ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
シャニーは十八部隊存続のため、自身の騎士叙任をかけて団長イドゥヴァに挑む。
夜空を翔ける一騎の天馬。その軌跡に鋭さはなく、ふらふらして危なっかしい。
「もう、もうこれだけ集めれば十分かな……」
馬上でシャニーは意識を引き戻そうと、自身に声をかけた。
視界が垂れるまま、肩から下がるカバンを見下ろした。中には嘆願書がぎっしりだ。
「いや、まだだよ、まだ時間あるじゃん! あと三十分……ううん、飛ばせばまだ一時間はある!」
十分──そんな言葉は、どこまで行ったって無い。
団長を説得する武器は、いくらあっても不安だ。それでも、少しずつ、まぶたが落ちてくる。
「眠い……」
震える声で一度は弱音を吐いたが、すぐに自ら叱る。
「ダメッ、今この一時間をムダにしたら……ずっと後悔するよ。そんなのイヤ! 絶対に、ゼッタイに諦めないぞ。十八部隊は……あたしたちの帰る場所なんだ!!」
──3月3日 PM11:00 カルラエ城
とても、とても静かな夜。春を迎えたイリアとは思えないくらい、風もなく、獣の遠吠えも聞こえてこない。
無音だった廊下を叩き始めた靴。弱く、途切れながらに続くそれは、ようやく詰所まで辿りつき、扉に体重をかけて押し開けた。
「アルマ……」
シャニーは真っ先に見えた赤髪の友を呼んだ。
すぐに仲間たちが駆けて来て介抱しようとするが、シャニーは両脇に抱えたカバンを差し出した。
一睡もせず、持てる限りの体力と引き換えに託された、両手いっぱいの、きずなの証。
渡したら、糸が切れてしまったように動けなくなった。みんなに暖炉の前まで運ばれる。
寒い。体が小刻みに震え、カチカチと歯が鳴る。
見下ろしたら手先やヒザは泥だらけだ。ずっと目いっぱい空を翔け、行く先々で頭を下げて回ったからか。
それでも、時間はない。渡されたホットミルクを一口しただけで、シャニーは近づく気配に立ちあがった。
「遅かったな。イドゥヴァ団長代理なら団長室だ。お前ひとりで来いと仰せだ」
振り向けばアルマがいた。
ひとり……。疲れきって、何も考えられない頭の中に、わっと湧きあがる不安。
(あの人と独りで戦わなきゃいけないのか……。ううん、違うよね)
静かに振りかえり、机の上を見つめる。
二日間イリアを飛びまわり、みんなで集めてきた嘆願書は、背丈と同じくらい積みあがっている。
(みんな応援してくれてるのに、なにを弱気になってるのさ。絶対に……絶対に勝つよ。勝ってみせる!)
もう今この瞬間だけでもいいと振り絞り、再び目に力をこめて覚悟を決めた。
その両手にふと伝わる、しっかり握る感触。
「シャニー、任せたよ。私たちのぶんも戦ってきて」
振り返れば同じように覚悟を決め、決意を燃やす八つの瞳が見つめていた。
前も、背中も、信たちが強く囲んでくれる。これなら、怖くなんかない。
時計を見おろす……日付を越えるまであと二十分。そこで運命は決まる。
顔をあげ、覚悟を決めて歩き出そうとしたら、ルシャナに強く抱きしめられた。いつも傍にいる──そう言われた気がした。
自然にみんなで寄りあい、いつしか円陣を組んで武器を掲げ重ねあわせる。勝ってくるぞと勇ましく、最終決戦を前に誓いの咆哮が響く。
「うんっ、まかせて! もうここまで来たら、真正面からぶつかるだけさ!」
もう昨日までの沈んだ気持ちはない。全ての信を受け止めたシャニーは、今できる精一杯で笑ってみせ、仲間を労った。
そのまま姿見の前へと身を移し、激戦に乱れた服を整える。
泥だらけのレザーグローブを取替え、サイハイブーツを濁す泥を落とし、風に乱れきった髪へクシを通す。再び鏡に映る自分が、ふと母と重なって見えた。
(お母さん……あたしを、みんなを守って。おねがい)
