ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
もうずっと、この部屋からイリアを見つめてきた気がする。そしてこれからも続くと思っていた。
それが、あと1か月でピリオドを迎える……──新生天馬騎士団はこれからどうなっていくのだろう。
偉大な先代たちが守ってきたものを進化させ、繋ぐことが出来たのか……ずっと省みていたのでした。
シャニーが医務室で夢を語っている頃、第一部隊副将ソランは団長室を目指して廊下を歩いていた。
背筋のピンと張った姿はそれだけで威圧感を醸し出し、行き交う騎士たちは思わず頭を下げていく。
鬼将軍の異名をとるほどに厳しい彼女は、たとえ所属部隊外の騎士であってもだらしなければ容赦なく叱責を浴びせるので、皆刃に触れるかのような緊張感に包まれて自然と背筋が伸びる。
「第一部隊副将ソランです」
何か様子がおかしい。いつもならノックをしてすぐに声が返ってくるはずなのに、まるで中に誰もいないかのような静寂が廊下まで伝わってくる。
あの生真面目なティトが、妹のようにやんちゃをして一人でどこかへ出かけていくとは考えづらい。
しばらく待っても返事は返ってこず、ソランは腰に差した短剣に手を当てながらドアを開けた。すぐに見えてくる空色の髪。
「ティト、どうしたの? 返事もしないで」
ツカツカ歩いていき、窓辺に佇む傍まで行ってもまだティトは気づかない。
顔を覗き込んで声をかけると電撃でも流されたかのように肩が跳ね上がって、見開く瞳を見ても本当に気づいていなかったと分かる。
「えっ、ドアノック……しないわけないわよね、あなたが」
ティトは改めて相手の顔を見て首を傾げた。
また妹が何か見つけて報告しに来たのかと思ったが、目の前にいるのはソランだ。ドアのノックを忘れて飛び込んでくるような性格では無い事は一番に知っている。
「あなたらしくないね、どうしたの?」
ティトは真面目を絵に描いたような人だ。彼女の反応に首を傾げるソランは視線をティトから机の上に映してみる。契約書類が日付を記入したところで途中のまま放り出してあった。やはり、いつもと様子が違う。
怪訝そうに見つめてやると、しばらくティトは困った顔をしていた。
「クレイン様の事で頭がいっぱい──なんてあなたに限ってないとは思うけど」
「ち、違うわよ!」
それでも、クレインの名前を出した途端だった。詰まっていたものが飛び出すかのように反論してくるものだからソランは笑ってしまった。
茶化されたティトは口をへの字に曲げると一つ咳払いをして無理やり話題を切った。
「今日はもう、2月20日よね……。あと1か月なんだなって」
そっと窓の外に視線を映し、ティトは独り言のように漏らした。
昨年の今頃はまだ、天馬騎士たちを集めて廻った旅を終えたかどうかの時期。
もうずっとこの部屋からイリアを見つめてきた気がするが、まだ1年しか経っていないと思うと不思議な気持ちだった。
そして、天馬騎士としての人生があと1か月でピリオドを迎えると思うと、それはもっと不思議な感覚だ。ずっとどこまでも続いていくと思った道が、ある日突然無くなる……その時どんな気持ちになるのだろう。
「あっという間だったね。あなたが暫定団長になったの、まだつい最近みたい」
ソランも窓辺に歩いてきて、団長と二人でイリアの雄大な自然を見つめる。
ベルン動乱が始まるまでは、ティトは分隊長だったしソランにいたっては役職も無かった。
だけど、幼馴染が金のブローチをマントに輝かせたあの日、何故か何も違和感は湧かなかった。そこからずっとタッグを組んで第一部隊を守って来たが、もうずっと二人で戦って気さえする。
「本当に大変だったわ。あちこち聞きまわって世界に散らばった天馬騎士を探して……」
