ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
最近毎日の様に届くロイからの手紙。シャニーにとっては楽しみで仕方ない。
手紙の中では今日もロイが遊びに来いと誘っている。おまけに、彼には珍しく弱音とも取れる言葉まで綴って。
自分だけに弱みを見せてくる彼を何とか支えてあげたい。そんな気持ちが彼女に長期休暇の申請を書かせるが、ものの見事に団長ティトの頭に角を生やすだけだった。
おまけにアルマにまで、男に現を抜かすなら天馬騎士など辞めてしまえとキツい言葉を浴びせられてしまうのだった。
──9月17日 AM7:30 カルラエ城 団長室
本当は朝を色々と考える時間にしたいのに、びっしり埋まったスケジュールはそれを許してはくれない。
仕方ない、今日は自分でこの時間を埋めてしまったのだから。
机で承認処理を進めていたティトはふと腕時計に目を落とす。後三十分。結局、前回の部隊長会議はイドゥヴァ不在のままで進めてしまったが、毎回それで通す訳にはいかない。
今回は朝一番の時間を押さえ、事前に声もかけておいた。
ペンを置くと、念には念を入れてイドゥヴァに再度声を掛けようと部屋を出た。左右を見渡すと、副将のソランがツカツカ向こうからやって来る。丁度良い。肩を並べて歩き出す。
「ソラン、今日はイドゥヴァさんも出席するのよね」
彼女はよく働いてくれる腹心だ。副将らしくとても気が利いて、指示していない部分までしっかりこなしてくれる。
だが、時にはやりすぎている事もしばしば。あまり波風を立てたくないティトとは対照的に、ソランは白黒はっきりつけないと気が済まない。
「ええ。結局、尻尾を掴めずじまいだわ」
今回も彼女の答えにティトは思わずぎょっとした。
「あなた、本当にあの人に諜報部員をつけているの?!」
────声が大きい!
ソランに口へ指を立てられ、ティトは周りを見渡しながら言葉を飲み込んだ。止めろと指示したはずなのに、ソランはどうやら進めてしまっているらしい。
確固たる証拠も無くそんな事をしていると知れたら、それこそ問題が大きくなって相手のカードを増やしてしまうのに。
ソランはそう考えてはいなかった。地表に顔を出す前にその根を切るべき。足取りが一層早くなる。
「そのことで一つ、耳に入れて貰わないといけない事があるのよ、団長」
小声で耳打ちするように語りかけたソランは、周りの目を嫌ってティトを角の空き部屋へと連れ込む。
呆然とするティトをよそにしっかりと鍵をかけると、カーテン越しに窓の外をのぞき、机を駆け上がって天井裏まで覗き込んでいる。
誰もいない事をようやくに確認し終えると、窓側までティトを連れて行き耳打ちを始めた。
「……つけさせていた諜報部員がやられたのよ」
まるで金縛りにでも遭ったかの様に部屋中の時が凍り付く。
彼女の言葉を理解さえ出来ないくらい、ティトの顔から表情を吹き飛ばす。ソランの目を見つめていなければ、そのまま卒倒してしまいそうな程の衝撃をその驚きは浴びせてきた。
「やられたって?!」
しばらく言葉が出て来なかったが、やっと出た言葉は痞えを突き抜けるかの様な驚愕だった。
「一体、誰に?」
諜報部と言えばかなりの手練れを擁している集団で、レイサもかつて所属した部隊だ。そんな闇の仕事人が葬られたとなれば、相手はその更に上を行くとんでもない化け物と言う事になる。
大手の騎士団である天馬騎士団の諜報部を軽く凌駕する人物……ティトが考えを巡らせていると、ソランは更に声を絞ってティトの耳に囁く。
「『赫竜』らしい」
「ソルバーンが!? 誰が雇ったって言うのよ」
『赫竜』、それは銀狼の旅団を率いる団長ソルバーンの通り名。
殺しが許される地と言うだけでイリアに根を下ろしているナバタ出身の狂人。その手の話なら何でも引き受けて、赫灼なる怒髪を業火の如く揺らめかせながら荒々しく標的を喰らい尽くすのでそう呼ばれている。
依頼が無くとも強い相手なら誰それ構わず襲う男だが、彼ならば自発的に諜報部員を襲ったりはしないだろう。彼にとってはそのレベルでは
となれば、誰かから受けた仕事を果たしたとしか考えられない。
「あれが言う訳ない。あの人が直接雇ってるのか、夜な夜な会いに行ってる相手が雇ってるのか。……気まぐれに
