「失礼致します」
翌日、実弥が食事をしていると、晶はいつものように食堂に入ってきた。一瞬で空気が緊張する。
食事は料理担当の隠たちの負担を減らすため、決まった時間に部屋ではなく食堂でとる。合理的でシンプルな取極は、実弥が屋敷の主人になった時からの習慣だ。だが、この時ばかりはその習慣が隠たちを怯えさせた。
張りつめて冷え切った雰囲気の中、晶は膳の前に静かに座った。昨日の出来事について何の謝罪も弁解もない。
「出て行く準備はできてんのか」
実弥は冷たく睨みつける。晶は一瞬動きを止めたが、黙って手をついて頭を下げた。こういう時は晶を諭す役と実弥を宥める役が現れ、丸くコトを収める。その辺りは暗黙の呼吸なのだが、今回はあまりの激しさに周囲が怯んでいるのだろう。
「詫びはどうした?アン?」
立ち上がりかけた晶をジロリと睨んだ。傍に控える隠がハラハラした様子で見守っている。晶はいつものように穏やかに微笑んだ。
「ハッ、そんな気はねえってかァ」
晶は再び手をついた。
「でしゃばった振る舞いであったことは、心よりお詫びを申し上げます。ですが」
「おオ?」
さらに晶は、実弥を明るい目で見つめてキッパリ言った。
「申し上げた内容については、お詫びも撤回もいたしません」
実弥は、口を曲げて苦笑いした。
全く呆れるばかりの気の強さだ。鬼殺隊でも恐れられる自分に直言しただけでなく、脅されても引かない。晶は、話の分からない女ではない。本気で踏み込んできた結果があの言葉なのだろう。詫びも撤回もするはずがない。
「ハッ、なんなんだ。テメエ」
晶は、少し俯いて悲しそうに微笑んだ。
「…………私は弟のことを考えていたつもりで、自分の考えた幸せを押しつけていただけでした。でも、後悔しても……もう遅い」
晶の弟は火事に巻き込まれて死んだと聞いたことがある。
「私と弟の轍をお二人には踏んでほしくない。お二人で幸せになって欲しい。純粋な……でしゃばりです」
晶は、実弥を見上げた。穏やかで決然とした態度だった。
「不死川さま、お屋敷を辞するのは本当に残念です。ですが、叶うなら私の辞去と引き換えに玄弥くんと会ってやってくださいませ」
そう言って、晶は額をこすりつけて平伏した。
実弥はじっと聞いていた。玄弥は頑固で言い出したら聞かない。これほど繰り返し実弥が拒絶しているのに一向に諦めない。このままでは膠着状態だ。そして、そうこうしているうちに重大な事態になりかねない──。
やがて実弥は、ソッポを向いて独り言のように呟いた。
「──……会ってもいいぜエ」
パッと上げた晶の顔に驚きが広がっていく。
「ただし、条件がある。あいつが鬼殺隊を辞めることだ。お前が説得してみせろ。ダメならホントに叩き出すぞ」
晶の顔つきが変わった。
「鬼殺隊を辞めさせるのは、今のままではかなり難しいでしょう」
「フン、なんだ、口だけかァ」
「今のままでは、です。ひとつ考えがあります。お任せいただけないでしょうか」
晶が玄弥を説得に出かけてから一週間。
「こちらを。月宮さんからです」
帰任する途中の藤の家紋の家で、隠が実弥に一通の手紙を差し出す。待ちかねていた知らせだ。引ったくるようにして手紙を受け取り、食い入るように読む。
「うォッ……!」
驚愕の知らせだった。曰く
『不死川玄弥を星見の補佐とする。多旗と共に風屋敷近くに住まわせる。隊士の身分のままとし、星見の補佐の業務がない時には、これまで通りとする』
という内容だった。すでに悲鳴嶼の承認は得ているとある。
出発する前、晶から玄弥を説得する作戦を聞かされていた。
「まずは、戦闘から遠ざけることです」
晶は渋る実弥に強く譲歩を求めた。
確かに退隊か共闘かでは、結論が極端すぎてお互い譲れない。
「最も大切なのは、玄弥くんが傷つかないことです。退隊は手段に過ぎません」
そして、玄弥にとっては実弥の傍にいることだ。だから、いきなりに退隊を承諾させるのではなく、隊士の身分のまままずは前線から遠ざける。そのための方便として星見の補佐を使う。
つまり、名より実を取る作戦だ。
この頃すでに星見の有用性は鬼殺隊で広く知られるようになっていた。しかし、その全ては晶一人が負っていて、研究はなかなか進まない。手が足りないのだ。もう少し人員を割くべきだという話は柱の間でも出ている。もしそうなれば人選は晶に任される。そこで、この補佐に玄弥を起用しようというのだ。
手紙には
『お兄さまの前に出てお兄さまを守る仕事だ』
と言って勧誘したのだとある。実弥は思わずニヤッと笑った。
鬼殺の技能で実弥に遠く及ばず、そのくせ実弥と共にいたがる玄弥にとって、これは殺し文句だ。事実、あの頑固で一途な玄弥の心が動いたのだ。
しかも、玄弥がこれまで通り任務に出るのは、星見の補佐業務がない時に限られる。つまり、晶が補佐業務を与え続ける限り、任務には出られない。晶の裁量次第で玄弥を半永久的に任務から遠ざけることも可能だ。
「……よしっ!」
実弥は思わず笑顔になり、手紙を前に快哉を叫ぷ。風屋敷の近くに住むことや現実の補佐業務の内容など、細かいところはどうでもいい。玄弥が恐ろしい前線から下がることが重要だ。
解けていくような安堵と晴れやかな喜びが胸いっぱいに広がる。心の底から嬉しい。
「おい」
「はっ」
実弥は、控えていた隠に弾んだ声で話しかけた。
「今日は酒をつけてくれェ。特別良いことがあったからなァ」