サイレンススズカと遊園地に行くお話です。
挿絵はひのひのきさん(Twitter:@hinohnk)より掲載許可を頂いています。

1 / 1
『あなたと二人、夕焼けの先へ』

針は朝の五時を指していた。身体が時間を覚えているのでアラームは切ってある。

寝ているスペちゃんを起こさないようにそっと着替える。

外はまだ暗い。車の通りも少なく、街は静かに朝を待っている。

この瞬間を走るのが好きだ。走る靴音と息遣いだけが響く。吐く息はぼうっと白くなる。誰もいない世界に、私だけの足あとを付ける。

今日は晴れそうで良かった。登る朝日を見ながら、そう思う。

あと少し、もう少しだけ走っていたいけれど、夢中になって遅刻するのは良くない。

だって今日は、私からお願いをしたのだから……。

思い出すと少し恥ずかしくなって、ペースが上がってしまった。

 

寮に戻ってシャワーを浴び、出掛ける支度を済ませる。スペちゃんはもう起きていた。

「スズカさん、気合入ってますね。まるでレースの時みたい」

スペちゃんの言葉に、どきっとする。今までの私だったら、こんな事はなかったかもしれない。

「そうね。走るのと同じくらい、楽しみかもしれないわ」

この言葉は嘘になるかもしれない、と思った。

だって、あの日の栄誉よりも。URAファイナルズの決勝の日よりも。胸が高鳴るのが分かってしまうから。

「行ってらっしゃい、スズカさん」

スペちゃんには、今日の予定を一緒に考えてもらった。感謝してもしきれないくらいだ。

「行ってきます、スペちゃん」

お土産をいっぱい買って帰ろう。スペちゃんもきっと今日の私を応援してくれているから、そのお礼も込めて。

 

寮を出て待ち合わせのバス停まで歩く。約束の時間まであと10分。しばらくして、トレーナーさんが来る。

「ごめん、スズカ。待たせたか」

「ええ。待ってました」

必ず帰ってくると約束したあの日から。ご褒美を用意して待っていると言ってくれたあの日から。ずっと、ずっと。

「今日の景色を、待っていたんです」

「無事に帰ってきたら、遊園地に行こうって約束したからね」

確かにあの日から待たせちゃったな、とトレーナーさんは笑った。

 

バスに揺られて一時間半、降りたらそこはもう遊園地。

入る前からアトラクションを眺めていたら、トレーナーさんがチケットの購入を済ませてくれていた。

フリーパスを予約してくれたらしく、並ばなくても乗れるみたい。

どこから行こうか、とトレーナーさんは地図を広げる。

大丈夫。今日の予定はスペちゃんにも手伝ってもらったから。

「えっと、ゴーカートか、メリーゴーランドでしょうか」

いきなり絶叫マシンに乗っては疲れてしまうから、まずはやさしいアトラクションから。絶叫マシンはその後で、最後は。

「へえ、ゴーカートか」

地図と私の顔を何度か見比べて、「スズカ、俺とレースしようか」

トレーナーさんが少しだけ、意地悪そうに笑った。

 

走るときは右のペダルを踏んで、止まるときは左のペダル……。

「あら?」

頭では分かっていても上手く走れない。これじゃ降りて走ったほうが断然速い。

「大丈夫、さっきより上達してるよ」

トレーナーさんは簡単そうにカートを走らせる。私もあんな風にと思っていたけれど、もう出走の時間だ。

ゲートが開く。トレーナーさんがどんどん遠くなっていく。

「あれ、進まないわ」

いくらペダルを踏んでも動かない。と思っていたら、ブレーキを踏んでいた。やっとカートが走り出す。

せっかくのレースなのに、上手く走れないのはもやもやしてしまう。

いけないわ、今日はせっかくの日なのに。

「スズカ、止まって!」

トレーナーさんの声にはっとする。縁石にぶつかる所だった。

「落ち着いて、バックして、ハンドルを切って。そう、その調子」

トレーナーさんは途中で止まってこちらを見ている。トレーナーさんの指示を聞いてペダルを踏み、ハンドルを切る。

降りて歩いた方が早いくらい、ゆっくりな走り。それでもトレーナーさんは、私をずっと見守ってくれている。

それに答えようと思って、必死にカートを走らせた。

 

「一着でゴール! お疲れ様でした!」

スタッフの方が旗を振っている。

「一着?」

振り向くと、トレーナーさんはまだゴールラインの手前にいる。すぐ気付いたのか、カートを走らせて二着。

トレーナーさんは恥ずかしそうに笑って、おめでとうと言ってくれた。

「せっかくのレースなんですから、今日くらいゴール前で待っていなくてもいいんですよ」

「確かにそうだな」

じゃあもう一回、と再入場。今度はトレーナーさんに大差で負けた。

次こそはと思ったけれど、他のアトラクションに乗る時間がなくなってしまう。

「次に来た時は、私が勝ちますね」

トレーナーさんとのレースの約束をして、次に向かう。

 

