ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
アルマはティトに直訴し、第一部隊への配属を志願する。
前代未聞の出来事に騒然とする第一部隊の面々だが、ティトはこれを承認する。
仰天する部下たちの前で、彼女はアルマに条件を突き付ける。
だが、彼女の加入はさっそく部隊に波紋を広げ、私闘が始まってしまう。
第一部隊の面々を力で黙らせた彼女は営業先のエトルリアでもティトの肝を冷やさせるような行動をとる。
疲れ果てるティトだったが、そんな気持ちを吹き飛ばして余りあるクレインとの再会。
────君を信じる仲間を信じて、ただひたすら前へ歩こうよ
彼女は2時間余りをクレインと二人きりで過ごし、彼の言葉に勇気と覚悟を新たにするのだった。
第1話 戦虎の教え
今日もマウスの転がす車の音が医務室の石壁を叩いている。
部屋の主が、井戸から汲んできた水を小瓶に移し研究室へと持っていく。
静寂が包む部屋。平和な空気が時を動かす。
しばらくして、彼は手に持っていた試験管を置くと、再び井戸水を汲みに席を立った。
身を切るような冷たい水に手を突っ込んでタオルを絞り、それをベッドで眠る親友の頭に持っていって丁寧に額を拭いてやる。もう何回これを繰り返しているだろう。
顔を拭くタオルが額から目元を伝って頬をかすめた時だった。
「う……ん」
静寂を破るにはあまりに弱い声が聞こえた。
ウッディがはっとする間もなく、次の瞬間親友の硬く閉じていた瞳が開く。
その瞳はいつもどおりの開かれた目ではなく虚ろな蒼色ではあるが、医者を一安心させるには十分なものだった。
「シャニー! 大丈夫か?」
ふいに部屋に響いた声に驚いてマウスが穴に逃げ込んでいく。
ウッディはタオルを放り出してシャニーの様子を覗き込むようにうかがった。
シャニーのほうは、自分の置かれた様子がまだ把握できないらしい。
じっと天井を見つめていて、ウッディの声は聞こえていても心がそちらに反応しなかった。
(なぜ、あたしはここにいるんだろう。そもそもここはどこ?)
剣を握り戦場に立っていたはず。周りは白い雪と灰。色があるのは自分と敵の血だけ。
不気味な静寂が包む空間。そんな状況であったはずだ。
しかし今自分を包む静寂は、そんな静寂とは真逆の位置にあるもの。
できればこのまま。このままずっとこうしていたいと思わせるような、安らぎに満ちた暖かな清閑。
同時に、静寂は安らぎと共に記憶も自分へもたらしてくれた。
砂漠が水を飲みこむ様に、激戦の記憶が一気に頭の中に流れ込んでくる。
今まで虚ろだった瞳に力がみなぎりどんどん見開かれる。だが、
(そうか。あたし負けて……)
その目はまたすぐに弱弱しく萎れてしまった。
「よかった。気がついて。だいぶ目を覚まさなかったから、すごい心配したんだよ」
目を覚ましたし、怪我による後遺症も無さそう。ウッディはひとまず安心して胸をなでおろした。
しかし、前までの笑顔はまだ無い。彼女の顔は太陽のような一杯の元気さではなく、湛えているのは霧のような静けさ。
しばらく白いシーツを眺めていたシャニーは、ようやくウッディのほうを向いた。
「よかった。ウッディも無事だったんだね」
「ああ。シャニーのおかげだよ」
何か、それ以上会話が続かない。いつもなら一言えば十は話が飛び出す間柄のはずなのに。
せっかくの静寂が、今度はとても耐えられないものに変わっていた。
「あいつ、一体何者だったんだろう」
この静寂を嫌ってウッディは無理矢理話を振ってみたが、その話題を出したことに彼は言ってから後悔した。
シャニーはさらに俯いて、手はシーツを強く握り締めている。
ウッディはその瞳を見てすぐに目を逸らした。
霧の中に揺らめく怒りとも悲しみとも、そして恐れとも取れるようなもの。
ともかくいつもの彼女の表情ではない気持ちがにじみ出ていた。
