ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
今期の終わりの日。そして、前団長ティトが退団する日。
彼女は始まりの場所でじっとイリアを見つめていた。
「母さん、姉さん、私はやり切ったと言っていいのかしら……?」
広がる山々が、白から緑に変わってきた。
もう今まで何度となく見つめてきた景色も、今日を最後に見ることが叶わなくなる。
どんな気持ちで表したらよいか分からない。肩の荷が下りてほっとするが、ようやく動き出した道から、志半ばで去る無念。そして、この景色を二度と見つめられない寂しさ。様々な気持ちが心の中で渦巻くなか、ティトは窓から広がるイリアをじっと見つめていた。
母も、姉も通った道。彼らに胸を張って戦い抜いたと言えるのか、今でも答えは出てこない。
「ティト、こんなところにいたの? 探したよ」
ティトがいるのは団長室ではなく、十八部隊の詰所。
振り向くとソランがゆっくりと歩いてくるのが見えた。彼女は部隊長席に目を落としふっと笑う。
「整頓してあげたの?」
「ぐちゃぐちゃで見ていられなかったの。もう、あの子は本当に片づけが出来ない子よ」
懐かしさにふらっと訪れたこの場所。最初に目についたのがシャニーの席だった。今でこそ端にきちっと積んだ資料も、机中に散らばって手を置く場所に迷ったくらい。
不思議。今でもこうしてここにいるのが当たり前で、自然に手が動いていた。明日から、もう叙任騎士では無くなるのに。
「珍しいじゃない。急にいなくなるなんて」
「ごめんなさい、ソラン。ちょっと……新人の頃を思い出しちゃって」
何も分からなかった新人時代。見習い修行をしたからどこでも飛んでいけると思っていたら、シグーネに大目玉を喰らったことが今でも忘れられない。色々浮かんだ疑問は傭兵として戦場へ出ていくうちに忘れ、そしてベルン動乱で思い出し、ようやくイリア騎士の誓いの意味を理解して……。
走馬灯のように蘇る記憶の一つひとつを、なごり惜しく追いかける。横では部屋をぐるっと見渡したソランが、柱のキズに手を置きながら感慨深そうにしている。
「私たちがよく泣いた部屋も、今や公式部隊の詰所か」
辛かったことや悔しかったこと、泣きたくなることも、この部屋にはたくさん思い出が詰まっている。その思い出の場所に、後輩たちの思いが積み重なってこの部屋は守られてきた。
そして今、この部屋には部隊名が与えられている。
イリアを創る天馬騎士の揺りかごだった部屋は今、イリアそのものを創る任務を背負っている。
何か、運命的なものを感じる。ソランもそうなのか嬉しそうだが、ティトの声は沈んでいた。
「……無くなりかけたんですってね。十八部隊」
ぽつりと寂しさを零す。
退団後の動きを決めるため、エトルリアへ飛んだ一週間。その間に、一年を費やしてようやく芽から若木へと育ってきた変革の象徴を、無残にも摘み取ろうとしていたなんて。話を聞いたときは頭が真っ白になった。
金のブローチをイドゥヴァに預け、三月はほとんど登城していないから入ってくる情報も断片的。不安で不安で仕方なかった。
「やっぱりあの人は、あの人だったよ」
怒りを噛み砕くようにソランがイドゥヴァを罵る。
ティトも同じ気持ちだった。そこまではしないだろうと信じていたのに。どこまで裏切られれば良いのだろうか。
「でも、さすが貴女の妹さんだね。存続が決定したらしいよ」
ソランが言うには、イリア連合から称賛された十八部隊の解体は、騎士団内でも大きな波紋を広げるものだったらしい。
でも、騎士団間の運営不干渉の掟がある以上、団長が解体すると言えばそれは絶対命令。見せしめ一号かと噂が広がったと思ったら、二日後には掌返しとなっていて、何が起きたのかと再び大きな話題になった──そう語るソランは彼女には珍しく興奮気味。
「そう。良かったわ。……本当に」
ほっとしてティトは静かに目を閉じた。心の中に浮かぶ妹の顔を何度も愛でる。
妹たちがあちこちから認められる様子が、まるで自分のことのように嬉しかった。
多くの反対や批判を押し切って、半年間を考える時間として与えた。公式部隊とすることをイリア連合会議で報告したときの非難は、まるで千の槍のようだった。そのすべてを受け止めて、十八部隊を守ってきた。
妹たちは批判を跳ね返すように少しずつ、それでも確実に成果をあげて、イリア連合の風潮を変えてくれた。
「私は何もできなかったかもしれない。けれど、十八部隊だけは胸を張って言えるわ」
