鬼後伝・風月玄TACK   作:十果 円遠

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第24話 幸せの一部を

 風屋敷の近くの小さな家を間借りして星見専用の館とし、星見を補佐する玄弥と多旗がそこに居住する。仕事場で寝起きする二人は星見の勉強と仕事漬けになる。

 

 実際、星見の補佐はかなり大変な業務だった。難解な文字や記号を覚え、星の運行を読み、予測理論を理解しなければならない。その上、毎月お館さまへ上奏する期限がある。その星見を下にお館さまや柱たちによって人員繰りや作戦が練られるのだから、責任は重大だ。

 

 その重責を一身に背負う晶は、貴重な人員から割かれた二人を形式的な補佐で終わらせるつもりなどなかったらしい。晶は、二人に仕事を教え、容赦なく鍛えた。その厳しさに粘り強く努力家の多旗でさえ、

 

「鍛錬とはまた別の大変さです……昨夜は矩と衝を間違える夢を見て魘されました」

 と零していたらしい。

 

 実弥と同じく初等教育さえまともに受けていない玄弥だったが、悲鳴嶼邸で文字の読み書きと四則演算を叩き込まれていた。晶と文通していたくらいなのだから、むしろ実弥より学習が進んでいたといえる。

 

 それでも、星見の業務を遂行するには日夜精進しなくてはならない。お陰で玄弥の任務は大幅に減り、晶と一緒にいることが多くなった。

 

 晶は、日中間借りされている家に出勤し、夜はこれまで通り風屋敷で過ごす。外出するときには玄弥を護衛として連れて行くこともあった。身体が大きく顔に傷のある玄弥は、用心棒として打ってつけだ。

 

「玄弥くんと本屋に行ってきます。帰りにはカフェーにも寄ってきます」

 

「カフェー?ハイカラじゃねえか」

 

 実弥は目を細めた。弟が美味しい洋食を食べて仲間と笑う姿を想像するだけで、堪らなく幸せな気持ちになる。

 

 実弥は晶に耳打ちして、軍資金と称して財布を晶に預け、腹一杯食べさせられるように便宜を図った。表立って贔屓するわけにはいかないから、あくまで内密の取り計らいだ。

 

「ふふ。玄弥くん、可愛いんです」

 

 晶は嬉しそうに笑った。

 

「玄弥くんにとって私はお姉さんのようなものなのでしょう」

 

 実際、晶の小柄な背格好は実弥たちの母親を思い起こさせる。しかも、晶は実弥より二つ年上だったから、女を苦手としていた玄弥も晶には心を許していたのかもしれない。

 

 二人の仲の良さは、激しい戦闘に明け暮れる実弥にとって大切な癒しだった。仲の良さそうな二人の様子を遠くから見るたびに、実弥の世界は彩りを増した。

 

 木々の緑の変化に気付くようになり、花々の香りを吸い込んだ。食事の味わいが増し、知らないものへの興味が出てきた。伊黒に面白い小説はないかと尋ねて、驚かれたこともあった。

 

 鬼になった母親を殺して以来、色褪せ擦り切れていた実弥の世界は、ようやく息を吹き返したのだ。

 

「良かったです」

 

 晶は和やかに微笑んだ。

 

「まあ………………その………………悪くはねえ」

 

 感謝が大きすぎて、上手く言葉にできなかった。

 

「お前、なにか欲しいモンとか…………礼に…………なんでもいいぜェ」

 

 実弥が照れくさそうにそう言うと、晶は目を丸くしてイタズラっぽい顔をした。

 

「本当ですか?それなら……」

 

 写真はこのときねだられたものだ。

 

 

 もっとも、このころ気づくべきだった。

 

 何故悲鳴嶼はわざわざ風屋敷の近くに間借りさせたのか。玄弥と接触しないよう強く警告したのか。鬼喰いをする玄弥が実弥の稀血に影響されないようにとの配慮だったと今なら分かる。

 

 もし気がついていたら、人外の存在に自ら堕ちていく弟を止められたのかも知れない。その絶好の最後の機会を見過ごしてしまったのだ。

 

 そして、不思議な運命の糸が再び玄弥を闘いの現場へと手繰り寄せた。

 

 補佐の仕事の合間に出かけた任務で、玄弥は負傷した。心配した実弥は任務地から直接玄弥を刀鍛治の里へ湯治に行かせるよう裏から手を回した。ところが、あろうことかそこで上弦に遭遇した。

