ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
その温泉で、見てはいけないものを見てしまうのであった。
約束の日。冬を迎えたイリアに広がる蒼穹は高く澄み渡って雲一つない。天馬で風を切るとこの時期は頬が切れそうな程冷たいが、今日は出来るだけ冷やしておきたい気分。この先の温もりを目いっぱいに味わおうと思ったらガマンだって必要だ。
「こういう時に天馬騎士って便利だよねー」
各々私服で天馬にまたがる姿は違和感がある。
歩兵なら何時間もかかる道のりが天馬なら山を翔け川を越え、三十分くらいで済んでしまう。今日の温泉だって徒歩では到底行ける距離ではない。
不純な話だが、これも天馬騎士の特権。シャニーは相棒の背を撫でて朗らかに笑う。
「あんた、移動の時くらいしか天馬使ってなくない?」
ルシャナはシャニーにジト目を送る。賊討伐だって、シャニーが天馬に乗って槍を扱っている光景何てあまり見たことが無い。いつも決まって、彼女は眼下にいて剣を振るっていた。最近ではソルバーンに襲撃された時だってそうだった。
────あんた本当に天馬騎士?
幼馴染にそう聞かれた気がしてムキになって返す。誰が人を囮呼ばわりして、毎度地上に降りろと言っているのか。
「し、仕方ないじゃん? タクティクスを考えたら、あたしとレイサさんは地上にいたほうが戦力偏らないんだし」
天馬騎士団は天馬乗りの集団。ゆえに地上戦をこなせる者は殆ど居ない。おかげで入団してから天馬に乗る機会が減ったし、十八部隊を任されるようになってからはますます少なくなっていた。
メンバーのフォローをしようとすると、どうしても地上にいる弓兵や魔導士のような天馬騎士のアドバンテージを否定する相手を処理する人間が必要だ。……と、レイサの受け売りを身振り手振り説明すると、ルシャナのジト目が更に細くなって返って来た。
「へえ、意外とちゃんと考えてたんだ。意外だね」
「意外、意外って言わないでよぉ!」
まるで信用してもらえなくてぶーぶーと文句を言う。彼らが本当に部隊長だと思ってくれているのか心配になって来る。
「どーせレイサさんにそう言われたんでしょ?」
ドキッっと髪の毛が逆立つ。それだけでルシャナにはもうバレているのだが、シャニーは必死になって首を横に振る。
「ち、違うもん。あたしのオリジナルだもんね。レイサさんのアドバイスは参考にしただけだよ!」
「どれくらい?」
「ええと……。半分? あっ、いや、四割くらいかなぁ……ははは」
「それ……オリジナルって言わないから」
もういいと、ルシャナに視線を切られてしまった。
天馬に乗れないからレイサは本来の単独行動に戻っているが、将としては素人そのものなので今でも彼女に相談へ乗ってもらう。もちろん、レイサも分かる訳が無いので団長室に忍び込んではアドバイスをもらっているわけだが。分からなくても相談に乗ってくれるだけで嬉しいもの。
「ま、何でもイイじゃないッスか。リーダーの仕事は囮って自分で納得したって事だし!」
ようやく覚悟を決めたかと、ミリアのふんふんご機嫌な声が聞こえてきた。これで仕事もしやすいというもの。狙撃手にとってはシャニーが地上で囮になってくれると、まとめて掃射出来て効率が良いのだ。
「いや、納得してないし! て言うか、それ仕事って言わないじゃん! あたしの扱い、間違えてない?!」
どうにも、ミリアには部隊長だと思われていない気がする。彼女がしおらしくなるのは、食事をおごって欲しい時だけだ。
「え? 天馬にも乗れる頼りになるリーダーっスよ! みんなの総意ッス!」
「勝手に総意にしない!」
いつの間にか、天馬に乗れることがオマケの様に言われている。一応これでも、騎士団内の馬術実技はトップの成績なのに。拳を怒らせて反論するが、背後からいきなりグサっとやられた。
「ミリアに同意……」
「ほら、総意ッス」
背後からぼそっとレンが口にするからミリアのしたり顔が刺さる。
(くぅ……。部隊長ってツラいお仕事だなぁ……)
