ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
水面下でひたすら動き続けてきた『春陽計画』について話を進めるために。
にぎやかな喧騒、さまざまな色の明かり、あふれ出すしらべ……。
世俗の騒がしさを避けるように、一段高い場所へ構え、貴族街は今日も厳かさを保っている。
イリアが迎えた、あたらしい春。
雪とけ、すべてが動きだす喜ぶべき季節の巡りのなか、また別の歯車が雪中から姿を現し、このエデッサ貴族街で回り出そうとしていた。
「イドゥヴァさん、団長就任おめでとうございます。いやあ、めでたい」
高級レストランの個室はよく音がひびく。
白金色の法衣を揺らし、目袋をこれでもかと緩ませながら、フェリーズが柏手を向けてくる。
柔和な声で賛辞を受けると、エミリーヌに祝福をもらったような気分になる。さすが教団の高位聖職者のなせる話術か。
いつもこの時期は、慰められるばかりだった十年余り。だが、今回でようやくにそれも終りだ。
「ありがとうございます。ようやく念願が叶いました」
笑いが止まらない。一つ頭を下げると、手にした紅血のワインを一口する。これほどうまいワインがあっただろうか。
長かった、実に長かった。
あれだけ策を講じ、あれだけ踏みつけてきて、結局最後は消去法とは。どこか虚しいが、結果がすべてだ。
「だいぶ時間かかったな」
苦しかった十数年をワインに浸して余韻を楽しんでいたときだ。ふいに野太い声がちょっかいをかけてきた。
ソルバーンは足を机に引っかけ、天井を見上げて独白のように続けている。
「ま……約束どおり、婆さんになる前には就任したわけか」
焼け焦げた鉄が混じるような、赤黒い顔に浮かびあがる黄金の邪眼。
絡むような気だるい声。ぼんやり天井を見上げ、祝っているのか貶しているのか、まるで分からない。
それでも、イドゥヴァは表情を変えなかった。
本能だけで生きているこの男は、元から味方かといえば微妙なところ。こうして計画メンバーに入れているのも、用心棒の意味合いが強い。彼の興味を外に向けておけば、その背は安泰というわけだ。
奔放な邪眼は、そんな思惑など関係ないと言いたげに、あくびをしながらまた独り言のように呟いた。
「それにしても……これで、自由に騎士団を動かせるわけか」
「ええ、資金確保は本当に苦労しましたよ」
今までずっと押し込められ、満足に動けずに来た。
97代目団長は品行方正で有名だったから、どれだけ神経を尖らせても、
おまけに最近は『
それが、今日からはすべてを支配できる。
お手並み拝見とじっと見つめる黄金と視線がぶつかった。
「ええ、若干抵抗勢力もありますが、おおむね順調ですね」
「抵抗勢力ねえ……」
息をするのも面倒そうな、覇気のなかったソルバーンの口元にふっと好戦的な笑みが浮かぶ。
一体なにを考えているか見当のつかない男だが、これ以上バカにされるのも癪だ。
「まあ、もう手は打ちましたから、かごの中の鳥のようなものですよ」
「ハン……どうかな」
ソルバーンの鼻で笑う声はどうにも耳に障る。そこへ逆撫でるように彼は続けてきた。
「この魔人の下へわざわざ命を捨てに来るような奴だぜ?
