ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅠ・Ⅱ   作:宵星アキ

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「よく食べて、よく寝て、よく笑う! あたしのモットーだからね。ケガなんてへーき、へーき!」
目が醒めたシャニーは狭い医務室でエンジン全開! じっとなんてしていられない!
あの手この手と、脱走を画策してはウッディに撃破されるのでした。

一時も目が離せない幼馴染に、看護する軍医ウッディはまるで仕事が進まずウンザリ。
彼女は早く部隊に戻りたいと言うけれど、とても許可できる状態じゃ無い。
かと言ってそれを説明するのも気が引ける。どうしたら大人しくさせられるだろうか?
そんな彼の不安をよそに、シャニーはついに知ってしまう。
これが本当に……あたしの────

一方、エデッサのバーには仮面の魔術師ウェスカーが訪れていた。
彼はカウンターで酒を飲む黒の紳士にとある報告を行い、次の舞台を目指すのだった。


第3話 霜雪のスティグマータ

 冬のイリアはどうしてこうもつまらないのだろう。外を出歩くことはできないし、窓を見たって吹雪いていたら凍り付いてろくに景色は見えない。

 とにかく外の様子を見たい。そんな気持ちをぐっと抑えながらシャニーは暇つぶしに熱中しようとしていた。手先で小気味よく動く編み棒。何かに没頭していないと、ろくでもないことを考え始めてしまいそうだ。

 

「ねえねえ、ウッディ」

 

 でもやっぱり駄目だった。何を作ろうかも考えていないのでは、すぐに集中力が切れてしまう。興味を引くものが何もないこの薬臭い医務室では、幼(軍医)染に声をかけるしかすることがない。

 

「何?」

 

 返ってくる優しい声。いろいろ忙しい彼にあまり構ってもらおうとするのも悪い。かと言って、この部屋でこのままじっとしていたら、体が固まってムズムズする。こういう時は、さっさと脱出を図るに限る。

 

「浴場行きたいな。動いていい? いいよね、こんな元気なんだし! あたしみたいな美人がいつまでも汚くしてちゃ────」

「お前、僕の答えが分かっててそれ言ってるだろ」

「えへへっ、まーねー。じゃあ行ってきまーす!」

「待て待て! そうはならんだろ、普通!」

 

 そろそろ我慢できなくなる頃だろうと身構えていたウッディだったが、シャニーの元気爆発に慌てて扉の前に立ちふさがった。ここまでせずとも分かっていたくせに、シャニーは舌を出して笑っている。

 怪我のほとんどはレンの魔法で痕もなく消えている。なまじ健康体で元から元気の塊だし、ダメと言っても抜け出すまで時間はかからないかもしれない。前回だって、彼女は僅かな隙を突いて城下町に脱走したのだ。

 

「えーっ、『ハン、大変だったしな。好きに行ってこい』って流れでしょ?ふつー」

「誰だよ、それ。つーかお前、自分が怪我人だって分かってる? 傷が開くだろ?」

「分かってるけどさー、やっぱお風呂入って癒されたいじゃん? 分かるでしょ? この気持ち! 人生癒しって大事だよ!」

「……お前はどこまでが突っ込み待ちなのかマジで分かんねえよ」

 

 懇願の眼差しを向けて手を合わせてくる。それでも今は何としても彼女をこの部屋に閉じ込めておかなければならない。

 どんな視線を浴びるかも分からない。ただでさえ、事件を起こした張本人として厳しい目が待っているのは間違いないのに。どうせ浴場に行きたいというのも半分は口実で、(そこら辺)を探ろうとしているに決まっている。

 

「ダメったらダメだ」

「ちぇー。ウッディのいじわる!」

 

 冷たく言い放ちながら席に戻って行く幼馴染に、シャニーは舌を出して精一杯抵抗しておいた。

 

(相変わらず固いお医者さんだよ。もーう!)