十八部隊の中心にいるのは妹たち。それは心得ていても、自分もその輪に入って一緒に喜んでいいと思えるほど、この部隊には思い入れを持って戦ってきた。
その自負が、さっきまで弱かったティトの声に張りのある強さを与える。
「何もなんてとんでもないよ。貴女は人をつくった。イリアの次世代を担う人財をね。もし、この一年の団長がイドゥヴァさんだったら、どうなってたやら」
団長としてやりたかったことを、ソランは成果として褒めてくれた。今までのどんな非難も心から吹き飛んで空く思い。こんな気持ちになったのは、いつ振りだろうか。
「それさえ出来たのなら……私は自分を褒めたいわ」
「あれだけ批判を受けて信念を貫くのは真似できないと思ったよ。ティトは人を残して、未来への礎をつくった。なんでもっと評価されないのか不思議だよ」
「ふふ、褒めすぎよ。皆が頑張ってくれたから、私は心を鬼にできた」
自分がいなくなっても、根付いた想いたちが未来への懸け橋となり、新たな人と未来を創って行ける。その礎となれたなら、きっと誓いは果たせた。
やっとそう思えて、ティトはほっとした。母や姉達にかなうかは分からなくとも、精一杯がんばったと自分を納得させられそうだ。
ようやく表情が柔らかくなったティトの肩を抱きこんで、ソランは優しく笑いかけた。
「ああ、褒めちぎっちゃいなよ。貴女は私にとって最高の団長だったよ」
「ソラン……ありがとう」
厳しいソランが見せた微笑みは、ティトにとって最高の労いだった。
新人の頃から、いやその前からずっと苦楽を共にしてきた。その彼女から飛び切りの言葉をかけられて、ティトは声が震えてしまった。
もう、叙任騎士では無い、もう、我慢しなくていい。そう思うと、今までずっと団長だからと堪えてきたものが一気に溢れてくる。しばらく親友の胸を駆りて、嬉し涙で自身を労う。
「ほら、皆のところへ戻ろう。待ってるんだよ、みんな」
ソランに手を引かれ、最後に頭を下げて十八部隊の詰所を出る。
お世話になったのはこの部屋だけではない。皆にどんな言葉をかけてあげればいいだろう。どんなに心で準備しても、きっと上手く言えない。たくさんの人の、たくさんの手に支えられてきた。わずか数十分では、その全てへ言い尽くせないだろう。
でも、きっと言いたい。愛するイリアを共に支えてきた、そしてこれからも支えていく仲間達へ感謝と、そしてエールを。
「ティト団長、今までお疲れさまでした!!」
エントランスに出ると、城にいた騎士総出でティトを待っていた。
あちこちで労いの声をかけられ、両手は渡された花束で一杯だ。
泣きながら別れを惜しむ者、抱き着いて動けなくなる者。この際だからとイタズラを仕掛ける者。協力的だった人も、何かと舌戦を戦わせた人も、皆門出を全身で祝ってくれる。
色々な想いにもみくちゃにされて、ティトには不思議な気持ちが膨らむばかり。こんなにも祝福してくれることが、何かを夢でも見ているかのようだ。こんなに多くの人たちに支えられていたのだと、あらためて知ろうとは。
嬉し涙をほろほろと流していると、ふいに後ろから聞き慣れた声がした。
「ティトさん、結婚おめでとうございます」
振り向いた先にいたのはイドゥヴァだった。
この一年、ずっと団長と呼ばれていたのに、いきなり“さん”付けは何か違和感があるが、団長の証である金のブローチはイドゥヴァの胸で輝いている。もう叙任の証である団員証も返納した今、こう呼ばれるのが正しいと思うと、ふいに切なくなってくる。
「いずれお世話になるかもしれませんが、その時はお願いしますね」
ティトは先導してくれるソランの手をぎゅっと握った。イドゥヴァが何食わぬ顔でそう言った途端に拳を握ったからだ。気持ちは同じ。自分が居なくなったと見るや、苦心の結晶を引き千切ろうとしておいて、こんなことを言えるとは。今でも信じられない。
「ええ。イドゥヴァ団長、天馬騎士団のこと、よろしくお願いします」
「はい、もちろん」
それでもティトは顔色を変えることなく、すっとイドゥヴァに頭を下げた。
道から降りた以上はもう、こうするしかないのだ。ティトは心配だった。もう守ってやれない妹たちが。
「妹のことも、もう許してあげてください」
改めてもう一度イドゥヴァに頭を下げる。
十八部隊を解体しようとしたのは、半分はシャニー達への報復人事だろうとティトは思っていた。
今までは団長としてできる限り守ってきたが、これからもあんな剣幕で妹が攻撃されると思うと体の芯が震えてきた。