妙な方言で飄々と喋っていたかと思うと、突然鬼の様な形相で剛腕を振り回しては魔導書も無く炎を召喚し、戦神の如く標的を叩き潰す。……まるで行動が読めない男だ。
諜報部は、イドゥヴァが最近頻繁にエデッサへ向かい、夜の貴族街で誰かと密会していると報告してきたが、その先を調べようとしたらこれだ。
もしイドゥヴァが用心棒に雇っているとなれば……二人の間には良くない重い緊張が膨らんだが、やはり確証はない。
情報としてだけ受け取ったティトは部屋を出て、第一会議室へ続く直線廊下を歩き出す。彼女の登場を待っていたかの様に、後ろにどんどんと他部隊の部隊長が追従し、団長を先頭にした集団が歩いていく様は荘厳だ。
「イドゥヴァさん、今日は部隊長会議に出席してもらえますよね? この前の十八部隊配属の件も少しご意見を聞いておきたいですし」
その一団の中にはイドゥヴァの姿も見え、安心したティトは彼女に声をかけた。もちろんと頷いたイドゥヴァの顔にはどこか笑みがあり、ティトは内心首を傾げた。朝は不機嫌な事も多い彼女にしては珍しい。
だが、これなら会議はスムーズに進んでくれるかもしれない。そう期待したティトに冷や水を浴びせるかの様にイドゥヴァが返してきた。
「ええ。今日は私も議題に挙げたいものがありますから」
その集団にアルマとシャニーが出くわした。
アルマは仕送りを、シャニーはロイへの返事を郵便に出してきた帰り。彼女たちはごく自然に廊下の隅に寄って静かに頭を下げる。
天馬騎士団の幹部たち、新人にとっては雲の上の存在が廊下の真ん中を足並を揃えて歩いていく。
「……」
頭を下げながらもアルマは前髪越しに団長の姿を見つめていた。
これが団長の力。全てを従え、全てを決める力を持つ者。
最も高く立派な椅子に座っている女性の胸に輝く金の勲章をじっと見つめる。あれを手に入れるには、一体どれだけのハードルを越える必要があるのだろうか。
その後ろを歩く銀の勲章に甘んじる女は、その役職と十何年付き合っているのだ。この、隣で一緒に頭を下げる青髪の母親と団長の座を争って以来、ずっと。
「ふう。行っちゃった、行っちゃった。かっこいいねー、あれ」
団長たちが会議室へと消えて行くと、シャニーは窮屈に丸められた翼を広げる様にうんと背伸びをして気持ちよさそうな声を上げだした。
「まるで他人事だな……」
その様子へアルマは呆れたような、残念そうな眼差しを向ける。この女もその気になれば狙えるだけの実力は持っているはずなのに。
ライバルが少ない事は好都合だが、実力を認めているからこそ自分と同じ場所に立って欲しかった。
最近は団長に何を言われたのか、より一層に目を向ける先が変わって来たし、ここにきて男にまで現を抜かしているのは手紙の頻度や髪を見ても瞭然だ。
暢気に鼻歌を歌う姿には憤りすら覚えた。
◆◆◆
一方、会議室では早速イドゥヴァが円卓を囲む部隊長達へ説明を始めようと立ち上がり、部下に資料を配らせていた。
快く会議に参加すると思ったらこれだ。おかげで十八部隊の所属先についての確認が後回しにされてしまった。
「皆さんに資料は行き届いたでしょうか? 記載の通り、フェリーズ伯爵より依頼が来ております」
──イリア開拓事業の強化とエミリーヌ教団との連携について
小綺麗にまとめられた資料の表紙にはそう記されている。
フェリーズ=ヴァイス=ノールレッジは聖職者であり、大陸で多くの信者を擁するエリミーヌ教において枢機卿の地位にある、ノールレッジ伯爵家の当主だ。
彼はイリア内で聖天騎士団という騎士団を率いる筆頭司祭でもあり、開拓事業を推し進めている事で有名であった。
フェリーズ……その名前を聞いてティトは苦い記憶が蘇って一瞬苦虫を噛み潰した様に口元が歪んだ。
「フェリーズ卿からはいつこの話があったのですか?」
資料には開拓事業への応援要請が記されていた。
騎士団間会議でうまく言いくるめられた記憶が蘇る。あの場で事故の真相を追及し切れなかった開拓事業の支援をまさか要求してくるとは。
資料を読む限り、開拓区での警備らしい。
なぜ、フェリーズが、なぜ国内案件をイドゥヴァが……ティトははっと思いだした。以前、イドゥヴァとフェリーズの密会に遭遇したあの時を。
あの時は何をしているのか問うても濁されたが、この話だったのだろうか。