 

 口を尖らせベッドに背を任せて上を向く。何だか体中が張り付くような感触で落ち着かない。はやく汗を流してさっぱりしたかった。逢えないと分かっていても、やっぱりもし、万が一の時に汚いままで嫌な思いはさせたくない。

 だけどウッディが許可を出してくれないのでは散歩すら出来ない。とりあえず、()()()は諦める事にする。

 

「ねえ~、ウッディー」

 

 すぐに身を起こして再び彼を呼ぶ。先程の優しい声とは打って変わって面倒くさそうな声が返ってきた。

 

「今度は何? お腹空いたの?」

「え? すごーい! 何で分かったの? あーっ、もしかして寝てる時お腹鳴ってたりした?!」

 

 魔法か何かを使ったのかと、口元を押さえ目を真ん丸にして驚くシャニーに、ウッディは首をカクッと折った。毎度毎度同じことを同じ順番で聞いてくるのだから、裏も表もない頭に逆に驚いたくらいだ。

 

「ええとな、少しは静かにしなきゃとか、思ってもらえると嬉しいんだけどな」

「ムリだよ! お腹空いたし、お風呂入りたいし、天馬にも乗りたいしー!」

 

 こうガーガーとアヒルのようにやられては堪らない。席を立つと彼女に指を突き向けて止まらない口を封じる。

 

「食堂で何かもらってくるから待ってて。いいか? お前は怪我人なんだ。じっとしてろ。復帰の許可出さないぞ?」

 

 死刑宣告を受けてしまった。口を尖らせながら、シャニーはしおしおと上体を折る。

 

(いいもん、いいもん。その気になればちょちょいのチョイなんだもんね!)

 

 彼はずるい。いつもこうして復帰の許可をちらつかせてくる。

 誰もいなくなった部屋。こう背中を丸めて座っているだけだと全身の筋肉が縮こまって気持ちが悪い。はやくストレッチをして稽古に戻りたい。

 じっとしていられなくて、もう上体を起こすときょろきょろと部屋を見渡し始めた。

 

(あれえ……この部屋にはアレは無いの? 前来た時はあったはずなんだけど)

 

 無理をすれば傷が開く事は分かっている。癒しも情報(ネタ)探しも許可が出ない────そうなるとやれる事など限られる。

 

「おまたせ」

 

 ウッディが帰ってくるや、考え事など吹き飛んで思わず手を結んでしまった。彼の手に載った盆の上にはパンの頭が顔を出していて、山を転げ落ちていくのが見える。

 

「ほら、しっかりタンパク質と鉄を取れるものを中心に選んできたぞ」

「わあ、おいしそう!」

 

 野菜に果物。ハムやチーズとパン。これでもかと乗せられた盆を見上げ、キラキラ輝く青い瞳が盆をぶんどる。

 

「ありがとう、ウッディ。いっただっきまーす!」

 

 音を立てて手を合わせ、パンにかじりついたと思ったらホットミルクに舌を焼く。

 嬉しそうに食べる横顔をウッディはじっと見ていた。いつも通りに見える。そう、その笑顔は。いつもと明らかに違う雰囲気を作り出しているものを見ても、彼には何も切り出せなかった。

 

「……それだけ食べられれば大丈夫そうだな」

 

 最初は幸せそうな横顔を見て癒されていたウッディだったが、そのあまりの食いっぷりにやっぱり途中から呆れてしまった。

 一体、この細い躰のどこにあれだけ入ると言うのだろうか。仮にも怪我人。これでも決まって、次の食事の時間には腹が減ったと唸りだすのだから随分と燃費が悪い。彼女が食い気を失った時が本当に死ぬ時かもしれない。

 

「ねえ、足らないよ! お替り!!」

「はぁ?! お前、優に二人前はあったぞ! 食べすぎも体に毒だ」

「いっぱいケガしたし血が足らないんだよ! じゃんじゃん持ってきて! 今度はデザートも! ホントは今日は街で新作スイーツ買う予定だったんだから!」

「へいへい。十八部隊長様はいろんな意味で壊れてんな……」

 

 結局、あれだけ山盛りにしたはずなのに食堂へもう一往復する羽目になった。四日間何も食べていなかったからか、普段よりさらにガッツいている気がする。

 

「よく食べて、よく寝て、よく笑う! あたしのモットーだからね。ケガなんてへーき、へーき!」

 

 天真爛漫に朗らかな笑みを浮かべながら、手を突き上げて主張してくる元気玉。それでも冷ややかな目しか向けられない。彼女の魂胆など分かりきっていた。

 

「と言うわけでもう戻る! ──は、ダメだぞ」

 

 予想的中。それを言った途端、顔をこれでもかと膨らせて睨んできた。

 

「ぶーっ、そこまで分かってるなら見逃してくれたって良いじゃん! 医者には慈悲とか慈愛とか無いの?」

「大人しくしてたら少しくらい慈悲をくれてやっても良いぞ」

「ぐぬぬぬ……患者の声を踏みにじる悪徳軍医めえっ」

「普通に人聞き悪いからね? それ」

 

