「俺は詳しいことは分からない」
目の前の光景に眉一つ動かさず、凪いだ水面のように穏やかだ。
「だが、好いた女がいるなら、想いは告げた方がいい」
「……」
「相手が明日も生きているとは限らないぞ」
自分に明日など来なくてもいいと常日頃覚悟してきたが、好いた相手には幸せで平和な明日を迎えてほしかった。血戦後、皆の墓参りをした折、とある墓の前で揺蕩う線香の煙を長々と見ていたのを思い出す。
「……ケッ!」
実弥は乱暴に多旗から手を離した。
「俺たちも……」
冨岡は独り言のように言った。ようやく手に入れたそんな明日も痣者たちにとっては、そう長く続くわけではない。
「だからこそ、相手も時間も……貴重なのだと思う」
実弥は何も答えなかった。
数年――その数年は実弥の人生全てだ。その数年が過ぎたとき、妻に残るのは悲しみだけではないのか。死んでいく自分を看取るだけの数年、子ができれば更なる苦難が待ち受ける数年後だ。そんな苦労を押し付けるだけの結婚が果たして幸せだと言えるのか。
「……不死川、判断が遅いぞ」
実弥が黙っていると、冨岡が穏やかに嗾けた。
「会いたいなら、会いに行け。明日では――……」
多旗も実弥を見つめた。
「遅いかもしれないんだから」
「チッ、クソがァ!」
実弥は乱暴に木刀を投げ捨て、水屋敷の庭を後にした。
「……まァた派手に煽ったもんだな」
実弥の足音が聞こえなくなった直後、屋根裏から美しい隻眼が覗く。宇随は大きな身体をヒラリと翻して音もなく畳の上に降り立った。
「宇髄さま……」
「冨岡の様子を見にきたら、なんだか派手に面白そうなことになってたからよ」
宇随は多旗を一瞥した。
「で――お前、本当に知ってんのか?」
冨岡も多旗に顔を向ける。
「会ったのは本当です。入れ違ってしまいました。風屋敷にお二人のお顔を見に伺って、月宮さんに会って別れた後に爽籟から指示を受けたんです」
多旗は口惜しそうに唇を噛んだ。
「月宮さんと別れる時に……不死川さま宛に、それが嫌なら誰宛でもいいから手紙を書いてくださるようお願いしたのですが……」
「ふむ。で?」
「そのあと金屋さんが月宮さんを見かけ、鴉に追わせています。いまだに一度も帰ってこないので、発見したのだと思います」
「何時の話だ?」
「四月の上旬です。おそらく風屋敷を出た直後ごろかと思われます」
「……それ以降、ナシの礫か」
「は……」
「それは待つしかねえな……」
宇随は顎に手を当てて溜息をついた。南條がまだ晶の居場所を特定していないとしても油断はできない。
「それにしても不死川のヤツ、派手に初心を拗らせている上に真面目で重てえや。一周遅れどころかニ周回っちまって、馬鹿か腰抜けに見えるぜ」
「……辛辣だな、宇髄」
冨岡が少し意外そうな顔をする。
「地味すぎんだよ、ったく。好きあってるくせによ。月宮がもし本当に南條に捕まったらどうすんだ。派手にめんどくせぇだろ」
それを聞いて多旗は微笑んだ。
「宇髄さま、ご心配には及びません。あの方は我ら風一門の頂点、鬼の始祖を滅して指二本しか失わなかった方です。馬鹿でも腰抜けでもありません」
「……フ、違えねえ」
大きな隻眼に揺らめいていた苛立ちがフッと和らぐ。
「今の混乱が収まれば、ご自身の命と人生のために月宮さんがどれほど大切な方なのかは自ずと分かるはず。いずれ仲のいいご夫婦におなりでしょう」
そう言って多旗はにっこり笑った。
「へっ、まったく弟弟子に恵まれたヤツだぜ」
「宇随は不死川が……心配なんだな」
口元に柔らかな笑みを湛えた冨岡は、少し羨ましそうな顔をした。
「あいつ、妙に子供っぽいとこがあンだろ。しかも色恋には派手に疎いときてやがる。余計なお世話っちゃあその通りだが、こういう時は兄貴の出番だろ」
「たしかに俺と不死川には時間がない」
冨岡の顔がかすかに動いた。判りにくいが心配している表情らしい。
「……時間に解決できないものは誰にも解決できません。ここは信じるしかないのではないかと思います」
「……おう、派手に達観してんな、お前」
「星見に関わったからか、気長になりました。これも月宮さんのおかげです」
三人は顔を見合わせて微笑んだ。