鬼後伝・風月玄TACK   作:十果 円遠

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第15話 お館さまの指示で

 爽籟はお館さまからの返信を携えて戻って来た。実弥は奪い取るように返信を開ける。

 

 そこには

 

 

『婚姻届を可及的速やかに提出せよ』

 

 

とあった。

 

(なるほど……!)

 

 一読して了解した実弥は、すぐに隠を呼んだ。

 

「婚姻届を出す。書類を揃えろ。今日中に提出すんぞ!」

 

「は!」

 

 屋敷付の隠は、膝をついたまま実弥を見上げた。

 

「あいつと法律上夫婦になる。そうすりゃ、許婚なんぞメじゃねえからな」

 

 相手は許婚だと主張して、晶を解放しようとしない。それなら、許婚より強い法的正当性を提示する以外にない。今回の場合、それは法的に承認された夫婦のみだ。

 

「届が処理されたら、証明書も取ってこいよォ。それを持って南條ンところへ乗り込む」

 

 お館さまは婚姻届を提出して実弥と晶を法律上の夫婦とし、夫たる資格で正面から晶を取り返しに行く腹づもりなのだ。

 

 当時は、夫婦の実質が先行し、妻が妊娠して初めて日付を遡って婚姻届を提出することがよくあった。また、親がいない者の結婚には、大家や奉公先の主人など年長の者が便宜的に後見人として形式を整えてやる。

 

 すなわち、お館さまか宇髄あたりが後見人となり、拉致以前の日付に遡って婚姻届を提出する。

 

 こうすれば、晶は正当な実弥の妻となり、南條の振る舞いをれっきとした違法行為に仕立てあげられる。

 

 むろん、このような当事者の預かり知らぬところで提出された届が本来有効なはずはない。

 

 しかし、無理矢理拉致された晶が形式上だけ実弥と夫婦になることに反対するわけがなく、むしろ賛同し追認するに違いない。しかも、離婚届が提出されない限り、ほぼ半永久的に晶を南條から守ってやれる。

 

「南條より先に届を出さなきゃ意味がねえぞ、急げ!」

 

 今は、このことに南條が気づくより早く、届を提出することが何よりも重要だ。万一南條が同じように婚姻届を提出し形式上晶を妻としてしまえば、これを覆すには長期戦となってしまう。

 

 事態は一刻を争った。実弥は、お館さまと連絡を取り合い、その日の受付時間ギリギリには届を役所に提出した。あとは、婚姻の記載がある証明書があれば、晶を取り戻しに行ける。

 

 実弥はじりじりしながら待った。

 

 証明書が手に入ったのは、さらに数日過ぎた後だった。

 

 

 

 実弥は、美しい鉄の門扉の前に一人で立った。

 

 門扉に続く塀の向こうには、瀟洒で大きな洋館が見える。だが、死角をなくすための巧妙な窓の配置と見張り穴がハイカラさに似つかわしくない物々しい雰囲気を醸し出している。二階には足がかりになる場所がなく、一階の窓には優美な唐草模様の鉄格子が嵌まっている。抜かりのない防備だ。

 

「茂原を簡単に叩きのめしたヤツだァ。油断はできねえ。だが、万一乱闘になったら、騒ぎに乗じて月宮を救い出せ。俺一人なら、なんとでもなる。いいなァ!」

 

「はっ!」

 

 そう打ち合わせて、屋敷の外には門倉と豊島に身を潜めさせている。

 

 前夜のうちに、雛鶴が屋敷に忍んで晶の無事を確認している。

 その折、実弥は七竈の白い花一輪を紙に小さく包んで雛鶴に言付けた。それを受け取った晶は、胸に抱いて泣き出し、雛鶴を慌てさせたという。晶を元気づけ、救出の意図を伝えようとしたのだが、どうやら予想以上に上手くいったらしい。

 

 晶は白い花を好む。それを知ってから、実弥は任務帰りにときたま白い花を持ち帰ってやった。だから、二人にとって、白い花は嬉しそうな笑顔であり温かい気遣いであり、穏やかで安全な日々の象徴なのだ。

 

「あれは七竈の花ですよね?なんの符牒ですか?」

 

「さあなァ。あいつが元気になったんなら、それでいいじゃあねぇですか」

 

 実弥は軽く受け流した。晶の笑顔の秘密など、教えてやる必要はない。分かるのは自分だけで十分だ。

 

 この数日のうちに実弥は、法律上晶の夫となったのだから、勝算は十分にある。もし仮に正面から晶を取り返せなくても、騒ぎを起こせば門倉たちが救い出してくれる。

 

 実弥は必ず晶を取り返すつもりで臨んでいた。

 

 実弥は、通された座敷を見回した。美しい布張りの椅子とどっしりしたテーブル。ステンドグラスの嵌った窓には唐草を模した鉄の格子。洋画のかかった壁の前に背の高いランプ。洒落ていて豪華な作りだ。

 

 少し考えて隊服ではなく、袴と品のよい羽織を選んだ。一応闘いに来たのではないことを服装で示そうと考えたからだ。

 

「お待たせした。私が南條だ」

 

 そう言って現れたのは、一度見たら忘れない風貌の男だった。

 

 燃えたつような赤毛に、意志の強そうな黒い瞳。実弥より遥かに小柄で、膂力では実弥が圧倒しているだろう。しかし、バネの効いた身体捌きが実弥の闘争本能を刺激する。

 

(なるほどなァ、こいつは結構な手練れだな)

 

 実弥は南條の隠しようもない圧を感じながら、密かに力量を推し量った。

 

 そして、何より男を特徴づけているのは、顔に残る痘痕だった。痘痕は顔の上半分を覆い、傷など見慣れている実弥でさえ言葉を失うほどの酷さだ。豊島はなめした革のピッタリした面を着けていたと言っていたが、これなら外出時に面を付けて痘痕を隠すのも理解できる。

 

「晶に何の用かな」

 

 穏やかな声だった。

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