 何を言っても拘束時間は変わらないとようやく分かってくれたらしい。ついに壊れた蓄音機も降参したようで、顔をくしゃくしゃにしながら舌を思い切り出して精一杯の悪あがきをしてくる。

 両手を頭の後ろに回してベッドに背を預け────そしてまた上体を起こす。甘かった。一時も目が離せない。

 そして、じっと出来ない彼女はついに踏み込んで欲しく無いところを突っついてきた。

 

「ねえウッディ、この部屋って鏡無いの?」

 

 どきっと心臓が飛び出しそうになった。今もシャニーはきょろきょろと部屋を探し回っている。さすがにこれだけストレートに聞かれたら、はぐらかせそうにない。

 

「あるわけないだろ? 何で鏡がいるの? 剣の型のチェックとかやめてくれよ」

「違うよーう。あたしがそんな無作法な女に見える?」

 

 厄介払いするように冷たく言い放ち、すぐに視線を机に戻したが諦めてくれそうにない。甘えた声が返ってきて、いつの間にか彼女の方を振り向いていた。

 

「見えるっつーか、この前ガラス割ったのどこのどいつだよ?」

「あ、アハハ……。あたしも日々成長してるから大丈夫だよ」

「……もういいや。で、何?」

「ちょっとお化粧したいから小さくても鏡が欲しいの」

 

 今、彼女は何と言った? ────困惑がありありとウッディの眉間に集まる。

 

「えぇ……?! お前って化粧してたの?」

 

 驚きと笑いが同時に込み上げてきて、堪えようとする気持ちを簡単に押し破る。九月までは一緒に昼食をとる機会も多かったが、化粧をしているような素振など見たこともなかったのに。

 言葉と、それ以上に顔に出た気持ちを見つけた途端、シャニーが目を三角にして肩を怒らせだした。

 

「あーっ、バカにしたでしょ! 化粧なんかしたってしょうがない女って」

「いやいや。仕事に必要無いって思っただけだよ」

 

 上手い言い草を考えたものだと我ながら褒める。

 

「要るんだよなー、これが」

 

 指を立てながら得意顔をしてくるあたり、どうやらうまく丸め込んだらしい。

 

「そうなのか? 意外だな」

「意外じゃないもん! 外回りする時とか絶対するよ。気合も入るしね」

 

 シャニーは怪訝な目を向けてくるウッディに拳を突き上げた。

 新人部隊にいる間は特に気にすることもなかった。部隊長になって他の部隊の先輩指揮官たちと顔を合わせる機会が増えると、やはり皆ちゃんとしていて驚いたものだ。彼らは外国の契約主の許へ営業に行くため、身だしなみにはかなり気を遣っているらしい。

 アドバイスをもらいながら先輩を真似、いつの間にか自然とするようになった。どこにも行かない日は面倒くさくて眉の手入れくらいしかしない日もあるが、やはり誰かと会う日は化粧が戦闘モードへの大事な切替えの時間。

 

「でも、寝てるだけじゃないか。今日」

 

 じゃあ要らないだろ────言葉以上に物言いたげな目でジトっと見られ、何も言い返せなくなって上目に口をへの字に曲げる。

 

「うー……。──ご説ごもっともですよっと。はいはい、そうですよね~……」

 

 ウッディに問答で勝てたためしがない。口巧者が羨ましい。今度こそ降参とうつ伏せになって顎を刺さるほど枕に押し付ける。全身の筋肉が骨に張り付いて固まっていくようでウズウズする。

 

(ウッディのいじわる! バーカバーカ!)

 

 もうこんなに元気なのに、ベッドに張付けで居なければならない理由が分からない。

 顔をくしゃくしゃにしながら口を尖らせ、壁に向かって舌を出す。

 

「ウッディさん、十二月の予算の事で総務部長がお呼びです」

 

 聞きなれない女性の声が入ってきた。ベッドの中でごそごそして体勢を変え、出入り口の方に目をやってみる。軍服ではないからきっと事務のお姉さんだ。

 

(相変わらず忙しいヤツだなぁ……)

 

 出ていく背中を見送ったシャニーは不意に部屋が静かになったことに気づく。……今なら誰もいない。ニシニシと笑って弾け飛ぶようにベッドから出る。こんなチャンスを誰が逃すものか。さっさとそのまま部屋を出る。

 

「鏡……鏡っと。アイツ、隠したりなんかして。このあたしにはお見通しなんだからさ!」

 

 薄々感づいていた。彼は何かを隠している。この前の潜入時にレイサがやっていた仕草を真似て辺りを見渡し、少しずつ目的地へと距離を縮める。

 目指すは手洗い場。あそこなら必ず鏡がある。運よく道中も、目的地の中にも人気は無い。止められる者は居まい──勝ち誇った笑みで中へと入り、鏡を覗く。

 

 ────────ッ!!! 