体以上に、心へのダメージが大きそうで、どうすればいいか分からない。こんな彼女を見たことは今まで無かったから。
(そっとしておいたほうがよさそうだ)
今は何もしてあげられないことを察してベッドの端を立つ。
研究室へと向かい、中で実験器具を取り出して試験材料を作ろうとしたその時だった。
「ねえ、ウッディ」
向こうから聞こえたか細い声。
手に取った試験材と分厚い本を台の上に置いて彼女に目を向けてみて一瞬驚く。彼女は萎れたままの瞳でこちらをじっと見ていた。
「何?」
「今日はどこも行かないよね」
予想もしていない質問に驚いたが、特に考えることもなくすぐに返した。
「ああ。今日はずっとここで研究に没頭するつもりだ。重症患者もいることだしな」
「えへへ、ありがと。でも、もうあたしは大丈夫だよ、ほら」
腕をかざして元気を見せ付けてくるが、もし彼女が本当に元気ならいつまでもベッドの上にいる訳は無い。
彼女の体には、未だ痛々しさを残す包帯が、肌を覆い隠して見えない程に巻かれている。
何より、ウッディには分かっていた。シャニーは嘘がつけないことを。
明らかに空元気であり、心も体もぼろぼろであることが彼女の表情と素振りから痛いほど伝わってきて辛い。
彼は無言の笑顔で彼女に了解を伝えると、再び試験材を取り出し実験を始め出す。
未だに思い浮かばない。こういう時、どうやって声をかけたら良いのだろうか。
部屋にはいつもどおりの日差しが注ぎ込み、二人を包む。
外を見れば、どこの部隊だろう。天馬隊が空へ向けて羽ばたいていき、シャニーはその様子をじっと見つめている。
そこへ今度はウッディからシャニーへ話しかけた。
「でも、どうしてそんなこと聞くんだ?」
「え。……ちょっと寂しくってさ」
「大丈夫。今日は付きっ切りで看病するから安心しなよ」
シャニーはウッディの言葉に安心したのか、ずっと彼の様子を見ている。
彼はひとつ試験材を作り終えて足元から色々実験器具を取り出し、分厚い本の上に乗せて研究室の蚊帳をくぐって出てくると、そのままの足でシャニーのいるベッドへ向かい、淵へ腰掛けた。
「ここなら不安じゃないだろ?」
その場で乳鉢を取り出すと試験材を砕き始め、シャニーはその様子に嬉しそうな顔をすると、手を後ろに突いて楽な姿勢をとる。
乳鉢を見ているのだと思ったのだが、彼女の様子を見てみると、どうやらそうでもないらしい。
彼女は手を後ろに突いたまま、天井を見上げていた。
一見するとぼうっと見上げているのだが、その様子をじっと見つめても気づかないその瞳の中には鋭い何かを感じる。
何か考え事をしている。考え事というより何か思い煩っている。
いつもの彼女からはとても想像ができない、自分の知らなかったシャニーの一面に戸惑った。
霞の中で不気味に光る剣は、一体どこへ彷徨う。
尚更、どう声をかけて良いかウッディには分からなくなっていく。
「シャニーは黒が似合うね」
苦し紛れにシャニーへ言葉をかけてみる。今の彼女は、肌着の上に黒のタンクトップを着ただけのラフな格好だ。
普段白の制服ばかりだが、黒に、ぼさぼさと無造作に伸びた青髪が戦いでところどころ焦げた姿からは、また違った戦士っぽさが出ている。
「え、そう?」
彼女の反応はそれっきり。
「そう言えば母さんも黒の制服着てたなぁ」
少し自分の格好をきょろきょろと見渡すと、独り言のように漏らしてまた上を向き、先ほどの視線に戻ってしまった。
そっとしておいたほうが良いと分かりながら、ウッディはシャニーの様子に耐え切れず、今度は核心を突く質問をストレートに投げつけた。
「シャニー、何をさっきから考え込んでいるんだ?」
シャニーは不意の質問に少し言葉が出てこないようだった。
しばらく考え込んだ後、彼女は天井を眺めていた顔を今度は下へ向けると、ようやく口を開いた。
