ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
目醒めた風は雪原に青き軌跡を残し、全てを薙ぎ払い始めた。
遥か彼方まで広がる白の荒野。吹き抜ける風の音が時を刻み、糸が切れてうなだれる乙女の頬を何度も切っては去っていく。
どれだけ風に呼ばれた頃だろうか。ようやくにシャニーの瞼が微かに動いた。
(ここは……?)
ぼんやりと戻ってくる視界。僅かに開いた瞼から差し込む光が眩しい。一体ここはどこなのか。光が脳天を突き刺すようで痛みが走り、少しずつ目を開けようとすると頬や目の周りが引きつって動かない。顔に何かが凍って張り付いているらしい。この独特の臭い────血だ。ここまで来てようやくに意識が追い付いてきた。
(そうだ……あたし、ヴァルプルギスに……────ッ!)
一気に記憶が頭の中に流れ込んで、驚愕が痛みを引き裂いて見開かせる。戦場で降伏し、そこからの記憶が無い。
目の前には白の雪原と、自身から垂れ落ちたか点々と赤が滲む光景しか映ってこない。焦燥が意識を叩き起こすと、今まで聞こえてこなかった
(何か聞こえてくる……何の音? 人の声……?)
威勢の良い号令の直後、耳を劈く音と共に響き渡った声。絶望に引き裂かれた声はシャニーの瞳をビクッと震わせた。
────人の悲鳴?!
耳が引っ切り無しに訴える異常。感覚遠くまるで力の入らなかった体が、電撃を浴びた様に顔をがばっと持ち上げる。空はいつの間にか晴れていた。
(一体ここはどこ?! あれからどれだけ経ったの?!)
武器棚が視界に入る。槍に靡く紋章からするに、あれは聖天騎士団のものか。自分の剣も立てかけてある────あのまま捕まったという事か。淡い青色の空を見る限り、どうやらまだそれほど経っていないようだが、目覚めた頭は情報を欲して体の事などお構いなしに叫び続けてくる。
(みんなは? こうしちゃいられない! ────なんで動けないの?!)
気持ちがどんどん先を、先をと求めて問うが、ボロボロの体は動いてくれない。足が前に進まない、手がどこにあるか分からない。あたりを顔だけで見渡し、頭上を見上げて思わず目が見開いたまま固まった。手を縛り上げられて吊られていたのだ。もがこうとしても足元がうまく踏ん張れない。
(くそっ、こんなキツく縛られてんじゃ……────ッ?!)
再び劈いた悲鳴。正面に視界を戻すと、隣に騎士が立っていることに気が付く。
「目が覚めたか、『妖精』。大事に至らず何よりだ。少し休んでいろ」
金髪の隙間から冷然な紫紺の瞳が見下ろしてくる。まるで仲間に声をかけるかのような態度。彼女が口にした言葉は神経を掻きむしるばかりだった。
(誰のせいでみんな苦しい目に遭っていると────)
「弓兵! 構え!」
彼女が一声叫ぶ先を見て表情が固まった。
「止めろ!! あの人たちに何の罪が!?」
「貴女に発言の権利は無い。
撃て! ────ヴァルプルギスの一声に放たれる銀の矢。風を引き裂く嫌な音を上げて飛んでいく牙を、縛り付けられた者に避ける術は無い。貫かれ、がっくりとうなだれて動かなくなった。
「嘘……何でこんな……」
「目を逸らすな『妖精』。貴女は見届ける
凍り付いた瞳に焼き付く嘆きの世界。引き裂かれた心から、どくどくと絶望が体中に広がって溢れ出してくる。
(何で?! 何でこんな事になってるの? 止めなきゃ!)
射手が牢獄に捕えていた者達を次々に処刑していく。あまりの惨状を前に困惑と驚愕で真っ白になりかける。それを律して飛び出そうとしても、ギリギリと縄が撓るだけ。そこへ浴びせられた答えが心を打ち砕く。
「彼らは先日、貴女達へ機密情報を漏洩した。必然の罰だ」
飛び出しそうな程に目をむく。自分達が接触した、あの牢屋に閉じ込められていた者達の顔が浮かぶ。目の前で倒れていくのは、彼らなのか。あんなことをしなければ、彼らは殺されずに済んだと言うのか。
「お願い、もう止めて……」
そう祈るしか出来ない。
列の最後が倒れるとヴァルプルギスの視線が移る。
「今から反逆者共の処刑を執り行う」
彼女の視線を追って仰天した。牢獄に囚われた仲間たちと視線が合う。見る見る目から色が失われ、ギシギシと縛る縄が撓る。
(どうして?? 処刑ってそんなハズが?!)
