常に無月な一護さん   作:さゑら

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013. 無を一つ捨てるたび 我等は月に一歩近づく 無を一つ無くすたび 我等は月から一歩遠退く

013-1

 

粗筋。

無月が無慈悲に霊王宮を襲う。

 

「うおおおおい!!!!! やべえぞ、また飛んできた!!! どうにか! 疾く!! 早い対応だ、対応するんだYOoooOOOooO!」

「今しておる! 耳元で叫ぶな!」

 

 零番隊隊長、真名呼和尚(まなこおしょう)【兵主部一兵衛】が左腕に同職、刀神【二枚屋王悦】が縋りよる。

 轟々と喚く王悦を押しのけ、一兵衛は左手で顎髭を撫で、右手で大筆を振るった。

 筆先から溢れた霊力の練り込まれた墨汁が【無月】に(なべぶた)をし、(あかご)を冠した、【無育】と成った。

 これにより、力と霊子の象徴たる月が只人の肉月へと変換される。【無月】は【無育】となり、無月の特異性質だった霊子の変換、もとい霊子の返還は無効化され、育つことのない膨大な霊子の塊となり果てる。

 それを象徴するかのように、黒色の波動は筆に滴る黒に触れた側から対消滅したかのように色が抜け白へ変化していった。

 であれば、それは最早ただでかいだけの霊子霊圧であり、対処はそれ相応の実力者となれば容易だろう──と、一兵衛は王悦に顎をしゃくりやる。

 

「ほれ、コレならお主の霊圧でも干渉できるだろう……これ以上隊舎を傷める前に斬らんかい」

「簡単に言ってくれるじゃないの……けど、了────う解、だYO!!!!」

 

 二枚屋王悦は、己の斬魄刀ではなく、腰に控えた刀の鞘と柄を握りしめた。

 ぬるりと抜かれた刀が白色の巨塊を一閃する。

 その所作に無駄はなく、斬られたようにも切られているようにも伐られるようにも見える。振るったから斬れたのか、斬れたから振るったのか。因果を狂わす様な一撃は、しかし。王悦にとってもそう容易いことではなく、寧ろ因果が狂わなければ無月……ならぬ無育ですら切ることが難しかったとでも言いたげに、王悦は苦い表情をした。

 

「見ろよ、チャン一の無育の先が、もう無月に戻りかけているZE」

「儂の筆も相応に削れた。……全く、霊子を隷属でもしているかのよう……人間には過ぎたチカラよ。無論、死神にも、彼の王にも──」

「一体何なんだろうねぇ、彼。それにあの斬魄刀……少なくとも僕の打った斬魄刀じゃないことは確かだけど」

「黒崎一心と真咲、死神と霊却師のハイブリッド。それに藍染の玩具の執着先……それでは説明の付かぬ、まさに権能よ」

「ということは、彼の王の終着点でもあるってことかYO」

「……いずれにしろ、尸魂界には──否。この世界においてすら過剰な力……霊王の御心にも沿うまい」

「ふぅん。それはそれは……。今の内に殺しておくかい?」

「霊王が望めば、そうせざるを得ないだろう──が、しかして」

 

 と、言いかけたところで、言葉を切り、再び結界を侵食した無月に向けて筆を振るった。

 無言の連携。王悦によって再び斬られた【無育】の残り香が零番隊隊舎の窓や外皮を貫通し轟音を上げる。

 筆先半ばまで削れた斬魄刀に霊圧をかけ、その穂先を補充すると、一兵衛は嘆息した。

 

「はあ。まあ、育たぬモノが在れば、育つものも必然的に存ずるもの。──あやつの一撃はどうやら、眠れる獣を呼びおこしたようだ」

「……肌ピリピリしやがると思ったら──なるほどねぇ。こりゃ面白くなってきたぜ」

 

 サングラスの奥の瞳を光らせ格好つける王悦に一兵衛は呆れたように髭をさする。

 二人の視線は遥か彼方、しかして下方。

 今も、黒い霊圧が世界を侵食する最前線へと向けられている。

 

「眠らされ、寝入ったはずの虎が起きたか──剣八よ」

 

 爆音のスピーカーの側に立ったかのような、鼓動よりも深く、意志よりも苛烈な霊圧の波動とその振動が二人の体を貫く。

 

「……おぉ、怖い。並の隊員なら気絶するだろうね。瀞霊廷が壊れなきゃいいんだけど」

「そんなことを心配してる暇があったら、おんしは早ぅ、結界を貼り直してこんかい。不浄の輩がおかしくない状況が続くのはそれこそ彼の御心に障るじゃろうて」

(御心なんてものが残っているなら、チャン一を見た彼は慶ぶに違いないだろうYo……)

