ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
圧倒的な威圧感を放ちながら、紳士はついに
頬を切る風音がどんどん強くなる気がする。一体どこまで行くつもりなのだろうか。とっくにエデッサの城下町から出て、街道さえも外れて山の中を歩き出している。
何か話しかける気さえ起きない程の近寄りがたい雰囲気を醸し出しながら紳士は先へ、先へと歩き、新雪を踏み抜く音と風が寒空を駆る声だけが聞こえてくる。
(大丈夫だよね……何か心配になって来たよ……)
よくよく考えてみれば、この紳士の素性なんて全然知らないのに独りでついてきてしまった。少しずつ不安が腹の中にじわじわと湧きあって、堪らず胸元のロケットをぎゅっと握る。
「ここは……」
ようやく紳士が立ち止まったのは、辺りを覆っていた木々が不意に晴れ、月光が美しく照らす雪原。
ここまで来て、やっとシャニーはどこまで歩いてきたのかを知る。以前、あの仮面の魔術師と戦った場所だった。
「ここなら思い切り刀を振っても大丈夫だろう」
インバネスコートをばっと音を立てて翻し、紳士は振り向いた。
帽子を今一度深く被り直すと、それまでずっと大切に持っていた剣を鞘から引き抜く。あまりにも美しい刀。白銀の刃が月光を溶かしこむ様にして映す。
(あれがミュート……)
その刃を見ただけでシャニーはごくりと息をのんだ。この感覚は、以前あの刀を握らされた時も襲って来たもの。寒気がして足が震えてくる。彼の井手立ちと闘気がそうさせるのだろうか。その威圧感は全身をヒリヒリさせ喉が締め付けられる。
「さあ、どこからでも来たまえ。まずは君の腕を見せてもらう」
帽子に隠れていても眼光が貫いてくるよう。斬り結ばなくても分かる。この人はとんでもない人なのだと。自分では束になってかかっても一太刀も浴びせられそうにない程、その構えには隙が無い。
小細工など通用しない。今持てる全てを尽くしてぶつける以外に、先を拓く道は無さそうだ。静かに剣を引き抜き、顔の前に構えて目を瞑ると誓いを心で唱える。
(チャンスをもらったんだ……やるしかない!)
再び開いた明眸に宿る隼の如き鋭い眦。震える足元に力込めて、シャニーは脇構えで一気に紳士との距離を詰める。
未だ勝利を知らぬ剣。それでも、今まで培ってきたものすべてを紳士にぶつけた。連撃を浴びせ、受け止められたと見るや疾風の勢いそのままに横を抜けて背後から切り上げる。
(くそっ、これもダメか!)
刀身同士がぶつかる鋭い音が山へと響く。紳士の鋭い眼光は瞬きすらしていないかのようで、繰り出す剣の全てを無駄の一切ない小さな動きで確実に止めてくる。まるで隙が無くて上段から振るチャンスが無いまま、ひたすら攻めて相手の動きを抑え込む。
また斬り上げた一閃を弾かれて火花が散り、跳ねられた剣を握りなおして懐に飛び込んだ。
「これならどう!!
疾風怒濤の連撃は新しく編み出した剣技。颯に現れ颯に消える一閃をあらゆる角度から流星の如く浴びせる。
(強い……ッ。これでも通らないのか!)
瞬く暇も与えない無数の斬撃。避けられるはずも無いその全てをミュートに飲み込まれていく。電光石火の連撃も、苦心して編み出した剣技も、全てがあの青白い刀に弾かれる。それでも、以前の様に焦りが浮かぶ事は無かった。
(いいんだ! これでいい! 動きさえ止められれば、ミリアが仕留めてくれる!)
とにかく勇気を握って剣を振った。倒せなくてもいい。自分が攻めて隙をこじ開けている間に仲間がフォローしてくれる。ミリアのクロスボウが照準を絞る事さえ出来れば勝ちだ。ひたすらに、ただひたすらに颯の剣を繰り出し続けて隙を探す。
「ぬっ?」
微かだがミュートが揺れた。キッと切れ上がる眦が月光に走る。
「これでどうだっ!