「ええ、大分以前から話はいただいていました。昔からあの方とはよくお話をするのでね」
彼女の言っている事とも整合性は取れている。
知らないうちに疑い、矛盾を探している自分を戒めていると、部隊長の一人が資料を放り投げ、吐き捨てるような言葉を口にした。ティト派の第三部隊の部隊長だ。
「国内案件では金の場所が動くだけだ。聖天騎士団の使い走りとは、卿も随分な事を依頼なさる」
要は、自分の所だけでは手に負えないから援助してくれと言ってきているのだ。無償では無いにしろ、国内の騎士団間で金を動かしたところで何の意味もない。
慈善活動は宗教の中だけでやれと早々に話から降り、手で払って視界を議場から外す。
外国との契約をみすみす逃してまで、他騎士団の仕事に付き合うなどお人好しを超えている。それをあろうことか、外征至上主義のイドゥヴァが言っているから余計に胡散臭い。
「彼らとの協力態勢を強化する事で、エトルリアとの関係をより強固に出来ると考えます」
だが、イドゥヴァの狙いはこちらだった。
エトルリアはエミリーヌ教の総本山がある場所。宗教でエトルリアと結ばれた聖天騎士団に恩を売っておけば後々まで有利に働く。
ある意味先行投資である。エトルリアはベルンと並ぶ大国であり、イリアの騎士団にとっては最大の顧客だ。
「エトルリアは第一部隊が主幹と思われますが団長、いかがお考えでしょうか?」
部隊長会議にわざわざかけたのはこれが理由だ。
それぞれの部隊は担当地域が決まっている。ティト率いる第一部隊はエトルリア、イドゥヴァ率いる第二部隊はリキアと言った具合。
いくらエトルリアとの関係が大事であっても、白と黒の騎士団と揶揄される聖天騎士団の開拓事業は、信者を送り込んで奴隷のように働かせていると言った妙な噂も多い。
渦中のイドゥヴァが持ってきた案件なので、ティトも本心は断りたかった。
「良い考えだと思います。イリア内の発展にも繋がるし、エトルリアとの関係もありますし」
頷くしかなかった。どれもこれも噂の域だ。それに対して、実行の妨げとなるようなデメリットはまるで無い。
何よりも、外征至上・国内蔑視の風潮はこの短い間でも議場に滲み出ているから、それを団長自ら払いたかった。
「ありがとうございます。イドゥヴァさん」
イリアの為、ティトはぐっと疑心を飲み込んでイドゥヴァに手を差し出した。
「いえいえ、エトルリアは我々の大きな契約相手。第一部隊だけに押し付けて良い案件とは私も思っていないですよ」
────お前たちだけに任せてなどおれない
それが本心だろうと、イドゥヴァ派の部隊長たちは彼女のおべんちゃらに内心拍手していた。
ティトが団長に就任する前は先代の団長シグーネが担当していたから、イドゥヴァにとってエトルリアは未開拓の地。何が何でも顔を広げておきたいに違いない。
「しかし、仮に依頼を受けるとしてどの部隊で対処するのですか、団長?」
先程さっさとさじを投げた第三部隊の部隊長が、眉間にしわを寄せながらありあり不満を含んだ声を団長に投げつけた。
依頼の開始時期は十一月と記されているが、この辺りから年末までは正規兵も休みに入る者が増える関係で傭兵にとっては書き入れ時だ。
「私の部隊もすでに契約があり、これだけの期間を割く余裕は無いのですが」
誰かが口火を切るのを待っていたかの様だ。協力自体は決定したが、どの部隊も本心では動きたくはなかった。協力した事実さえ作ることができれば良い、金にも評価にもならない仕事でしかないからだ。
あちこちの部隊長から、うちは外してくれと言わんばかりの陳情が飛び交う。
「ええ……。どの部隊もリソーセスに余裕が無いのですよね。もう少し検討を進めたほうが良いですね」
それはティトも分かっており、できれば断りたい彼女にとって彼らの反応は好都合だった。どうにも、イドゥヴァとフェリーズの関係が気になる。
ここで言う検討とは、あまりポジティブな内容ではない。次回までの間でうやむやにしてしまおうと言う側面を持つ言葉。
「それにはご心配に及びません」
しかし、この機を逃すものかとイドゥヴァは用意してきたカードを切る。
「この案件は十八部隊で対応していただけば良いかと」
(その手で来たか)
思わずティトの顔が渋くなる。彼女たちにとってはまさに、丁度良い押し付け先と映ったのに違いない。
