鬼後伝・風月玄TACK   作:十果 円遠

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第1章 風月
第1話 花韮を踏んで


 実弥は、風屋敷の門を閉めた。旅立だ。

 

 桜が散り降る春の陽射しの中、ひとりで門を見上げる。数百年続いた鬼殺隊は宿願を果たして解散した。屋敷には、留守宅預かりの徳一夫婦以外はもう隠も隊士もいない。そして、月宮晶(つきみやあきら)も。

 

「出かけるのかよ」

 

 いつの間にか大柄な身体を塀に預けて宇随が近くに立っていた。気配を消すのは彼の習性と言っていい。宇随は、無惨戦後痣者となった実弥と冨岡をことのほか気にかけ、頻繁に様子を見に来る。

 

「あア。まだまだ行かなきゃならねえ藤の家紋の家はあるからなァ」

 

 実弥は足下の花韮に目を落としながら、気を取り直して答えた。

 

 鬼殺隊解散に伴って、藤の家紋の家もその役目を終えた。各地に散らばる藤の家紋の家のうち、遠方の家への悲願成就の報告とこれまでの慰労は実弥が一手に引き受けている。隻腕となった宇随や冨岡では、日常生活にもやや不自由があり、遠方への一人旅は難しいのだ。

 

「今回は『にしき屋』と『一陽』だァ。今から出れば、夜までに『にしき屋』に着けンだろ」

 

 実弥は、『にしき屋』のすぐ近くにある桜の大木を思い出した。今日行けば、夜桜が見頃だろう。

 

――無惨を斃した後、夜桜を見てみたいです

 

――ハ、悪かァねえな。もう鬼はいねえんだからなァ

 

 晶とそんな話をしたのは、いつだったか。

 

「土産話もあンだろ、こっちへ戻ってきたら、またそのうち話そうぜ」

 

「月宮はどうすんだよ」

 

 実弥は、内心ドキリとした。つい数日前、晶は突然屋敷から出て行った。

 

「どうするって……戻らないっつう手紙があったって言ったろォ」

 

 実弥が不在の間だった。

 

 残された置き手紙には、これまで世話になったことの礼と屋敷を辞去する旨が丁寧な言葉で綴られ、離婚の届出は実弥の縁談がまとまるまではそのままにしておいてほしいとあった。

 

「だから、それでいいのかっつってんだよ」

 

「いいも悪いも、あいつが決めたことだァ。どうしようもねぇ」

 

 宇随は、小さな溜息をついた。

 

「お前、おかしいと思わねえのかよ。月宮が手紙だけで出ていこうとするなんてよ。お前が意識不明だった間中、ずっとついていたんだぜ」

 

 宇随の言葉に実弥の胸がひりつく。

 

 無惨戦後、実弥も冨岡も一時は意識不明の重体だった。その間、晶は実弥の枕元につきっきりで、ほとんど眠りもせず食事も摂らずに看守り、風屋敷に戻ってきてからも実弥を慰め、励ましてくれた。

 

「……知るかよォ」

 

 実弥は苦しげに吐き捨てた。辞去に当たって、予め挨拶さえなく置き手紙一通だけで済ませるとは、冷淡な上に非礼でさえある。実弥は、思いもよらない晶の行動に強い衝撃を受けた。悔しさと心配、怒りが心に渦巻く。

 

「だいたい作戦上とはいえ、お前ら仮にも夫婦だろ」

 

 ふたりは法律上一応は夫婦だった。

 

 かつて晶が事件に巻き込まれて拉致されたとき、奪還作戦の一環としてお館様の指示で婚姻届を出したのだ。すでに晶は鬼殺隊にとって重要な存在だったから、実弥は即座に指示に従った。

 

 結局、その届出が奏功して晶を無事に取り戻したが、届出は放置されたままだ。

 

「ハッ、紙きれ一枚のなァ。夫婦の中身なんてなンもありゃしねえ」

 

 宇随は、また小さく溜息をついた。

 

 実弥は、鬼殺一筋に生きすぎて、自分の感情や色恋にはひどく疎い。晶のこれまでの振る舞いや間柄を考えれば、手紙一通の辞去という行為になんらか意味があると推測できる。だが、それをしない。

 

「行き先も分からねえ。俺にできることは――もうねェんだよォ」

 

 実弥は、面倒くさそうに手を振って歩き出した。手紙には、今後どこへ落ち着くのかは全く書かれていなかったから、もはや晶の後を追うことさえできない。

 

 発つ折、共に広縁で茶を飲んだときの様子が実弥の脳裏に浮かぶ。あれが晶を見た最後になったのだ。

 

「ったく、自分にとって誰が大事かも分かんねえのかよ」

 横を向いて、宇随はこの糞野暮天野郎がと小声で毒づいた。

 

 

 

 実弥が晶と初めて会ったのは、藤の家紋の家『すばる』だ。

 

 『すばる』は、宇髄の担当地域の端にあって、藤の家紋の家の中でも屈指の大きさを誇る。

 正業が大きな旅籠なので、怪我人の収容にも適しており、医療品も多く備蓄でき、出入りの医者や薬剤師も数人いた。蝶屋敷に似た機能を果たす重要な拠点だった。

 

 そこに変わった女中がいるという噂を宇髄が聞きつけた。

 

 その女中は、鬼殺隊の隊士が来る日を正確に予測するという。

 なぜ隊士が来る日が分かるのか。それが分かるということは、鬼が出現する日が分かるということではないのか。もしそれが可能なら、鬼殺隊の利益は計り知れない――

 

 興味を惹かれた宇随は、たまたま投宿していた実弥を誘って『すばる』で晶に会った。

 

「おう、派手にハイカラな髪してんな」

 

 宇随は晶の緊張を解くために、そう笑って話しかけたが、実弥はあまりに短く奇妙な髪に目を剥いていた。

 

 断髪にするのが最近の流行だといっても、せいぜい顎の長さくらいで、これほど短くする女はいない。緑がかった濃紺の不思議な色の髪は襟足にも足りず、耳もうなじもははっきり見える。

 しかも、左耳の後ろあたりに一房だけ長く伸ばした髪があり、それは細い平紐で飾られている。

 個性的と言えば聞こえがいいだけの、奇妙な髪型だった。

 

 しかも、ひどく小柄で目が大きい。

 

(小ッせえな。胡蝶より小せえじゃねえか)

 

 一般女性の中でも小柄な体つきはどこか痛々しく、男の保護欲を唆る。大きな目は顔立ちを幼く見せて、到底宇髄と同じ歳には思えない。

 

 ハキハキ受け答えをして、天涯孤独の暗い境遇を感じさせないところに実弥は好感を持った。

 

 その後、晶は星見を鬼殺隊の役に立ててほしいという依頼に応え、星見に打ち込み始めた。星見に集中し、ときには数日間にわたって他の仕事をせずに専念する。しかし、それでは女中としては働けない。

 

 そのため、『すばる』から、まず音屋敷へ引き取られ、その後風屋敷預かりとなった。

 

 以降晶は、ずっと鬼殺隊のために星見に打ち込んだ。

 おかげで鬼殺隊の戦い方は大きく有利に変えた。しかも、上弦の出現を予測し、無惨との最終決戦の日時、展開を予測した。晶は、余人をもって代え難い知見によって大願成就に貢献したのだ。

 

 そして、実弥にとっては、大切な同志であるとともに、心を温めてくれる存在だった。少なくとも宇髄はそう見ていた。

 

(あいつがテメエの気持ちに気がつくといいと思ってたのによ……)

 

 宇随は、遠ざかる実弥の後ろ姿を見つめながら、溜息をついた。

 

 

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