あの場で交渉を持ちかけてきたのはヴァルプルギスだ。その彼女が今何と言った? すでに彼女の命を受けて騎士たちが動き出している。彼らが持っているのは高い殺傷能力を持つ銀製の弓だ。
(生きて帰るんだ。絶対に……。誰も取り残さない────ロイ様と……約束したんだから!)
生への渇望がなりふり構わない懇願を叫ぶ。
「待ってください! 話が違う! お願い、皆を助けて!」
「何を言っている?」
助けてくれると言った筈だ。だからあの場で剣を捨てた。自分を信じて武器を下した者たちが目の前で殺されようとしている。涙を振り飛ばし、顔を悲痛で潰して必死に叫ぶが、ヴァルプルギスから返ってきたのは冷たい微笑みだけだった。
「フェリーズ様には報告した。その結果を執行するまでだ。安心したまえ。主は貴女には興味を示された」
不敵な笑みが睥睨してくる。突き落された感覚に色を失った顔が再び仲間たちを見つめる。だが、牢獄から出されようとしている彼女たちは何があったか再び押し込められて固く鍵が閉ざされた。
間を置かずに走って来た騎士がヴァルプルギスの許で膝をつく。
「ヴァルプルギス様、先ほど逃亡者を確保しました」
誰の事を言っているのかすぐにピンと来た。あの子は逃げきれなかったらしい。腕を組みながらヴァルプルギスは顔色一つ変えずにいる。何をしようとしているのかすぐ分かってありったけで叫ぶ。
「やめて! その子はあたしが勝手に天馬に乗せただけだ!」
「そいつを処刑台へ乗せろ」
どれだけ泣き叫んでも騎士の氷のような心が動くことは無かった。目の前で絶望と言う名の舞台が進んでいく。この光景を止める力があったなら……。
少しずつ舞台へ近づき、そして少年はついに上がった。目隠しをされ、射手が静かに弓を構える。
眼下の牢獄からも、鉄格子に手をかけて少年へ視線を送り口々に叫ぶ声が響いてくる。シャニーが横からどれだけ叫んでも、それを無視するように氷の騎士はあざ笑う。
「お前たちも見ていることだ。次はお前たちがこうなる」
「構え!」
号令に従い構えられる弓、番う矢。銀の矢はまっすぐに少年へと向けられて、ヴァルプルギスが掲げた手は無情にも振り下ろされた。弦が弾ける音と共に飛び出した粛清の一矢。シャニーの悲鳴が響き、その場に倒れる子供。
「あ……ああ……ッ」
声にならない崩れた声が漏れる。倒れた少年。周りに広がる赤。血と死の舞台は後悔を要求し、それは絶望を呼び寄せた。
(この戦いが全部……無駄だったって言うの……)
要らない事をしなければ誰も死なずに済んだかもしれない。抱えきれない正義を振りかざして一体どうなった? 全てを悪夢へと突き落とし、皆の人生を変えてしまった。罪悪感が一気に押し寄せ、色を失った顔から絶望さえも奪っていく。
その時だった。邪魔なものが払われたかのように、真っ白に燃え尽きた心の奥から声がした。
────今こそ
胸を引裂くズキンと脈打つものが再び襲い掛かって来た。その間隔はどんどん早くなってきて脂汗が噴き出し、今にも破裂しそうに目が血走る。
(こ、この声……)
聞き覚えのある声。間違いない。これはあの────仮面の魔術師と戦った時に聞こえてきた声だ。殺せ、殺せと囁きかけてきた悪魔の声。
だが、血走った目は怯える事など無かった。声に呼応する様に胸を脈打ち、突き破って出て来ようとする
(この際、何でもいい……ッ。悪魔だろうが魔剣だろうが……この悪夢を払えるって言うなら────何にでも委ねてやるッ)
絶望で真っ白になった心はもう抗うだけの力はなく、内に生まれた激情の鼓動が為すままを受け入れるしかなかった。むしろ受け入れ、そっと目を閉じたら心地良くさえなってきて意識が遠のいていく。
(この感覚……ッ?!)
