実弥は晶の部屋の障子を開けてみた。
シンとした部屋に春の長閑な光が隅々まで届く。部屋は綺麗に片付けられ、たくさんあった天体や占術の書籍も、星見の資料や書き散らした紙も、小さな箪笥の上に飾られていた写真も、全く無い。
無惨戦後、晶は鬼殺隊で積み重ねた星見の知見を整理して記述し始めた。
「長い年月の間に再び鬼が誕生しないとも限りません。私がやってきたものが何かの役に立つこともあるのではないかと思うのです」
各呼吸を奉納舞として伝え残すように、星見の知見も書籍と一緒に産屋敷家に保存してもらうことにしたのだ。
「不死川さま」
弾むような明るい声がした気がして、ハッとして振り返る。奥の部屋を覗いたが、誰もいない。聴き慣れた晶の声が耳の中で鮮やかに蘇る。
(いるわけねぇ。出て行ったのに……)
実弥は沈痛な思いで障子を閉めた。居ないと分かってるのに、日に一度は晶の部屋を確認してしまう。
晶は、当世風の柳腰のたおやかな美女ではなかった。小柄な身体は好奇心ではちきれんばかりで、興味を惹かれるものにはすぐに近寄っていく。新しいものに恐怖心がなく、世界の宝かのように楽しむ。大きな目がキラキラして新しい宝を見つめ、コロコロ笑って面白がる。
晶に懐いていた猫のオハギも、いつのまにかいなくなった。あるいは晶が連れて行ったのかもしれない。
「なんだか、離れないんです。あの、猫はお嫌いでしょうか?」
どこからともなくついて来た黒猫は、晶に纏わりついた。
「嫌いじゃねえよォ」
実弥は須く動物が好きなタチだ。無邪気で愛らしい仕草を見ていると自然に笑顔になってしまう。
「……それなら、ここで飼ってもよいでしょうか?」
「いいんじゃねえの。猫一匹くらい」
ところが、名前を付ける段になって少し揉めた。
「クロチビにしようぜェ」
実弥が提案すると、晶は露骨に眉を顰めた。
「……カブトムシみたいでヘンです。オハギにしましょう。このお屋敷の猫にピッタリです」
実弥は笑った。
「ハッ、その方が変だろォ。食いもんの名前なんてよオ」
結局、ジャンケンで実弥が負けてオハギに決まった。顎と腹の一部が白いだけのメスの黒猫は、晶の部屋の広縁が定位置で、よく丸くなっていた。それも今となっては幻だ。
実弥は無意識に胸を押さえた。どこかに穴が空いているような空しさを感じる。
晶の行方は知れなかった。
(アイツじゃあ……簡単には探せねえ)
小鳥のような素早さと気軽さのあった晶が好奇心の赴くままに動いたら、どんな場所に行くのか見当もつかない。鬼殺隊関係者の目の届かないところにいるのだろう。こうなってみると、鬼殺隊が社会の中でどれほど小さな組織なのか痛感させられる。雑多な人波の中に紛れてしまえば、人一人の行方など簡単に眩ませる。
あの日、晶との別れはいつもとあまりにも違っていた。そのまま別れてしまいたくはなかったが、当日の予定をどうしても急には変更できず、後ろ髪を引かれる思いでそのまま出かけた。
だが、遠方の藤の家紋の家『かがみの』に報告を済ませ、悲願成就の宴席が始まる頃には不安で落ち着かなくなってきた。そこで、実弥は爽籟を飛ばして隻腕の元隊士の多旗に指示を出した。
『風屋敷に急行せよ。月宮を見つけたら、自分が戻るまで屋敷に留めおけ』
多旗は俊足だ。しかも、晶の下で星見に従事していて、晶からの信頼も篤い。実弥は期待を込めて指示を出したのだ。
だが、運が無かった。
実弥は『かがみの』を早々に辞して、次の目的地悲鳴嶼邸へ急いだ。そこで遺品処理を進めていたところに、爽籟が多旗からの返事を携えて戻って来た。手紙には、行き違ってしまった旨と実弥宛の晶の置き手紙が同封されていた。