心の中でウルウルする。しばらく戦場で何があっても天馬から降りない事に決めた。毎回、毎回、囮として放り出されては堪らない。いっその事、当番制にしてみようか……。
「あっ、あそこッス!」
氷雪の大地にぽっかりと空いた秘境。まるでそこだけ別世界かと思うほどにしっかりとした木造の建屋が作られていて、真っ白な湯気がもうもうと立ち上っている。
わくわくする気持ちのままに天馬を急降下させた彼女たちは、目の前に広がるいい香りと雄大な自然を適当に味わう。五分と持たず、寒さには勝てぬと建屋に駆け込んで、脱衣を適当にロッカーへ放り込むとそのまま温泉に飛び込んだ。
「はぁぁぁ~、癒されるぅ」
身体から疲れが溶けだしていく様。シャニーは心地よさに任せて天を仰ぎ、幸福感をぎゅっと絞ったような歓喜を上げた。もうこのまま温泉に浮かんで寝てしまいたいくらいだ。夢心地に全てを預け、口をぽかんと開けて目を閉じていたら何もかもから解放される気がする。
「いやあ、やっぱりイリアの冬は温泉ッスね!」
「ん。冬の温泉は格別」
吹き出し口あたりで熱い湯に入るミリアやレンのばしゃばしゃとはしゃぐ声が聞こえてくる。
イリアは山が多く、あちこちで湧き出る温泉は数少ない観光資源。動乱直後で利用者数が激減している為か貸し切り状態だ。
そのうち泳ぎだしたミリアはふと、目を瞑って異様に静かなシャニーが視界に映って近寄ってみる。彼女が静かにしている時と言ったら、剣のイメージトレーニングをしている時くらいだが、緩んだ顔はとても鍛錬をしている様子ではない。
「どうしたんスか、シャニー」
「寝てんじゃないの? 沈めてみたら?」
夜勤では放っておいたら立ってでも寝るような人間だ。どうせいつもの事とルシャナが笑うものだからミリアのイタズラ心が疼く。普段は仕事だからなかなか仕掛けられないが、今日ならちょっとくらい。起こさないようにそっと近づき、肩に手をかけようとした途端だった。ふいにシャニーの眉間にしわが寄った。
「違うよ! 今まで色々あったなって思い出してたの」
イタズラ好きな顔を撃退すべく両手で湯面を叩き、大波に慌てて飛び退いたミリアはバランスを崩して飛沫が上がる。油断も隙も無いとシャニーは頬を膨らせているが、周りからは笑いが漏れた。
「半年前のあたしが今のあたしを見たら、何て言うかなと思ってさ」
大事な家族が出来て、自分がその長となって国内を飛び回る。あれだけティトの一番隊に入り、世界中をまたにかけて活躍するんだと意気込んでいたあの頃。何かもうずっと遠い昔のようにさえ感じる。
描いていた道と全く違う、それこそ真逆とも思える道を歩む心はこの高い紺碧のように晴れ渡る。
(お母さん、あたし、頑張ってるよ)
まるで自分が飛ぶべき空を見つけた天馬のように、この空ならどんなに遠くても飛んで行きたいと思えるし、いくら荒れていても耐えられる気がする。
ふと思い出したニイメの言葉。十を知ったものは、九までで止まった者とはまるで正反対の行動をとる。……ならば十をしっかりと掴む事が出来たのだろうか。
今の自分なら、亡くなった母にも褒めてもらえるかもしれない。思わず皆も空を見上げたり、揺れる湯面を見つめたり。
「ウチはウチに自慢したいッス! 家族が出来て、天馬にも乗れるようになって、自分だけの武器も手に入れて。すごい充実してるッスよ」
まさに別人になった気分。見習い修行に出ていないミリアの半年前はただの村娘だ。それが今、一端の騎士になって天馬を自在に操り、誰も使った事の無いクロスボウで戦場を駆けるなんてまるで想像できない世界だった。
その間に、取り残される不安に駆られたことも、大怪我をして半月寝ていた時期もあった。
でも、その時々は悲観に暮れても、どれも今思えば必要な事だったとさえ思えてくるから不思議だった。
「そうだね、天馬に乗れるようになって遊びに行ける範囲も広がったもんね」
「人聞き悪いぞ!」
変わらないのは、幼馴染のチクりとした口撃くらいか。
────またどこかに遊びに行っていたな?!