静かに手を結び、祈っていると肩に何か乗った。
振り向けばアルマがマントを整えてくれている。羽織りなおし、銀の紋章でしっかりと留める。
出撃の準備は整った。シャニーは嘆願書がこれでもかと詰まったショルダーバッグを双肩にかけ、仲間へ身を向け、たがいに頷きあった。
────必ず、みんなの信に応えてみせる
青焔滾る瞳は静かにマントをひるがえし、案内人のアルマと部屋を出た。
早足に廊下を叩く。二人ともぞっとするほどの眼光を宿してまっすぐ、ただひたすらにまっすぐ前を向いて進む。その姿は、まさに戦場へと向かう、勇気凛々の戦乙女。
ついに、たどり着いた運命の扉。
シャニーは立ち止まると静かに見上げ、胸元で手をぎゅっと握りしめた。
(少しずつでいい……この胸に、みんなの勇気を分けて)
その肩へアルマが静に手を置き、横に並んだ二人は背筋を伸ばした。
これからの十分で、すべて決めてみせる──二人は新たな運命をたぐり寄せるべく扉を叩いた。
「イドゥヴァ団長代理、アルマです」
先に声をあげたアルマが、中からの返事も待たずに扉をあけ、団長室へと入っていく。
やはり、この時間でもイドゥヴァが団長席に座っていた。
団長然とした厳しい眼差しは、よく知る赤髪が見えたからか、少しだけ緩む。
「アルマですか。どうした……ん?」
それも束の間のことだった。視線があうと、すぐ眉を歪めたのが分かった。
シャニーは静かに頭を下げると、背筋を立て、イドゥヴァをまっすぐ捉えて部屋へと入った。
再びぶつかった視線に、イドゥヴァの眼差しがさらに厳しくなる。
「あなた、よく顔を出せましたね。ここに来たということは、考えをまとめてきたのですよね?」
そう言いながらも、イドゥヴァの視線はアルマへ向けられている。
彼女は小さく頭を下げただけで、部屋の奥へと誘うようにシャニーの背中を押した。
「はい。イドゥヴァ団長代理」
ハッキリした声で団長の威圧を跳ねのけたシャニーはゆっくり、だがまっすぐ前だけを見据えて団長席へと歩み寄っていく。
ついに距離を詰め、睨み上げてくるイドゥヴァの眼光に串刺しにされながらも、ぎゅっと胸元で手を握りしめた。
(みんなの夢と信、無駄にしない!)
勇気を振り絞り、襲いくる千の槍を跳ねのけて、しずかに、だがはっきりと言いきった。
「国力向上の任は、やはり十八部隊にこそ相応しいと思います。今一度、ご再考をお願いします」
「やはり……──そう来ましたか」
ため息をつくように、そうイドゥヴァは口にした。
シャニーが頭を上げたときには、彼女の視線はアルマに向いていた。アルマの視線に誘導されるようにシャニーを捉え、また視線がぶつかる。
「……貴女はどこまでも、母親にそっくりですね」
その視線から逃れるようにイドゥヴァは席を立ち、窓辺へと身を移した。
「天真爛漫にして、温柔敦厚でありながら勇往邁進し、信望篤い人でしたね……あの人は」
シャニーは反応に困った。いきなり母を語りだして、何を言いたいのだろうか。
その口調は不思議だった。嬉しそうな、なのにどこか尖り、なぜか苛立ちながらも懐かしむようで。
でも、詮索する余裕はなかった。まるで首を叩き落すべく槍を握るように、振り返った目は鋭かった。
「だからと言って、何をしても良いわけではありません。貴女は今、騎士団の決定に従えないと言ったのです。覚悟はできていますね?」
(やっぱり、頭を下げるだけじゃダメか……)
きゅっと下唇を噛んでいたら、横から再びアルマの声がした。
「お待ちください、団長代理」
その声に振り向いたシャニーは、アルマが目配せしてくることに気づく。
彼女の視線はすぐに、双肩にかかるバッグへと移る。
まだ何も始まっていない。武器もない丸腰で挑んだって、勝てる相手でないのは分かっていたはずだ。
胸元のロケットに手を添え、もう一度いのる。
(おねがい、みんな。──力を貸して!!)