「大丈夫ですよ」
でも、イドゥヴァは意外にもあっさりと手を差し出して続けてきた。
「去年のことは、しっかり話し合ってもう解決しましたから」
それを聞いたティトの安堵に満ちた顔は、今まで見たことも無いほどに柔らかい。
「ああ……そうですか。良かった」
これでもう、心残りはない。握手して再度頭を下げると、ティトはイドゥヴァに背を向けた。おそらく、シャニーがイドゥヴァに謝ったのだろうが、どんなに悔しかったのだろうか。妹の気持ちを慮ると、胸がキリッと痛む。
ティトはイドゥヴァと別れた後、すぐ隣にいたアルマに目を向ける。彼女の胸には一か月前までイドゥヴァがつけていた銀のブローチが輝いていた。
「前団長、今までお世話になりました」
彼女はいつもと変わらず、ただでさえ目立つ赤の瞳をはっきりと開いて言葉も力強い。もうずっと前から副団長をこなしているのかと思うほどに、その姿には覇気が溢れている。
最初こそ警戒したが、特に部隊をかき回すこともせず、アルマはソラン達ともうまくやってくれた。
「こちらこそ。第一部隊ではよくやってくれたわ。副団長、大変だと思うけど貴女ならできると思う。任せたわよ」
ティトから手を差し出し、若きナンバー2の手をしっかりと包む。
最初はあれだけ頭を悩ませた存在が、今では一番頼りになる存在になっている。でも、その期待が、イドゥヴァの暴走を止めてくれるのではないか──そんな脆い希望が含まれているのがどうにも悲しい。
「もちろんです」
それでも、しっかりと握り返してくるアルマの力強い手は、そんな不安を解かしてくれるようだ。
「シャニーと共に、貴女が果たせなかった夢を果たしますから、エトルリアからどうぞ気を安らかに見守ってください」
どこかシャニーと同じで、入団してきたときの尖った感じが取れ、丸くなったように思える赤い瞳。
新人部隊でも一人で稽古していることが多かった彼女が、自身の志に妹の名を挙げて共に歩むなんて言葉を口にするとは。やはり、何か夢を見ているかのようだ。
でも、これほど心強いことは無い。イリア内に大きな信を背負う妹は時に暴走しがちだ。アルマなら彼女を止めて最善を提案してくれる気がする。ティトは二人がどんな色にイリアを染めるのか、期待ばかりが膨らむ気持ちをアルマの手を託す。
そうしていると、ふいに背後から誰かが腰に抱き着いてきて、空色の瞳があたふたする。
「団長~。本当に行っちゃうんですか? あたしも連れてってくださいよー」
第一部隊のムードメーカーのエダだった。相変わらず、ネジが一本外れていそうな抜けた声で別れを惜しむので、どこか雰囲気が緩む。普段なら場を和ませてくれるそれに、ソランが頭に角を生やしていた。
「こら、お前と言うヤツは本当に締まりがない! 遊びに行きたいなら退団してからにしろ」
「違いますよ!」
そんな声を出せるなら普段からそうして欲しいくらい、エダとは思えない真面目な声が返ってきて、思わずティトはソランと息を呑む。
「あたしにとって団長は世界で一番だったから。第一部隊のみんなそう思ってますよ!」
「エダ……」
どうやって感謝を伝えれば良いか、ティトは言葉に詰まった。裏表のないエダに言われると、嬉しい以外の他の言葉が思いつかない。
「ふふ、それは私も同感だよ、ティト。97代目団長は、偉大な団長だった」
周りの隊員たちも何度も頷いて涙ぐむ。
泣かないと決めていたが、やっぱり駄目だった。
仲間の涙に思わず目を潤ませて唇を噛むティトへ、ソランもそっと彼女の肩に手をまわして、耳元ではっきりと感謝を伝える。
「幸せにね」
別れをはっきりと思い起こさせる言葉。ティトは静かに頷くと、彼女も戦友の背へそっと手をまわす。
「あなたも……武運を祈ってるわ」
天馬騎士団を背負ってきた二人が、別れる道を前にしっとりと抱き合う姿を、第一部隊の誰もが涙をすすりながら焼き付けるように見つめている。まるで、瞬きするのさえ惜しそうに、じっと。
しかし、時は来た。
最高の仲間たちの許を離れ、ティトは城の出口の手前まで進んだところで、手を振るレイサを見つけてそちらへ小走り。彼女の周りでは十八部隊が背筋を伸ばして敬礼している。
「おめでとう。そして、お疲れ様。団長」
「こちらこそ、重責を果たしていただいて感謝しています」
腰に手を当てながら、変わらない口調でさっぱり喋るレイサの声には、いつも何か安心させられてきた。
悩みを聞いてくれる彼女は、ティトにとってもう一人の姉。何より、レイサが十八部隊を背負ってくれなければ、今頃まるで違う未来になっていたに違いなかった。
