イメージはあるのですが完全に沿えているわけでもないので、一応オリトレということで。
喫茶店「華憐」。路地を少し入った所にある年季の入ったこの喫茶店は、立地の悪さからあまり知る人もいない店である。
店自体もさして広くなく、僅かばかりのカウンター席と一つだけあるテーブル席を、年配のマスターが一人で差配している。もっとも知る人ぞ知るといった感じの、常連客ばかりの店だ。老いらくの道楽にはこのぐらいがちょうどいい塩梅とマスターは思っていた。
その日もいつものようにコーヒー豆を挽いていたマスターは、ドアベルの音に顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
「邪魔するよ、マスター」
入ってきたのはいつからか常連となった中年の男だ。あごひげのせいでやや年を取って見えるが、実際のところは20代後半から30代ぐらいか。男としては一番魅力的な年齢かも知れない。中折れ帽にトレンチコートとダンディズムを体現したような様相だが、そんな粋な格好をしだしたのはここ1,2年だということをマスターは知っている。
「ご注文は?」
「ブレンドで」
「かしこまりました」
男は定位置になっているカウンターの奥まった席に座ると新聞を広げて読み始める。そんな様子を横目で見ながら、丁寧にハンドドリップでコーヒーを淹れる。香り立つコーヒーの出来にマスターは満足げに笑みを浮かべると男の前に出した。男は軽く会釈をしてカップに手を伸ばすと一口飲んでほうっと息をつく。
「美味いなぁ……。やっぱりこの店のコーヒーが一番落ち着くね」
「ありがとうございます」
マスターとしても自分の腕が認められたようで悪い気はしない。
「ところで……見ましたよ、昨日のレース」
この店であまり男が読まない新聞を広げている様子から、恐らく昨日のレース結果が書かれたスポーツ新聞を見ているのだろう、と推察してマスターは声をかけた。すると男は苦笑を浮かべる。
「なんだ、マスターも見てくれたのか」
「ええ。もっともテレビで、ですが。中々大変なレースだったようで」
「ああ……でも、あいつは頑張ったよ」
そう言って笑う男の表情はどこか誇らしげでもあった。その表情を見ながら、マスターも昨日の中継の様子を思い出す。雨中のレース。泥濘と化したグラウンド。雨と泥にまみれながら駆け抜ける18人のウマ娘たち。誰もが勝利の栄冠を求めながら、それを最後に掴んだのはラスト1ハロンを閃光のごとき差し足で駆け抜けた「王」。ウィナーズサークルに立つその姿は、泥に覆われてもなお隠せぬ輝きを放っていた。
「親からのプレッシャー。実績を既に残した同世代のライバル。そんな重圧を全て自分の糧に変えて、さらに先に進もうとしてる。『一流』であることを証明するために。だからこそ、あの場であいつは誰よりも輝いていた」
男はそんなに口数が多い方ではない。だが、ここ1,2年においてその数少ない語られる内容は、決まって「キングヘイロー」のことだった。
「こんなところで年寄り相手に言うより、本人に向かって言ってあげた方がよろしいのでは? きっと彼女も喜ぶでしょう」
「いやあ……あいつは意地っ張りだからなあ……」
どうだろう、と苦笑いしながら男はコーヒーを流し込む。それ以上はマスターも何も言わなかった。当の本人に面と向かっては言いづらいことを零す。喫茶店はそんな場所でもあるのだから。
※※※※※
男が帰ってから暫くして、客があまり来ない時間帯を狙って別の客が訪れた。ここ1,2年で常連となったその少女は、歳に似合わぬ落ち着きと風格と、ウマ娘の象徴である耳を持っていた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。今日もお元気そうで何よりだわ、マスター」
「ありがとうございます。とは言え寄る年波には勝てませんで。それで、ご注文は」
「いつもと同じものをお願いするわ」
「かしこまりました」
注文を受けてマスターは手早く準備を始める。そしてそれを待っている間に、少女――キングヘイローはカウンターの奥、先ほどまで男――彼女のトレーナーが座っていた席に座る。
不思議とこの二人が店の中で鉢合わせたことはない。キングヘイローもその席が彼女のトレーナーの定席だということは知らないだろう。奇妙な偶然に、こっそりとマスターは笑みを漏らす。
「……ふぅ」
出されたコーヒーを一口飲むと、彼女は息をついた。
「お疲れですか」
「わかる?」
「分かりますとも。昨日のレースの勝利、おめでとうございます」
「あら、ありがと。マスターも見てくれたのかしら?」
「ええ。もっともテレビで、ですが。中々大変なレースだったようで」
「そうね。でも、勝利の前では些細なことよ」
不敵な笑みを浮かべる彼女に、マスターは思わず笑ってしまった。
「さすがキングヘイロー、一流のウマ娘、と言ったところですかな?」
「当然、と言いたいところだけど」
少しだけ困ったような笑みを浮かべると、彼女は続ける。
「ようやくここまでこれた、っていうのが本音かしらね。彼の働きに報いるためにも、もっと上を目指さないと」
ここは静かに時間を過ごす場所と定めているのか、この喫茶店でキングヘイローはあまり多くを語らない。だが、マスターが聞く数少ない内容は、大体が彼女のトレーナーのことだった。
「そう直接言ってあげればトレーナー氏も喜ぶのではありませんか?」
「……イヤよ。私はキングヘイロー、一流のウマ娘なんだから。彼の前では、強い私でないといけないの」
プイ、と子供っぽく横を向いて先ほどまでの素直さはどこへやら、拗ねた表情を見せる。マスターは巧みに苦笑を押し隠した。意地っ張りで素直になれない辺りはどうやら似たものコンビらしい。
「それは失礼しました」
「ふん」
しかめっ面でコーヒーの香りを楽しみながら、ゆっくりと味わうように飲んでいく。その様子を眺めながら、マスターはぽつりと言う。
「……本当に良かったですね」
「ん? 何か言ったかしら」
「いえ。何でもありません」
店に来る時はいつも焦燥感にかられた感じのあった少女が落ち着いた雰囲気をまとう様になったのは、彼女のトレーナーの身だしなみが明らかに変わりだした頃だった。マスターはその関連性に何も気づかない唐変木ではないが、さりとて敢えてそれを二人に対し口に出すような野暮天でもない。ただ、少女が素敵な出会いを掴んだこと、その結果として少女が幸福なウマ娘としての人生を歩めていることを喜ぶだけだ。
「……そう言えば、次の目標はあるのですか?」
「ええ。……高松宮記念よ」
「ほう」
「彼と一緒に決めたの。次はそこで勝つって」
その瞳は決意に満ちていた。マスターは凛々しい彼女の表情を見て笑みを浮かべる。
「期待していますよ」
「ありがとう、マスター」
嬉しそうな笑顔を浮かべると、キングヘイローはコーヒーを飲み干し立ち上がった。
「それじゃ、また来るわね」
「はい、お待ちしております」
キングヘイローは店を後にする。その背中を見送ると、マスターは片づけを始めた。
客から聞いた話を誰かに話すことなどない。きっとトレーナーも、キングヘイローも。すれ違いながらマスターにお互いの話をしていることなどついぞ気づくことはないのだろう。だが、それでいい。これはただマスターだけが知っている楽しみだった。