何度も心の中で号令を叫んだシャニーは、槍握り死をちらつかせる団長をはっきりと見据え、さらに一歩踏み出した。
「イリア民の嘆願書です。イリアの人々も存続を望んでいます。どうか、どうかご再考を」
団長席に、鞄から嘆願書を取り出して積んでいく。一枚、一枚、みんなにいのりながら。
一枚は薄く、小さくとも、どれも真っ黒になるほど名前が書きこまれ、血判が押されている。
集まった信は視界を遮るほどに積まれた。シャニーでさえも息を呑むほどの量の訴えに、イドゥヴァが目を驚かせている。
いくらイリア連合会議で話題にあがったとはいえ、この数は天馬騎士団領に存在する村の数から考えたら、総意と言っても過言でない規模だったのだ。
「団長代理、これだけの反響がある中での解体は、騎士団への風当たりを考えると得策とは思えません」
「アルマ……貴女は十八部隊長の肩を持つというのですか?」
イドゥヴァも想定外だったのだろうか。困惑の眼差しを右腕に向けている。それはどんどん、沸々としていく。
「それは誤解です」
しかし、アルマはひとつ首を振ると静かに頭を下げて続けた。
「あくまでイリアと、団長代理の御為を思っての愚見。今、いたずらに騒ぎを起こす必要はないかと」
右腕に諫められ、イドゥヴァの目元から一瞬力が抜けた。
槍を退いたまま左右に揺れる視線。親友が作ってくれた一瞬の隙を、シャニーは見逃さなかった。
「お願いします! あたし達から十八部隊を取りあげないでください。お願いします! お願いします……」
必死になって何度も頭を下げる。
何度も何度もショートレイヤーを揺らし、仲間の分まで持てる力の限りを叫び続けた。
下げた頭に、いつ銀の槍を振り下ろされるか分からない。怖い。それでも、まぶたの裏に浮かぶたくさんの人たちにいのり、返ってきた信を勇気に変えてひたすらに声を張り上げる。
窓辺から嘆願書越しに見つめていたイドゥヴァが視線を逸らした。その刹那、アルマが踏み出してシャニーの横に並ぶ。
「団長代理、私からもお願いします。どうか、十八部隊の存続をご検討ください」
必死に戦いながら、シャニーは横から飛んできた言葉にはっとした。
ちらっと見てみる。もう目が飛び出しそうになった。アルマが一緒になって頭を下げていたのだ。
あのアルマが自分たちのために頭を下げてくれている……不思議な勇気が湧いた。
深く、深く、祈るように二人で頭を下げて訴える。十八部隊を、民の希望を取り上げるなと。
しばらくの沈黙の後、鉄のような冷たく乾いた声が聞こえてきた。
「……分かりました。あなた達の気持ちは、沁み入るように分かりましたよ」
再び長い沈黙が部屋を包む。
実際にはほんの数秒かもしれないけれど、必死に刃を振り抜いてきたシャニーにとって、かけられた言葉はすぐには信じられなかった。
ばっと顔を上げたら、見張った目が飛び出しかけた。あんぐり固まって、口のネジが外れてしまったみたいだ。
水がしみ込むように、じわじわイドゥヴァの言葉が心に入ってくると、爆発する気持ちを押さえられなくて思わず団長席に手を突いた。
「ではっ!」
「ええ。十八部隊の存続をお約束しましょう」
(今、団長代理は何て言った? 本当に? 本当に存続って言った?)
横に視線をやると、アルマの満足そうな横顔が映って、これが夢ではないことを伝えてくる。
ようやく、ようやく勝ち取った言葉。
疲れも、恐れも、憎しみも、全てから解放された気がして湧きあがる希望。窓から飛び出してもそのまま飛んでいけそうなほど、心を軽やかに浮き上がらせてくれる。
「ありがとうございます! あぁ……やった、やった!!」
彼女は思わずアルマの手を取り、笑いながら飛びはねる。不思議だ、涙が溢れて止まらない。
でも、アルマは笑って返してくれなかった。それどころか、ギリっと睨んでくる。
「ただし、条件がふたつあります。それを飲めるならの話ですよ」
イドゥヴァからいきなり重い言葉が飛んできて、ドキッと振り向いた。
「ひとつ、来週の団長選出戦では、部隊として必ず私に投票しなさい」