 

「刀鍛冶の里で!上弦と交戦しただとォ⁈」

 

 自分さえ当たったことのない上弦の鬼、過去百年間柱でさえ一度も勝ったことがない。弟を失うかもしれない恐怖に臓腑が縮み上がった。

 

 しかも、とんでもなく間が悪かった。

 

「チッ、月宮がいねえ……!」

 

 この少し前、晶が南條に拉致され、奪還されるまでの間星見は完全に停止した。当然星見表も作成されず、鬼殺隊はかつてと同じ後手に回った闘いとなり、柱は目の回る忙しさとなった。

 

「申し訳ありません。俺ではまだとてもお役に立てず……」

 

 星見の補佐をしていた多旗は、唇を噛んで実弥の前に悄然と頭を垂れる。

 

「……刀鍛治の里は予見できたのかァ?」

 

「はい、月宮さんの草稿を拝見しましたが、製鉄所・火山・温泉場とあります」

 

 晶はいつも緑色の表紙の帳面を持ち歩き、聞き取った実際の戦闘を記録し、草稿を書き留めていた。すでに晶が手を付け始めていたその月の分には、刀鍛治の里を暗示する言葉があったのだ。

 

「クソが!起点地をあいつに教えてりゃァ、こんなことにならなかったってのかよ」

 

 場所を正確に予測するには、起点地となる産屋敷邸の位置情報が必要だ。それさえ晶が知っていれば、刀鍛冶の里への襲撃を防ぎ、柱数人で迎撃できたかもしれなかった。

 

 だから、柱たちの衝撃と落胆は大きかった。幸いにも、時透も甘露寺も無事だったが、刀鍛治の里が探知されたことも里人に大きな被害が出たことも、到底容認できるものではない。

 

 事ここに至って、ついに晶に産屋敷邸の場所の開示が決まった。緊急柱合会議でのことだった。

 

 実弥は蝶屋敷で絶対安静となった玄弥をこっそり見舞い、寝ている玄弥の髪をそっと撫でながら、誓った。

 

(守る。お前だけは必ず!)

 

 しかし、怪我から回復した玄弥は、晶と実弥を更に驚愕させた。

 

「柱稽古に参加します」

 

「どうしてなの、玄弥くん。決戦が間近いのよ。星見を手伝って欲しいの。あなたに抜けられるのは辛いわ」

 

 晶は必死に引き留めた。晶はお館さまの屋敷に頻繁に召し出されていて、鬼殺隊の乾坤一擲が計画されている。星見の人数を減らしたくはない。

 

「――月宮さん、今までありがとうございました。でも、ごめんなさい……俺はやっぱり行きます」

 

 隊士の身分を維持している以上阻止はできない。晶は嘆き、実弥は焦った。なんとかして玄弥を前線から引き離したい。しかし、結局目潰しも未遂に終わった。

 

 玄弥は見えない手によって、あの闘いの場へと引き戻されたのだ。実弥が最後に玄弥を見たのは、胴体を両断されてなお絶命できずに苦しむ姿だった。

 

(テメエは家族増やしてジジイになるまで生きて、幸せでいてくれたらよかったのによ……)

 

 闘いの最中にそう言ってやれたのは、晶の言葉が頭をよぎったからだ。あの言葉を聞いて玄弥は、少しは喜んでくれただろうか。

 

 再び涙が込み上げる。写真の中の玄弥は、男らしい面構えで実弥をまっすぐ見つめ返してくる。

 

(玄弥、俺たち、月宮には世話になっちまったんだな……)

 

――月宮さん、出来ました!

 

――俺には!星見なんて!難しすぎるんですよ!もう嫌だあぁっ!

 

――月宮さんは小さいですね。へへっ、お袋も小さい人だったんです

 

 時折聞こえた玄弥の声。手を取り合わなくても言葉を交わさなくても、元気な姿を眺められるだけで暖かさに胸が満ち足りた。短い間だったとしても、玄弥も実弥も望む幸せの一部を手に入れたのだ。

 

 実弥は、仏壇の写真を優しく撫でる。この合成写真の元になったもう一枚の写真。実弥と晶の写真。

 

(どこに……)

 

 実弥は胸が苦しくなって、目を閉じた。

 

(玄弥、月宮がどこにいるか分かるか?)

 

 写真の玄弥は答えない。ただ、真っ直ぐに自明の場所を見ている気がした。

 

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