ニチャニチャして、そうなって欲しいと言わんばかりだ。背中がぞわぞわする。
「ご安心を。彼女とてそこまでバカではないでしょう」
「ま、俺はあんたがどう手腕を振るうかより、それにどうやって抗うかが楽しみでな」
恐ろしいことを言う男だ。
だから、傍に置いておきたくないのだ。ソルバーンの言いたいことは分かる。あの気質が大人しくしているとは、どうにも考えにくい。
とは言え、あの娘の肩を持つようなことをされては困る。やはり、味方に数えるのは危険だ。
どうにも、彼女を買っている者が多くてやり辛い。そう言えば……こちらの男も、か。
「貴女も神と交信する席へようやく座ったのですね。いやいや、責任重大ですな」
ワインをグラスに注ぎながら、賛辞を惜しまないフェリーズの顔から笑顔が消えることは無い。
だが彼は確かに伝えてきた。計画は明確に遅れていることを。そして、その遅れの挽回は、必ず天馬騎士団が為すべきだと。
「ええ。いままでの遅れ……まことに汗顔の至り」
イドゥヴァにも自覚はあった。
当初の予定通りならば、この席は決起の会となっていたはずだ。何分邪魔が少なくない今は、半歩でも先を急ぐ必要がある。
「これでフェリーズ伯爵とお仕事しやすくなりました。これからもお願いしますね」
もう、なにも阻むものはない。全ての決定権を掌握した今、聖天騎士団との関係も強化できるだろう。前団長にさんざん警戒され、『妖精』に関係を引裂かれかけた時はさすがに肝が冷えたが、もう二人ともいないも同然だ。
自然に肩が揺れ、また一口、美酒に口元が緩む。
「もちろんですとも。しかし、これからですよ、まだスタートラインに立ったばかりですから」
フェリーズから警告が飛んできた。どうにもこの男は、説教臭くてかなわない。とは言え、彼の言葉はもっともだ。
いくら団長として強権を発動できるようになっても、すぐに変えるのは不可能だ。おまけに、表立ってそれを使って、“抵抗勢力”に勘付かれるのは避けたい。
天を駆る騎士としては少々窮屈だが、飛翔のその瞬間まで潜航し続け、一気に浮上しなければなるまい。
「貧困にあえぐ者たちを救済するためにも、我々は急がねばならない」
ばっと両手を広げて天を仰ぎ、フェリーズはエリミーヌの加護を全身に浴びようとするかのよう。
これを真顔で言っているのだから恐ろしい男だ。この男が放つ光は、あまりに眩しすぎて目が潰れてしまいそうになる。
それは魔人でさえ同じか。ソルバーンはすぐに視線を逸らし、顔に手をやって視界から無理やり聖者を消している。その視線はアルマに向いていた。
「前より膨らんだな。さすが『滅蝕』か。闇夜にとっちゃ眩しいだろうな」
「ええ、少々刺激が強いですね」
「ハッ、光だろうが闇だろうが、そんなものは“人間ごとき”に扱えるシロモノじゃねえわな」
なにやら、また良く分からないことをアルマに言っている。部下に妙なことを吹き込まないか心配だ。
ただでさえ、宗教で洗脳しようとする眩耀の司祭の高説に、頭がくらくらすると言うのに。
その彼は、ソルバーンの言い草が気に入らないのか、珍しく困惑を浮かべている。
「なにを言うのです。我々は、神の慈悲を民へと伝えなければならないのですよ?」
「ま、結構な大儀だ事で。……俺は戦えりゃ何だっていいぜ。『妖精』がじゃれに来るくらいじゃ、ツマんねぇしな」
この男が『春陽計画』に参加しているのは、戦えるからに他ならないのだろう。
計画には、立ちはだかるだろう障壁が多い。だからこそ、内患を抱えたままでは不安だ。
「ソルバーン。シャニーが妨害してくる時は、次こそ頼みますよ」
「ああ……──まぁ、考えとくぜ」
念押ししたはずだったのだが、返ってきたのは生返事。これは、危険だ。
「なぜ貴方は彼女を狙わないのですか?」
「そうだな……。羨ましいから、かねえ」
「……はい?」
思わずいら立ちが声に漏れてしまった。茶化されているとしか考えられない。視線を合わせることもせず、天井を見上げたまま気だるそうに言うからますます気に障る。
「ヤツには意志がある。彷徨う俺とは、大きな違いだ」
聞いたのがバカだったかもしれない。この男の言うことは、どうにも理解しがたい。
篭に押し込めたとはいえ、用心棒がアテにならないのでは、もう少し思案が必要だろうか。
