ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
無事存続を掴みとった十八部隊をアルマが訪れ、勝利をたたえ合います。
その足で団長室に向かった彼女は、イドゥヴァから見せられた資料に血相を変えることに。
今日はうれしい雨。
しとしと降り続く雨が屋根伝いに落ちてきて、最後まで残っていた日陰の雪を少しずつ穿っていく。この
曇天と静かな雨が心を落ち着かせる朝だが、今日も向こうの稽古場からは、そんな空気を吹き飛ばす元気な声が響いてくる。
詰所がもぬけの殻で辺りを見渡していたアルマは、聞こえてくる妖精のはしゃぎ声を見つけ、ツカツカとブーツで廊下を叩く。
灯の入る扉を開けると、中では案の定、十八部隊のメンバーが朝稽古で威勢のいい声をあげていた。
稽古場の中央でシャニーとルシャナがそれぞれの槍をぶつけ合い、それを端からミリアとレンがマグを傾けながら眺めている。
あいつも槍を使うことがあるのか……。そう言えば天馬騎士だったと思い出して一人笑う。
シャニー達の稽古が終わるまでしばらく様子を見ようとしていると、気配に気づいたレンが振り向いて手を振ってきた。それに気づいたミリアも一緒になって白い歯を見せてくる。
……不思議なものだ、ついこの前まで、あんなに牙をむいていた奴が。
「シャニー、十八部隊の存続、おめでとう」
稽古を終え、大きく息を吐きながら額の汗を拭うシャニーへ、ポンとタオルを放ってやる。突然顔に飛び込んできたタオルにもごもごしはじめた。
ようやく顔からタオルを外すと、シャニーはぱっと春陽のような笑顔を咲かせる。どうやったらこんな満開にできるのか、アルマには不思議なほどの笑顔だった。とても真似できそうにはない。
「ありがとう! アルマのおかげだよ」
歩み寄ってきてショルダーガードをポンと叩きながら、弾むような明るい声で感謝を口にしてくる。
何度彼女から贈られても、この言葉は本当に慣れない。無茶苦茶を通してきた自覚はあるから、恨みを買うのは慣れたものだが、感謝されるなんてどうにもむず痒い。
「何のことやら」
今回も、体はツンと当たり前のように視線を外し、白を切ろうとしている。そんなものが通用する相手ではないことくらい、分かっているはずなのに。
「もーう、毎回毎回照れちゃってさ」
やはりと言うべきか、もう反応を見切られているのか。シャニーは白い歯を見せながら一段とトーンを上げた声で笑うと、肩に後ろから手を回して抱き込んできた。
一年前なら跳ね除けただろう。今でも馴れ合いは好きではないが、彼女と結んだものは決して馴れ合いなどではない。何より、少しほっとした。冷血に生きてきたつもりだったが、自分に流れる血は、“あの連中”に比べたら遥かにこの十八部隊に近いのだと分かって。
ここまで自分の血を温かく、熱くさせてくれた親友の手が、声が、今も温めてくれる。
「フン、部隊長レベルで満足してるようじゃ先が知れてるな」
だからこそ、口を突いて出る言葉は厳しくなった。
いずれもっと上を目指す時、シャニーには右腕であって欲しい。こんな、たった四人の小規模部隊で済ましていい人間ではない。
……だからこそ、罪悪感が湧く。あの酒宴での決定は、ああするしか無かったとは言え、副団長として最初の提案人事となってしまった。それがまさか、横で朗らかに笑う親友を突き落すことになるとは。
ぐっと罪悪感を押し殺し、友を信じることにする。きっと彼女なら、この逆境さえも見事に吸収して、もっと大きな太陽となってくれるに違いないと。
「あたしはこの仕事が性に合ってるから、十八部隊があれば十分だよ、じゅーぶん」
朗らかに笑う彼女が、本当にそう思っているのか不思議だった。
あの屈辱を味わったのは、まだ一週間ほど前の話だ。いくら寝れば忘れると周りから茶化される彼女であっても、下手をしたら一生消せない記憶のはずだ。
「お前らしいよ。まったく」
そう口にしながらも、シャニーを見つめる視線は厳しくなった。
強さと弱さが両極端な彼女の性格を忘れるはずもない。不満を彼女が口にする頃には、もう手遅れ。嫌な顔をされようとも、それを防ぐのもまた、親友としての務めだろう。厳しく現実を突きつけてやる。
「だが、今回思い知ったはずだ。力が無ければ……何もできないと」
最大の危機は切り抜けたが、下位の部隊長レベルではこれからも同じ目に遭う。それを跳ね除けるには、もっともっと高い椅子を目指し、騎士団内で、いやイリア内でたくさんの人間を従えるしかない。
