ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
このままでは十八部隊は解体され、イリアの人々との約束を果たせなくなってしまう。
膝を突くシャニーに、仲間達は決意を示すのでした。
(一体なんで、こんな事になってしまったの? どうしたらいい? 何処へ行けばいいんだ……)
先頭を歩くシャニーの黎き瞳は死んだままループに陥っていた。
一列になってツカツカ歩く十八部隊は、まるで繋がれた囚人のよう。
行きかう騎士たちは下された処遇を知っているのだろうか。視線があちこち刺してくる気がする。
ますますスピードを上げるリーダーの俯く背中に、仲間たちは何も声をかけられずにいた。
ようやくに見えてきた詰所。
皆が部屋に入ったことを確認すると、シャニーは静かにドアを閉めた。
重すぎる沈黙が部屋の中を包む。
「シャニー……どうしよう」
固まったままの背中。
ドアを閉めた格好のまま、石のように動かなくなったシャニーの背に手を添え、堪えきれない不安に答えを求めてレンが声をかけた。
だが、イドゥヴァと精魂懸けて戦った今の彼女に、仲間を支えるだけの気力は残されていなかった。
悔しさに腹が震えて、喉が、声が引きつり嗚咽が漏れる。どれだけ奥歯を強く噛もうとしても、腹から噴き出す絶望は凛と構える心を易々乗り越え涙が溢れてきた。
「こんな……こんなことって……ある? こんな……バカにされることなんて……ある?」
その場に崩れ落ちて、腹から込み上げるものに抗えなくなった彼女は悲痛に喘いで彷徨った。
悲しみ。それは春を迎え周りが喜ぶ中、自分だけ雪の中へ沈んでいくような深い悲しみ。頭に、肩に、雪崩のようにのしかかる絶望に立てない、動けない……。
普段の自分を抑え込み、己を奮い立たせて力の限り戦って、それでも何も変わらなかった。
精根尽き果てた今、どうやって立ち上がればいいか、もう分からない。
「イドゥヴァ団長代理の意向は理解したか?」
悲痛の氷雪に埋もれていく背中へ掛けられた声。
振り返ってみると、部隊長席の端に腰掛け、腕を組みながらこちらを見つめるアルマの視線とぶつかった。
シャニーの脳裏に、あの部屋で叩きつけられた言葉が蘇る。
どうして、何故……その問いに納得できるような答えは一つももらえなかった。
お前たちでは実力不足──。……そんなはずはないのに、イリアの人々はみんな託してくれたのに、なぜあの人は生きる意味を取り上げようとするのか。
何一つ納得出来ずアルマを見上げた。下唇を噛みながら咽び泣き、言葉を上手く絞り出せない。
「アルマ……あたし悔しいよ。悔しいよ……こんなの、こんなの……」
自分の気持ちとどう向き合えばいいか分からない。
ずっとイドゥヴァの仕打ちには我慢してきた。我慢して、託してくれた人たちの顔だけを思い浮かべて戦ってきた。成果だって出したのに……。
────命令に従えないなら身分を剥奪する。お前達では不十分
あまりに一方的すぎるじゃないか。
人から大事な家族を、生きる意味を奪っておいてあまりにも冷淡ではないか。
今でも気持ちは変わらない。この仕事は、十八部隊は自分たちでなければ務まらない。そう断言できる。
なのに、あんな命令一つでそれを手放さなければならない現実と、どうやって向き合えばいい?