シャニーはきょとんとしてしまった。
条件なんて仰々しいことを言うから何かと思ったら、また選挙の話だ。
四月からの新体制に向けて、団長選出選挙が来週ある。対立候補は数合わせで出したような面子だ。選挙結果なんてやる前から分かっているじゃないか。
だからこそ、ゾクっと背中を走る悪寒。
今まで薄々は勘付いていたが、未だにあの時を根に持っているとはっきり分かってしまった。
だから、こんな仕打ちを繰り返してきたと言うのか。
「分かりました……。でも、あたし達の票なんて、すこしだし……」
また……作られた意志で投票しなければならないのか。
せめてもの反抗を端に漏らしたら、アルマにマントを引っ張られた。
「忠誠を誓えと言われているんだ、シャニー」
票の数など、もはや問題ではなかった。
そんな、今回限りで終わるような話ではないことを耳打ちされて仰天し、声にならない衝撃が漏れた。
「不服ですか?」
視線の先には、不敵に笑うイドゥヴァの顔。
「……いえ」
そう返すしかなかった。
ここで反抗を口にすれば、せっかく掴み取った明日をまた奪い取られてしまう。
──そうだ、それでいい。お前に逆らう術は、もうない
そう投げつけるかのような微笑みが返ってきた。
まるで枷をされたように身動きが取れなくて、逃げ場を失った視線が俯く。
全ては、全ては背負った信のため……そう言い聞かせていると、決定的な言葉がうな垂れる首へ振り落とされた。
「ひとつ、前回の選挙での無礼を謝罪しなさい。自分が何をしたかくらい、貴女でも理解しているはずですよね」
忠誠を誓うには、まず過去を清算しろと言うのか。
窓辺で月光に映し出される陰影濃い顔。光る紫紺の瞳が野心にギラついたのが見え、思わず重心が踵に傾く。
確かに泥は塗った。けど、間違ったことをした覚えなんてない。
曲げられた意志で投票し、イリアの未来を決めるのは誓いに反する。あの決断は、今でも間違っていたとは思っていない。
誓いを、みんなで決めた想いを、横でじっと見つめてくる親友とのきずなの証を。その全てを自分で否定して、あの紫紺に塗り替えろというのか。
すでに四肢へ鉄球を括りつけられた今、羽ばたくことも、駆け出すことも許されてはいない。
それを思い知らせるかのように、イドゥヴァが自身の足元を指さし始めた。
「そこに座って手をついて詫びれば、これまでの無礼は無かったことにしてあげましょう」
脳天から槍で串刺しにされたかのように、体が突き刺さって動かなくなった。
あれだけ膝を突き、前髪で地面をなぞっても、イリアの人々の前ではこんな感情は湧き上がらなかった。
でも、イドゥヴァが指さす月光の処刑台で、膝を突く自分の姿を思い浮かべると虫唾が走った。
(イヤだ……そんなのは絶対にイヤだよ)
何も、何も間違ってはいないし、詫びるような理由は何もないはず。
あの団長選出戦での決断は、間違ってなんか絶対にない。あそこで詫びれば、信に嘘をつくようなもの。
(──そんなこと、絶対に出来ないよ!)
腹からぞっとするほどの怒りと憎しみが沸き上がり、喉元まで飛び出しかけたその時だった。
──ひと時の感情で事実認識を誤るようなことは、部下を持っていく人間として最もしてはいけないことだよ
ふいに脳裏をなぞるレイサの声。団長選出戦でのあの教えが、怒りをぐっと押し戻す。
「どうなんです?」
催促の声に、まるで繋がれた鎖を引かれるように歩き出す。
槍で貫かれた体が、無理やり繰り寄せられ千切れていくように、拒絶する心と現実を受け入れる頭が、バラバラになりながらイドゥヴァの許へと足を引きずっていく。
遂に、目の前に立った。
「早くしなさいよ」
差し込んでくる月光の中に立ち尽くし、なかなか動けないでいたら、痺れを切らしたか苛立ちが飛んできた。
目線を合わせると、ほくそ笑む顔が映って堪らず視線を切った。俯いた眼がわなわな震える。下唇をぎゅっと血が出そうなほど噛んで気持ちを殺す。
──どうした? できないのか? 部隊がどうなってもいいのか?