シャニーはあれほどにイリアの民の信を背負っている。後は騎士団の中で駆けあがり、騎士団間の脈さえ作ってしまえば、誰より頂に近いはずなのに、
「あたしにとっての一番は、イリアの人々だから」
そう言って今も、見上げれば手が届くはずの最も大きく高い椅子に見向きもしない。それどころか彼女の天馬は、イリアの野へと降りていこうとしている。彼女にとっての一番の声を聞くために。
「それを果たせるなら目指すかもしれないけど、今は目の前のことでいっぱいだよ。あたし、アルマと違ってあれもこれもはできないし」
部隊のメンバーを愛でるような目。見渡す横顔に映える青の瞳は優しかった。出会った時はもっと、自信に尖っていたように見える眼差しが、今は何か別人のようだ。何か、春風の中に紛れる雲がすっかり払われた、高く澄んだ空で包むような青さをその瞳は湛えている。この瞳に、あの笑顔に。彼女に国内を任せておけば、きっとこれからもイリアのあちこちに春が咲くのだろう。
……だからこそ、申し訳ないし、現状で満足されても、近い将来訪れる新たな局面に負けてもらっても困る。きっとそれを乗り越えて、もっと大きな春を呼んでくれることを、今は願うしかできない。
「さっさと上がってきてくれないと、夢の達成が遅れる。呼び寄せるんだろ? イリアに春を」
彼女がこんな性格だからこそ、自分が果たさなければならないのかもしれない。そう自身に言い聞かせ、柔らかい青い瞳をじっと見つめる。
団長になれば、彼女の権限だって自由に決められる。彼女が右腕として力を発揮してくれれば、団長として常に外を見ていられる。イリアに春を呼ぶための勝負手に出られる。
イリアに春を────その言葉を聞いたシャニーの顔が振り向く。嬉しそうに頷いた彼女との抱擁を終えると、暖かい場所に背を向けた。雨の肌寒い廊下を抜けて団長室へと向かう。
「第一部隊副将アルマ、参りました」
「入りなさい」
もうすっかり団長が板についた声が返ってくる。
何時までもこの声を聞いているつもりはない。必ずや、すぐに抜き去ってやる。そんな気持ちを扉に込めて勢いよく開け、つかつかと部屋の中央まで歩いて行くと、団長席に座るイドゥヴァに敬礼して見せた。
ここが、“最初の”目標地点。今はその前で敬礼する高さまで上がってきた。後は目の前の女が、しっかり準備してくれるのを今は待つだけ。
「アルマ、この前内々に話していた件ですがね」
目袋を緩ませながらイドゥヴァが手招きする。机を越えてイドゥヴァと同じ向きで、引き出しから彼女が出してきた一枚の紙を一緒に見下ろす────職制表だ。右上の適用開始年月を見てみる。1001年 4月……新年度からのもの。
他の名前など視界には入ってこない。無意識のうちに、自分の名前が何処にあるのか探す。少なくとも、第一部隊にはない。と言う事は……。
「記載の通り、貴女には副団長をお願いしようと思います。引き受けてもらえますね」
ついに見つけた……。口元が不敵に吊る。名前は部隊の頂にあった。
────第二部隊 部隊長:アルマ
その職制表にはもう一か所名前があり、それは職制表の頂点の一つ下。団長から直接経路が伸びており、副団長とはっきりと記されていた。
ここまで来た……武者震いが止まらない。どれだけ自身を律しても、やはりこの瞬間は堪らない。見下ろせばイドゥヴァの不敵な笑みとぶつかった。
「はっ、謹んでお受けいたします」
一歩退いて再び敬礼する。
これで、四月からは団長の独裁が始まり、その手助けをすることになるわけだ。とは言え、遅れた資金獲得のために、外征至上主義が加速するだけだろうが。フェリーズから釘を刺されている以上、それ以外に現を抜かし、独断で何か打ち上げるようなことはしまい。精々、しばらくは腹心として動くことにしようか。
「お望み通り、十八部隊も解体しませんでしたよ」
……そんな気持ちさえ打ち破るような言葉を、イドゥヴァが早速口にするとは思ってもいなかった。
そう言えば……あいつの名前はどこにあるんだ。確か、今の職制表なら右側の一番下……団長直下の特殊部隊の欄にあったはずだが……。
左右に揺れる視線をどれだけ小刻みに往復させても、無い……。どこだ、どこにあるんだ。だんだん焦燥に目が震えてくるのが分かる。
ついに、あるはずもないと視界からあえて外していた場所で見つけ、視界に急ブレーキがかかって堪らず目を見開いた。
まさか、まさか“ここ”にあるなんて。一体どういう事なんだ?!