とにかく様々な事柄が起きた1年だった。波乱の入団式から始まり、妹の暴走に何度も落胆し、アルマの傍若無人に肝を潰して、団長選出戦では変わらないイリアの悪しき轍に悩んだ。
走馬灯のように浮かんでくる記憶からは、次第に嬉しい思い出も一杯に湧き出してきた。騎士団の再建、妹の叙任、そして士官への任命、クレインとの再会にゼロットからの称賛……。
「まさか……私なんかが、団長になるなんて思ってもいなかった」
ユーノからブローチを手渡されたときは正直逃げ出したかった。もっと適任者がいると思ったし、自己主張の強くない自分では務まらないと、内心首を横に振っていた。
それでも、姉の期待やシグーネの無念を背負う決意で、先頭をここまで走って来れた。
動乱で浮き彫りとなった弱きイリアを、他の国同様生まれ変わらせるために、天馬騎士団の礎を作ることが出来たなら……ようやく恩返しができた気もする。
「そう? 私はあなたしかいないと思ったけどね。シグーネさんもだいぶ鍛えてたじゃない、あなたのこと」
ティトは謙遜なのか狼狽しているが、ソランにとって新生天馬騎士団の団長は、最初から一人しかイメージは無かった。
もしイドゥヴァが団長になっていたら騎士団には戻らなかったかもしれない。それくらいにティトの堅実で実直な性格を信頼していたし、それが決してマイノリティでない事は団長選出戦でハッキリ結果として出た。
本当にそうなのか……ティトの顔にはそう書いてあり、シグーネの名前が出るとそれは更に色濃くなる。
「今でも分からないの。シグーネさんが生きていたら、天馬騎士団をどうしていたか」
国を守るために、やむを得ず敵国に付く選択をしたシグーネを討ったあの時の事はあまり思い出したくはない。
シグーネの想いは雪へと埋もれ、敵国に付いた事実だけが残り、民との関係に亀裂が入った。
もしシグーネが生きていたら、どのようなかじ取りをし、どのように民との関係を修復したのか……大先輩ならきっと、自分と違うもっといい方法を採ったのではないか。そう思えてしまう。
「あなたがやって来たことが一番正しいのよ」
その考えをソランは真っ向から跳ね除けて疲れた団長を労った。
「あなたを否定できる人なんて誰もいない」
誰も歩んだことの無い道、そこへ新たなレールを敷く者を一体誰が非難できるだろうか。もし、異論があるならば、石を投げるのではなく共に支え共に歩むべきで、かけるべきは罵声批判ではなく、慰労と意見のはずだ。
「そうかしら……」
今も頷こうとしない団長に、ソランは机の横で誇らしげに輝く銀の槍を指さした。
「そうだよ。軌道に乗って来たし、肝入りの部隊も成果出してるじゃない」
戦力的に動乱前のレベルまで戻るにはまだかなり時間がいるだろうが、確実に進化したと言える部分もある。
ソランが指さす銀の槍はゼロットから十八部隊が賜ったもの。どんな批判にも耐え、彼女たちの傘となり護り続けた半年。そこから咲いた花が認められ、イリア連合に話題が上がるほどにまでなったのは、団長の一貫した方針があったからだ。
────新人を、ただの傭兵で終わらせない。イリアを創る人財を育てる
クレインにも以前言われた。これは国を動かす者の葛藤だと。
少しでも実を結んだならば……ティトの口元にようやく微かな笑みが浮かぶ。
「あの子たちは本当に頑張ってくれてる。心から感謝してるわ」
最後までその道に残ったのはわずか4名ではあるが、それでもこれだけの成果が出たのだ。妹のあの瞳を、あの誓いを信じて良かったと思える。
一人が花を咲かせれば、きっと周りにもたくさん咲くはず。来期の新人たちもきっと配属させて大きく育てていくべき部隊だとティトは確信していた。だからこそ、この道から自分だけ外れていくのは寂しく残念でもあった。
「もっと自信持ちなさいよ。クレイン様を支えるんでしょ?」