「そうですね、国内案件だし他騎士団へのあいさつ代わりにもなる。団長、この意見賛成です」
以前から外回りをさせていない彼女たちを早く配属して稼がせろと言う意見が強かった。
警備なら経験も必要はない。自分たちが忙しく世界を回っているときに遊んでいる連中がいるなら宛がおうという意見は自然だ。
イドゥヴァに追従して手を挙げる第五部隊長マリッサの賛成票に、次々他の部隊長達も続く。
功績にならない国内向けの仕事は出来るだけ放り出したい。そんな思惑が透けて見える。
「レイサさん、この件お願いしても良いですか?」
正論を切って捨てるほどの強権を振るえる場面でもなく、思わずレイサに話を振ってしまった。
彼女なら断ってくれるかもしれない。そんな一縷の望みをかけたティトだったが、頭の後ろで手を組んでだらっと座っていたレイサからは、あっさりゴーサインが出てしまった。
「ああ、良いんじゃないの。うちの副将も回復してないしね、色々と」
民を守り、支援を率先する事こそ十八部隊が、副将たちが自分たちで選んだ道。その考えに合致するイリアの開拓ならば、彼らも喜んで引き受けるだろうとレイサは思った。
「ありがとうございます。では……」
最難関と思われた箇所が拍子抜けなほど楽にクリアできた安堵がイドゥヴァの顔に現れるが、レイサの眼光が鋭くその顔を捉える。
「ただし、受けるのはあくまで警備だよ。開拓事業には手を出させないからそのつもりで」
噂なんかではない。レイサは暇さえあれば飛び回って情報を仕入れているから、それが事実であることを知っていた。
フェリーズに宗教と言う鎖で繋がれ呼び込まれた者は皆、開拓区や鉱山に駆り出され劣悪な環境で働かされる。自分の部下をそんな場所に送り込む訳には行かなかった。
大方、他の部隊長だってある程度の事は知っているはずだろうに。
「しかしですね、フェリーズ伯爵が主に求めてきているのは──」
「あの子達は別に遊ばせている訳じゃない。騎士の研修に強制労働は必要無いだろ」
食い下がるイドゥヴァに被せるように反論したレイサは、それ以上語ることは無いと言いたげに席を立つと窓のほうへ歩いていき、再びイドゥヴァを睥睨する。
「警備だけだ。単なる人手不足の労働力補充って言うなら十八部隊の回答は断固、拒否だよ」
────バカにするな
しばらく睨みあっていたが、レイサは目線を切ると窓から飛び降りて消えた。
とりあえず仕事自体は十八部隊の担当に決まった事で部隊長たちの興味は次の議題へと移っていくが、イドゥヴァだけは腹の虫が収まらない。
展開された資料の後ろに小さく書いてある事、レイサが言い当てたそれこそが本題だった。
◆◆◆
新月の夜。ぞっとする程に静まり返ったイリアの夜でも、ここエデッサの城下町はそれに抗う様に大小様々な明かりを灯して店たちが営みを続けている。
その中にある一つのレストランの中で、静かに、そして深々と頭を下げる者がいた。
「申し訳ない。フェリーズ枢機卿。お約束をお守りする事叶わず」
長い紺の髪を垂らして何度も侘びの言葉を繰り返しているのはイドゥヴァだった。
聖天騎士団への増援自体は約束通り進める事が出来たが、肝心な目玉はレイサによって土壇場でひっくり返されてしまった。
あの女がすんなり頷くとは思っていなかったが、まさか勘づくとは。
「いえいえ。とんでもない」
頭を下げられていた男性は白金色の法衣の中から柔和な笑みを浮かべて、それを止めさせようと手を差し伸べる。
やや白髪の混じった金髪を清潔なアップバングで七三に整え、口髭が立派なこの人こそが、ノールレッジ家現当主、フェリーズ伯爵である。
「派遣していただけるだけでも十分ですよ、イドゥヴァ副団長」
聖職者らしい柔らかい仕草と口調はすっと心に入り込んできて、救われたと思ったかイドゥヴァはおもむろに頭を上げた。
さすが『聖者』と呼ばれるだけはある、包容力が満ちる声は自然と心を開かせて、上げたはずの頭は優しい微笑みにいつの間にかまた下がっている。
元はエトルリア出身のフェリーズはイリアの状況に心を痛めて移住し、この地で信仰を広めつつ開拓を進めており、急速に騎士団の規模を拡大させてきた。
「この事業の成功はイリアを困窮から救い、発展に繋がる重要事項。何とか成功させなければ」
