ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ 作:宵星アキ
悪夢から醒めたシャニーは部隊のメンバーの無事を聞き、生への喜びを零すのだった。
目が覚めたのは記憶が途切れてから四日後。
一体あれからどうなったのか。どんな報復が来たのか、仲間は、自分への処罰は────。
安堵を嗅ぎつけた不安がどんどんと心の中に広がり、不安は恐怖を連れてきた。
厳罰は避けられない。何とか、指示に従っただけの部下達は酌量してもらえないか……。
傍に居るのは軍医のウッディだけ。噂が集まって来る彼ならある程度は知っているかもしれない。
けれど、怖くてとても聞けなかった。今聞けることと言えば……。
彼女は自身の胸元をぎゅっと握り、彼に一つの問いを投げるのだった。
いつの間に眠っていたのだろうか。ぼんやりと瞼が開いたはずなのに、何かがおかしい。
起き上がろうと突いた後ろ手が空を掴み、シャニーは思わず目を白黒。手足をバタバタさせてバランスをとり、胸を撫で下ろしながら足元を確かめるように見下ろす。
もう立っていたのだ。立ったまま寝ていたという事か。それだけではない。あたりをゆっくり見渡せば見渡すほどに、違和感ばかりが押し寄せてくる。
(どこだろ、ここ。真っ暗で何も見えないよ)
暗闇に目が慣れたら見えてくるものだと思ったのに、頭に何か被せられているかのように真っ暗のまま。仕方なく手を前にかざして歩き出す。光どころか、音さえも────
(……声が聞こえてくる。どこからだろ?)
どこからか微かに流れてくる囁きの様に小さな声。見渡してみるも視界はやはり利かず、耳を立てても頭の中へ響くようにあちこちから聞こえて定まらない。
(分かんないけど、何かをあたしに言ってるのかな? 何て言ってんだろう。すごく遠くて……)
耳に手を添えながら神経を集中させてみる。まるで水の中から聞いているかのようにぼやけてなかなか聞き取れない。
踏み出したら少し声が大きくなった気がした。怪しさなど忘れてそちらへゆっくり歩いてみる。
(あれ、この声ってひょっとして……)
────あ…………ば……か……に
「誰?! この声……あたし??」
ドキンと肩を跳ね上げた。反射的に声が飛び出して、自身を指差すが誰か答えてくれるはずもない。
それでもはっきりした。自分は喋っているのにお構いなしに聞こえてくるから、これは自分が口にしているわけでは無い。なのに聞こえてくるこの声は……。
(絶対にコレ……あたしの声。なんで?)
今も途切れ途切れに聞こえてくる声は、間違いなく同じ内容を蓄音機の様に繰り返している。おまけに、自分の声で。
薄気味悪くなってきて無意識に身が縮み、守るように自身を抱きしめていた。仲間も、姉も、ディークもロイも……誰も居ない。独りがこんなに心細く感じるのはいつ振りだろう。
(誰もいないの? って言うか、ここはドコ??)
────あの…………よ……のに
疑問に答えるように返ってくる声。今はハッキリ声のしたほうが分かって、恐る恐る振り向いてみた。相変わらず
「あ、ロイ様?!」
突然真っ暗な中に現れたロイが手を振ってこちらに向かってくる。
(良かったー! これで安心だよ)
真っ暗な中、このまま一人で妙な声を聞いているのは心細かった。手を振ってロイの許へ走り寄った途端だった。
「うそ?!」
その姿は突然、金髪に紫紺の瞳────ヴァルプルギスへ変わったではないか。
堪らず両足を踏ん張っても、もはやゼロ距離では何が出来ると言うのか。頭上に無言で振り上げられているものに目をむいて絶句するばかり。
振り下ろされる断罪の剣。この距離ではいくら体中のバネを使っても避けきれない。とっさに腰に伸びるも空を掴む手。距離感を量り違えるはずがない────
(──剣が無い?!)
丸腰ではどうすることも出来ない。小手で弾こうと防御態勢を取って後ろに退いた。刹那、ふいに襲う──浮遊感。
「えっ?! しまっ! きゃああ────ッ!!」
そして始まった真っ暗な世界に延々と続く落下。なされるままの体にしきりに聞こえてくる声は、耳を塞ぐとますます大きくなった。まるで喰らってやろうかという程に頭の中に響き、飲み込まれていく。
────お願いッ、助けて!!