やり場を失って天を仰ぎ、憤りをぶちまけながら痛哭していると、ふいにアルマの声がした。
「お前は自分の手で切り拓くと、そう言ったよな?」
「言ったよ……言ったけどさ……」
「けど、何だ? お前が欲しいのは慰めか? 少なくとも、私が知るのは、こんな無様な姿ではないな」
涙に化粧が崩れ、目元を真っ黒にするシャニーは嗚咽を漏らすしか出来ず何も返せなかった。
彼女の言う通りだ。戦えなくなるまで戦う覚悟だってとっくに出来ている。
だけど、仲間の命まで握られているのでは身動き出来ないではないか。
感情の振り先を間違えたら、周りの人生を狂わせてしまう。もう二度と、そんな真似はしたくない。
鎖に繋がれた今、打ち砕かれた心は震えるばかりで何も湧き上がって来ない。
「お前! 団長の腰巾着のクセに!」
「私は知っているから言っているんだ。──シャニーの強さを」
ミリアが怒鳴ったが、アルマは落ち着いた口調のまま返してシャニーをじっと見つめている。
未だに何も言わない態度に苛立ったのか、その語気が強くなる。
「ずっと今まで見せつけてきたくせに、ここに来てこんなつまらない終わり方をするのか?」
絶対にさせるものか──アルマの目は怒りさえ含んでそう言ってくる気がした。
「アルマ……」
「どれだけ剣を折られても、信じてくれる人のために戦い続ける。それが誓いだから勝つまでは負けない……そう、言ったよな?」
思わぬ憤りをぶつけられ、シャニーは自身を見下ろした。
負けたくない、背負った信のために戦い続けたい。
だが今、その剣を奪われようとしている。権力という、抗う術の無い絶対的な力によって。この弱い自分にどうしろと……言うのか。
なのに、アルマは容赦ない言葉を投げつけてくる。
「だったら、いつまでそこで泣いている? 泣けば勝てるのか?」
「勝てないよ……──分かってるよ! そんな事!」
「考えるより動くのがモットーのはずだろ。そんな……悲観に暮れて何もしないのは、騙されたような気分だ」
うなだれていたら、アルマが胸倉を掴んで揺さぶりだした。意識を引き戻される。
「何とかしろ。まだ決定事項じゃないんだ。足掻いて足掻いて、泥水を啜ってでも生き残れよ」
だが、されればされるほど、シャニーの心に湧きあがるのは絶望ばかり。半開きの口からは嗚咽が漏れ、玉となった涙が零れていくだけ。
言われなくても分かっている。人々の信の為なら、大事な家族の為なら、何だってする覚悟で戦ってきた。
だけど、だけど今回ばかりは一体何をすればいいのか分からない。
このまま抗い続けても、待っているのは身分剥奪だ。仲間にも波及する地獄の末路に向かって、無策に歩いていくわけにはいかない。
「何とかって……言ったって……」
「諦めるなど私は認めないぞ。そんなお前は、私の知るお前ではない」
体中を絶望で雁字搦めにされ底なしの沼に沈む今、揺さぶり、立ち上がらせようとする親友の言葉があまりにも遠い。
諦めたくない、その気持ちはアルマに負けないくらい抱いてきたつもりだ。分かっている、こんな自分が自分ではないことは。
今度こそ終わり。圧し掛かる絶望に再びうな垂れた、その時だった。頭上から稲妻の如くアルマの声が打ち下ろす。
「いいのか、お前は! このまま何もせずに終わっても何とも思わないのか! お前の誓いは嘘かッ!」
嘆き、喘ぐ心へ直接投げつけられたような腹に響く怒声。突き刺さるや目は見開き、青が光を取り戻す。
「そんなわけッ、そんな訳無いに決まってるじゃない!!」
シャニー自身も驚くくらい、大きな声が出た。
この誓いが嘘だなんて絶対に無い。悲しみも苦しみも、悔しさに喜びに痛みでさえも全て掲げた、生きてきた軌跡そのものが嘘なんて。
嫌だ。このまま終わるなんて嫌だ。今までを全否定されて、この悔しさをそのままに諦めるなど。
(────絶対に嫌だ!!)
親友の言葉が、少しずつだが絶望の沼に沈む心を引き上げる。
譲れない想いと、逃れられない現実。狭間で視線は左右に彷徨いながらも下唇を噛む。
とにかくまずは……泣くことを止めなければ。
「リーダー、私もアルマに賛成だよ。このままやられっぱなしじゃ悔しいじゃないか」
背中に添えられる手。見上げたらルシャナの真剣な眼差しがあった。
覗き込むように見つめられ、俯いていた顔がようやくに正面を向く。何か、救われた気がした。
駆けてくる足音と共に今度は右手を取られた。ミリアの元気な顔が氷の女王に凍らされた心を熱くさせる。
「そう思うっス! ウチはシャニーが隊長の王国騎士団の一番になるッス、それまでは絶対に諦めたくないッス!」
ミリアの叫びは祈りのようだ。
強く手を握られ、目に力が戻ってくるのがシャニー自身にも分かった。
肩に圧し掛かる絶望から引っ張り出すように、ミリアは更に強く握り引っ張って来る。
「約束したじゃないッスか、一緒に頑張ろうって!ウチ、シャニーと戦えなくなるまで戦う覚悟なんてとっくに出来てるッスよ!」
仲間は、今も信じてくれている。もはや処刑台に上がったも同然なのに、それでも戦うと言うのか。
呆然と仲間を見つめて力なく垂れたままの左手を、静かに屈んで寄り添うレンが握る。
「シャニー……約束した。逃げないって。一緒に戦おう? シャニー」
ハッとして思わずシャニーは息を呑んだ。レンが彼女の団員証を握らせてきたのだ。
瞠目していると彼女は静かに微笑み、団員証を握る手を自身の手で包んで、そして続けた。「どんな運命が待っていても、一緒に戦って全部シャニーと受け止める」
信を託す八つの瞳に見つめられ、震えだした青い瞳は見る見るうちに輝きを取り戻す。
それを確と感じたアルマは、掴んでいた胸倉から手を離した。
「お前が集めた信はその程度なのか? そんな簡単に放り出してしまうのか? 背負って、足掻いて、最後まで戦ってくれよ。 皆を、──私を裏切るなよ」
裏切る──その言葉を聞いた途端、瞳が揺れた。
一体、何を考えていたのだろう。何故、やる前から諦めていたのだろう。仲間がこんなに覚悟を決めているのに、どうして自分だけこんな座り込んで泣いていたのだろう。
彼らの信から背を向けて裏切ろうとしている。気づいたら、絡みつく底なしの沼に沈む気持ちが一気に噴きあがってくる。
自分の存在意義は、誓った想いは、掲げた剣は、一体何のためだった?