これだけ目に見える成果を出し、イリア連合からも認められていると言うのに、ティトはいつも謙虚で、見ているソランのほうがむず痒かった。
もっと喜びを前面に出したっていいと思うことはしょっちゅうだ。本人が言えない分、自分たちがしっかりと労い、讃えてやること。それが彼女にとっての一番の癒しになることを第一部隊のメンバーは知っている。
だが、これからはそれではいけない。それをする側にティトは回らなければならないのだ。
「ええ、今迄ずっと支えてもらったから今度は私が……どこまで出来るか分からないけど、精いっぱいやるつもり」
ほっと安心した。ティトの口ぶりからするに、それは彼女も理解しているらしい。あのリグレ侯爵家の銀の貴公子が見初めた人だからそんな心配は要らなかったか。
肩をポンポン叩いて幼馴染の健闘を祈りながら、ソランは窓の外に映していた視線を少しずつ降ろし、カルラエ城の中庭まで辿り着くと大きくため息を漏らした。
「あなたがいなくなった後が心配だよ。あの人が団長じゃね……」
今迄は副団長の立場だったから、そこまで目立った行動はとってこなかったが、以前から現体制への不満はありあり伝わってきていた。
国内蔑視の意識、改革への批判、資金の出し渋り……浮かび上がるシーンの尽くにおいて、ティトに盾突いていた顔ばかりが思い浮かぶのは、ただの被害妄想ではないはずだ。あれに枷をする存在がいなくなると思うとぞっとする。
「いくらイドゥヴァさんでも、そんな露骨なことはしないと信じてるわ」
口にした心配にティトは首を横に振るが、どこまで本心なのだろうか。彼女が心からそう思っているなら、もう少し違う言葉が口から出ていたはずだ。
何より、正面に立ってあの古狐の視線を浴びてきた彼女が何も思っていないはずなどない。会議の場での二人の関係など、ほんの氷山の一角に過ぎない。露骨なことが出来ないはずのその場面でさえあの態度だったのだから。
「どうだか」
自分でも捨鉢だと思うくらい、言葉に態度が出てしまった。
「私たちは下位部隊に降格だろうね。ま、西方へ飛ばされなきゃヨシかな」
おそらく大規模な部隊の再編成が待っているだろう。
団長直下が第一部隊に昇格となり、あそこの副将……アルマがそのまま第一部隊の副将となるか、空いた第二部隊の部隊長に昇格するか。
第三部隊や旧第一部隊のようなティト派の人間が集まる部隊は、二桁の部隊になればまだマシぐらい。最悪西方三島出張所への流刑が待っていても、あの女ならおかしくない。
もしそうなったら、ティトには申し訳ないが騎士団を退団するつもりだ。
自分は辞めて実家の商売を手伝えばいいが、もっと問題な部隊がある。
「私たちより、ティトの妹さんかな、心配なのは。目の敵にしてたでしょ」
7月の団長選出戦以降、十八部隊に対するイドゥヴァの態度は余りに露骨だった。それでも9月までは部隊長がレイサだったからかイドゥヴァも手を出していなかったが、10月以降の攻撃の激しさは噂になっていたくらいだ。
「何だか……あの子たちに辛い役目を押し付けてしまったみたいで心苦しいわ」
不安ではあったが、それを第三者の口から改めて言われるとティトの目も弱く俯いた。
部隊長会議でも、執拗な個人攻撃を妹が浴びせられていた場面を何度も目撃してきた。団長の立場からしかそれを見つめることが出来ず、胸を痛めたシーンも数えきれない。
十八部隊への怒りの全てをシャニーへぶつけて、それでも足らないくらいの剣幕だった。
「まぁ何とかするしかないけど。逞しいじゃない、あの子。みんな噂してるよ、お母さんとそっくりだって」
これからは守ってあげられなくなる。ティトにとっては胸を締め付けられる思いだが、ソランはあっさりとした物言いだった。
普通の人間なら10月の内にとっくに病んで辞しているに違いない。