切り返しまでの僅かな隙を逃さず、シャニーは持てる一番の技を惜しむ事無く叩き込む。飛翔し、ありったけを込めた弧月の光が紳士を襲った。
(やっぱり……、強すぎる──ッ)
ドシンと響いて紳士を揺らすが、やはりミュートに受け止められていた。流れるように背後へ回って追撃のバルサミックムーンを浴びせたが、それさえも斬り返されて距離があく。
(あたし独りじゃ、やっぱ……これが精いっぱいか)
全て……全て出したはずなのに。肩を大きく上下させてもうもうと白い息をあげても、紳士はかすり傷どころか息の上がる様子さえ見せない。
それでも、悔しさより何か満足した。これだけ動きを止められれば、仲間がきっと仕留めてくれるはずだ。
「……なるほど、君の師匠は良い刀を君に教えたようだ」
────もう、十分
そう言わんばかりに紳士から迸る闘気は消え、そっと鞘へ納めた口元は満足げ。それを確かめて大きく息を吐きだしながら剣を下すシャニーの顔からも、隼のような厳しさが消える。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。剣を使っているだけでヘンなヤツ認定する人もいるからさ」
ここらで満足してもらえて良かった。上がりに上がった息がもうそろそろ続かないところ。肩で息をしながら感謝を伝えるシャニーの顔にも喜色が浮かぶ。こんなに凄い人に師匠を誉められて嬉しかったのだ。
今でも腰に差した剣へ浴びる事がある好奇の視線。自分の道と決めた。それでも、そんな視線を浴びると不安な時もある。
理解してくれる人がいると、今まで振り続けてきた数えきれないほどの剣が報われた気がした。
「最近は天馬に乗りながら魔法を撃ったり、弓を持ち出す奴までいる。君のように天馬乗りが刀を扱うのだって唯一無二の価値さ」
紳士が出してきた連中の話にシャニーは苦笑いするしかなかった。どう考えてもあの二人のことだ。
天馬騎士団以外にも噂になっているとは思ってもいなかった。無理もないか、毎日騎士団の管轄地のどこかに顔を出しているのだから。
自分だけの価値────その言葉がシャニーには至上の喜びだった。無価値な剣などでは決してない。紳士にも認めてもらえた自身の剣の意味を確かめていると、彼が不意に問うてきた。
「君は刀の稽古をするとき、何を考えている?」
唐突な質問にそっと瞳を閉じてみる。今までの稽古の光景が浮かんでくる。陽が昇る前、落ちた後。一人で、仲間と……。色々な場面で剣を振って来た。苦しい時も悔しい時も、悲しくて寂しくて、どうにも心が収まりそうにない時も。
そして今だってそうだ。再び瞳が紳士を映すまで、さほど時間はかからなかった。
「師匠の教えを、考え方をしっかり継承出来たのかなっていつも考えてる。まだまだ、全然あの人のような剣を振るえていないんじゃないかって」
剣技の型は自身を映す鏡だから、ディークと違っても良いと今では思えるようになった。
だが、剣に対する考え方は、たとえ外見が違ったとしても通じるものがあるはずだ。
あの時、ディークが自分に何を伝えようとして、それを自分がどれだけ理解して剣を振っているのか。自身の剣の軌跡をずっと見つめ続けてきた。
二周り以上違う相手だ。肩を並べることは出来ないかもしれない。それでも、少しでもあの大きな背中に追いつきたい。紳士はその道に頷いてくれた。
「他の持つ剣が素晴らしく見えるのは仕方ない事だ。己の剣は、鏡を見なければ決して全ては見えない。そして、そんな自分を客観視できる便利な鏡など、誰も持ち合わせてはいないのだ」
紳士の言葉をもっと早く聞きたかった。己を客観視できずに、八英雄だの部隊長だの、そんな言葉に惑わされて底無しの沼に嵌った一か月。
彼の言葉を先に聞いていればもっと違う今があったかもしれない。……そんな想いをシャニーは断ち切った。無駄な事など何もない────それは今ここに立っている事が証明している。
「私から見れば、君の刀は淀みを払った清流そのものだ。色々苦労してきたのだろう。ここまで清流なる軌跡を描く刀なら、もう後はきっかけだけだ」
剣は、その者の心を映す鏡。太刀筋を見ればだいたい分かる。怒っているのか、悲観に暮れているのか。今まで何を乗り越えてきて、今何と戦っているのか。迷いのない太刀筋には、やはり彼女の求めるものは必要無い様にも思える。
だが、それを決めるのはあくまで本人だ。この清流へ求めるものを融合させ、更なる真澄を目指そうとするのであれば、それに待ったをかけるのは野暮のする事。
「きっかけ?」
今もこうして、道を求める青い眼差しが力強く見つめてくるのに、拒否する道理は無い。
「そうだ。君の中に眠るものを
何か心当たりがあって聞きに来たものだと思ったのだが、この反応からするに彼女は本当に何も知らないのだろう。
そうなれば、きっと
「あの、そのきっかけって言うのは、教えてもらえないの?」
「当然だ。鍵を開けるには君が自身で見つけるしかない。剣なら替えはいくらも利く、だが君の人生という剣は一本しか無いのだ。手入れし、磨かなくてどうする」
言われたことは至極真っ当で何も反論できなかった。口をきゅっと閉じて黙ってしまったが、俯いた彼女の眼差しにはどうしたら良いかと必死さが滲んでいる。
「ただ……」
その言葉に彼女はばっと顔を上げた。そこには紳士の厳しい眼差しがあり今にも貫かれそうだった。
「固く閉じた扉をノックするくらいなら、手伝う事は出来る」
────どうする?