「はっ?!」
トンネルから抜け出すようにようやく真っ暗な世界から飛び出した。
静寂が包む穏やかな部屋。あの声も、ヴァルプルギスの姿もない。びっしょりとかいた寝汗を拭いながら浅い吐息を整える。その間も、悪夢と現実の狭間から抜けきらぬ、見開かれた
「ここは……医務室?」
光が目を刺してツンと痛みが走る。意識がはっきりして、視界に明かりが戻って来たらどこだかすぐに分かった。静かで薬臭くて、年輪のように重なるあの天井の茶色いシミだって何度も見てきた景色だ。
「ようやく起きたか! 良かったよ、無事で!」
駆けて来る足音に身構え、再び腰に手がいった。──剣が無い。既視感にゾワっと身震いしたのも束の間の事。ウッディの姿が見えてきて、全身から力が抜けてそのまま倒れそうになった。
彼は本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれる。でも、さっきの悪夢も手伝って、未だ戦場にいるかのように心が尖るシャニーの視線はすぐに彼から外れていた。
(あれからどれだけ経ったんだろう)
じっと見つめているのは、向こうの机の上にかけてあるカレンダー。この部屋のカレンダーは終わった日にはバツ印がついている。既に三つのバツ印が赤字で記され、週の半分を埋めている。
(という事は、今日は…… 12月 4日か……────ッ)
呆然と考えていたら見る見るうちに瞳は見開き、
戦場で記憶は途切れた。ヴァルプルギスを前に力尽きて倒れたあの瞬間が、今も強烈に脳裏へ焼き付いている。最期を覚悟して、眼下の白が赤く変わる様を呆然と見下ろすしかできなかったあの時。
(ううん、もう少し先があったはずじゃん。……そうだ、みんな牢獄に入れられて……)
────今から反逆者共の処刑を執り行う
ヴァルプルギスの声が蘇る。激戦で受けた衝撃に埋もれていた記憶がはっきり浮かび上がると、シャニーは見開いたままの目でウッディを突き刺した。彼の肩を揺さぶって悲鳴にも似た声を上げる。
「ねえ、みんなは?! ──みんなはどうしたの!!」
「ルシャナ達はもう復帰してるよ。まったく、何回ここに運び込まれたら気が済むんだよ」
ウッディの肩にかけられた手が滑り落ちていく。最悪を回避出来て、もうそれ以上は何も考えられない。確かめるように彼を見つめる。
「あたし……
「ああ、生きてるさ。怪我も深くなくて何よりだ」
外は相変わらずの吹雪で景色を臨む事は叶わない。それでも湧きあがる、生きているという実感。聞こえる幼馴染の声、目の前に映る彼の笑顔。そして体中が感じる痛み。すべてが、幻想では無いと伝えてくる。
さよならを覚悟していた世界へ戻ってきた喜びが自然と溢れた。
「あぁ……嬉しい……。みんな生きて帰って来れたんだね。──良かった……」
自身を抱きしめるように腕を巻き付けて泣く。
ベルン動乱から考えても久しぶりの事だった。死というものを本気で覚悟したのは。動乱でも危機はあったが、誰かしら助けてくる存在がいた。ディークたち傭兵団の仲間に、姉に、ロイに。騎士団に入ってからも仮面の魔術師に殺されかけたが、あの時はまだ援軍が来る希望があった。
(みんな良かった……。ごめん、本当に)
守る側に立った今、孤立無援の中で初めて味わった恐怖、絶望、そして後悔。それらから解放された喜びが滾々と頬を伝う。
絶体絶命だった。それを招いたのは自分。死の舞台へ皆を上げてしまったのは部
「シャニー、おかえり」
幼馴染のかけてくれた言葉はどれだけズタズタになった心に沁みわたっただろうか。本当に大好きな場所に帰って来たと教えてくれる声。
「うん、ただいま!」
満面の笑みを浮かべて感謝を伝える。みんな生きてくれていた。それだけでもう何も望むことは無い。戻って来たのだ、悪夢から────いや、本当は、まだ続いているのかもしれない。
頭では理解している。でも、今は素直に喜ぼうと、ただ湧きあがる安堵に身を任せて笑うことにした。笑っていれば楽しく生きていられる────生きている事、それだけを今は噛み締めたかった。
◆◆
