈風が辺りの雪も大地も全て抉って辺りは真っ白に染まる。

 

 ……一向に魔人が倒れる気配がない。視界を遮る白煙が少しずつ晴れてきてシャニーは背筋が凍り付いた。

 

(?! 嘘……)

 

 瞠目が正面に捉えたのは狂喜に吊り上がる口元。思わずシャニーは乾いた悲鳴とも取れる驚愕を漏らしていた。

 

(あ、あたしの一番の技……)

 

 身体のキレも、斬撃の鋭さも、そして魔力の伸びも、全てが完璧だったはず。なのに、見上げてくる黄金の眼光は嬉々として輝き続け、口元は勝ち誇ったように白い歯を見せていた。

 

(そんな……、どうしてよ?! 間違いなく捉えて切り裂いたはず……)

 

 彼の顔から剣を振り下ろした肩に視線をやって、瞠目しながら驚愕にこじ開けられた口は声を無くし血の気を失った。

 

「お前の力は風、俺の力は炎。風は炎を煽り……強くする!」

 

 剣は狙い通りのポイントで、狙い通りの場所を正確に捉えていたが、彼の肩は妖精の渾身を完璧に受け止めていた。

 シャニーが驚いたのは受け止められたことだけではない。剣を受け止めている彼の肩は、既に人の身では無いと見せつけてきた。焔を押し固めたような紅蓮の鱗が浮き出ていて、食い込む銀の刃を完全に飲み込んでいた。まるで────無傷。

 

「竜?! ソルバーンさんは竜族な(マムクート)の?!」

 

 見間違えるはずも無い。ベルン動乱で何度も遭遇した竜族の体にも、今目の前に浮かび上がる巨大で荒々しい鱗がその身を覆っていた。

 あの時も剣は乾いた音を立てて跳ね返され、ドラゴンキラーを使ってようやくに傷を負わせられたくらいの相手。動乱の最後に向かった竜殿で、後から後から出てくる竜の姿に震えたのは忘れられない。ロイの背中を守りながら戦ったあの戦場は、どうやって立ち回ったか記憶が無いほどに必死だった。

 あの竜ですら凌駕する威圧感と殺気が今、目の前で我欲をむき出しにした暴虐を双眸爛々とさせて串刺しにしてくる。

 

「俺が誰かなどどうでもいいッ、さぁ身をもって味わえ! これが本物の劫焔(恐怖)だ!! お前ら“人”の畏怖が何たるかを知れ!!」

 

 止まった風などもはや何の力もない。刹那に噴き上げた爆炎に目がくらんだシャニーへ渾身を振り上げ、業火をまとう蹂躙の拳を浴びせにかかる。

 

 ────赫キ竜焔ノ哮リ(タイラント・ロア)ッ!!

 

 シャニーは焦って剣を鱗から引き抜くが、その刹那の内に拳が目の前に迫っていた。

 もうこの距離では避けられない。脳裏に九月の戦いが蘇る……あの時と同じようにするしか──いや……違う。今はある────逆境を打ち返せる反抗の力が、今はある!

 

「セチ! 拘束全解放(オーバードライブ)だよ! 負けないんだから!!」

 

 今一度セチの魔力を全開に引き出して刃に乗せ、拳に向かって青焔を渾身に打ち付ける。

 

「異能同士の真っ向勝負……ッ、面白い!!」

 

 ただの剣ではない、精霊の“まんま”が握る剣から迸る風の魔力を、火炎の魔人は嬉々として受け止め、さらに純粋なる炎を練り上げ拳に渦を作り上げていく。

 

「いいだろう……。──“まんま”同士、格の違いを見せてやろう!」

 

 “持っている”程度の人間なら今まで飽きるくらい喰ってきたが、目の前にいるこの妖精は違う。精霊と契約を結び、精霊の化身として“まんま”操るこの女なら、久しぶりに本気を出せる日も遠くないかもしれない。

 だが……この程度で()()()()()()()ようでは、まだまだ食い足りない。

 

「己の限界を知れ!! 妖精!」

 

 シャニーは何度も目を見開こうとしたが、どんどん視界が霞んでくるばかり。相手の拳を押し返すことに精一杯だったはずが、どこか意識が遠くなってくる。

 そこへ怒号と共に膨らんでのしかかって来た業火。どれだけ意識を引き戻そうとしても、何故かどんどん遠くなるばかりで気力だけが空回りしているように宙に浮く。

 

(何故、どうして?! セチ……!)

 

 迫りくる灼熱の太陽の如き拳をついに抑えきれなくなって限界を超えた。バランスを崩した剣が宙に弾かれ、シャニーの体もまるで指で弾かれたボールのように跳ね飛んだ。

 

「がはっ」

 

 精霊の加護を失った彼女に空中で態勢を戻す術はなく、天馬騎士として培ってきた受け身も暴君の一撃の前では全くの無力。地面に叩きつけられ、そのまま雪原を転がりようやくに止まった。

 かろうじて肘をついて上体を起こすと、雪原に突き刺さった剣が視界に映った。その後ろからゆっくり赫髪の暴君が地面を揺らして歩いてくる。

 

「まだ……まだだ、セチ……もう一度」

 

 武器が無ければ何もできない彼女にとって、剣を弾かれた時点ですでに勝負は決していた。それでもまだこの距離なら、風の魔力に任せて飛び出せば剣を掴めるかもしれない……。

 希望を掴もうと呼びかけても応える声はなく、乾いた体からはもう何も湧き上がってこなかった。

 まただ。またしてもこの男の前に為す術なく弾き飛ばされて転がる姿を見下ろし、思わず悔し涙が零れた。

 

「これでも……届かないのか……ッ」

 

 技も力も全てを跳ね退けられ、ぼやけた視界は支えを失いそのまま雪に伏した。無意識に瞳が閉じていく……。高めれば高めるほど、より高くなる炎の壁に跳ね返される悔しさと、ようやく止まった自分への心地よい安堵に沈んでいく瞳。

 

 ソルバーンは進路にある剣を引き抜くとシャニーの許まで歩いてきて、彼女の前言通り燃え尽きた姿をじっと見降ろす。

 

「バカめ……」

 

 未熟さを残す稚き妖精の寝顔に静かな落胆を漏らすとサングラスをかけた。

 

「ようやくスタートに立っただけで満足してんじゃねえよ」

 

 今のところは、一人で立とうとしただけ合格にしておくべきか。

 まだまだ、こちらも燃え尽きられるくらい楽しめるようになってくれなければまるで喰い足りない。

 

 彼はシャニーを片手で抱えると肩の上に乗せ、次なる強者を求めて雪原から姿を消すのだった。


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