それがここまで戦ってきて、聖天騎士団からは『妖精』の称号を、イリア連合からは名誉の銀を贈呈されているのだ。
このままの勢いなら、将来きっと団長まで上り詰めるのだろう──ソランは漠然としたイメージを浮かべていた。イドゥヴァと戦う姿をすでにシャニーたちの母親、何代か前の団長の姿と重ねている古参も少なくない。
問題は……そこまで騎士団が生き残っているかだけ。あの焼き畑的なイドゥヴァのやり方では先細りするばかりだ。
「シャニーには命を大事にして欲しい。それだけよ、あの子に望むことは……」
妹が名誉の道を突き進むことは、それはそれで嬉しい事。だが、ティトにとってはとにかく妹の無事だけが全てだった。
この1年間だけで、何度妹と会えなくなるかもしれない絶望に叩き落されたことだろうか。特に聖天騎士団の
「あの子のためなら、私は……──心を鬼にできる」
誓いを鮮明にして1年前とはまるで別人と成長したのに、それでも彼女はどうしても分かってくれない。
自身が傷つくことは、仲間の心も傷つくということを。それが何も変わっていないことをソランの言葉が伝えて来て心が抉られる。
「ああ、そう言えばあの子、またどっかでやんちゃしてきたのかな。頭真っ白でぼろぼろだったよ、さっき」
あまりにサラッと言うので、最初は頭が受け付けなかった。理解した途端、体が氷になっていくかのように固まっていく。
それまでじっと窓の外を眺めていた彼女は、凍りついた顔をようやくソランに向けたが、表情を作る余裕などなく真っ青に死んでいる。
「なっ、何でそれを早く言ってくれないの?!」
雑談の間にぽろっと挟むような話ではないだろうに。
しばしの沈黙の後、胸倉を掴む勢いでソランに駆け寄ったティトは目で問うた。妹は無事なのかと。
そんな懇願の眼差しを前にしても、ソランの言い草は実にあっさりとしたものだった。さすが鬼将軍の異名を持つだけあるのか、判断基準もかなり厳しいらしい。
「自分で医務室行きますって言うから、ああそうって。きっと大丈夫だよ、笑い返す元気くらいはあったみたいだし。やっぱ逞しいよ」
穏やかだが芯の通った人間にソランには映っていた。だとしても、やはり可愛い妹なのだろう。居ても立っても居られない様子でティトは見つめてくる。
ひとまず安心させようとしたのだが、居場所を知るとティトはもう体の向きを変えてドアへと踏み出そうとしている。
それでも、やはり彼女は団長だった。ここが団長室なのだと思い出した背中がふいに立ち止まる。
「そう言えば何か用があったんじゃなかったの?」
「ああ、そろそろ連合会議の準備をしないとって声をかけに来たのよ」
ソランに言われて思い出したかのように時計へ目を下ろしたティトは、はっとしてすぐに踵を返すと外出の準備を始め出した。
妹の事は心配だが、イリア連合の会議があるエデッサ城まで、すぐにでも飛んでいかなければならないほど時間が経ってしまっていた。
「資料のチェックもだけど、今日の挨拶、しっかり考えないといけないでしょ?」
ソランは武具を装備し終えた背に回ってマントを羽織らせてくれ、今日の主役なのだと声をかけてきた。
任期中最後となるだろう今回の連合会議で、他騎士団の長へ退団を報告するつもりだった。
もう大分前に、ゼロットやフェリーズと言った大手の騎士団には直接赴いて報告してあるが、それでは済まないほど天馬騎士団は大きな騎士団なのだ。
「ええ、もう決めたことだもの。ケジメはしっかりつけないと」
一堂に会するあの場で、自らの口で宣言する事が何より大事となる。
天馬騎士団の再建の完了と、新生天馬騎士団の出発を宣言する重要なケジメの場。
終わりと始まりを記す場所へ向けて、ティトはゆっくりとした足取りで団長室を後にし、ソランはその背中にずっと敬礼していた。
97代目団長は、間違いなく偉大な人物だったと尊敬の念を込めて。