「この前戦った魔道士のこと。あたしの力なんて、あんなちっぽけなものだったんだなって。もっと、もっと強くならなきゃいけない。けど、がむしゃらにやったって強くなんかなれない。だから、どうしたら良いのかなって。こんなんじゃ、一人前ですら……ね」
────プロならば一人前は当たり前。三人分できて初めて合格だ
あの日、襲撃を受ける直前まで一緒にいた黒の紳士から贈られた言葉。
それを思うと、今の自分がどうにも情けなく見えて惨めだった。
自分の腕では敵わない相手がいる。それを知ったとき、自分の小ささに気付く。
情けない、その一言がずっと彼女を責め続けている。
自分への情けなさと、そして恐ろしさが頭の中を駆け巡っていた。
「そんなことない。お前は僕達を守ってくれたじゃないか」
心の底から感謝していたから、必死に彼女の自責を否定した。
彼女が戦ってくれなければ自分も、そしてルシャナも生きてはいなかった。
「いいんだよ、ウッディ。あれはあたしが守ったんじゃない。騎士団の人たちが応援に駆けつけてくれたから、あいつは撤退したんだもの。自分の力で倒したんじゃない。あたしは、自分が許せない」
ウッディは否定したかったが、なんと声をかけてあげれば良いか分からない。
確かに、あの仮面の魔道士は全く劣勢を感じさせなかった。
血みどろで立てなくなる程にやられた彼女の、騎士としてのプライドがどう言う状況か、想像は難しくない。
「で、でもお前があれだけ戦ってくれたから!」
シャニーには目覚めたときから分かっていた。自分の中に、何かは分からないが矛盾が生じていることを。
その矛盾を認めることは騎士として許せなくて、その気持ちが彼女の雰囲気を変えていた。
(こんな冷たくて鋭い顔を見るのは……初めてだ)
自分の知らない彼女の一面に固唾を呑むが、声をかけたことは間違いではなかったようだ。
彼女は上を見上げることを止め、ウッディが扱う乳棒の動きをじっと見るようになっていた。
しばらくしてその様子に気付いたウッディは、気が紛れるならと彼女に乳棒を差し出してみる。
「やってみたい?」
今の彼女にとってこの静寂は毒だ。
「面白そうだね」
「よし、自分で痛み止めを作ってみなよ」
彼女はうれしそうに差し出された乳棒を手に取ると、ウッディのやっていたことを真似てやってみる。
均一に粉砕していくことは予想以上に難しく、シャニーの顔は先程とは違う熱中した顔になっていく。
「ヘタクソだなぁ」
「うー、うるさい」
彼女が乳鉢に夢中になっている間に、ウッディは調合に要する薬草を分厚い本から調べだす。
使い慣れた本であるために、これだけ分厚くても目当ての薬草があっという間にページから飛び出してくる。
「すごいね、もう覚えてるの?」
「まぁね」
馴れた手つきで作業を進めるウッディを見て、シャニーは持っていた乳鉢を置くと天を仰いでぽつりと一言漏らした。
「あーあ、あたしって騎士に向いてないのかもしれないなぁ」
先ほどとは明らかに違う口調で出た、ため息交じりの弱音。
今まで弱音なんて吐くのを見たことが無かった彼女が、こんなことを言うなんて、ウッディには信じられなかった。
「どうしたんだよ。急に」
「なんかさ、自信無くなっちゃって。最初はイリアの為に戦ってたけど、そのうちそれはどうでも良くなっちゃってた。相手を倒したい。それしか考えられなくなって。おまけにぼろ負けしたし。結局、あたしは昔から全然進歩してないんだなって」
イリア騎士は、イリアの為に戦う。自分のために戦うことはタブーとされること。
今までも多少暴走することはあっても、イリアの為に戦う気持ちを忘れたことは無かったのに、今回は明らかに自分の欲望を満たすために剣を取っていた。
何よりもこれが彼女には許せなかった。誓いを破った自分を嫌いになってしまいそうだ。
どうすれば強くなれるのか。力や技術はもちろん、騎士として精神的に強くなるためには。