影の功労者としっかりと握手を交わしていると、姉貴分の後ろから飛び出してくるようにルシャナ達がレイサの後ろから一歩前に出てきて、ゼロットから賜った銀の槍を掲げる。
「私たちを守ってきてくれて、ありがとうございます。きっとこれから期待に応えて見せます」
ルシャナとレンがぺこりと頭を下げ、レンにスカートを引っ張られて遅れてミリアも挨拶をはじめる。
彼女たちが、自分やレイサが守り育ててきた大事な未来への懸け橋。そう思うとティトは目頭が熱くなってくる。
「貴女達はイリア民の希望。これからが大事。イリアを頼むわよ」
エールを送ると、感激したのかミリアが顔をジンとさせて手を結びだしている。
緊張しきっていつもとまるで違う彼女のお尻をルシャナがひっぱたき、三人で再度敬礼して見せた。
「イエス、マム!」
一年でこんなにも頼もしくなるものなのか。
あのイドゥヴァにも立ち向かった勇気は伊達ではないと示す強さをどの瞳も湛えていて、ティトは確信していた。彼女たちはきっと、もっと大きなことを果たしてくれると。
でも、その期待を一番にかけたい希望の一番星が、どれだけ見渡してもこの場にいない。
「……あの子はいないんですか? レイサさん」
念のために聞いてみるものの、レイサも両手を広げてため息をつき始めた。
「あいつ見回りに出ててね。ちゃんと時間どおりに帰ってこいって言ってあったのに」
「……相変わらずな子ですよ、本当に……」
最後は飛び切り褒めてあげようと思っていた。
彼女にかけてあげたい言葉はいっぱいあって、この場に来るまで何を最初に言おうかずっと考えていたのというのに。『妖精』の称号らしく、本当に奔放さは変わらなかった。
ティトは寂しさに引っ張られながらも歩き出し、ついに城の出口に足をかける。
あと半歩、あと半歩踏み出せば、天馬騎士ティトはその道を終えることになる。踏み出したくない寂しさと、踏み出せない恐怖を、飛んでいきたい最愛への想いで振り切って、彼女はついに新しい一歩を踏み出して振り返った。
「皆さん、今までありがとうございました! 天馬騎士団の、イリアの繁栄を、エトルリアの地から見守っています!」
それまでの苦労をすべて吹き飛ばすような、大きな拍手と労いを一身に受けたティトは、両手に一杯の花束を携えながら騎士団へ背を向け外門へと歩きだした。いつまでも、その背に称賛を浴びながら。
石畳の道を一歩、一歩、静かに踏みしめながら歩いて、周りの景色を立ち止まっては眺めて焼き付ける。
ついに石畳も無くなって、雪解けにぬかるんだ道まで来ると、ティトは振り返ってそっと見上げた。紺碧の空は今日も高く澄んでいて、その青に美しく映える白い巨城は、どこかいつもよりも大きく感じる。
この城で今まで生きてきて、この城に生きるすべてを背負ってきた。それがもう、自分からぷつりと切り離されてしまった気がしてただただ、湧き上がる寂寥感にしばらく呆然とする。
いつも、忙しくてこんなことを考えたこともなかったのに、今はただ、この景色が愛おしくて、切なくて。今振り返ったらもう、二度と見られないと思うとなかなか動けない。
でも、進まなければいけない。槍を置き、勲章も騎士団へ残してきた。もう、天馬騎士ティトはいない。もう、自分を包んでいるのは軍服ではない。自身を見下ろして言い聞かせた彼女は、静かに頭を下げた。
「ありがとうございました……。本当に……お世話になりました」
深く、深く頭を下げる。
走馬灯のようにまた記憶が蘇ってきた。仲間とともに笑い、泣いた詰所。相棒とゆっくり会話できた厩舎。美味いとは決して言えなかったが、たくさんの笑い声に包まれた食堂。苦しくも、常に天馬騎士団の業の深さと向き合えた団長室……。
緊張した入団式のこと。配属されて迎えた初陣の震え。初めての分隊長への就任……ベルン動乱……そして団長となり、イリア連合から勲章をもらい……ここまで戦ってきた。
ずっと包んでくれたこの城、この仲間たちとの別れは、何度自身に言い聞かせてもなかなか先へ進めない。
「さようなら。天馬騎士団……さよなら、私の愛した……イリアのみんな」
静かに頭を上げ、湖面揺れる空色の瞳でもう一度カルラエ城を見上げて、消え入りそうな声で別れを口にする。
志は消えたわけではない──そう自らに言い聞かせ、髪を揺らした彼女は、ついにイリアのために生きた場所に背中を向けた。次の未来へ、愛する人と飛び立つために。