浴びせられる無言の嘲笑を前に、少しずつ、少しずつ震えながら膝を折っていく。
「……申し訳……ありませんでした。十八部隊を、どうか……」
完全に額を地につけて、消え入りそうな心を必死に奮って謝罪と懇願を漏らす。
無限とも思える悪夢のような世界。
舐めるような視線を感じなくなり、ブーツが床を叩く音が遠くなって扉の蝶番が軋む。
終わった……そう思ったシャニーにとどめを刺すようだった。間を置かず、妖魔の快哉が深い夜に響き渡る。
声から逃れるように、頭を床に押し付けていたシャニーは、あたりに静寂が戻ると、ゆっくり手をついて前髪を揺らした。
「これも、イリアの人々のためなんだ……」
今も心は拒絶に怒りを吼え、爆ぜ続けている。
震える瞳を、拳を、月光が陰陽濃く浮かび上がらせる。
騎士の核心を失ったかもしれない。だけど、翼を毟り取られるまで戦った。
「一番大事なものを守り抜いたんだ。勝ったんだ……勝ったよ、あたしたち」
自身に言い聞かせながら口にした言葉は、それでも屈辱に震えたままだった。
◆◆
部屋を出たイドゥヴァの顔は、もぎ取った勝利に普段の鉄仮面が剥がれていた。
最初は少々驚いた。逆らえば身分剥奪と言っておいたはずが、どう見ても頭を下げに来た様子ではなかった。
立ち止まり、窓から外を眺める。
「あの日も、こんな夜でしたね……団長」
春を前に雪が緩んだ夜。その向こうを見つめていると、あの女の姿が浮かび上がってくる。
「本当に……貴女にそっくりですよ、あの子は」
あの部屋で凛と立っていたあの青髪は、そのシルエットを追うかのようだった。
「ふふ……どう頑張っても、どれだけの策を講じても、貴女には勝てませんでしたね」
在りし日を思い出し、イドゥヴァはぽつりと漏らした。
何回負けても、何回陥れても。それでもあの女は、いつもと変わらない笑顔を湛え、手を差し伸べてきた。
嬉しくもあり、だが悔しく、何より恐ろしかった。
そして今、その時の感情を掘り起こそうとする視線が、背後から突き刺してくる。
母親とそっくりな目だった。
昨日絶望へと沈めてやった蒼は、別人のように強く青焔を滾らせ、前を見据えるその目力で貫いてくるようだった。
徹底抗戦……あの目を見るだけで、何をしに来たかはおおよそ見えたが、まさかあれだけの嘆願書を持ってくるとは。民の全てを敵に回しているようで、さすがに焦らせてくれたものだ。
アルマもアルマだ。あの青髪の背中へ、槍をねじ込む役に回ってもらわねばならない立場。それがまさか、彼女と一緒になって槍を向けてくるとは。
しかし、彼女には今回も助けられたとも言える。
「フッ、敢えて落とした負け戦とも知らず……愚かな小娘よ」
確かに、あのときは一瞬追い詰められた。
未だ団長の座が確定していない今、下手に事を大きくするのは、百の害があるかもしれない。
ゼロットも三月中はまだ国内におり、何よりあの嘆願書の量だ。無視して強権を発動すれば、その反動がどんなものかは想像が難しくない。
しかし、あそこで撤回すれば、あの青髪に……あの女に再び負けることになる。
一瞬そう思ったが、いや、そんなことは無い。フェリーズの言葉が脳裏をよぎったのだ。
────『妖精』は貴女の配下。どちらに剣を向けさせるも自在のはずでしょう
あくまで、生殺与奪の権を握るのは団長だ。
……今なら、あの剣が向く先を自由にできる。むしろ、この形になって良かったかもしれない。
「あの笑顔もまた……貴女そっくりでしたよ。一体どこまで眩しいのか……人の気持ちも知らないで」
それにしても、最後はあっけなかったものだ。
部隊存続を伝えた時の、満面の笑み。ただただ、天真爛漫に幸せを叫ぶ乙女の笑顔が弾け、飛び上がる度にショートレイヤーが軽やかに揺れていた。
そして、彼女は背中を見せたのだ。槍を握ったままの────敵に。
本丸を取ったつもりのシャニーにはもう、あの凛とした青焔はなかった。その後は簡単だった。
そのあっけなさまで……どうして思い出させてくれるのか。
「しかし、これで邪魔する者はいなくなった……」
あの青髪が地に伏す様……そこに母親の姿を重ね、湧き上がったのは屈服させたかのような優越感。
今でも思い出されるあの顔、あの気質……。
──イドゥヴァ、あたしの夢はね、このイリアを統一することなんだ
脳裏に響く声。あの小娘にも似た、それよりも全然覇気と自信に満ちた声。
忘れるわけもない。ずっと傍で聞き続けた、ずっとその背を追い続けた、その声を。
──毎日のように聞いてますよ、部隊長
──ははっ、そうか。早くイリアの人々に春を呼んであげたいからね
もう十何年も前の話なのに、今でも鮮明に聞こえてくる声。
ずっと追いかけ、亡霊のようにまとわりつく声に駆られて今までやってきた。何時からなのだろうか……この声が、────憎しみと変わったのは。
──あたしが団長になったら一番槍になってよ。もちろん、あんたがなったら、あたしがなってあげるからさ
そうだ、イリアに春を……そのために争ったあの時からだ。
その志も、団長の座も、もうすぐ目の前まで迫っている。その直前で、忘れがたき面影を屈服させられて、良いケジメとなったものだ。
「イリアに春を……。貴女の夢を果たすのは私ですよ。──私でなければ……ならないのですよ」
面影から目を切り、再び歩き出した。新たな明日を掴んだ喜びと、そして、湧きあがる使命感に駆られるように。