何か、自分の誓いは上辺だけであって本物ではないのではないか。ずっと静寂の中で答えを探していた。
彼女の憂いの眼差しずっと見ていたウッディは、ふと外を見て独り言のような言葉を漏らした。
「あ、そう言えば賊が村を襲撃してて大変とか誰かが言ってたな。でも十八部隊はあそこにいるし、大丈夫なのかな」
シャニーは目の色が変わった。村を賊が襲っているのに、ウッディはまるで他人事の様にさらっと流したのだ。
「な、何で今まで黙ってたのよ! こうしちゃいられない……つっ」
何とかベッドを立ち上がり、傍に立て掛けてあった剣を杖に、出口まで歩いていく。
どう見てもその様子は戦える体ではなく、歩くだけで精一杯だ。
ウッディはシャニーの様子をしばらく見つめてから彼女の許へ歩み寄ると、抵抗がろくに出来ないことを良い事に、膝の後ろに手を回して持ち上げた。
「ちょっと! 何考えてるのよ!」
彼はシャニーの怒鳴り声を無視してベッドに連れ戻してしまった。
「自分が何をやっているか分かってるの? 時は一刻を争うんだよ?! 村の人が殺されてしまってからでは遅い!」
シャニーの目は今にも食いついてやるぞと言わんばかり。これ以上は可哀相か。
「そんな大事を、僕がレイサさんに伝えないわけないだろ?」
「!! いくら親友でも、言って良い事と悪い事があるでしょ! 見損なったよ!」
シャニーの怒り様は予測していたウッディでも驚く程だったが、彼は落ち着いてシャニーに聞こえる様にはっきりとした口調で伝えた。
「そこまでイリアの人の事を思っているなら、十分なんじゃないかな。お前は十分、イリア騎士の誓いを守って働いているよ。自分を責める必要なんて無いと思うよ」
ここまでされて、ようやく試されていた事に気付く。
試されていた事には良い気持ちはしないが、親友が何とか自分を励まそうとしてくれていると思うと、感謝するしかなかった。
何より、自分の体がイリアの民を守ろうと素直に動いた事に安心していた。
静寂の中に見つからなかった答えが、ずっと目の前にあったのかもしれない気がする。
「へへ……ウッディ、ありがとね」
シャニーは再び乳棒を回しだした。考え事をしながらの粉砕はまったく力が入らず、塊が丸残り。
しばらくその様子を眺めていたウッディは、ふとベッドの淵を立ち、横に立てかけてあったシャニーの剣を手に取った。
彼女はわざわざエデッサの城下町にある騎士団御用達の鍛冶屋にお願いして、特注の剣を作ってもらっている。
突きよりも斬撃に重点を置いた、通常の騎士剣よりも軽い細身の剣。
その細身の剣でさえも、非戦闘員のウッディにとっては結構な重量感がある。
刀身を鞘から抜いてみる。他の人には決して手入れをさせないから、あの激戦の時のままの姿を現した刀身は、半分以上が折れて無くなっており、素人から見てももうぼろぼろの状態。
「あ、何やってるのよ。そんなもの持ったら怪我するよ!」
それに気付いたシャニーは、慌ててウッディに警告するが彼は剣を離さない。
彼はそのまま剣を持ってシャニーのほうへ戻ってきた。
「こんな重いものをいつも振っているのか?」
「まぁね。めちゃめちゃ軽いほうだよ、それ」
「そっか、お前は体鍛えてるからな」
女性である彼女がこんな重い武器を手にして戦場に立たなければならない。
イリアでは普通であっても、それは世界の中で見れば普通ではない。
大変な世界に身を置いて、十分彼女は努力しているように見るのだが、本人にとってはそうではない。
ウッディも分かるから、何とか励まそうと彼女の腕を触る。
「やっぱ鍛えてるだけあって、腕が太いな」
小柄だし、体の線も細いが毎日の鍛錬の賜物か左腕はがっちりしている。
だが、それは絶対的な禁句だった。
ウッディ自身は鍛えられた体を褒めたつもりだったのだが、そのとおりに相手が解釈をしてくれるわけがない。