「そうそう。アルマさん、副団長に就任予定だと聞きました。お若いのに立派ですな」
ぼうっと考えを巡らせていると、フェリーズの声が聞こえてきた。
彼がアルマに興味を持つとは珍しい。今まで何度か顔を合わせてきたが、話しかけたのは初めてのはず。
「はっ、重責に身が引き締まる思い。これからもよろしくお願いします」
彼女の凛とした姿にフェリーズはまた拍手をしている。
「なるほど、これが急伸の槍。そして『滅蝕』のアルマですか」
その柔和な視線の中でもじっとアルマを見据え、そしてイドゥヴァへにこりとしてみせた。
「なかなか面白い状態になっていますな」
「? はあ……」
何やらフェリーズまでよく分からないことを言い出した。一体どうなっているのか、今日の会合は。
何のことか聞こうとするより先に、彼は続けてきた。
「イドゥヴァ団長、感謝しますよ。こんな素晴らしい人材を抜擢していただいて」
「いえ、彼女は入団の時から、他とは違うものを持っていましたから」
「天馬騎士団が羨ましいですよ。『滅蝕』に『妖精』と強力な槍と剣を両手に携えて、何と素晴らしい」
半分嫌味だろうか。アルマはともかく、シャニーを大人しくさせるのに、どれだけ神経を尖らせてきたやら。
あの剣は敵に向くどころか、いつ気まぐれにこちらの寝首を掻くか分からない、いわば"デビルソード"のようなものだ。
「その剣が、ちゃんと外を向いてくれれば良いのですがね。なかなか上手くいきません」
「はは。……まあ、いくら
心を見透かしたような言葉が返ってきた。おまけに、普段の柔和な声に乗って来るとゾクっとする。
他人事だからと、ずいぶん気楽に言ってくれるものだ。やはりあの時、強引にでも売却してしまうべきだったか。
面食らったまま固まっていると、向こうから鼻で笑う声が聞こえてきた。
「ま、今のあんたじゃ手を焼くだろうな。……先代以上だぜ? ありゃあ」
目元がぴくっと動いたのがイドゥヴァ自身にもはっきり分かり、黄金の目が呆れたようにまた一つ笑う。
「生前に何回かちょっかいをかけたが、なかなか面白い奴だった。その娘は、若さも手伝ってか輪をかけたようなイイ眼をしてるしな。これから楽しみだな?」
「楽しみとはいったい──」
「どうするつもりだ?」
いつも会話が自己完結する男が、珍しく問いかけてきた。
その問いの意図はまるで分からないまま、次にソルバーンが口にした言葉に、全身が痙攣したように動けなくなった。
「……また先代のように沈めるか? 深い雪の中に、何もかも」
心臓を串刺しにされたように、血の気が退いていく。
あまりに静まり返ってしまい、居心地が悪くなったかフェリーズが話題を引き戻した。
「とは言え……足踏みはできませんからな? ゼロット殿はすでに動き出されている」
相変わらずイドゥヴァにとっては居心地の悪いまま。
言葉に詰まるイドゥヴァをフェリーズの言葉が攻め立てる。しかし、再び前を向いたイドゥヴァの顔には、焦りはなかった。
「ええ、行動を起こすにはもう少し時間が必要です。その為にも……邪魔なものには消えてもらう」
ゼロットが全てを決めてしまう前に、事を起こす必要がある。イドゥヴァもそれは十分に心得ていた。
だからこそ、これ以上計画を遅らせる因子はすべて取り除く必要があった。
その権限が今、手中にある。
あの目障りに飛び回る妖精も、所詮掌の上で飛んでいるだけ。その気になってこの手を握れば、たちどころに圧し潰せるだけの力を今は持っているのだ。
ところが、踏み出そうとする目の前へ槍を突き刺すように、アルマが待ったをかけた。
「お待ちください、団長」
アルマは、返事をする間もなく続けてきた。「『妖精』はいずれ必要な駒です。殺してしまうのは余りに惜しい逸材です」
アルマが言い出すことはだいたい察しがついていたが、それを何の悪びれもなくはっきり言うとは。イドゥヴァの顔には失望が浮かんだ。
先週もそうだ。やたらとあの小娘の肩を持って。
同期との友情に現を抜かすとは、何ともアルマらしくない話だ。上だけを見つめて、ひたすら蹴落としてきたこの女が。
「アルマ……貴女はどうしてそこまで、彼女の肩を持つのですか?」
この際、聞いておくことにした。
シャニーがアルマと交渉できるような知恵者とは思えない。となれば、アルマから歩み寄ったことになる。
