帰り際、宇髄はふと振り返ってボソッと告げた。
「お前、いい加減隊服は止めろよ。派手に物騒な羽織もな」
藤の家紋の家を回るのに隊服を着ていたが、それを洒落者の宇随に咎められたのだ。
「いいじゃねえかよ、隊服だっておかしくねえだろォ」
「もう鬼はいねえんだ。幸せな世にはソレナリの格好ってもんがあるだろうが」
実弥はグッと詰まった。確かに隊服は闘うための服装だ。
そうは言っても、大柄な実弥に合うものは既製品の中には少なく、まとめて数枚作らせる方が面倒がない。
仕方なく、実弥は呉服屋に出向いて店主の薦める物の中から、華美過ぎないものを選んだ。新品など選び慣れないし、あまり高級なものは数年の命には贅沢過ぎる。
呉服屋を出て交差点を降ろうとした時、目の前の大通りを自動車が横切っていった。
自動車はまだ物珍しい。大臣、宮家に通じる貴族たちや富豪が使用しているだけで、庶民に手の届く代物ではない。
(あいつも車に押し込められたんだったな――)
思い出して、赤坂へ足を向ける。
晶が拉致されたのは、遊郭で上弦が討伐された後だった。
その日、晶は隊士二人と外出した。ところが、夕刻負傷した一人が息せき切って戻り
「か、風柱さま!月宮さんが……!」
声をかけてきた男は、組手を好む茂原を難なく叩きのめし、待たせていた車に晶を押し込んで走り去ったという。しかも、聞き捨てならないセリフを残して。
『帰ってお前たちの主人に告げろ。晶は、もともと私の許嫁だとな。まあ、しばらくの間とはいえ、晶を保護してくれた礼は後日する』
実弥は激昂した。全身の血が逆流して頭が熱くなる。
「……よくもやってくれたなァ!ふざけやがって!」
星見は、補佐が付いたとはいえ、事実上晶一人が引き受けている。すでに星見は鬼殺隊にとって不可欠な存在になっているのに、奪われましたでは済まされない。
だいたい風屋敷預かりなのは、こういう事態を防ぐためだ。それにも関わらず、まんまと鼻先から掠め取られた。真っ向から喧嘩を売られて実弥は怒り狂った。
そこへ自動車を追跡した豊島が駆け戻った。車が着いたのは、赤坂の屋敷街。立派な表札には南條とあった。
「男は、年の頃三十前後。短躯で赤い短髪。そして、顔になめした革の面をつけていました。口元にかすかに痘痕がありましたので、それを隠しているのではないかと思います。身なりが良く、周囲の者たちから『亢介さま』と呼ばれていました」
「あの、私が申し上げることではありませんが、風柱さまならあの亢介と呼ばれていた男にも負けないのではないでしょうか」
腫れ上がった頬を冷やしながら茂原が持ち掛ける。
「ホォ、押しかけて行って、力づくで取り返せってかァ」
実弥は顔を歪めた。
「それが一番早いのではないでしょうか」
「却下ァ」
実弥は言下に退けた。
「お前、組手じゃ甘露寺や時透とだってやれんだろうが。そのお前を簡単に叩きのめしたってんなら、並みの腕じゃアねえ」
実弥は、腕を組んだ。
「その相手に力尽くとなりゃァ、大きな闘いになる。相手は一応一般人だろォ。警察も黙っちゃいねえ。騒ぎがデカくなるだけだ」
政府非公認の組織で武力を用いる鬼殺隊と警察権力の関係は、微妙だ。
鬼という、非科学的な存在を相手にしている荒唐無稽さとお館さまの政治力によって、鬼殺隊は見て見ぬ振りあるいは公然と無視されている。
もっとも、それは鬼との関係においてであり、一般人との関係になれば、警察の管轄となる。隊律で一般人との揉め事を厳重に戒めているのは、警察との微妙な境界線を侵害しないためだ。だから、晶を力尽くで奪い返すのは、事実上取れない。
「あの、許婚というのは本当でしょうか」
豊島が心配そうに尋ねる。
「分からねえ。ハッタリだといいが、もし本当だとすると厄介だな」
仮に男が正式な許婚なら、むしろ実弥の方が不利だ。女を正当な根拠もなく自宅に監禁している不逞の輩ということになってしまう。この場合には、力を恃んで奪い返すのは最悪の手だ。警察との境界を踏み越えるだけでなく、相手にさらなる正当性を与えてしまいかねない。
「……かなり分が悪ィ。現場で取り返すんなら、なんとかなったんだろうが……」
実弥は、低く呻った。
「クソがァ!」
地団駄踏んでも空しさだけが募る。鬼をも恐れぬ実弥の武勇も、この事態では全く役に立たない。
「そ、それでは、忍び込んではいかがでしょうか」
「――上手くねえ、なァ。奪い返し合いの応酬になるかもしれねえ」
せっかく奪い返した晶を、今度は南條が許婚の名の下に、引渡を要求してくる危険がある。それでは意味がない。
実弥は天を仰いで目を瞑った。結局、打つ手が無い。今のところは晶の所在を確実に押さえておくことだ。
南條は、妙に丁寧に晶を車から降ろしたという。力づくで女を連れ去る暴力性があるくせに瑣末なところでの礼儀正しさに、かえって秘められた凶暴さを感じる。晶の小柄な姿が脳裏に浮かぶ。実弥は相手の男が晶に危害加えなければいいがと案じた。
「よし、豊島。お前は門倉と一緒に屋敷を見張れェ。動きがあればすぐに鴉を飛ばせ。迂闊に手ェ出すんじゃねえぞ。行けェ!」
豊島と門倉は、同時に飛び出した。門倉は豊島より階級が上だ。万一戦闘になったとき戦力になる。さらに実弥は鋭い口笛を吹いた。羽ばたきとともに大きな鴉が現れる。
「爽籟!お館さまに伝令だ!」