 

 耳を劈くような悲鳴が廊下に響き渡り、事務所に居たウッディは血相を変えて廊下へ目をやる。

 

「?! どうしたんだ! ──まさかっ」

 

 聞き間違えるはずがない。あれはシャニーの悲鳴だ。ウッディは事務室から飛び出した。このタイミングでこの悲鳴────(ほぞ)を噛むしかない。

 彼女を独りにするなんてうっかりしていた。ベッドに縛っておかなければいけなかった。もうすでに野次馬が何事かと集まり始めている。人の流れに乗って手洗い場に駆け込む────目の前に広がる最悪の光景。

 

「なに……? なにこれ……」

 

 鏡に映るシャニーの顔は色を失っていた。まるで彼女が触っている髪と同じくらい。

 

(これが本当に……あたしの────髪なの?!)

 

 何度髪を触ってみても、鏡の中で揺れるのは白ばかり。蒼白い顔はみるみる引きつって瞳が黎く揺らぎ始めている。

 白の世界の向こう──鏡の奥に映る幼馴染を見つけ、震えながら振り向いた彼女は目で訴えた。────嘘だって言って……

 

「お前が運び込まれたとき、もうそうなっていたんだ」

 

 打ち砕かれた瞳に訴えられても、ウッディにはそれしか言えなかった。

 嘘だと言ってやりたかった。あの美しい活き活きした青い髪は無く、目の前に居るのはすっかり色が抜け落ちて死んだような白。

 とにかくこの場所に居続けては哀れだ。手を取り、彼女を白衣の中に包んで医務室への道を急ぐ。左右から突き刺さる視線。こんなにも遠かったか。

 

「心当たりは無いのか?」

 

 静寂の間へと戻ったウッディは俯くシャニーに優しく問いかけてみる。小さく、小さく、何度も横に振られて揺れる白銀の髪。

 

「あるわけないじゃん……」

 

 返ってきた声は先程までの元気が嘘のように沈みこんでいる。髪が色を失い、瞳の青が浮き上がって見える。震えている分、尚更に。

 

「ああ……どうしよう」

 

 嗚咽を漏らさずにはおれず、シャニーは両手で顔を覆う。事実を受け入れる事もままならず、頭の中まで真っ白でどうしていいか分からない。

 なんとか生きて帰って来られたのに。これではどうやって見せたらいいのだろう。生きていることを一番に伝えたいあの人がこんな髪を知ったら驚くに決まっている。

 のしかかる虚脱感。この時ばかりは途方に暮れて、糸が切れたようにへたり込んでしまった。

 

「何かの病気……とも考えにくいが一応調べてみよう」

 

 ショックを受けて一夜で白髪になるなんて話はただの迷信。絶対に原因はある────そうウッディは励ましてくれるが、まるで頭に入って来ない。病気──その言葉だけが心に突き刺さった気がした。

 静かに立ち上がってベッドに向かうが、鉄球でも括りつけられたかのように体が重い。足が上がらなくて引きずっているのが自分でも分かる。

 

「ウッディ……」

 

 その足をそっと止めて振り返る。

 

「心配してくれてたんだね。えへへ、ありがと」

 

 ようやく分かった。ウッディがなぜあれだけ部屋の外に出すことを渋っていたのか。在るはずの鏡を無いと嘘を言ったのか。彼の優しさに感謝を込めて笑って見せる。今できる精いっぱいで。

 生きて帰って来られただけで良しとしよう────そう思う事にした。そうでもしないと、笑ってなどいられなかった。

 

(止めてくれよ。この状況で笑わないでくれよ)

 

 傷心の背中へウッディは何も返せず、やり切れない思いに唇を噛む。

 きっと元に戻る。それを信じてエミリーヌに祈りを捧げる事しか今は出来ないのか。どうしたら戻してやれる……いつしか研究の手は止まり、開く文献はそればかりを探していた。

 

 

 

◆◆◆

 

