実弥はいらだって声を荒げた。
「黙って聞いてりゃ、なんだ、その奥様ってのはァ。アァ?」
サチエは、実弥を見て心外そうに言い返した。
「みんなそう言ってますよ。お館様のご紹介で縁談が持ち込まれて、それをお受けになるって。だから、新しいお家を探していらっしゃるんだって」
「ケッ、誰の縁談だ。ふざけてんじゃねえぞ」
ところが、思いがけない声がサチエに同調した。宇随だ。
「……いや、そういう話があったぜ」
「ハァ?」
実弥は目を吊り上げて聞き返した。
「無惨戦を生き残った隊士たちにこれから少しでも幸せに生きて欲しいっていうんで、輝利哉さまが希望する者たちに縁談をまとめようとしてるのは知ってんだろ。その中にお前たちも入ってたんだよ」
「初めて聞いたぞ」
冨岡も驚いている。
「ただ、痣のこともあるし、お前たちについては本人に直接話を聞いた方がいいって言ってよ、俺が止めたんだ」
宇随は、輝利哉の相談相手として足繁く産屋敷邸に通っているから、そのときにそんな話になったのだろう。
実弥と晶が法律上夫婦であることは、先代お館さまと柱たちくらいしか知らない。そもそも作戦上の措置のため公にもされず、輝利哉もその頃は事情を知らなかったのだろう。
「奥様ってのは……まあ、わからねえが、縁談の話に派手に尾ひれが付いて広まったんだろ」
「……」
実弥は不服そうに口元を歪めた。あり得ることだ。噂などというものは殊の外無責任なものだ。縁談が火の元なら、三回人の口を介したら奥様の候補者くらい捏造される。
「お前こそ、家を買ったっていうのは本当なのかよ」
宇随が尋ねた。
「買ってねえ」
実弥は即座に否定した。
「隠も隊士もいなくなンのに、この家じゃデカ過ぎんだろ。なんか手頃な家はねえのかと思って、業者に話を聞いて一度見に行っただけだ」
柱となったとき下賜された屋敷は、土塀に囲まれ、内部には道場や中庭を擁した広大なものだった。だが、鬼殺隊が解散した今、屋敷に出入りしていた隠や隊士たちもそれぞれの道を歩む。一人住まいでは持て余してしまう。そこで、実弥は屋敷を処分するか貸すかして、自分はもっと小さな家に移ろうと考えたのだ。
だが、現実はとんでもない方向へ転がってしまった。
「……つまり、月宮は噂と家の話をくっつけて思い込んだってことか」
実弥は大きく舌打ちした。
「チッ、あいつ、こんな噂なんか信じて、勝手に出て行ったのかよ。なんで俺に一言聞かねえんだ、クソが!」
サチエは、オロオロして泣き出しそうだ。
「み、皆さん、そう言ってましたから、それできっと、悲しんで、身を引くつもりで、きっと」
「なアにが身を引くだ!馬鹿がァ!勝手なこと抜かしてんじゃねぇぞ!」
サチエは、実弥に一喝されて涙目で平伏した。宇随は、アゴに手を当てて唸った。
「まあ、お前の言うのももっともだが、月宮から見れば本当に思えたんだろう。皆がそう噂している上に業者も呼んで家を見に行ったんじゃあな」
「俺に直接訊きゃアいいだけだろうが」
「お前、そりゃ訊けねえわ。ただの噂だと知ってんならともかく、訊くってことは……」
宇随は言い淀んだ。
その質問は、暗に想いを打ち明け、自分をどうするつもりだと迫るのに等しい。恋が始まる繊細な時期には、一つの質問が恋を殺してしまうこともある。野暮天の実弥を相手にそのあたりの押し引きをするのは難しい。
「オマケに、真偽を確かめようがねえしな。月宮が輝利哉さまに直接訊ねる術はねぇし……解散前後は派手に忙しくて俺もお前も出てることが多かった……それに」
宇随は、二人に向き直って続けた。
「よしんば今回は噂だったとしても、いずれお前たちの縁談話は出る。まあ、今回だけのことじゃなく、先々を考えてここにいられないと思いこんだんだろう」
実弥は、馬鹿馬鹿しさと怒りで頭痛がした。根も葉もない噂と間の悪さが晶に誤解させた。すぐにでも解いてやれるのに、晶と話す術がない。
「……不死川は……月宮と所帯を持つんだな?」
静かに聞いていた冨岡が真顔で尋ねた。
「チッ、てめえは相変わらずだなァ。話が飛び過ぎンだよ。なんでいきなりそうなるんだよォ」
実弥はイライラと言い返したが、冨岡はいたって真面目に答えた。
「……月宮と暮らすなら、縁談を受けるわけにはいかないだろう」
「ハッハッ。違えねえ。一つ屋根の下で月宮と仲良く暮らしてんのに、新妻とヤれるわけねえよな」
実弥は、かすかに唸った。確かに新婚の夫婦の家に同じ年頃の女がいるのは不自然だ。つまり、自分の縁談が纏まることと晶と同居を続けることは、二者択一だということになる。
「好きなら……想いを伝えて求婚すればいい」
あまりに直截的な冨岡の言葉に、宇随は飲んでいた茶を吹き出しそうになった。
「好っ…………きゅっ……」
不死川は大きな目を剥いて冨岡を睨んだが、湯飲を持ったまま動けなくなった。
「お前、一緒に食べて、話をして、笑っていたのだろう……夫婦、だな」
実弥は強面で話しかけにくい。その実弥が茶菓子を頬張りながら談笑に興じていたというのだ。およそ想像し難い光景だ。調子に乗った宇髄も付け加えた。
「おう、そうだよな。それに背中の手当って、あれだろ。『すばる』仕込みの、背骨に沿って手を当てて温めるヤツだろ。ありゃ嫁にやってもらうと効くからな」
背中を取られるとは、武術において死を意味する。だからこそ、攻撃される心配のない相手、信頼できる相手に『背中を預ける』と言うのだ。任務明けの疲れた状態で、背中を手当てしてもらうのだとすれば、それはよほど安心できる相手だ。
しかも、『すばる』仕込みのそれは、手のひらで触れて温めてもらう。女房の膝枕ほどよく眠れる場所はないというのが宇随の持論だが、その持論からすれば、背中に手を当ててもらって癒されるなど、女房のように心を許した女以外あり得ない。
冨岡は圧倒的に言葉が足りない男だが、言うときは妙にはっきり言う。無惨戦後、以前より思ったことを言葉にするようになっていた。
「月宮にしても、無闇に男の背中を撫でたりしない。お前と……夫婦だから心を許していたんだ」
「ふっ、ふう……!」
実弥は何か言い返そうとして口をあぐあぐ動かしたが、言葉にならなかった。額には青筋が立っているが、耳まで赤くなっているせいでいつもの迫力はない。一方、冨岡は飄々とした顔で茶を啜る。
「今大事なのは、どうやって月宮を探し出すかだ」
「あいつは……」
実弥は言いながら、別れ際の晶の振る舞いを思い出して、胸が痛いほど熱くなった。
「月宮さんだってきっと不死川さまを好いておられたはずです。見てりゃ分かりますよ、そんなこと」
サチエがまた口を挟んだので、実弥はじろりと睨み付けた。宇髄は大きな隻眼で探るように実弥を見つめる。
「最後に会ったとき、なんかあったんじゃねえのかよ」
いつもよりきつい口調だった。
「よく思い出せ」
忘れようとしても忘れられない鮮烈な別れ。名残の桜に時雨が降りかかるあの日、実弥は羽織越しに接吻されたのだ。