 

 無月だか、無育だかの襲来が止み、二人は人心地に浸り冗談を交わし合う。数十年、数百年に一度あるかないかのアクシデントではあったが、それでも尚、この不落城に影響はない。

 その筈だった。

 偶偶、瀞霊廷と霊王宮を境界付ける結界を侵食できる死神もどきの人間がいて。偶偶、その人間の力の源が魂に侵入りこんだ虚であったとして。偶偶、人間の両親が死神と滅却師であったとして。

 そんな偶偶を計略として仕込むほどの理知に富む輩がいたとして、そんな輩が三界トップクラスの霊圧と実力と能力に恵まれるなんて理不尽があったとして。

 居たとして、居るはずが、居るのが、この世界、この物語であった。

 

「──不浄の輩……か。自分達を棚に上げて随分な物言いじゃないか、兵主部一兵衛。停滞の色香に契情でもしたかのような体たらく、余っ程醜いと見える」

 

 二人の背後から降って湧いたかのような声。青天の霹靂に打たれたように体を振り向かせた王悦の目に飛び込んできたのは、まるで如露(じょうろ)を傾けた先の溺れる虫を見つめるかのような目と口先の歪みだった。

 

「なぜ、貴様が此処にいる──藍染惣右介」

「解りきったことを聞かないでくれたまえ。老耄の痴呆が透け見えるじゃないか」

 

 二人の背後にはタイルを踏みしめたカールの掛かった茶髪の優男の姿。藍染惣右介。

 三度の偶然の末の結果を必然として計画した、その人が、超然として佇んでいた。

 兵主部一兵衛はゆっくりと半身を翻し、ジロッと目を遣り、返答する。

 

「老い、のぅ……。──その 言葉(がいねん)は儂が名付(つく)ったものだが?」

 

 一兵衛の目が剥き出すような丸を象る。

 初めこそ、意表を突かれた顔をしていたが、直ぐにニタニタと顔にシワを作り嗤う兵主部の全身からは、ドロドロと霊圧が吹き出し、やがて、てらてらと蠢く墨汁のように滂沱となり空間に溢れる。それに微笑みを返す藍染は悠然と斬魄刀を引き抜く。同時に、無月によって喰い破られていた尸魂界と霊王宮を隔てる障壁が、一兵衛によってずるずると再生する。床を染め、柱を染め、壁を染め上げたその漆黒は瞬く間に藍染を囲った。

 

「これで、おんしは逃げられなくなった。命乞いをするなら今の内じゃぞ?」

「冗談云うな、老体。死に体の見かけで笑わせてくれるな」

 

 藍染惣右介は兵主部の霊圧に答えるように、そっと己の得物に手を掛けた。

 

 

013-2

 

 

 そうして相対した三人の遥か下。

 霊王宮の二人の見込み通り、獣は覚醒した。

 立ち上る湯気のように吹き上がる霊圧は熱はないというのに身を焦がすような覇気となり、一護の皮膚をヒリヒリと焦がす。

 眉一つ動かさず、剣八の埋もれた瓦礫を見下す一護は、対照的に、その対決から徐々に身を引き始めていた。慮るのは仲間の行方と朽木の行く末。

 剣八を熨した後、どのような行動を取るのが最善なのか、まるで初めてのお使いのように気軽な戸惑いで思考していた。

 覚醒めた獣と死神代行の闘いも緩やかに佳境へ至る。

 

 剣八が刀をしならせ、一護に迫れば、一護は空気を蹴り、顎を引き躱す。そして、剣八の伸び切った肘を目掛けて膝を上げる。

 

「……おい、テメェ。なんで刀を使わねぇ、舐めてんのか!!」

「声がでけぇ……」

 

 そもそも、一護は剣など握ったことはない。無月なのだから。況んや例え、刀として斬魄刀を握ったところで結局は斬撃を飛ばすだけだろう。

 しかし剣八もそれを察した上で挑発する。そのらしくない振舞いは、ただ単に獣に芽生えた殺意という感情の誕生を堪能する行為の一環でしかなかった。

 二人の間の熱は、相反する感情で徐々に冷えていく。佳境を素通りし、結末へと着地するまでもう間もない。

 それはまるで、生存と回避を至上とする、本来の獣の狩りのように。まるで理知とは程遠い領域の、本能のままに片方が、諦め、片方はジッとそれを眺むる形となった。

 

(俺は一体、今まで何をしてたんだ。……何処にいて、何処をみて途方に暮れてやがったんだ。まるで路傍の石、有象無象──いや、なんだって構わねぇ。剣八は、【剣八】は、俺こそが──ッ!!!)