紳士の眼はそう問うてくる。
今更迷う事など何も無かった。一度息を大きく吸い込み、瞳を閉じてもう一度だけ考えてみる。自分が欲しいものは何なのか。すぐに自身の心が返してきた答えをしっかりと受け取って、彼女は青い瞳をまっすぐに紳士へと向けた。
「お願いします」
「力を手に入れる事は悩みを解決する事にはならない。新たな悩みを背負いこむ事になる。それでもいいか?」
新しく問う心構え。天馬騎士団の部隊長と言っても、彼女はまだ十五歳。成人となって1年経たない新米。その彼女が通る道にしてはあまりにも苛酷に映る。
止めることは野暮だと分かっていても、踏み入れたら二度と帰れないその選択に最後の警告を与えた。
月高くなり深々と冷える雪原で風の音だけが時を刻む。
「皆を守る剣を身に着けるためなら。目の前にチャンスがあるのに、飛び込まずに後悔はしたくないよ」
答えはあっさりと出た。自分に迷いながら生きていきたくはないし、自身が誓ったイリア騎士の誓いに嘘をつかずに生きていきたい。
「……承知した」
一度動き出したら止まらない歯車を自ら押した乙女。鋭く見下ろした紳士は、一歩引いて彼女から距離を取った。
「ならば目を閉じるがいい」
言われたままに瞳を閉じる。もう今まで開けていた視界は永遠に帰ってこないかもしれない。その恐怖が少しずつ真っ暗になった視界の中で広がって、聞こえてくる風の音が拍車をかける。
ふいに、刀を抜く音がした。目を閉じていても分かる。紳士は構えを取り、自分に向かって刃を向けている。
────怖い!!
それでも彼女は歯を食いしばり、拳を握りしめて紳士を信じた。
次の瞬間、放り出されたような感覚に陥っていた。体は今もしっかり立っているのに、縛っていたものが解かれて弾き出されたような。
そのうち、体に力が入らなくなってその場へ糸が切れたように倒れこむ。
「シャニー!!」
向こうから声が聞こえてくる。いつの間にかいなくなった彼女を仲間が探しに来ている。
そして彼女たちは見てしまった。目の前で、一緒に酒を飲んでいた男に親友が斬られたところを。
悲鳴をあげながら駆けてくる彼女達へ一瞥する事も無く、紳士の視線はずっと倒れたシャニーへと注がれている。
「ゆ、許さないッス! よくもウチらの家族を!!」
無意識のうちにミリアの手にはクロスボウが握られて、桃色の目が涙に血走る。
だが、その手にふいに乗った手が武器を放り出させた。シャニーは意識があり、座り込んだままミリアの手を掴んでいたのだ。
すぐに仲間たちは無事か確認するが、太刀痕はどこにもない。その最中ですでに立ち上がったシャニーは体をあちこち触っている。
「……鎖は斬った。あとは君自身がどうするかだ」
彼女の様子を確認すると紳士は剣を納め、背を向けて歩き出した。困惑した表情を浮かべたのはシャニーだ。
「何も変わったようには……見えないんだけど」
あれだけ警告されたし、実際に
映る視界も今まで通りだし、何か奥底から力が湧き上がって来る訳でもない。ただただ、恐怖に耐えた疲労感だけが振り子のように背中へずんとぶら下がっている。
「そのうち分かる。だが、今は使ってはならない」
「ええ……? どういうこと?」
まるで意味が分からない。使うも何も、何を使えば良いと言うのか。おまけに使ってはいけないのでは何が変わったのかさえ分からない。
「使って良いのは制御の仕方を自分で見つけてからだ」
答えになっていない気がする。それなのに紳士は歩き出してしまっている。
慌てて彼の背中を追いかけようとした時、ふいに吹き込んできた強い風に雪が舞いあげられ、ホワイトアウトの中に紳士の姿は飲み込まれてしまった。
「磨くだけでは無く、手入れして労わることも必要だ。自分の剣はまず自分で労われ」
雪のカーテンが晴れた時にはもうどこにもあの黒い背中はなく、声だけが新たな目醒めを迎えた乙女を激励するのだった。