「だ、団長?! こ、ここは……っ」
ウルフショートをばっと振り乱して顔を上げ、イドゥヴァの顔を見つめると、そこには大蛇の如く邪に笑う顔があった。
正気なのか……そんな声が喉元まで出かける。
「一時退場してもらうには、ちょうど良いでしょう?」
思わずぐっと奥歯を噛みこんだ。
確かに一時退場してもらうべきだと進言はした。だが、選りにも選ってまさか“ここ”だとは。
こんなところに踏み込んだら、もう二度と帰って来られない。それこそ、冬の山中に防寒具も無しに放り込むようなものだ。
我ながらよく考えたとでも言いたげな涼しい口調を、今ほど恐ろしく感じたことも無い。ぞくぞくと体に虫が這うようで、赫灼のマグマのように噴きあがる怒り。それさえも凍てつかせるのは湧き上がる罪悪感。自分のあの時の言葉が、アイツを地獄へ叩き落そうとしている……。あの時の自身の声が何度も再生されて、心を中から凍てつかせてくる。
「し、しかし、ここは」
「あの子たちにとっては生きるか死ぬかだそうですので、ちょうどいいのでは?」
いくらイドゥヴァでもここまですることは無いだろうと思っていた。第一、こんなことをしてゼロット達にどう説明するつもりなのか。
あれこれ反対材料をかき集めていると、イドゥヴァはあっさりと主旨を口にした。
「どのみち消えてもらうわけですし、そこなら死んだとしても不思議ではありませんから」
……本気で殺すつもりだ。おまけに、自身で手を下さずとも殺せる最高の手段だ。“ここ”なら、誰も手を差し伸べられない。
ここまでよく、下種を考え付くものだ。反吐が出る思いでもう一度職制表に視線を下ろす。何度見ても、親友の名前がある場所は変わらない。部隊の任務は何なんだ……
────特殊任務:エトルリア関係強化
無理がある。ならばどうして、エトルリア本国に拠点を置かないのか。彼らが手を焼く場所で恩を売ろうとでも言うのか。
イリアの希望を、イリアから最も遠い場所に隔離し、人知れず消す……まだだ、まだ決定事項ではない。
「お待ちください、団長!」
部屋を出ていくイドゥヴァの背を、アルマは焦って追いかける。
絶対にこの人事は通させない。どんな手段に打ってでも、止めてやる。変えて見せる。背を守ってくれる、信じて背を預けてくれる親友の首に、この手で刃など向けられない。
アルマはイドゥヴァの横に並び、次々と提案を始めた。
部屋に残された職制表。その最左列は、太枠で囲われている。その枠の中に、シャニーの名前はあった。
◆◆◆
昼頃には上がった雪解雨が、緑の上で明るい陽射しに眩しく光る。
雨の中でも村の巡回に出ていたシャニーは、濡れた髪をタオルで拭きながら詰所に戻ってきた。
びしょ濡れで早く服を着替えないと風邪を引きそうだが、春を迎えた喜びか、ちっとも寒くない気がする。それより、早くぺこぺこのお腹を燃料満タンにして、次の村へと飛んでいきたい。そんな気持ちを、机の上の手紙が引き留めた。
「あっ、ロイ様からだ! うふふ~、今日は何かな~」
やっぱりこの気持ちには勝てない。
見慣れた紋章が入った手紙を見つけたシャニーは、蝶が花に吸い寄せられるように机へ小走りしていく。
タオルを放り出し、濡れた髪に櫛を入れるのも忘れて鼻歌をうたう後姿に、仲間たちは羨ましいような呆れたような眼差しを浴びせている。それでもお構いなしのシャニーは、中から出てきた結構な枚数の便箋に目を落とすなり、蜂蜜を頬張ったような微笑みを浮かべた。
リキアで別れてから三か月。悲しいことも、苦しいことも、もちろん嬉しいことだって全部ロイに打ち明けてきた。返ってくる手紙は、まるであの胸で受け止めてくれるかのように温かくて、どんなに苦しくても前を向く勇気をくれた。
──頑張り抜いたんだね。やっぱり君は、どこでも皆に必要とされているんだね。僕だって君が居てくれたらって思っているよ。
会話の一つくらいの流れで、この前の大事件も赤裸々に書いた。そしたら、励ましがいっぱいに書いてあって、思わず手紙に頬ずりして抱きしめた。彼なら何でも受け止めてくれる。そんな幸せをいつでもくれるあの胸の匂いが恋しい。
「メロメロな顔してんね、リーダー」
背後の視線に気づく。呆れたルシャナ達のジト目とかちあった。
「えへへ……」
笑ってやり過ごそうとしたら、仲間たちが集中攻撃を浴びせてくる。
「でも、ロイ“様”にもどってるッス」
「やっぱ会えないと冷めるもん?」