 

 砕けた水路の単管から吹き上がる水の傍の泥たまりには獣にも成れ果てられなかった人でなしの無表情が写っていた。

 本来であれば、無心の中で斬り合い、研ぎ合い、溶かし合うような愛し合いの中で本能に目覚めることこそが覚醒の火種となるはずだった、その目覚めは唐突で。午前四時半に起きてしまい、もう一度寝てしまおうか、三文の早起きといくかのせめぎ合いのような微睡みのような感覚。

 空に立つ一護を見れば、相も変わらずつまらなそうな表情で斜を向く。その顔は少し前の自分を見ているようで。

 剣八は、この瞬間、今の自分では、目の前の獲物を振り向かせることすらできないと本能で悟った。

 手元からずり落ちるボロボロの刃渡り。項垂れた肩から下、ガクリと膝を付き、空を見上げる。瞳に映る空の影を憧憬を追うかのようにただ見つめた。

 

「……終わり、か?」

 

 一護は、呟く。

 足元に固めた霊子を解き、地に降りる。

 抵抗もなく、動くこともせず、こちらをただ見つめる剣八の姿を訝しむように覗き返す。剣八の肩から沸々と蒸発するような振る舞いを見せる霊子。

 

 ぱちん。ぱちん。ふくり、ぱちん。

 

 斬魄刀の悲鳴が聞こえる程に迸り、軋んでいた剣八の霊圧はらめく霊子の圧は今や、透ける陽炎。怒りも歓喜も飲み込んだ集中の極地が剣八に本来の研鑽の一手を強制する。

 

「あぁ……終いだ。これで、仕舞ぇだ!!」

 

 剣八が振り被る。──が、しかし。

 緩慢な一歩。傲慢な抜刀。

 徐ろ。そうとしか言えない、一護が捉えようのない間合いと拍子で剣八に擦り寄る。

 霊圧で構成された尸魂界の瓦礫が一護を恐れるように砂塵と化す。

 

 向き合っていた、集中も欠いていなかったはずの刹那が過ぎ去った後、一護の首に、剣八の剣が、触れた。

 血しぶきが上がる。

 事切れる。

 モノ化する。

 更木として何千、何万回と繰り返し見てきた光景。

 

 無論、現実とは異なる映像である。

 

 滅却師のエッセンスを継ぐ無月に覆われた皮膚を高々隊長格たる更木剣八の剣先が破けるはずもない。実際として、そのガタガタの刃渡りは一寸たりとも一護の皮膚を破くことはなかった。

 その幻覚にも近い一刹那一六徳のあるはずのない未来は過集中状態の更木剣八が見た、願望のようなものである。

 今までの自己を壊し、変化への畏れを踏み倒し、進化する高揚すらも客観視した筈だった。これ以上を超えた異常な指数関数的な成長から繰り出した、最上の一手一投足。

 ぱちん、と泡沫の甘い夢が弾けた瞬間に更木はそのすべてを理解する。

 一護の変わらぬ表情と、

 

「……何かしたか?」

 

 という残酷な一言と共に。

 結局の所、一兵衛と王悦は無月な一護を見誤っていた。なまじ対処できてしまっただけに、山も谷も平坦に押し並べてしまうような理不尽さを二人は理解しきれていなかった。いわんや、更木剣八にも同等の理不尽さを期待していたとも言い換えられるのだが、彼がそれを獲得するには不足が多いと言わざるを得ない。

 更木剣八の強烈な成長曲線の自覚からくる全能感にもにた高揚感が急激に下がる。足元から心臓まで急激に体温が下がり冷たくなる。

 怖れか、諦めか。

 陥ったことのない心境。

 

「こっちも暇じゃねえんだ。……何もしねぇなら、こっちから行くぜ?」

 

【君臨者よ 血肉の仮面・万象・羽ばたき・ヒトの名を冠す者よ 焦熱と争乱、海隔て逆巻き南へと歩を進めよ】

 

 破道の三十一【赤火砲】

 

 緩慢に剣八を押しのけながら一護は、浦原喜助の教えを思い出す。

 破道と縛道のコードの書き方を。

 そのコンポーネントの動かし方を。

 