「ウッディがひ弱なだけでしょ!? 大きなお世話だよ! このバカ!」
彼の褒めた、その鍛えられた腕から放たれるフックはパンチ力も十分。
鉄拳を喰らってその場でうずくまってしまい、彼のリアクションに自分の拳を慌てて見てから、シャニーは余計に膨れ面を作った。
しばらくウッディは静かだったが、ようやくに体を動かしたので打ったほうも胸を撫で下ろす。
まだ足元がふらつく様子に、怪我人のシャニーのほうが心配になってきた。
「あぁ……死ぬかと」
「大丈夫? ホント、デリカシーのない奴なんだから」
ベッドの上からウッディの手を取って立たせてやった。
ウッディはようやく鼻から手を離すと、足元に落ちた剣を拾い上げてしばらく見つめた後、再び乳鉢に夢中になるシャニーを見る。
頭にも腕にも、足にも白い包帯が巻かれて痛々しそうだ。
自分が何もできない間に、彼女はどれだけ恐ろしい状況に置かれていたのだろう。
どれ程の痛みを堪えて剣を振るっていたのだろう。
────何もできないくせに、でかい口を叩くな
今でも脳裏に焼きついて離れない、アルマの台詞が親友の体を見て蘇る。
ぎこちない乳棒の動きが、乳鉢の中の薬草を外へ弾き出した。
シャニーがそれを拾って、再び乳鉢の中へ放り込もうとした時だった。
「なあ、元気になったら僕に剣を教えてくれよ」
ウッディの声に、シャニーは手に摘まんでいた薬草を、再び試料台の上に落としてしまった。
聞き間違えたのかと、薬草を拾わずにウッディの顔を見上げた。
「へ?」
「僕に剣を教えてくれよ。それとも、僕じゃダメかな」
「どうしたのさ、急に。ウッディが剣なんて」
シャニーはとりあえず彼の手から剣を離させて、刃を布で拭くと鞘にしまった。
医者であるウッディが剣を覚えたいなど、よほどの理由があるに違いない。
だが、ウッディに剣を教えることなど、彼女には承諾できるわけがなかった。
シャニーは最初、槍を専門に扱っていた。
今でも騎兵である以上主力の武器である事に変わりはないが、仕事の中には意外と天馬を降りて行う内容も多い。
小柄な天馬騎士たちでは、天馬を降りて槍を振り回す力はない。
ベルン動乱では歩兵がかなりいたので、自分は天馬騎士としての仕事だけを果たしていればよかった。
しかし、天馬騎士団では天馬乗りしか基本的に在籍していない。
天馬を降りて剣を扱えることは、自分の希少価値を何倍にも高めてくれる。
だから彼女は、動乱中に剣を教えてくれた師匠に感謝してもしきれない。
今でこそ騎士団随一の剣の使い手と言われるほどまで成長したが、剣を扱い始めた当初は実にひどいものだった。
シャニーは、当時のことを思い出していた。
◆◆◆
師匠、ディークは何度彼女の頭を小突いただろう。
一つできるようになれば二つ叱られ、負けじと弱点を克服出来るようになる為に、どれだけの汗と涙と時を費やしただろう。
どうやっても叱られ、泣いた夜も数え切れないほどある。
彼はシャニーが少女だからと言って特別扱いはせず、失敗すれば叱ったし、反抗すれば手加減しなかった。それは、彼が彼女のことをよく理解していたから。
叩けば火花を散らす熱い鉄。じっくり冷やすより、水に叩き込んでまた熱してやった方がより頑丈な鋼へと成長する。
それが分かっていたから、部下であるシャニーへは容赦しなかった。
結局、西方のレジスタンスベースでディークから初めて剣を教わってから、ベルン動乱が収束して彼と別れるまで、ずっと叱られっぱなしだった。
動乱が終わってもディークの指導を受けられると思っていた。
まだ自分には足らないところが多いことは、彼女自身が一番分かっていたから。
だから、この先もしばらくは故郷に帰らずディークの下で自分を磨こうと考えていたのだが、彼は動乱が終わると傭兵団の解散を皆に告げた。
「待ってよ! あたしはディークさんに教えてもらいたい事が、まだ山ほどあるんだよ!」