(あたしが諦めたら、誰がイリアの人々を守るの? ──礎になって、イリアに春を取り戻すんだ)
まるで夜が明けるかのように、力を取り戻した瞳が前を向く。
「……分かったよ、最後の最後まで足掻いてやる。この剣は誓いを貫くためにあるんだ。戦ってもダメなら、その時は肚を括るさ」
覚悟を決めて立ち上がったら、仲間たちに自然と笑顔が咲いた。
腹を括る……その意味は一つしか無いが、前に進む以外に十八部隊には残されていない。
「良く言ったよリーダー。私たちも最後まであんたについていくさ。絶対に勝とう」
決戦を前に、背中をさするルシャナの励ましが温かく沁みる。
「ルシャナ、ごめん。いっつも支えてもらって、ありがとう」
「何度も言ってきたろ? リーダーはあんたで、ついて行く覚悟はとっくに出来てるって。最後の戦いかもしれない。けど、その瞬間まで独りにするつもりなんてないよ」
上官と部下の関係ではなく、一人の友としてルシャナは肩を包んで抱きしめてくれる。
絶望と決別させてくれる友の想いに、ぎゅっと閉じた目じりから涙を零すシャニーの両手を、ミリアとレンが取って立ち上がらせる。
「絶対に十八部隊を守るッス!」
「ん、私たちの帰る場所。家族を守る」
為すべきは最初からはっきりしていた。それが今、十八部隊としての絶対命令と変わる。
背負った信の鼓舞に支えられて立ち上がり、再び開かれた瞳。
誓いを取り戻した青焔を滾らせ、前をはきと見据える力強さをその横顔は取り戻していた。
一時の感情で、託してくれた全てを裏切ろうとした自分を戒め、彼女は青焔をそっと心にしまうと白い歯を見せて笑って見せた。
「そうだね。こんな時こそ笑って、笑って! へへっ、らしくなかったね、あたし」
この瞳があれば戦える。不思議とそう思わせる朗らかな春風が戻ってきて仲間たちの顔にも、そしてアルマの口元にも笑顔が浮かぶ。
「それだ、それこそが知っているお前だよ。お前の強さは、誰にも奪えやしない」
共にイリアを築く──戦友の契りを交わした決意を宿す笑顔へ、すっと差し出すアルマの手に躊躇いはなかった。
「……微力ながら、私も手を貸そう。何かあれば言うと良い」
ミリアをはじめとして、目をむいて仰天したのは言うまでもない。
あのアルマが、ずっと十八部隊を貶し続けてきたイドゥヴァの右腕が、敵に手を貸すと言ったのだ。
だが、シャニーだけはその目に浮かんでいた驚きは違った。
絶体絶命を前に駆けつけてくれた親友が絶望から立ち上がらせてくれ、今度は背中を守ると言ってくれた。千切った涙はもう絶望の為なんかではない。
「アルマ……ありがとう。本当に……ありがとう」
友の存在をこれほどまでにありがたく思ったことは今まで無かった。アルマの両手を取って何度も、何度も感謝を口にする。
だが、アルマはそんな時間を許してはくれなかった。シャニーの手を払いのけた彼女は、壁に立てかけていたショートランスを手に取るとじっと睨んできた。
「感謝は後だ。今はとにかく動くしかないだろ?」
どれだけ決意を燃やしても、結果が伴わなければ何の意味もない。イドゥヴァに指定された明日の夜まで、もう時間は限られているのだ。
────早くオーダーを出せ。お前がリーダーだろう
睨むような目がそう伝えてくる。
今の自分たちに何ができるだろうか……目を瞑ると色々な人々の顔が浮かび上がってくる。
助けてもらうしかない、あの人たちに。
再び開いた瞳が、第十八部隊へ決戦前の最終オーダーを告げる。
「よし、皆のところにお願いしに行こう。嘆願書を出すんだ」
かつてレネスを訪れた時に村長が約束してくれた言葉。
彼は本当に各地の村々に連絡を取ってくれていたらしく、行く先々で声を掛けられたことを皆忘れるわけはなかった。