静寂が戻る部屋。ウッディはやはり、すぐに立ち上がることを許してくれなかった。
もう記憶が飛んでから四日経っている。色々気になって仕方ない。開拓区の人々は無事なのか。何故自分たちは助かったのか。聖天騎士団は、ヴァルプルギスやフェリーズはどうなったのか。彼らの報復は、姉達は……。
「ねえ、ウッディ」
声をかけてみたが一体何から聞いていこうか……。あちこちから噂が集まってくるウッディなら、団内の声やどんな処罰になりそうか掴んでいるかもしれない。
一度はいっその事と、核心を口にしかけたが腹が震えて声が出なかった。やはり────怖い。
まずは彼が答え易そうなものから始めてみる事にした。
「あたしのこと、治療してくれたんだよね?」
「ああ。それがどうした?」
「へへ、ありがとね。さすがウッディ。でさ、どこを怪我してた?」
妙なことを聞く────ずり上げた眼鏡が光る。自身の体なのだから、どこが痛いかくらい分かるだろうに。ほんのり笑みを見せてきたがシャニーの目はどうやら本気だ。意図を掴めないまま、ウッディは首を傾げながら治療記録を取りだして何度も頷く。
「主に頭と腕、足かな。大半はレンちゃんがライブで治療してくれたから僕は軽く手伝っただけだけど」
レンの成長速度は本当に早かった。少し前までファイアーを扱えるようになって飛び跳ねていたと思ったら、エルファイアーにニイメ直伝の暗黒魔法ミィル、そして回復の杖まで。
その杖でリーダーを治療する眼差しは、茫洋とする普段とは別人のように真剣そのものだった。風魔法の直撃を受け続けて裂傷だらけだったが、レンの高い魔力は何もなかったようにシャニーの傷を消した。
想定していた答えと違って、シャニーは眉をひそめながら自身の胸元をトントン叩く。
「え? 背中とか胸とかそこらへんは?」
困惑した眼差しを向けると、また変な質問が飛んできたとでも言いたいのか、彼は両手を広げて見せてきた。
「何も? だってお前、鎧してたじゃないか」
「ウソ……」
「こんなんで嘘ついてどうするんだよ?」
よく分からない様子で返すウッディから既にシャニーの視線は外れ、下を向いて口元を固くしていた。無意識に胸を握り締める。
(あんな激痛……間違えるワケ無いじゃん)
あれは気のせいなどではない。ヴァルプルギスと戦っている間、何よりも体を締め上げ、悪夢のような苦悶を浴びせ続けてきたのは胸の痛みだった。あれのおかげでロクに体を動かせず、直撃を浴び続けたのだから。もしヴァルプルギスの魔法だったとしても、何かしら痕跡が残るはず。何も無いなんて信じられなかった。
「どうしたんだ?」
「ううん、何でもないよ。えへへ、サンキュー、ウッディ。いよっ名医さん!」
ウッディが何も無かったと言うなら、これ以上考えても仕方ない。ぱっと切り替えてお礼を言いながらニッと笑って見せた。彼にもまた心配をかけてしまったから、もう大丈夫をしっかり伝えたい。
「礼は要らないぜ、たっぷりご馳走してもらうからな」
「えー?! 前言撤回だよ! ったく、みんなしてあたしのサイフ狙うんだから!」
ふっと笑う幼馴染の横顔は安心をくれる。生きている……それだけで嬉しい。
でも、途端に落ち着かなくなってきた。不安が安堵を嗅ぎ付けてきたのだ。この不安が今度は恐怖を連れてくる事は今までの経験から分かっている。今回の不安は
今は何も考えたくない。ウッディに頼んで手芸道具を持ってきてもらう事にした。
◆◆
静寂に突っ込んでくる音。ドタバタと聞こえてくるこれは足音か。シャニーもウッディも手を止めて扉の方に視線をやる。
まっすぐ医務室へ近づいてきた音は扉を跳ね飛ばす勢いで入ってくると、やりかけの編み物を手元に置くシャニーを見つけて声にならない歓喜を漏らす。
「リーダー! 目が覚めたんだね」
真っ先に叫んだルシャナはベッド脇まで一直線に駆け寄ってシャニーの手を取った。温かい……見上げてくるのは知っている青い瞳。リーダーが帰ってきた。その実感をしっかり伝えてくれる彼女の温もり。
シャニーもずっと気なっていた仲間たちの顔が視界に広がって顔中に太陽が咲く。