幼いころに一度走った感覚。それを思い出した時にはもう戻れなかった。鎖の切れた扉を押し破り、燻るように漏れ出し始めたエーギルの波動。
「ウオオオオオオオオオオッ────!!」
まるで爆発でも起きたかのように膨れ上がったエーギル。天を衝くが如く頭上に噴きあがったかと思うと憤怒を吼えて飛び出し、武器棚に置いてあった剣をぶんどった。
強烈なエーギルの流れに足元を取られ、居るはずの姿がなくなり縄が吹き飛んだ様子をヴァルプルギスが見つけた時にはもう遥か遠くにいた。颯は目にも追えない光速で処刑場にいる騎士たちへ突っ込んでいく。
「やめろおおおっ!!」
「何だ?!」
「どわっ?!」
激痛が走り悲鳴を上げる騎士。仲間の絶叫に視線を向けるよりも先に走る背中への灼熱感。その場に十数人いる騎士たちが次々に背中へ一太刀を浴びせられて倒れていく。
「なっ、何が起こっている?!」
ヴァルプルギスの視界に映るのは青い波動が騎士と騎士を結ぶ軌跡だけ。軌跡が風と消えるわずか数十秒の内に、数十人いた騎士たちは烈風に飲まれ、全て一撃のもとに倒れていた。
それでも、激情の青焔は勢いを留めるどころか旋風の如く引き返してくる。
「くっ……ッ。これが風の……ッ」
三十超を斬ってまだ足らぬ狂乱の地吹雪が、雪煙を吹き上げながら大地に燐火を走らせて真っすぐ突っ込んでくる。ヴァルプルギスはたじろぎながら剣を引き抜いた。
「ヴァルプルギス────ッ!!」
吼え狂う烈風がヴァルプルギスに食らいつく。
見えなかった。かろうじて受け止めた直感。上段から振り下ろされた袈裟斬りがどんどん剣に食い込んでくる。
「ぐおっ、何だこの力は?!」
目の前で牙をむく相手の姿にざわざわと募る焦燥。
噴き上がる烈風で煽られた
青の騎士とは似て非なる苛烈なブリザードが執拗に剣を打ち付けてきて一歩、また一歩、絶対の騎士の守りが弾かれる。
(このままでは危険だ)
激しく打ち付け、後ろへ弾き飛ばされた。好機にセチの指輪を装着しようとして、仰天したヴァルプルギスは吹き飛ばされて転がった。剣にまとわせてシャニーが飛ばしてきた風のエーギル。それが生み出す剣圧に巻き込まれていた。
(ありえない。──避けたはずだぞ?!)
理由を探している余裕などなかった。煌々とターゲットだけを凝視してくる翠緑。まるで獣かのような声をあげながら上段から渾身を振り下ろしてきた。間一髪、剣で受け止めて指輪とエーギルを連結する。反撃の時。
「なっ、セチのリングが?!」
エーギルは剣へと走ったかと思うと、相手の剣に渦巻くエーギルへ吸い込まれていった。ますます滾る青焔が剣を弾き飛ばし飛び上がる。
「
止む無くニニスの指輪に切り替え絶対障壁を召喚するが、薄氷のごとく砕かれて飛び退ける時間を稼ぐだけで精一杯。
仕留め損ねた背中を
突然のリーダーの狂乱をルシャナ達は牢獄の中から唖然と見ていた。
一体何が起きたのか頭が追い付かない。突然青い炎が爆発的に膨らんだかと思ったら、後は鬼火が雪原を駆けて触れた騎士たちが倒れていくだけ。
何とかして彼女を連れて逃げないと────その時だった。
「遅くなったね!」
ふいに気配を感じて振り向くと、よく知る顔が手を振っていた。
「レイサさん! 無事だったんスね!」
ミリアが堪らず駆け寄ろうとするのを、レイサの横に居たお揃いの潜入服に身を包む青年が止める。
「お前ら、今助けるぞ」
「あ、あんたはシャニーが捕まえた」
「話は後だ、離れてろ!!」
懐から取り出した透明な液体をレイサが鍵穴に注いでいる。彼女からオーケーをもらうと、青年は腰を低く構えて正拳一発。轟音と共にへし折れた扉を蹴破る姿に女性陣はあっけにとられていた。
十八部隊の手を取って連れ出したレイサたちは、戦場から離脱しつつ向かうは天馬の許。もうこれ以上この場に留まる意味はない。帰っても地獄だが、ここにいては死が待つだけ。問題は……どう止める? あの狂乱の青焔を。
「な、なんというスピードだ。これが
一方戦場ではヴァルプルギスが一方的に押されていた。先の戦いとは全くの逆。光速に叩きこまれる颯の剣を受け止めることさえできず、風に弄ばれる木の葉のよう。
圧倒する手を休める事無く、むしろシャニーの連撃は更に苛烈を増していく。
「許さないッ、──お前だけは許さないぞ!」
────殺せ。私の力を使い、その騎士を殺せ
あの声が囁いてくる。仮面の魔術師と戦った時と同じ声、そしてさっき
「みんなを返せッ!!」
「ぬおっ?!」
ガチィン──高い音を立てて騎士剣が弾かれ宙を飛ぶ。守りを失ったヴァルプルギスの鎧へ鋭く走る一閃。かろうじて召還した氷の盾もろとも吹き飛ばされ、再び雪原を転がった視界に映る影。飛び上がる翠緑が標的を捕え、剣にかける両手を握り直していた。
────殺してやる!