解散後、ディークが当ての無い旅へ出発してからも、シャニーは彼の許を離れなかった。
それが彼女にとって良くない事だとディークには分かっていた為、彼女を天馬から降ろしてきっぱりと言い切った。
「お前に剣の事で教える事は、もうねーよ。さっさと行きたい所へ行っちまいな」
「で、でも! まだ剣技とかも教えてもらってないし、基本的なところだって……」
泣き出すシャニーにディークは困った顔をした。
せっかくロイが誘っていたのに、まさか自分についてくるとは思ってもいなかった。
かわいい弟子を手放すのは彼にとっても辛い。彼は敢えて彼女を突き放した。彼女の今後のために。
「目の前で人が困ってても、お前は雇い主が命令しなければ動かねーのか?」
「うぅ……。そんな……」
「てめえは、人に指図されなきゃ何も出来ねーのかって聞いてんだ。泣いてないで答えろ!」
「そんな事……無い」
泣きながらも、全力で首を横に振った。見て見ぬ振りは一番嫌いなこと。
ディークは腰をかがめてシャニーと目線を合わせると、涙を拭いてやった。
「おう、俺はそんな部下を持った覚えはないぜ。俺はお前に基本的な事は全て教えた。今度は、お前がそれを生かして自分で考えていく番だ。いつもまでも俺の部下、見習い気分でいるんじゃねーよ。自分で考えろ。他人に依存するな。俺が最後にお前に教えることは、これだけだ」
シャニーはうなずき、イリアへ還る決心をした。
それでも親心というべきか、ディークは最後の最後に一つの剣技を教えた。
彼はシャニーの持つ裏の面にすら気付いていたのだろうか。
伝授した技は、相手を殺めるものではなく、かつて未熟な彼女を守る為に使った剣技。
そして、シャニーもまた大切な仲間を守る為に使った、あの護陣だった。
「いいか、お前はこれで卒業だ。次会う時は……戦場だ。敵としてな」
これが一番シャニーにとっては堪えた言葉だった。
ディークと剣を交わすなんて事は考えたくもないのに、傭兵としてこれから生きる自分にとっては逃れられない運命。
彼女は黙って敬礼をすると、ディークの許を後にした。
「大丈夫だ、お前ならやっていける。お前は他の奴が持ってないモノをいくつも持っている。他の奴が願っても手に入れられないものをな」
「ホント? あたし、一人前かな?」
「だが、磨き方が足りねぇ。これからは自分で自分を磨くんだ。何があっても、自分の感覚を信じて最後まで諦めるな」
それが、手負いの虎、ディークからもらった最後の言葉だった。
◆◆◆
ディークは免許皆伝を授けてくれたが、今でも彼の考えを完全に受け継げた気が全くしない。
特に剣は、初心者でも扱いやすい反面、極めるには相当の技量と年月を必要とする。
だが今では、むしろ全てを受け継いではいけなかったし、ディークの気持ちも少しずつ分かって来たような気がしていた。
彼の剣は、彼が使うからこそであって、自分が使ったところでそれはあくまで”他人の剣”だ。
己の心の奥底から湧き上がってくる、魂の力で会得する剣技でなければ使いこなすことはできない。
自分と同レベル、またはそれ以下の相手なら”他人の剣”を借りて戦ってもなんとかなる。
だが、本当の強敵と相対した時にはそれでは通用しないことが、この前の仮面の魔道士との戦いで確信へと変わった。
叙任騎士として道を歩み始めたばかりなのと同じように、ディークから教えてもらえたのは心構えだけで、ようやく剣の道のスタートラインに立ったばかり。
自分でさえもそんな状態なのに、ウッディに剣を教えるなんて気になれなかった。
「どうして、そんな風に思ったの?」
「僕は、見てのとおり何もできない男だ。そのせいで、お前たちに余計な負担をかけてしまった。僕はそれが耐えられない。僕も大切な人を守れるようになりたいんだ」
シャニーは何か頭を貫かれたような気分になった。
非戦闘員であるウッディの言葉に、自分の矛盾を突くような言葉が含まれていたからだ。