ゴーカートの後はコーヒーカップ、メリーゴーランドに乗る。

そうしたら、少し早いけれどもうお昼。

「混まないうちに行こうか」トレーナーさんが手を引いてくれて、早めの休憩を取る。

レストランの席に付くと少しずつ込み始めた。早く来て良かったですね、なんて二人で笑う。

それからはお昼を食べながら、次の話。

少し時間を置いてからジェットコースターに乗ろう、とか。だったら今のうちにお土産でも見よう、とか。

トレーナーさんはいつも、きっとこの瞬間も、私に気を掛けてくれている。

遊園地のフリーパスも、並ぶ前にレストランに入ったのも、きっとそう。

私は何をトレーナーさんに返せるのだろうか。

でも、それを言うとこの人はきっと、『スズカが走ってくれるだけで嬉しいよ』と平気な顔で言う。

ずるい人。本当に、本当に。

「スズカ?」

顔になにか付いてたか、とトレーナーさんは言う。頬にケチャップが付いてますよ、と教えてあげた。

 

しばらく休んだあとは、早めにお土産コーナー。

スペちゃんにエアグルーヴ、タイキにフクキタル。みんな喜んでくれるといいのだけれど。

スペちゃんのお土産が3箱で足りるか不安になって、トレーナーさんを見る。

首をひねったので、さらにもう1箱。

 

お土産をロッカーに預けて、他のアトラクションも見て回ってからジェットコースターへ。

乗り場には列ができていたけれど、フリーパスで先に乗せてもらった。

「スズカは得意なのか?」

「そうですね、乗るだけなら」

スピード自体は慣れているし、左回りなら回るのも慣れている。

それほどの速さなら、やっぱり走って風を感じたいけれど。ちなみにトレーナーさんは、ヒト並みには平気らしい。

どこまで行けるかな、とトレーナーさん。入り口でもらったリーフレットを二人で見る。

いくつかあるコースターの中から、絶叫度の高くないものを選ぶ。

最初はそれがいいね、とトレーナーさんも頷いた。

 

トロッコみたいなコースターに乗り込む。お宝探しの冒険に沿った、ストーリーライドというものらしい。

フリーパスがあると優先的に座れるらしく、先頭に座らせてもらった。

準備を整えていたら、スタッフさんに声を掛けられる。

「あの、サイレンススズカさんですか」

秋の天皇賞、応援していました、と声を掛けられる。

「えっと。いつも、ありがとうございます」

「あの日は大切なレースだったので、応援してもらえて嬉しいです」

少し不安だったけれど、うまく伝えられているかしら。

これからも応援してくださいね、とスタッフさんの手を取る。ぱっと笑ってくれて、喜んでくれたみたいだった。

 

コースターはまるで映画を見ているみたい。お話に夢中になっていたら、もうゴール。

トレーナーさんと、今のは良かった、易しかったね、なんて話していた。

「楽しそうだね、スズカ」

「ええ、とても」

声を掛けてくれたスタッフさんにお礼を伝えて、次のコースターへ向かう。今度は園内でも有名な絶叫マシンみたい。

「急降下に急上昇、急旋回。レースみたいですね」

そうかな、とトレーナーさん。でも、レースだって坂はあるし、コースによっては急なコーナーもある。

トレーナーさんも走ってみたら分かりますよ、と言うと笑われてしまった。

 

そして。

「自分で走るより早いのは、気持ちいいですね」

コースターが登った先で、先頭の景色が見えた。

レースとはちょっと違うけれど、風を切る感覚は気持ちがよかった。

「スズカは流石だな」

トレーナーさんは少しふらついていた。大丈夫とは言っていたけれど、少し休憩を挟む。

それから、乗っては休憩、乗っては休憩を繰り返して。

「次のコースターは園内最速だそうです、トレーナーさん」

「次は座席も回転するみたい、左回りだといいけれど」

「その次は……」

閉園の時間も近いけれど、あとひとつで園内のジェットコースターを完走できる。そう思ったけれど。

「ごめん、スズカ。ちょっと待って」

調子を崩したトレーナーさんの顔に、私はようやく気付いた。

 

 

気にしなくていいよ、とトレーナーさんは言う。でも疲れているのは私にも分かる。

「スズカに楽しんで欲しいし、俺の事は気にしないで」

「それじゃ駄目なんです」

そう。それは、駄目。

トレーナーさんが良くたって、私は……嫌だ。

あの日の盾の栄誉も。今まで走って来られたのも。

全部、全部。

あなたが隣にいてくれたから。

あなたが一緒に走ってくれたから、だから。

「トレーナーさんを置いて、一人でなんて走れません。それに、私はもういっぱい楽しみましたから」

トレーナーさんは、今日を楽しんでくれていますか?

