仕方なく、実弥は別れた時の状況を端折って話した。さすがに接吻されたことまでは言えない。
「あ?おい、待て」
宇随が聞きとがめた。
「雨が降ってたのかよ。で、寒みィって言ったのか?あいつが?」
「あア、言ったなァ」
「あ――……」
宇随は、頭をガシガシ掻きながら続けて尋ねた。
「――まさかと思うが、その前にお前が雨が止まねえとか言ってねえよな?」
「……そういやァ、そんなこと言った、なァ」
実弥は、記憶の糸を手繰った。実弥の記憶は、その後の羽織越しの接吻で一杯だ。前後の科白などはっきり覚えていない。どうして宇随が言葉の一つ一つにそんなにもこだわるのかが不思議だった。
「で、あいつが寒みィって返したのか」
「……あァ」
「で、お前は地味に――羽織を渡しただけか」
「だけってなンだよ。他になにすンだよォ」
「……お前、それじゃ、あいつは何も言わずに出ていっちまうわ」
呆れたような口調に実弥は腹が立った。
「……なんなんだよ、サッパリ分からねえ」
質問がやたらと具体的で細かいのに、その意図も意味も分からない。だが、宇随は大きなため息をひとつ吐いた。
「不死川、お前、ド派手に思いを告げられたんだぞ」
「……ハァァ?」
「雨の降っているときに、好いた相手に『雨が止みませんね』って言やァ、『あなたともっと一緒にいたい』って意味なんだわ」
「ンだよ、そりゃァ。知らねえよォ……」
自分が何気なく吐いた言葉の意味を教えられて、驚きのあまり声が小さくなった。
「そこに『寒いですね』って返せば、『抱きしめてください』って意味だぜ」
「だっ、だっだき……」
実弥は、宇随の顔を呆然と見た。喉がごくりと鳴り、持っていた湯呑みが傾いて茶が膝にしたたり落ちる。顔が赤くなったのが自分でも分かった。
百年後の世ならいざ知らず、大正の御世で男女の色恋は万事控えめだ。想い合う恋仲でさえ、木の下で見つめ合って手を握るくらいが関の山だった。
そんな常識の中で、抱きしめて欲しいと告げるのは極めて情熱的な表現で、一生に一度の恋でもなければ口にしない。しかもこれを女の側が言ったとなれば、ほとんど身ひとつで男の胸に飛び込んだくらいの意味合いだ。
「お前、手も握らずに羽織を貸しただけなんだろ?まあ、ド派手に袖にしたことになるわな」
「……」
実弥は声も出なかった。
「ま、クソ野暮天のお前にそんな風流が通じねえことくらい、月宮は承知してたんだろうが……」
大きな隻眼が意味ありげに光った。
「ンン――?――……妙だな。月宮なら、お前相手にはもっとド派手にハッキリ言わなきゃあ伝わんねえって、想像がつきそうだが……」
美しい隻眼が今度はじっと見つめてきた。
「……おい、もっと他に、何かあったんじゃねえのかよ?」
ドキリとした。
まさか接吻されたなどと言えるわけもない。慌てて探るような眼差しから目を逸らした。唇に羽織越しの唇の柔らかさがまざまざと蘇る。
あのやりとりにそんな情熱的な意味があったのだとしたら、あの接吻は、全く風流を解さなかった実弥に対する、思い切った最後の告白だったことになる。
実弥が我に返って羽織をかなぐり捨てるまで、どのくらいの時間が経ったのか全く分からない。ひょっとしたら、晶は実弥の反応を待っていたのかもしれなかった。
「ま、あったとしてだ」
実弥の顔色を見ていた宇随は、したり顔で勝手に話を進めた。
「……お前は応えなかった。結果、あいつはここには居られねえと思って、出ていっちまったんじゃねえのか?」
実弥は血の気が引いた。自分の愚鈍でトロい反応が晶の気持ちを傷つけた。勇気を振り絞って大胆な行動に出たのに、自分はまるで木偶の坊で、答えるどころか反応さえしないままーー。
「不死川、それでは――」
言葉の足りない男がまでもが不吉な予想を口にした。
「月宮は、戻って……こない、な」