「終りだアァァッ」
自身の噴きあがる
ヴァルプルギスの顔の横に、主を失った剣が降って来て突き刺さる。
「かはっ……、な、何これ……」
ズギンと再び響く鼓動。骨にまで響く疼痛が胸を突き刺すや、燃え尽きたかのように翠緑が瞳から失われ、包む青焔が霧散していく。
宙で突然に体に力が入らなくなり、シャニーはそのまま地面に突っ込み転がった。
「エーギルを使い切ったか……。どうやら制御できていないようだな」
ようやく終わった。ヴァルプルギスは静かに身を起こした。燃え尽きて真っ白になった青の騎士を立ち上がって見下ろし、思わず額の汗を拭う。危ないところだった。まさか
「『妖精』を捕獲しろ」
これを配下で利用できれば計画の視界は俄然良好となる。フェリーズへの貢物としては十分な戦果だ。
ところが、背後から迫る心臓が焙られそうなほどの圧を察して彼女は振り向いた。
「待てよ『魔女』」
一体どこから、いつから居たというのか。
両手をズボンに突っ込んで勝ち誇ったような驕慢の笑みを浮かべるサングラスの大男。
配下の騎士たちはソルバーンの出現に慌てふためいた。この男の出現にはロクなことは無い。
「何だ貴様、何用だ」
「んなつれねえこと言うなよ。ずっと待ってたんだぜ、お前が力を見せる時をよ」
聖天騎士団の筆頭騎士。二つ名を持ちイリア最強とさえ噂される神殿騎士をソルバーンはずっと狙ってきた。喰いごたえのある者なのか見極めるために。
ようやくに命を懸けた本気を見せてくれた『魔女』の顔をまっすぐに見つめ、彼の口元が再び好戦的に吊り上がる。
「
この男はいつもこうだ。周りの状況がどうであれ、本能が疼けばその場が舞台となってしまう。
「バカを言うな、お前と戦う理由などない」
すでに業火を噴き上げてあたりを焼き尽くし始めるソルバーンに警告を発するが、一度箍が外れた炎の魔人を止める術は無かった。
「理由なんざ要らねえんだよ! 動きが無い時まで縛られたつもりはねえからな!」
作戦上は行動を共にしているが、別に仲間だと思ったことなど一度も無い。
噴きあがる炎がヴァルプルギスの行く手を阻み、彼女は怒りに目を見開き拳を握りしめるしかなかった。ソルバーンの背後に天馬が降りてきてシャニーを介抱しているのが見えたからだ。
「ソルバーン! 『妖精』を捕らえろ!」
「何命令してんの? テメェ……? あんな、
最後の最後に、舞台が魔人によって滅茶苦茶にされて収拾がつかなくなってしまった。
南の空に飛んでいく天馬を恨めしそうに見上げたヴァルプルギスは、怒りをかみ殺すとソルバーンに背を向けた。
「総員退却だ! 契約者をまともに相手などするか!」
「つまんねえやつだ。もっと気の赴くまま愉しもうぜ?」
せっかくの舞台から降りていくヴァルプルギス達にソルバーンは舌打ちしながら空を見上げる。
「……しかし……」
視線をおもむろに南へと向けた。
「こいつは面白くなってきやがったぜ、────
見上げた紺碧の先に映る白き影。サングラスを外してギッと見つめる魔人の眼はニンマリと
<第二章 斉いし舞台 終>