ルシャナの厳しい視線を浴び、ミリアが仰天してレンの頭を温泉に押し込む。それを笑っていたら、今度はシャニーへルシャナの視線が移る。悪い癖の元凶は、お前の脱走癖……ルシャナの目にそう突き刺されて全身ビリビリ来た。
しずしずと彼女から視線を逸らそうとシャニーが背を向けた時だった。温泉から顔だけ出していたレンの視界にふと違和が映る。
「シャニー、背中のアザ、どうしたの?」
その格好のまま温泉の中を歩いていき、シャニーの背中をタッチする。びっくりしてシャニーが背中を見ると、しっかり巻いていたつもりだったタオルが緩んで背中が見えている事に気づく。
(あちゃ~、見られちゃったら仕方ないな)
レンの指さす場所へ振り向けば、やっぱりあまり見たくないものが背中に走っている。
「ああ……見つかっちゃった。これね、小さい時の傷が残ってるんだ」
レンの差す先には大きなアザがある。何かに引き裂かれたのか、放射線状に伸びる傷跡にシャニーは観念したかのように笑った。あまり人に見せていい気分にさせるものではないから隠してきたが、家族相手なら別にいいかと空を見上げる。
「何歳くらいの頃かなぁ。ウッディと山で遊んでたらおっきな熊か何かに襲われてさ。その時の傷みたい」
あの時の絶望感は今思い出しても二度と経験したくないと身震いを呼ぶ。子供にとって野獣はただただ、恐怖の対象でしかない。ましてそれが、冬眠から醒め、飢えて這い出てきた肉食獣なら尚更に。
襲い掛かって来た野獣に二人とも為す術なく蹂躙されて体が宙を飛んだ事は覚えている。
「みたいってあんた、他人事みたいに」
蚊帳の外から見ていたかのような口ぶりにルシャナは不思議そうにするが、シャニーも困った顔をしている。
「だって、気を失っちゃって覚えてないんだもん」
宙に放り出された後の事は覚えていない。次に目が覚めた時には野獣は倒れていて、周りには駆け付けた大人達がいた。
ただただ、引き裂かれた背中がずきずき痛んで泣いていた記憶しか浮かんでこない。ところが、ルシャナは首を傾げると妙な事を口にした。
「ウッディはあんたが棒切れ持って凄まじいスピードで熊に反撃して倒したって言ってたよ?」
幼馴染だから当然ルシャナも聞いた事のある話。だが、彼女が聞いた事があるのはウッディからだ。あの時のアイツは凄かったと、自分の事のように彼が自慢してきたことは今も覚えていた。
「ええ? ウッディの見間違いじゃない?」
ところがシャニーは苦笑いしながら無い無いと手を振ってくる。
「あたしホントに覚えてないし、子供に熊なんか倒せるワケ無いじゃん?」
棒切れで、しかも子供が。身の丈が優に二メートルを超える野獣を相手に何ができる。笑うシャニーの顔にはそう書いてある。成人になった今だって、熊なんか見つけたらすぐ天馬に乗って逃げるに決まっている。
「じゃあ、どうやって二人は助かったの?」
「それは……分かんない」
レンの質問に閉口する。助かったのだからそれ以上は別に考えなくても良いかと記憶の奥に放り込んで生きてきたが、いざ問われると返答に窮した。
「てっきり猟師さんが倒してくれたんだと思ってたけど」
周りにたくさん弓矢を持った大人がいたから、きっとそうだと笑う。
────まぁ、別にいいじゃん?
