春は終わりに近づいている。晶の部屋の前に並べられた鉢は、主がいないのにきれいに整えられていた。徳一が手入れしているらしい。
宇随が帰った後、実弥はじっと考えた。
「行き先っつっても、あいつは家族がいねえんだろ。それほどアテはねえはずだがな」
鬼殺隊には天涯孤独の者も多く、晶にも家族はいない。母親はとうの昔に亡く、南條に嫁いだ姉も生まれた子もすでに死んだという。父親を流行病で亡くした後、弟は火事に巻き込まれて死んだと聞いたことがある。
「『すばる』は兎も角……もう藤の家紋の家自体が無えんだ。おまけにあいつは隊士じゃねえ。藤の家紋の家のどっかに地味に潜んでるってことは考えにくいな」
隊士でもなかった晶が藤の家紋の家を使う時には、実弥が口添えしてやっていたくらいだ。鬼殺隊が解散した今、相応の金を支払わなくては使えまい。
「それ以外だと……鬼の話を聞くためによく手紙をやりとりしてた先があるけどなァ」
鬼殺隊の戦いの歴史を知るために元柱たちとよく文通していた。鱗滝や桑島、煉獄の弟の千寿郎、そして悲鳴嶼。しかし、桑島と悲鳴嶼は既に亡く、煉獄は宇髄と共に輝利哉の相談役になっている。鱗滝のところには冨岡がいる。
「ま、一応当たってみるべきだろうが……そんなとこにはいねえよ。多分な」
宇随は晶の部屋の前の鉢を一瞥した。梔子の蕾は未だ堅い。
「お前だけには分かる、そんな場所だ。なんか思い出せよ」
宇随は、そう言って煉獄と鱗滝を調べてやると請け合って去った。
――お前だけには分かる、そんな場所
他の誰にも想像さえできないのに、実弥にだけは自明の場所。見当もつかない。
実弥は溜息をついて、部屋にしつらえた仏壇に目をやった。
仏壇に飾った写真と目が合う。仏壇には、位牌と一枚の写真だけ。墓も作ったが、入っているものは何も無い。実弥の腕の中で崩れてしまった弟は、骨どころか髪の毛一筋たりとも残してくれなかった。ただ一枚のこの写真以外には。
その写真に写っているのは、二人の男――南蛮銃を持つ玄弥と日輪刀を持って玄弥をみつめる実弥。唯一無二の玄弥の遺品。この世に一枚しかない写真。
それは悲鳴嶼の庵から持ち出したものだ。
悲鳴嶼の戦死に伴って、屋敷と庵を閉じ、遺品を整理する。その役目は実弥が買って出た。悲鳴嶼は玄弥を大切にしてくれた恩人で、尊敬すべき先輩だった。それにもうひとつ目的があった。
(玄弥のものが何か少しでもあれは……)
玄弥の遺品は何一つ持っていなかったから、弟を偲ぶ品物が欲しかった。
悲鳴嶼邸は、町からかなり離れた山里にあり、修行していた庵は更に山奥だ。修行には便利だろうが、一般人が簡単に近づけるような場所ではない。
「少し整理しておきました」
隠はそう言いながら、庵の戸を開けた。小さな囲炉裏の奥の部屋には、ここに人が住んでいたのかと思うほど何も無い。数冊の経典と手紙の束、そして数枚の衣類がキチンと整えられていた。
「ご入り用のもの以外は処分いたします。ただ、あの」
隠は、おずおずと包みを差し出した。
「こちらはとても大切な品だろうと思いましたので、取り分けておきました」
平たい箱が入っていそうな包み。ガサガサと開ける。
「な……!」
実弥は目を疑った。それがこの写真――実弥と玄弥の写ったものだった。
実弥は、写真が嫌いだ。鬼殺隊の解散時に皆で写真を撮ることになった時も、宇髄に散々せっつかれて渋々加わったくらいだ。玄弥と二人で写真を撮ったことなどない。はずだった。
が、その時、もう一枚だけ写真を撮ったことを思い出した。
晶にせがまれて、一緒に写真を撮った。穏やかな晴れの日だった。日差しが障子越しでも室内を明るくする。実弥は小さな椅子に座り、晶はその右手側に立った。
「あのぅ、カメラの方へ視線を……」
写真屋がおずおずと注文をつけたが、実弥は無視して横を向いていた。その写真は、後日晶の部屋に飾られていた。そこで実弥の記憶は終わっている。
「これは合成したもののようです。ここに少しだけ切り貼りした痕が残っています」
元隠が指で示したところに目を凝らす。
たしかに背景の中にうっすらと色味の境目がある。言われなければ気づかない程度だ。つまり、この写真は、二枚の写真を切り貼りし、さらに撮り直した写真なのだ。同じ構図のもう一枚には、この写真の玄弥のいる場所に晶が写っているはずだ。
おそらく晶は、実弥と写真を撮った後、玄弥を呼んで、同じ部屋同じ構図でこっそり写真を撮ったのだ。その頃、すでに玄弥は悲鳴嶼の下を離れ風屋敷の近くに間借りした家に住んでいたから、写真一枚くらい容易く撮れただろう。
「……その、とてもよく撮れていますね」
隠は、控えめに微笑んだ。ガラス乾板から現像された写真は、光が柔らかい。
「……」
実弥は、声もなく写真に見入った。
体格も良く堂々としていて、一人前の男の顔をした玄弥。椅子の背に軽く手を添え、他方の手に南蛮銃を持ち、前をまっすぐ見詰めている。その表情は引き締まり、兄への敬愛に満ちている。
そして、実弥はこちらに横顔を向け、日輪刀を手に穏やかに落ち着いた様子で、立派な弟を見つめている。よく似た眼差し、微笑み。互いをよく理解し合い、二人でいれば無敵であるかのような、信頼と幸せに満ちていた。
(月宮のヤツ、これを作るつもりで写真をねだったのか)
消えない悲しみと懐かしさ、そして晶の想いが一気に心になだれ込んできた。
「……玄弥」
実弥の喉から小さな嗚咽が漏れ、隠がそっと傍を離れる。
晶とは、一度だけ激しく言い争ったことがあった。原因は玄弥だった。