──── 12月 4日 PM 7: 02

 

 雪の夜はどうしてもどこか店に入りたくなる。そんな気持ちを誘うようにあちこちの店から明かりが漏れ、楽しげに響いてくる声。年末が近づく街は貧しくとも戦争が終わった喜びに溢れていて、過酷な夜でさえも幸せな気分にさせてくれる。

 そんな酒に酔う街の人と人の間を、影に溶けるようにして歩く男。周りの誘いに一切振り向くことなく彼が姿を消したのは一軒のバー。

 

「マスター、ここにいらっしゃいましたか」

 

 どうやらこの場所がお気に入りらしい。ウェスカーはカウンターで酒を愉しむ紳士を見つけて小さく頭を下げた。

 

「ああ。ここは考え事をするには落ち着く」

 

 蒸留酒を口に運んだ紳士の眼光は、帽子の下でまじろぐこともなくじっと遠くを見つめている。

 

「てっきり(セチ)の契約者を待っているのかと思いましたが」

 

 以前の接触からはや一か月半。そろそろ何か起きてもおかしくない時期。すでに()()()はいくつかを“蝕んで”いる。ウェスカー自身も既に奪われた身。目醒めたのなら、あちらにターゲットが移ってもおかしくはない。

 

「我々ができることは果たした」

 

 これ以上介入するつもりはない────酒を飲み干す紳士の横顔はそう言っている。奪われたくなければ自身で何とかしろと、そう言うことか。背中を押すだけ押して随分と厳しいものだ。

 もちろん、ここにウェスカーが来たのは主の様子見などではない。

 

「ところで、向こうの状況はどうだ?」

 

 紳士も報告を急かしてくる。最近は残念な話ばかりだったが、今回は久々に喜んでもらえるはずだ。

 

「ええ、今日は良いご報告を。──首謀者の殺害を確認してまいりました」

 

 再び作った濃い目の蒸留酒を味わう紳士の口元が珍しく上向いた。

 

「そうか……ならば長の計画は成功したのだな」

「ええ。これで……()()()()は回避された事でしょう」

 

 久しく聞けなかったウェスカーの饒舌に乗った報告。紳士は一つ頷くとグラスを傾けた。

 組織はようやくに大きな作戦の一つを成就したらしい。

 竜の門────二つの世界を繋ぐあの門の向こうでは着々準備が進められてきた。その準備を食い止められなければ、侵略戦争は避けられなかっただろう。それが今、最悪は回避されたことになる。残党狩りは、本国にいる組織に任せておけば良い。

 

「ならば……バランスが崩れたこちらを後は始末するのみか」

「ええ。──まだ仕留めなくてもよろしいので?」

 

 全てが片付いたわけではない。彼らはこちらの世界に種をしっかりと残している。あとは、彼らが蒔いた災厄の種から出でた芽を摘むのみ。

 善は急げとは言うが、ウェスカーが急くのはただ戦いたいだけだろう。どさくさに紛れて“蝕んで”いったことが癪に障るのかもしれない。

 

「尻尾を出すまで待て」

 

 許すわけにはいかない。最初から、彼に仕掛けさせるつもりはなかった。あの境界の先から来た異世界の者が、この世界の歴史に残る事はタブー。あくまで、この世界の事象はこの世界の者による処理こそが理。だからこそ、まわりくどくても、鈍臭くても、背中を押すしかないのだ。

 

「ククク……そうですね。せっかく“黎明の剣”を錬成できそうですしね」

「ああ。尤も……今のままでは使いこなせまい」

 

 わざわざ手を貸したのだから役に立ってもらわなければ困る。長たちがようやく向こうを平らげたのに、こちらが失敗したら国に帰れない。だが、まだその時は先になりそうだ。

 

「剣に順路はない。己が切り拓いたものが軌跡と残るだけだ」

 

 無駄なものなどない。全てが刃を滾らせる力となり、描く軌跡を強く、はっきりとさせる。弾かれようとも、折れようとも、強く握って振り続けた剣だけが残す軌跡。いつになるかは分からない。だが遠くない未来に訪れる瞬間に向けて紳士もまた席を立つ。

 

「では我々も行くとするか。次なる地へ」

 

 この地での仕事は終わった。次なる舞台は少々先だが、今は待つしかない。黎明を呼ぶ剣が覚醒するその時までは。

 彼らは吹雪の中に出ていくと、(あおぐろ)い闇夜の向こうへと溶けるように消えた。

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