そう聞くと、トレーナーさんはじっと考えて、黙ってしまった。

 

「トレーナーさんの行きたい所、やりたい事。見たい景色はありますか」

私はあなたに夢を見せてもらった。いくつもの景色を見せてもらった。

だから、私もあなたに夢を見せたい。いくつもの景色を見てほしい。

あの日あなたが、そうしてくれたように。

「観覧車」

ぽつり。トレーナーさんがつぶやく。

「前に言ってたろ。思い出になることをしませんか、高い所から景色を、って」

それは、確かに言った。トレーナーさんの誕生日だったはず。

確かあの時は、天気が荒れたりURAファイナルズが近くて、結局日を改める事になった。

でも、その……。

 

「観覧車なら俺も大丈夫。スズカにとっては、観覧車は遅すぎるかもしれないけど」

いいえ、そんなことはない。ない、けれど。

観覧車は、私には。

「私達には、少しだけ。早すぎませんか」

 

【挿絵表示】

 

 

その先を言いかけた私の言葉を、トレーナーさんが遮る。

私の手に、その手を重ねて。

「ごめん、スズカ。俺が無神経だった」

「早すぎるなんて事はないよ、むしろ遅すぎたくらいだ」

観覧車に乗ろう。トレーナーさんの言葉が、私の心に溶けてゆく。

少しだけ温かいその手を、ぎゅっと、握り返した。

 

太陽はすっかり傾いて、もうじき沈んでしまいそう。

もうすぐ夕焼けだなんて、ぽつり、ぽつりと話しながら。

私達を乗せたゴンドラは、ゆっくり空へと上がってゆく。

がたん、ごとん。ゴンドラの揺れる音だけが響く。

「さっきの話だけどさ。俺は今、楽しいよ」

スズカが楽しそうだから、とトレーナーさんは言う。

「気を使ってるとかじゃなくて、一緒に走るって決めたから」

「レースの時は、ゴール前で待つくらいしかできないけどさ。それでも」

あなたの言葉を静かに待つ。その瞬間が、少しだけもどかしくなる。

「スズカが楽しそうに、誰よりも早く走れる理由になりたい。なんて、ちょっと変かな」

変なんかじゃありませんよ。だって、私もそうでありたいから。

でも無理をするのはやめて下さいね。そう言うとあなたは、人の事を言えないだろうと笑い返す。

 

夕焼けに照らされて、夕遊園地やその先の町並みがきらめき始める。少しずつ、今日という一日が終わってゆく。

「トレーナーさん。今日はありがとうございました」

あなたと出会ったあの日は、きっと。ここまで走って来られるなんて思ってもいなかった。

走ることしか知らなかった私の日々は、あなたと出会ってようやく始まった。

あなたと出会って、私の見る景色は色鮮やかになった。

 

今日だってそう。

遊園地に行きたい、なんて思ったこと。

トレーナーさんと初めてレースをして悔しかったこと。

大切な友達にお土産を買って帰ろうって思ったこと。

ファンの方に話しかけられて、私の想いを伝えられたこと。

今までの私じゃ、考えられなかったことばかり。

 

「私の世界を、私の未来を。あなたが変えてくれた」

「あなたが一緒に走ってくれた。ゴール前で私を待っていてくれた、だから」

「私は、いまも、あなたと同じ景色を見ていられるの」

つう、と涙が頬を伝う。どうしてだろう?

だけど。それでも私は、この気持ちのまま走り抜けたい。

「トレーナーさん。これから先の未来も、私と一緒に走ってくれますか」

 

返事はない。トレーナーさんは、じっと私を見つめている。

トレーナーさんの瞳は、夕日と私の髪を映して赤く煌めいていた。

「綺麗だ」

ぽつりと呟いたあと、トレーナーさんは静かに頷いて。

「これからも一緒に走ろう、スズカ」

「俺達なら何処までも走れる、何処へだって行ける、だから」

誰も見たことのない景色を、二人で見に行こう。

 

今度は私から、あなたの右手に左手を添えて。

「駆け抜けましょう。この夕焼けの、ずっと先まで」

いつまでも。どこまでも。見える景色の、その先へ。

少しだけ滲んだ視界は、夕日に赤く染まっていった。

 

観覧車を降りたら、外はもう真っ暗。

ロッカーからお土産を出して帰りのバスへ。

「明日からもまた、よろしくお願いしますね」

返事はない、もう言葉なんていらない。

私達を乗せたバスは、ゆっくりと走り出す。誰も見たことのない、私達だけの景色に向かって。

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。