好機は思わぬところで訪れた。
「星見に必要なものがあれば言えよォ。揃えるぞ」
実弥は常日頃からそう伝えていたが、晶はほとんど申し出てこない。
「はい、ありがとうございます。それほど高価なものもありませんし……」
ところが、この時の晶は何かを思いついたらしい。
「あ」
と言った。が、瞬時にしまったという顔をして口を噤んだ。
「おう、なんだ」
言い出し難いということは、高価なのだろうと想像した。先の礼にはちょうどいい。
「いえ、あの」
晶は実弥から目を逸らし、口を押さえている。
「言え」
「あ、あの、その、買えるようなものではありません。む、無理です……から」
実弥はムッとした。驚くほど高額な給金のほとんどは使わずに貯めてある。だから、よほど馬鹿げたモノでない限り、まず買えないものはない。それなのに、その必要なものは自分の財力では無理だと言われたのだ。見くびられた気がした。
「無理ィ?へえ、どんなモンなんだ、そりゃア。言ってみろ」
やや挑むように問い詰めた。晶は痛恨の極みと言わんばかりに唇を噛む。
「……あの、私が、し、叱られてしまいますから」
「叱られるようなモンが欲しいのかよ」
「あの……その、お忘れくださいませ」
「チッ、面倒くせえ。さっさと言えェ」
眉間に皺が寄る。苛立ってきた実弥に睨まれて、晶は不承不承口を開いた。
「は……あ、あの、物ではないのです。鬼殺の……現場を見てみたいと思いました」
実弥は思わず目を大きく見開いた。
「……何だと?」
「私は鬼も見たことがありませんし、実際の現場も知りません……その、火を見たことのない者に火事は予見し難いものです。だから、そのことが星見に悪い影響を与えてしまっているのではないかと思っていました」
確かに火を見たこともないのに、火事を想像するのは難しいだろう。同じように、鬼の醜悪さや戦闘の悲惨さを知らなければ、読み違えることもあるかも知れない。
「それで、その、不死川さまは…………大変お強い方ですから……その、ひょっとして不死川さまとご一緒なら……か、可能かと……思いました……」
晶の声はだんだん小さくなった。
「……フン」
誰かを守りながら闘うのは、数倍の技術と実力が必要だ。晶のように全く武術の心得のない娘なら、なおさらだ。それを自分になら出来るかもしれないと言われて自尊心をくすぐられた。
「あの、申し訳ありませんでした。現場の危険を知りもしないで、失礼なことを申し上げました」
晶は手をついて平伏し、鬼殺見学を撤回した。しかし、実弥はそれには答えず、壁に掛かった暦をチラリと見た。
「直近なら四日後の夜だな。翌日の午前中も空けておけよォ」
「…………えっ、ええっ」
晶は大きな目をさらに大きく丸くした。
「お連れいただけるのですか?お邪魔なのではありませんか?」
「……返事ィ」
実弥は、ぶっきらぼうに促した。これであの時の礼ができる。
「は、はい……ありがとうございます」
晶は頬を紅潮させて、頭を下げた。
そこで、実弥は晶を藤襲山に連れて来たのだ。
もちろんお館さまには承認を得ている。実弥は万一を考えて念を入れた。ここなら実際の戦闘とは異なり、一般人はいない。鬼の強さも、正直なところタカが知れている。鬼と現場の戦闘を見せに晶を連れてくるなら、予想外の展開が起きないようにしておきたかった。
そして、実弥は、赤子を背負うように晶を紐で背中に括り付け、藤襲山に入った。
出てきたのは、長い三叉の舌から涎を滴らせた鬼だった。三本の鋭い爪が黒く光る。背中で晶が一気に身体を硬くし、実弥の肩をギュッと掴んだ。
「し、不死川さま……」
「しゃべるんじゃねえ。舌ァ噛むぞ」
実弥は小声で警告した。
「キキキキッ、美味そうな弁当背負ってやがるなあ。ケキキキ。そいつを寄越せ」
藤襲山の鬼たちは、餌である人がいないため始終飢餓状態にある。鼻を麻痺させるような臭い息が醜さを倍増させていた。
「ヘッ、そういうわけにゃ行かねえなァ」
実弥は、素早く地面を蹴って一気に間合いを詰めた。正面から一太刀浴びせて、右手の大木に避ける。すぐさま幹を蹴って反転し、動きの鈍い鬼の背後から頸を狙う。
ザシュッ!
「死ねェ」
手応えを感じつつ、鬼の背を蹴ってその場を飛び退く。
「遅えんだよ、雑魚がァ」
実弥が日輪刀を振って血糊を払うのと同時に、ゆっくり鬼の頸が落ちる。背中越しに晶がホッと息を吐く。鬼の身体が月に照らされながら崩れるのを見届けた。
「驚きました……百聞は一見に如かずとは……このことです…………」
『松野』に引き上げた晶は、興奮冷めやらぬ体だった。大きな目が行灯に赤く光る。
「ここは鬼殺隊の最終選別に使われてンだ。ここで七日間生き延びられれば、合格だ」
実弥が言うと、晶は心底感心した風で大きな目をさらに丸くした。
「不死川さまも鬼殺隊の皆様も……毎夜あんな人外の生き物と闘っているのですね…………」
そう言って、実弥の日輪刀をまじまじと見つめていた。
未知のものに恐怖心のない女。実弥の知らない星の言葉を聞き、率直で、大きな目で、年上とは思えない笑顔で笑う。
「この前にお見えになった時には、隊士でないご婦人とご一緒でしたが、お元気ですか」
初老の主人は、茶を勧めながら訊く。実弥は咄嗟に答えられなかった。あの時背負った晶の、羽のような軽さ。
「鬼もいなくなりました、次には是非盛りの花を観においでくださいませ」
主人は愛想良くそう言って、部屋を辞した。
いつだったか白い藤の花を持って帰ってやった。晶は喜んで部屋に飾り、その一部を押し花にしていた。しかし、もう晶と藤の花を眺める夜は来ないだろう。実弥は、ため息と共に藤襲山の端に昇る月を見遣った。