────イリアを困窮から救う
フェリーズの口癖を織り込んで彼への理解を示すイドゥヴァだが、内心はこの男には自分でも勝てないと思っていた。
イリアを救う『聖者』。あくまでそれは、表面の綺麗な部分だけを見ればと言う話。
どこまでも清廉潔白と言うならば近づいたりはしない。尤も、フェリーズからすれば表も裏もない。ただ救済のために動いているに過ぎない彼にとっては全てが表であり、全てが白なのだが。
「そうですね。準備を短期で済まし先手を取る事は定石……。イリア救済の為に、よろしくお願いします」
静かに祈るその整った顔立ちからは一切の悪意を感じない。
枢機卿の地位を持つ者らしい厳かな顔立ちであり、慈愛があり、そして聡明であり。
裏も闇もない眩いばかりの光が語る清楚なる狂気ほど恐ろしいものもない。
この男の考えている事はまるで読めなかった。心が黒で塗りつぶされて覗き込んでも見えない闇ではない。それとは真逆にいるこの男の白は、眩しすぎて見つめるだけで目を潰されてしまいそうな程。
そんな二人の社交辞令に塗れた生ぬるい会話を、威勢の良い、建前など一切ない豪胆な声が一蹴する。
「ま、管轄地に引き入れちまえばこっちのもんくらい考えてるんだろ? イドゥヴァの姉さんよ」
どうやらここに来る前に
喰った後はあの気だるさが嘘の様になるのはいつもの事。声の主ソルバーンの顔を見上げてイドゥヴァの口角が上向く。
独特の正義感を持ったフェリーズよりこの男のほうがやり易い。この欲望に忠実な男のほうが。
「しっかしまぁ、えらいやりにくそうじゃねえか?」
何代も前の団長の時代から副団長として天馬騎士団の中枢を支えてきた彼女なら、もっとスムーズに動けるはずだろうに。最近はどうにも動きが遅く、成果も芳しくない。辣腕の名を欲しいままとし、団長に最も近いと言われた彼女が、だ。
同情と言うよりも哀れみを含んだ言葉が作戦の遅れを責めてくる。
「ええ……まぁ」
ここまでは準備期間、ここから先は具体的に、更にスピードを上げていく必要がある。
準備は整い、その時を待つ段階まで来たのだから。だからこそ、邪魔となる芽は早めに摘んでおくに限る。
「そこであなたにもう一つ頼まれごとを受けてもらいたいところなのです」
イドゥヴァの眼は血を求め、その血にソルバーンは興味を示す。
ベルン動乱は食いごたえのある連中も根こそぎ奪ってしまい、ソルバーンは毎日飢えていた。
多少喰い足りない相手でも頭からかじってしゃぶればそれなり味もするだろうと、目の前にちらつかされた餌に目をぎらつかせている。
「任せろ。一人だろうが二人だろうが、喰える相手ならいくらでも喰らいたいくらいだ」
イドゥヴァは席を立つと、ソルバーンの許へと歩いていき耳打ちを始めた。サングラスの奥で不敵に笑う彼はイドゥヴァの囁きに耳を立て、「へえ……、狙いはそこか?」珍しく眉が動いた。
「ま、喰うには悪くない相手だが」
次の瞬間には口元が吊り上がっていた。今回指示されたターゲットはなかなかの大物だ。確かにイドゥヴァでは敵う相手ではないのも頷ける。
「頼みます。彼女は侮れない力を持っています」
彼女はすでに仕留めたつもりでいるのか、そうだろうと目元口元全てが嘲笑を浮かべている。
これであの女も終わりだ。この『赫竜』に目をつけられて生きていた者はいない。
ところが、確信して計算を次に移そうとしていたイドゥヴァの眉はすぐに歪むことになる。
「そうだな、ま、考えとくわ」
相当燃費が悪いのか、元の気だるそうな声に戻ってしまって、面倒くさそうな歯切れの悪い答えが返ってきた。
彼は背を向けると部屋から出て行ってしまい、嫌な予感がしてイドゥヴァの口元がきゅっと歪む。
本当に興味を持ったら、あの飢え具合なら今からすぐ
餌を前にして食欲を失うのは、気が無いという事。
彼女の予想通り、ソルバーンは喰らうつもりはなかった。貴重な情報源をみすみす手放すことはイドゥヴァを敵に回す以上の打撃となる。
「ぶっちゃけ……そう上手く行くとは思えんけどな」
あの二人も、彼らの計画に賛同する貴族連中も、簡単に考え過ぎている。戦場を見ずに戦を進めようとする姿にため息をつきながら天井を見上げた。
────テメェもそう思うだろ?
天井裏にいる人物にそう問うかのように。