ミリアとルシャナがズケズケ攻めてくる。どうにも彼女たちは、ロイとの関係を面白おかしく盛り上げたいらしい。シャニーは困って眉をハの字にし、頭をかいた。
「ううん、そういうワケじゃ。でもやっぱ、あたしにとっては、ロイ様なんだよね」
それを言った途端、ルシャナが聞こえるほど大きなため息をついて両手を広げだした。
「なんでそこで線引きするんだか。お互い好きなら
「あ、アハハ……──お互いかどうかは分かんないし」
苦笑いしたシャニーはまたすぐ手紙に目を下ろし、便箋をめくった途端のそき込んで歓喜を上げた。
「すっごーい! みんな、見て見て!」
クリっとした目を真ん丸にして、口元をわっと明るく広げながら仲間たちに手を振る。
興味津々に駆け寄ってくるミリアを先頭にしてシャニーの周りに皆集まると、彼女が指さす手紙を一緒になって見下ろした。
シャニーの手には、手紙のほかに新聞の切り抜きが握られている。リキアの地方新聞だ。
「イリア連合王国の誕生か……? へえ、すごいね。ほんとに実現するのかな」
記事のタイトルを読み上げたルシャナが感嘆を漏らしている。
「あたしもそう思ったよ。何だか、スケールが大きすぎて、どっか別世界の話みたいだよね」
最近ぼちぼち聞くようになっていた、イリアの騎士団統合と国家建設の話。まだまだ噂の域だと思っていたら、他地方の貴族が読むような新聞の記事を飾っているなんて。この大きさでの扱いだと、もしかしたら第一面だったのかもしれない。
「シャニー、ウチを一番に呼んで欲しいッス」
「うんうん、任せといてよ。絶対呼ぶからさ!」
もう王国騎士団の隊員になったかのようにはしゃぐミリアとシャニーの会話に、ルシャナは呆れた目をしている。
でも、記事を手に取り、中をまじまじ読んでいたレンが指さす先を見て、脳天から驚きが突き抜けたような、すっとんきょうな声をミリアがあげた。
「天馬騎士団の国力向上部隊の活躍もあり……って書いてあるッスよ!!」
シャニーがニコニコしていたのはこの一文。
幾重もの綾となった喜びが、太陽を背に浴びるかのようにわっと広がってくる。自分たちの活動がイリアの未来を創る礎になっていて、それが世界に発信されているなんて、まるで夢みたい。
自分たちの歩んできた道は間違っていない。そう確信させてくれるのは新聞記事だけではなかった。
────シャニー、君の活躍を僕も誇りに思う。また二人でパスタでも食べながら話を聞かせて欲しい
世界中が敵に回ったとしても、ロイが認めてくれたらそれだけで嬉しい。思わずシャニーは手紙にまた頬ずりを始めた。
手紙に記されているのは明確なラブコール。シャニーの幸せそうな顔に、レンの小さな口元も緩む。
「リーダー、ラブだね」
「えへへっ、まぁね~」
あまりに緩んだシャニーのデレデレの顔に、ルシャナが両手を広げる。
「あーヤダヤダ。ついこの前まで全然自覚もなかったし、聞いたら顔真っ赤にして否定してたのにさ」
「だってもうバレたんだし、隠す必要ないじゃん?」
「なのに、ロイ“様”なの?」
「いや、えっと。それは……ね? ロイ様は英雄なんだし」
「ハッ、そのうち同じこと言ってそうだよ。今度はいつ行くの?」
この三か月間、仲間の存在に支えられてここまで来たけれど、心の中にはいつもロイの存在があった。
辛いときはいつでも彼に語り掛け、十二月の時の感触のままに抱きしめてもらった。彼の支えになろうと手紙も毎日のように書いて、その中で逆に何度も励ましてもらってきた。
思い出される優しく凛々しい顔。ロイがまた呼んでくれていているなら、今すぐにでも飛んでいきたいくらい。
でも、シャニーはその気持ちをそっと手紙と共にしまう。
「しばらくは無理かなあ。春になれば、できることも増えるし」
雪さえ消えてくれれば……そう願った冬が過ぎれば、やりたいことは一気に広がってくる。
次の冬を迎えるまでの短い時間で、とにかく一つでも多く軌跡を残して、イリアに小さくてもたくさん春を呼び寄せたい。こうして記事になるくらい認められているなら、俄然やる気だって湧いてくる。
「ロイ様、あたし、いつあなたに会いに行けるかな」
窓辺に身を移したシャニーは、南の空を見上げてロイに語り掛けた。
次に会いに行くときは、志を果たした時と決めている。イリアに自分が生きた軌跡を残したら、必ず──と。
今度はあんな泣き顔じゃなくて、笑って彼と時間を共にしたい。そのためにも、今を精いっぱい生きて、生きて、未来をこの手で切り拓くんだ。
南の空にそう誓った彼女は、再び詰所を出て、イリアの高く澄んだ空へと戻っていった。