「ルシャナ、みんなも! 良かった、みんな元気そうで。──本当に良かった……」
ウッディから知らされていても、本人たちが目の前に来てくれると一気に感情がこみ上げた。湧きあがる、空に舞うかのような感喜。六つの瞳がみんなはっきりと見つめてくる。
部隊長として思い知らされた家族の命を預かる重責。安堵が一気に張り詰めた心を押し崩し、両手で顔を覆っても溢れるものを受け止めきれない。
「自分が一番ヤバかったのに何を人の心配してんのさ。まあ、あんたらしいけどさ」
背中をさすってやりながらルシャナは半ば呆れたように笑って見せた。
思い出したくもない。敗北を宣言し、そのままリーダーが雪原に伏した時に膨れ上がった絶望感は。
以前からそうだ。誰も失いたくないと言って突っ込んで。今回もヴァルプルギスの奥義を避けようと思えば避けられたはずだ。自分たちに回避を指示していなければ。
「シャニーの元気な顔見たらウチも元気出てきたッス」
安堵と興奮にミリアの声は心なしかトーンが高い。誰もがもう終わったと思った。頼りのリーダーが倒れ、ヴァルプルギスが刑の執行を高らかに宣言したあの時。
生きている、それをはっきり実感させてくれるのは、目の前で目を真っ赤にしながらも喜びに咲く太陽。
「あー生きて帰って来たんスね、ウチたち」
伸びをしながら嬉しそうにするミリアを見上げて、シャニーは柔らかな笑みを浮かべた。大事な仲間たちが生きてくれていた事だけが救いだ。
だが、その笑みも一瞬だけ。同時に重い気持ちが湧きあがった。ずっと抱いて来た不安。勝手に戦いだして、彼女たちを巻きこんでしまった。その過ちはあの場だけで済むはずも無く、悪夢のようにこれからも引きずる事になる。
ギリッとシーツを握り、ひとつ大きく深呼吸すると一気に切り出した。
「生きててくれてありがとう。みんな────」
「はい、それは言わない」
せっかく意を決して飛び出しかけた言葉が、口をルシャナに塞がれて行き場を失う。
「ウッディ、面会は五分だったよね?」
すぐに手を退けて言い直そうとしたが、思った以上に力が強い。もごもごしている内にルシャナに視線を外されてしまった。彼女と共にウッディへ目を向けると、彼はメガネをずり上げて、困った感じの妙な顔をしたように一瞬見えた。
「あ、ああ」
「そう言うわけだからまた来るよ。しっかり今は体、休めなよ」
すたすたと行ってしまう仲間たち。焦って追いかけようとした途端、癒え切らぬ身体が悲鳴を上げ、シャニーは手を伸ばすしか出来なかった。
仲間の背中が見えなくなると、ベッドの背にもたれて天井を見上げる。
皆が無事だと分かると急にもやもやと噴きだす不安。一体これからどうなってしまうのだろうか。契約違反を犯した罪が重いことは知っている。自分だけでなく、彼女たちにまで及ぶと思うと胃がぎりっと締め上げられる思いだった。
(みんな……ごめん────)
ルシャナは言わせてくれなかった。背中について行くと誓ってくれた彼女たちに何と言って詫びればいい。何とか彼女達だけでも助かる様に姉に陳情するしかない。いや────聖天騎士団の報復は天馬騎士団全体に及んでいるはずだ。今どうなっているのか……心が押し潰れされそうだった。
「ルシャナ、いいんスか? 何も伝えなくて」
医務室の外ではミリアが不安そうにルシャナへ声をかけていた。あの事件から四日経ち、騎士団の中ではある事無い事へ噂が立って事は大きくなっている。もちろん自分たちへの視線もキツいものがあるが、指示した者と従った者ではまるでその度合いは違う。
「今はあいつにこれ以上負担をかけちゃだめだよ。休ませてあげよう、色々決まるまではさ」
彼女に聞きたい事は一杯あるし、喋りたい事は山とある。
だが、今聞いたところであの性格だ。穏やかなムードを作ろうと何も語らず笑うだけに決まっている。どう転んでも無事には済まないのだ。身の振り方が決まってからでも、色々聞くには遅くない。
リーダーが動けない分まで誓いを果たすため、ルシャナは年下二人を連れて空へと消えていった。