◆◆◆
山を抜けて旧街道を一人歩く紳士はおもむろに葉巻を取り出して口にくわえる。
あれだけ長い時間煙草を我慢したのは久しぶりかもしれない。純白に煙草の黄色いシミをつけるのは失礼だろうと思ったが、やはりなかなかに堪えるものだ。
「ウェスカーか。戻っていたのか」
マッチを探す時間さえ許してはくれない。瞬時に葉巻の先端では爆発のような火炎が吹き上がって煙を上げる。
影から這い出るようにして現れた部下が頭を下げる姿に、紳士は帽子を深く被り直してため息をついた。どうにもこの男は止めろと言っても聞かない。
「ええ。調査がちょうど終わりましたもので。状況に動きはありません」
報告を受けた紳士は葉巻を大きく吸うと口から離して一服を味わう。申し訳ないと言うべきか、主に面白い報告が出来なくてウェスカーは残念そうだ。
「
何かとショーを興したいウェスカーとは違って、紳士は落ち着いた佇まいを崩すことはしなかった。
火よりも先に、煙そのものが起きないようにすることが肝要であり、それこそが課せられた使命。
「ところでマスター。あの者を解放したようで」
しかし、表面上では見えなくともあちこちで燻り始めている。それは、決して手を下すなと言い続けてきた主が自ら行動を起こしたことからも覗えるではないか。
その結果をさも楽しみと言わんばかりに、ウェスカーの口元は吊り上がり肩が揺れている。
「うむ。だが、まだ鎖を切っただけだ。何かきっかけが無ければ目が醒める事は無いだろう」
望み通り、扉にかかった鎖は外してやった。後は扉の鍵を自分で見つけて開くだけだ。
何の痛みもなく手に入れた力に果たせることは知れている。その程度の力なら知らないほうが良い。中途半端に力を持てば死ぬだけだ。
「それは吉報ですね」
それを知ってか、ウェスカーは嬉しそうに口元を釣り上げた。
「私めに再戦の機会をお与えいただけるということですか?」
次は本気で戦う事が出来ると考えるだけでゾクゾクする。強い輝きを持つ者であればあるほど燃やしてしまいたくなる。今度こそ、あの青髪が真っ白になるまでショーを満喫したい。
やめろ────そんな期待は主の短い言葉によって否定されてしまった。
「お前は激しすぎる。認める訳にはいかんな」
「おお、これは残念ですね」
さもがっかりした口調だがおそらく分かってはいない。
前回はアルマが騎士団に所属しているのかを調べるためという大義があったが今回はそうではない。彼が盛大なショーを興すステージはもはやこのイリアには無かった。
「自身で鞘から引き抜かねば意味がない。鞘への戻し方も、だ」
「ええ……強力な剣には、それ相応の対価が求められる……」
抜刀し、納刀するまでが一連の動きだ。抜刀したままではいつまでも周りを傷つけ続ける。
守る剣を欲しいと彼女は言った。もし納刀する術を知らないままの黎き刀を抜けば、おそらく彼女は自分のする事に絶望するだろう。
だが、それも必要な事。自分で見つけるとは、そういう事だ。
「いいかウェスカー。我々が為すべきはただ、彼らの背中を押すだけだ」
きっかけを掴むための機会を与えた今、もうこれ以上の干渉は許されない。
「ならば、私めは最終チェッカーを担うことにしますよ」
物は言いようか。どうしても戦いたいらしい。また葉巻が真っ赤になるほどに一服を楽しむと、紳士の口元が珍しく上向いた。
「ふっ、その時が早く訪れると良いのだがな」
紳士はウェスカーの飽くなき欲望を一つ鼻で笑うと、そっとミュートを引き抜く。目線の高さでその刀身を月光で照らしてじっと見つめ、ぽつりと漏らした。
────君は……彼女と同じ道を辿ってはいけない
黒ずくめの男たちは黎き剣の覚醒を待ちながら、次の任務に進むべく白銀の世界へと溶け込んで、あたりには静寂だけを残して夜が更けていった。