一体何がそうさせたのか……。彼女がシャニーの背を守るようでは攻めるに攻められない。
「私もそう思いますぞ」
フェリーズの声が飛んできた。最初は自分に味方してくれたのかと思ったが、後から続けてきた言葉は、それを違うとはっきり伝えてくる。
「イドゥヴァ団長。不要ならば、買い取りましょうか?」
ここにも、あの小娘を買いかぶる者がいたか。
しかし、これは願っても無い提案だ。以前はティトに邪魔されたが、今なら高く売りつけられるかもしれない。
かねてより、フェリーズはシャニーの戦闘力を高く買っていたから、ヴァルプルギスと対を成す剣が欲しいのだろう。手なずけられるものなら、やってみると良い。
ところが、今回もまたストップがかかった。
「民の信望から考えて、下手な動きは避けるべきかと」
アルマが横やりを入れてきたのだ。
────あの嘆願書を忘れたか
彼女の目に貫かれて、視線が泳ぐ。
今のシャニーの背中には、無数の護り手がいる。下手に槍をねじ込もうと襲い掛かれば、こちらが飲まれてしまう。
ようやく手に入れた力を、早速跳ね除けられた気がして沸々してくる。どうしたら……。
アルマは、それを待っていたかのようだった。
「ここは、一時退場してもらうことにしてはいかがかでしょうか?」
「一時退場……ですか」
随分と面白いことを提案してくれるものだ。確かにその方法ならば、直接槍を向けずとも良い。
正直なところ、あんな厄介な剣をイリアに置いては、いつ寝首を掻かれるか分からない。手を下さずに済むなら最高ではないか。
「ふふふ……そうですね。そうしましょうか」
さすが我が右腕だ。称賛を目元に滲ませてアルマを見つめる。
「ハン……。俺には分かんねえな。目指しているものは、そんなに変わらないはずだろ」
その時だ。相変わらず気だるそうな横目で、ソルバーンが呆れたようにつぶやいた。
「な、なにを知ったふうな」
「もう少しだけでも、あんたが違う道を進んでいれば『妖精』は腹心になったはずだ。『妖精』も、その母親も、そしてあんたも、誓ったことは同じ……違うか?」
「一緒にされるとは心外ですよ」
思わず彼から視線を外すと、また鼻で笑う様な声を浴びせられた。
「あんたも不憫だな。未だにあいつの幻影を追っているとは」
何も、何も言い返せなかった。
あの事故以来、すべてが変わってしまった。まわりの世界も、自分の心も。そして、イリアの未来も、きっと。
「追ってなどいませんよ。追ってなど……」
いつから、追いかける背中が憎くなったのだろう。
何が、憧れの背中に槍を突き向けさせ始めたのだろう。
追い込んで追い込んで、どれだけ己に鞭打っても、あの背中を抜き去ることはできなかった。
今、その背中があの小娘に変わろうとしている……そんなことは、そんなことは絶対に許せない。
──へへっ、またあたしの勝ちだね。だけど実力伯仲、イドゥヴァも強くなった!
脳裏に聞こえてくる、懐かしくも、忌まわしい声。
自身を鍛えに鍛え、今日こそはと毎日のように部隊長に戦いを挑んだ。
その都度跳ね返されて膝を突いた。屈辱の前にはいつも、朗らかな笑顔があって手が伸びてくる。
──まだ追いつけないんですか……本当に尊敬しますよ、その槍捌き
その手を取って立ち上がるが、心も体もボロボロだった。
なぜ勝てないんだ……どこからこんな力が……そればかり頭に浮かぶ。
民の信望の篤さは山と高く、槍術でさえ勝てない。なぜだ?
同じ夢を追い、身を粉にして戦って、誰よりも報酬を稼いでいるはずなのに。
──一緒に稽古しようよ。さっきの手合わせで、あんたの弱いとこ見つけたからさ
また、手を差し伸べてくれた。
最初は嬉しかった。だけどそのうち怖くなった。
自分がすべて否定される気がして、この人さえいれば、自分なんか要らないのではないか。……イリアに春を呼ぶために、この人さえいれば、この人さえいれば……。
「……貴女は、私には眩しすぎたんですよ」
グラスに揺れる血のようなワインをじっと見つめて、イドゥヴァはぽつりと漏らした。
もう、後戻りはできない。幻影を追っているのではない。この手で、誓いを果たすだけなのだ。
イリアに春を────ただそれだけの為に、今までも、これからも。見果てぬ夢に、終止符を打つために。