それと同時に、非戦闘員を不安にさせてしまう自分が不甲斐なかった。
「いーんだよ。戦いはあたし達の仕事だから」
「でも、出来ないよりは何か出来た方が良いと思うんだ。せめて、お前達の足手まといにならないくらい」
彼の気持ちは本物のようだ。だからこそ、シャニーはウッディの考えを思い留めさせようとする。
「あたし達が命がけで会得してきた技術を、そう簡単に覚えられるわけないでしょ? 生半可な剣は怪我の元だよ。素人に手を出されちゃ、あたし達プロがやりにくいってね」
「そうか……」
彼は力なく剣を下してうつむいた。
強く言い過ぎたかもしれないと思ったが、シャニーはウッディに剣を握って欲しくなかった。
「ウッディ、あたしね、ベルン動乱でエミリーヌ教のすごい偉い司祭様の従者さんとお話をする機会があったんだ。その人の話でさ、すごい納得した話があるんだよ。知ってる? フクロウとオオワシのお話」
ウッディはその説法名を聞いてはっとした。
敬虔なエリミーヌ教の信者である彼には、その説法は名前を聞いただけで内容が頭に浮かんでくる。
それを、シャニーの口から説明され、その意味を理解する。
「夜空を見渡せるけど高く飛べないフクロウと、高くまで飛べるけど夜空を見渡せないオオワシ。一人じゃ高くて夜空を越えたところにある神の国に行けないけど、エリミーヌ様が力を合わせて行きなさいって教えた話。あたし、すごい納得したんだよ」
「……」
「あたしだって、横で怪我をしている人がいてどう頑張っても自分の力では治せないとき、どんなに神の奇跡が使えたら、とか、ウッディみたいに医学を操れたらって思ったもん。出来るに越したことは無いけど、出来ないなら、自分の出来る事を精一杯やって、出来ない所は助けてもらえばいいんだって」
依存するのではなく、助けてもらう。多くの人と交わりなさい。エリミーヌの教えのひとつだ。
ウッディには、シャニーが言いたい事がもう十分伝わっていた。
「ウッディがいるから、あたし達は怪我を恐れずに戦えるんだよ。それに、ウッディの仕事は命の炎を守るスゴイ仕事なんだ。自信持てよ!」
背中をパシッと叩かれて勇気が湧き、彼は自分の仕事に再度誇りを持つことができた。
自分が剣を扱えないなら、彼女らの士気を保ち、病気や怪我を少しでも早く癒せるように研究を進める。
それが、自分に課せられた使命であり、自分に最もできる彼女らへの支援。
「分かった。じゃあばっちり治してやるから、頑張って怪我して来いよ」
「何言ってんの! この白い柔肌に向かって!」
「……ああ、そう」
ウッディは口では軽く流したものの、嬉しかった。
一週間ずっと目を覚まさなかった親友が、今こうして冗談を言い合えるまで回復したのだ。
彼女はすでに乳棒を剣に持ち替えて、折れてもなお、その手入れをしながら軽く構えを取ったりしている。
動きたくて仕方がないという気持ちが見て取れるが、それでも彼女の体は一度限界を超えている。
彼は医者として、彼女の行動を止めさせた。
「シャニー、今は寝てろよ。いくら動けるようになったからと言って、体のダメージは見えない所で現れるんだ」
「いつまでも寝ていられないよ。こうしている間にも、あたしはみんなが作ってくれた小麦を食べてるんだから。それに、してもらった以上にしてあげたいしね。みんなに迷惑をかけた分も頑張らないと!」
彼女は、見習いの頃から師匠に口酸っぱく言われていた事が、死ぬ思いをしてようやく分かってきた気がした。
────戦いは一人でするもんじゃねえぜ
「お前らしいな。でも、今は絶対安静だ。医者の言うことは聞けよ」
「……はぁい」
心だけいつも先に飛んで行ってしまう彼女は、今回も剣を磨き終わるとやっぱりそのまま眠ってしまった。
ウッディは彼女が作りかけた痛み止めを完成させると、寝ているシャニーの体を拭きながら、それを塗りこんでやった。
