千年竹林の竹がザワザワと風にそよぐ。
運動不足に付き合ってほしいと冨岡にせがまれ、水屋敷に出向いた。手合わせは、実力が伯仲していなければ面白くない。だから、柱の相手ができるのは柱だけだ。
だが、二人は少し手合わせをしてみて、自分たちのキレの悪さに苦笑した。鍛錬をせず実戦からも遠ざかれば、柱でさえこんなものなのだ。
「こんにちは」
竹林から大柄な身体が姿を現す。多旗だ。水屋敷にも頻繁に訪ねてくるらしい。
「徳一さんにこちらだと伺いまして」
多旗は、鬼殺隊の縫製係と付き合いのあった生地問屋に就職したという。片腕の多旗には、洋服の方が着替えやすいらしい。その簡便さからそのうちきっと和服を凌駕するようになるだろうと多旗は熱弁を振るった。
「……不死川さま、お尋ねしたいことがあります」
多旗は、雑談の後まっすぐ実弥を見て告げた。
「実はあの日、『かがみの』から鴉を飛ばしてこられた日です」
竹林に突風が吹いてザザザッと音を立てた。
「月宮さんに会いました」
実弥は、ギリッと目を吊り上げた。
「……おい、そりゃァどういうことだァ」
多旗は実弥の怒りを無視して静かに続けた。
「……月宮さんから事情を伺いました」
実弥は言葉を失った。羽織越しの唇の柔らかさを忘れた夜などない。
「……こうなった以上、もうここにはいられない。不死川さまが戻られる前に出て行かなくてはならないとおっしゃって……」
実弥は、パッと顔を背けた。想いを打ち明ける以上、晶は悪い結果も想像したはずだ。晶がどれほどの覚悟だったかが今さらながらに胸に堪えた。
「不死川さま」
多旗は続けた。
「月宮さんを妻になさるのではなかったのですか?月宮さんは、不死川さまの痣も鬼殺隊も、なにもかも承知している方です。その上で思い切って……」
「テメエに関係ねえだろ」
実弥は多旗を睨み付けた。多旗は不服そうに黙ったが、今度は冷たく言い放った。
「……それでは……行き先などお知らせする必要もないですね」
「あァ?テメエ、あいつの居場所まで知ってんのかァ」
「関係ないとたった今仰せでした」
多旗はぴしゃりと答えた。
「テメエ……」
煽られて実弥の額に青筋が立つ。
「妻にするという理由以外で、月宮さんを取り戻すことはできないのですから」
「チッ、妻、妻、妻、妻うるせエんだよォ、クソがァ!」
苛立った実弥は大喝した。
「俺はあと数年でくたばンだぞ!ケッ!何が妻だ、何が所帯だァ!ガキでもできてみろ、このご時世に女が一人で育てていかなきゃならねえんだぞ!」
大正の御世、女が稼ぐのは容易なことではない。まして子供がいるとなれば尚更だ。
「不死川さまも月宮さんも、血縁の方はもういらっしゃらない。血を繋ぐのも……」
多旗の言葉に実弥の顔色が怒色に染まった。
「血を繋ぐゥ?ヘッ、ごッ大層なお題目だぜェ!」
実弥は口を歪めて嘲笑った。
「抱くだけ抱いて、テメエはとっとと死んで!ちっとばかし金を残して、あとはよろしく頼むってかァ。女が苦界に堕ちて泥水を啜ろうが、ガキが親父ってもんを知らなかろうがお構いなしか!テメエの欲まみれのきったねえケツを女とガキに拭かせてるだけだろうが!もっともらしく屁理屈抜かしてんじゃねえよ、クソが!」
実弥は捲したてた。
大正の御世、社会福祉という考え方は浸透していない。百年後の世界にある生活保護などという制度は未だ存在しておらず、低所得者はただ極貧の生活に喘いで死ぬだけだ。そうした社会での男親の不在は、決定的な不幸を意味している。
「もっといいヤツと……そいつと長く添い遂げる方が、あいつにとって幸せだろうが」
晶の笑顔が浮かんだ。あの笑顔が他の男に向けられるのかと思うと、胸が締め上げられるように苦しい。思わず目を瞑った。
「慕ってくる者を遠ざけても、相手を幸せにはできるわけではありません」
「……うるせエ」
「玄弥は……星見の補佐になって、兄貴の傍にいられて幸せだと、兄貴を守るんだとよく話していました。あの目潰し事件の後でさえ」
「玄弥は関係ねェ!」
多旗は、たたみかけた。
「お子は、授かるかどうかは分かりません。それに、月宮さんはご自分で稼ぐことのできる……」
言い終わらないうちに、実弥が乱暴に多旗の胸ぐらを掴んだ。
「うるせえッツッてんだよ!殺すぞ!」
互いに実戦から遠ざかっているとはいえ、その期間は多旗の方がはるかに長い。しかも実弥は柱だ。勝負は始まる前からついている。
「……あいつは何処にいる」
ギリギリと締め上げながら、実弥は恫喝した。
「…………申し上げかねます」
多旗は、苦しげに顔を歪めながらも、胸ぐらの実弥の腕を掴んで睨み返した。多旗は温厚な性格だが、軟弱ではない。
「もういい、聞かねえよォ――身体に喋ってもらうぜ」
実弥は、酷薄な笑いを口元に浮かべて、木刀を握り直した。多旗なら多少痛めつけても死にはしない。
「不死川」
そのとき、今まで黙っていた冨岡が口を開いた。