わずかな時間で出来る最大の反抗。これに賭けるしかないと誰もが静かに頷く。
「レネスは私に任せると良い。お前たちはとにかく近場で数を稼げ」
「え、でもレネスに帰るのは誓いを果たして──」
アルマの誓いを思い出したシャニーはそれを問おうとしたが、彼女はそれを遮った。
「そんな事を言っていられる場合じゃないだろ。お前は絶対必要なんだ。こんな所で途中退場されて堪るか」
お前が必要──その言葉にシャニーは心を撃ち抜かれた気がした。
認めてくれない人もいる。だけど、周りにはこんなに好きだと言ってくれる人がいる。
親友の力強い後押しに、彼女は笑顔を隠し、決意をその瞳に映して仲間たちへ次々指示を下していく。
「あたしは東のエデッサ方面に行く。ルシャナは西を、ミリアとレンは北と南をお願い」
リーダーから指示を受け、今にも飛び出していこうとするミリアをレンが止める。
シャニーはそっと腰から剣を引き抜いて頭上へと掲げていた。十八部隊が大きなオーダーをこなす前の大事なルーティン。
リーダーの掲げる銀の剣に仲間たちは次々自身の武器を重ね、最後にアルマも槍を重ねる。
一度は別れた道。だが今は、夢を同じにするこの心は共にある。
「第十八部隊、これより作戦を開始する! あたし達の部隊を守れッ、行くぞ!」
「イエス、リーダー!」
誓いの号令が響き、弾丸の如く飛び出していく若い部隊。
これからの作戦に全てがかかっている。誰もが覚悟を刻んだ滾る瞳で厩舎に飛び込み、天馬を駆って各々別の方角へと飛び立っていく。
シャニーも東のエデッサに向かいかけたが、何かを思い出したように天馬を宙返りさせて引き返し、西を目指すアルマの背を追った。
「ありがとう、アルマ。でも、いいの? アルマはイドゥヴァさんの……」
「それ以上言うな」
早く戻れと言わんばかりの視線を向けられた。
それでも、感謝は伝えておきたかったし、何より聞いておきたかった。もしかしたら、このメンバーの中で一番腹を括っているかもしれないのはアルマなのだから。
だが、彼女の鋭い横顔は伝えてくる。余計な心配だと。
「私はあの人になびいたつもりはない。信じる道を行くだけだ。お前だってそうだろ?」
怒りさえ含む鋭い眼差しを向けられても、シャニーにとっては聞いて良かったと思えた。
そうだ、友の言う通りだ。自分の信じた剣は、決して独善の魔剣なんかではない。多くの人々の想いを聞いて、受け止めて、少しずつ磨き上げてきた剣。それを簡単に放り捨て、裏切ろうとしていた。
全てを遮り、蝕む絶望とは、なんと恐ろしいものなのか。そこから引き揚げてくれた仲間たちの声が今でも脳裏に響く。
「みんなのおかげで目が覚めたよ。絶対に諦めない、絶対に逃げないよ」
今までも何度も躓き、立ち上がれないと泣いて、その都度仲間たちに手を取ってもらって再び歩いてきた。そして、今回も。
(この気持ちのまま……行けるところまで行ってやる!)
決意が疾駆し、ショートレイヤーで風を切る横顔にアルマは何も返さずじっと見つめている。強さと弱さ、その両極端を湛える青い瞳を。
その視線に気づいたシャニーはアルマをしっかりと見据え、武運を祈って敬礼すると一言決意を残した。
「どんなに非難されても、どんなに拒絶されても。託してくれる人たちのために、あたしの剣は、信じるままに進むんだ」
宙返りして東へと転進し、小さくなっていく背中。再び二人は背を向けあうが目指すところは今も一緒。
「それでこそ、私の知るお前だよ」
ポーカーフェイスをふいに彩る笑顔。アルマは一言呟くとその眼差しは一気に鋭くなった。今は友を信じて、ひたすらに前へ進むしかない。
残された時間は一日半。明日を掴むため、戦乙女達は空の彼方へと吸い込まれていった。