彼女の顔からは明らかに話を終わらせたい気持ちが伝わってくる。
あの時の記憶自体あまり思い出したくないのに、このアザは見つける度に突き付けてくる。普段は見えない背中という事だけが救いだ。すぐにタオルの下に隠す。
「そんなことよりさ、あんたも呑みなよ」
何か重苦しい話になってしまい、ルシャナは酒の入った瓶をシャニーへポンと放り投げた。困惑するシャニーの事などお構い無しにルシャナは豪快にラッパ飲みを始めている。
「そこの二人はダメだよ」
一応未成年には振らないあたりはまだマシか。でも、未成年の連中のほうがよっぽど冷静だった。
「ルシャナ、酒飲んじゃうんスか?? 帰りどうするんスか?」
呑める、呑めないの話ではないような気がする。
縁に片手をかけて今も気持ちよさそうに瓶を傾ける副将へ、ミリアは苦笑いを浮かべながら遠回しに警告するがルシャナは心任せに呑みまくる。べろべろに酔ってしまったら帰る手段がない。
「帰り?? 天馬に乗って帰るに決まってるじゃん」
何をおかしな事を聞くのかと言う面持ちだ。周りの連中は顔を見合わせるばかり。飲酒して天馬に乗るなんて、いつ落馬するかと思うと恐ろしくてできない。馬から落ちるだけでも危険なのに、自分たちの場合は空から真っ逆さま。考えるだけで震えが来る。
この人とは絶対に出先では呑めない。誰もが危機感を覚える中、本人は上機嫌。
「あんた達も酒は飲めるようになっておきなよ。飲めるといろいろ便利だぞー」
よく分からないアドバイスを受けたミリア達はただへこへこ頷くしかできないでいる。
「ほら、シャニー、あんたも言ってやりなよ?」
「えぇ?! なんであたしが?」
「髭のカッコイイおじさまを捕まえるには酒がいるって言って特訓してたってマスターから聞いたよ」
皆面白がって有る事無い事を広げ過ぎだ。確かに一週間近く、五十度を超す酒を毎日飲んでいた時期もあった。だけどそれは自身の剣の道をハッキリさせる為。ムキになって温泉で赤くなった顔を更に紅潮させる。
「そんなんじゃないし! あたし、飲まないんだからね!」
結局、温泉に口まで浸かり絶対飲まないアピールをする彼女からぶん捕った分までルシャナは飲み干したのだった。
◆◆◆
酒豪に心配は無用だった。あれだけ飲んで顔は真っ赤だと言うのに、温泉から出たルシャナの足取りは何ともしっかりしたもの。浴場で遊び過ぎたミリア達のほうがよほど赤い顔をしているくらいだ。
シャニーも温泉で火照った体を真冬の風に晒して頭をシャキッとさせると脱衣場へと戻っていく。
(それにしても……やっぱ目立つよなぁ)
着替えをしながら巻いていたタオルを取り、鏡に背中を映してみてふぅっと息をついた。普段背中なんて見ないから気にもしていなかったが、いざ存在を家族に突かれるとどうしても気になってしまう。
小さいとはとても言えないサイズの傷が、肩甲骨の高さから左右に伸びている。いつか消えてくれると思っていたのだが、まるで存在感を示すように小さい時より目立つ気さえする。
「もう、わざわざこんなど真ん中に傷を作ってくれちゃってさぁ……」
思わずボヤきが漏れた。これがまだ脇腹とか、お尻当たりとか見えにくい場所だったら幾分かマシだったのに。背中のど真ん中から放射線状に伸びる傷のせいで、見えたらどうしようと思うとオープンバックのトップスは一着も買えなかった。
この傷の事を知っているのはここの連中の他には姉たちとディークだけだ。
(こんな傷見たらロイ様嫌がるかなぁ……)
ふと思い浮かんだ顔に、口元が悲しげに歪んだ。向こうにはミリアのきれいな背中が見える。あんな風な背中のままだったらどんな服でも着られるのに。ロイだってこんな背中を見たら驚くに決まっている。はぁっと大きなため息が漏れた。
(ん……あれ?)
ところが、がっかりするロイの姿を想像したとき、彼女は妙な事に気づいてしまった。
(あれ……。ロイ様がここの傷を……見る……??)
どういうシチュエーションなのだろうか。こんな背中のど真ん中をロイに晒すとなれば、何も着ていなければそうそう見えることは無いはず。そこまで考えると頭が急に沸騰してきた。
「え、えへへへ……ダメだよお、それは。ロイ様、ダメダメ……」
隣で髪を乾かしていたルシャナは、横から聞こえてきた妙にヘラヘラする声に気づいて振り向き、幼馴染の様子にぎょっと身を退いた。
そこにはタオル一枚のまま顔を真っ赤にし、首を何度も振ってはぶつぶつ、へらへらとよく分からない事を呟く姿。口元の微笑みには明らかにいつもとは違う邪なものが浮かんでいて、ルシャナは背筋に寒気が走ってそそくさとミリア達の方へと避難していく。
「あいつ……何だか気持ち悪いな。湯あたりでもしたのかな」
ロッカー越しに遠くから様子を窺う。今も肩が小さく揺れて妄想の世界の住人になってしまった幼馴染を置き去りにして、足音を立てずに三人は脱衣所を後にするのだった。