一日も早く元気になることを祈りつつ。
◆◆◆
シャニーがすーすーと寝息を立てているころ、ティトはオスティアを越えてフェレまで足を伸ばしていた。
オスティアでの傭兵契約をまとめ、イリアに帰還するにも東進してダッドフィの関所を越えなければならない。
せっかく近くまで行くのならと、ロイに挨拶をしていくことになったのだ。
「ではロイ様、我々はこれで」
リキアは第一部隊だけではなく第二部隊も仕事を取りに来る場所。
イドゥヴァが顔を出しているはずなので、ティトはここでは契約を取ることはせずに挨拶だけで済ますつもりだった。
「うん。道中気を付けてくれ」
いつもロイはこうして気にかけてくれる。世界が英雄と呼ぶ彼はとても優しい男性だ。
慎ましく頭を下げて背を向けた時だった。
「ところで……」
まただ。ティトはこの後聞かれる事が分かっていたので振り向いた。
「シャニーは一緒じゃないのかい?」
「ええ。彼女は別の部隊ですから、私と共に来ることはありません」
とても残念そうな顔。これもいつも同じだ。よっぽど動乱時に仲良くしていたのだろうか。
シャニーには聞いても、良くお喋りした、楽しかったと言った漠然とした答えしか返ってきたことは無い。
後ろにいるアルマも違和感を覚えて眉をひそめている。
「君たちは第一部隊だったよね? シャニーは?」
「彼女は第十八部隊。いわゆる新人教育部隊なので、外回り営業はさせていません」
思わぬ事実を聞いてロイも驚いたのか、返ってくる言葉が無かった。
正直、シャニーをロイに会わせることは怖かった。
動乱中も、彼女があろうことかロイにため口で喋っていたことを知った時は血の気が退いた。
妹に注意しても、「ロイ様が良いって言うんだからイイじゃん」としか返ってこなくて困ったものだ。
「ロイ様、動乱中の妹の無礼、何卒お許しください」
「無礼?」
「ロイ様への口の利き方があまりにも失礼だったと聞いています」
ロイは英雄と呼ばれていても気さくな人間なので、気にするなと言うに決まっている。
「僕は嬉しかったよ」
案の定、妹を庇ってくれるのだが、騎士団の長としてはそれでは済ませられない。もう一度深く頭を下げる。
「彼女は元気にしてる?」
だが、次に飛んできた問いにティトは思わず言葉に詰まった。
大怪我をして寝ている……なんて言ったら心配するに決まっている。「
はい、いつも通りです」
願望にも似たそれだけを口にすることで精いっぱいだった。
「彼女に手紙を出したいんだけど、どこ宛に出せば届くかな」
今日のロイはやたらと妹のことを聞いてくる。
何かあったのかと不思議に思うが、ティトはまず彼の質問に答える事にした。
天馬騎士団に妹が入団してから一度だって国外で仕事はさせていないから、彼女が無礼を働く機会は無いはずだ。
「それなら、私が預かりましょうか? この後帰国して彼女にも会いますし」
「いや、まだこれから書くところなんだ。郵便配達をする天馬騎士がいると聞いたのだけど」
イリアは傭兵契約関係のものを含めて、手紙は天馬騎士が運ぶ。
国の入口ダッドフィ城に集められ、そこから地方ごとに分けられて天馬騎士に運ばれる。
大口の場合は差出人の所までダッドフィを越えて天馬騎士が直接取りに来るが、フェレにはその便はなかった。
「なら、妹を宛名にしてダッドフィ城へ出していただけば届くと思います」
「そうか、ありがとう。シャニーによろしく言っておいてくれ」
妙に引っかかる。傭兵契約のあいさつ回りできたはずなのに、ほとんどシャニーの話で終わってしまった気がする。
帰ったらきっとシャニーに聞こうとティトは部下たちを引き連れて帰路に就いた。
(成程な、これならリキアではシャニーは仕事に困ることはあるまい)
アルマは意外なところに持つシャニーの人脈に少々妬きながらも、隅に置けない奴だと笑っていた。