 定義式である、君臨者、ヒトの名を関す者の対比関係。焦熱と騒乱

 威力式の要素である、血肉の仮面

 範囲式の要素である、万象羽ばたき、歩

 志向式の要素である、海隔て逆巻き南、進み

 連動構造式であるそれぞれの言葉の組み合わせ。

 

 比較的ベーシックな式要素を連動構造式の妙で術として成立させる破道三十番代の一番槍として相応しいその美しさをかつて浦原喜助が語っていたことを、一護は嫌というほど思い出してきた。

 ただ、今のままだとコンポーネントのつなぎ目に無月が入り込み、術式として過剰になるか破綻した黒炎になってしまうのは、一護が散々経験した失敗である。

 

 脳内の浦原喜助がニヤニヤと笑って言う

 

 『であれば、それすらも利用しまショ』

 

 ふらりと傾く剣八の運動ベクトルとは反対に、首元に突きつけられた剣八の斬魄刀を握り、そのまま引き寄せる。その勢いを利用して反発するように剣八を蹴り上げると、一護は破道の三十一【赤火砲】を放った。

 

 ただし、その術理は基本詠唱とは異なり、

 

【再臨者と 晩鐘・羽ばたき・アヴィッチャーよ 焦熱と争乱、極月胡蝶蘭、オボーの禁忌と夜西風の吹く方へ談笑は響く】

 破道の三十一【赤火砲】

 であった。

 

 本来であれば拳大の火球が破裂する波動が、定義式の弱化、志向式の過剰重複と威力式の未熟により、火球はヴェールのように弛めき、吹きすさぶ。形成ままならない炎色は概念変化を起こし、詠唱の破綻に漬け込んだ無月によりドス黒く変色する。上空へ飛ばされる剣八にぶつかると破裂することなく更に彼を押し上げ、数秒の猶予の後、けたたましい音と共に破裂した。

 

(……死んでねえよな?)

 

 無月な一護は呟く。

 浦原喜助曰く、一護であっても破道や縛道といった鬼道であったり、瞬歩を始めとした体道を用いたりしている内は致命傷を負わせることはないらしいが、一護自体、実戦は実の所ほぼ初めてである。

 出会って一ヶ月もない謎のおっさんに『誇れ、お前は強い』などと言われても実感などないし、信じる気にもなれない。ましてや、相対する死神は見たこともないくらい傷だらけの、見たこともないくらいのタッパの見たこともないくらいイカツイ髪型をした男である。

 剣八は肌をチリチリと焦がす霊圧を放つばかりではあるものの、依然として一護は彼を脅威と捉えている。

 そのため、戦いの始まりも終わりも理解できず、朽木ルキアの元へ行こうにも行けぬ心持ちにあった。

 無月とはいえ、人の心はある。

 ──初心はある。

 

 せめて、剣八の意識が無くなったか、死んではいないかは確かめておこうと、腕を組み、剣八が落ちるのを一護は待つことにする。

 ややあって、一護から遠く離れた瓦礫の奥で墜落の音が鳴る。

 瞬歩、というにはやや不格好な踏切と共に向かうと、そこにいたのは斬魄刀というには破損しすぎた杖のような鉄塊を地面に突き立て、全身に裂傷と火傷を負った剣八の姿があった。

 一護は、髪と皮膚の灼けた異臭に思わず顔を顰める。

 

「……大丈夫か?」

 

 思った以上の効果を発揮した自らの鬼道に戦きつつ、声をかける。おそるおそる、近づく。

 念のため、右手に無月を覆う。

 腕に巻かれた包帯から染み出した漆黒の霊子が空気の層を切るように揺蕩い、渦巻く。トロッとして、フワリと手の機微に沿ってうぞうぞと揺れる無月の塊は、瓦礫を構成する霊子に触れると音もなく消し飛ばす。

 剣八に十分近づき、手を伸ばしたところで、一護の視界に影が横切った。

 

「やめて!! 剣ちゃんを、殺さないで!!」

 

 眼前にはピンクの髪色、ショートカット。クリクリと輝く目の玉は荒廃する戦場に似合わない無垢さを携えている。

 バット広げた両手を以て、二人の間に立ちはだかった少女は、「あたしは、草鹿やちる!」と自己紹介をしたきり、一護をじっと見つめた。

 死神のイメージには程遠い女児の登場と彼女の謂れのない発言に一護は、毒気を抜かれて、目を白黒させた。

 無意識の内に殺気立っていたのだろう。右手に集まった無月の特異な霊子が徐々に収まりをみせ、纏うに過ぎない程度に落ち着く。

 剣八に伸ばされた手が降ろされるのを見て、ホッと一息吐いて、やちるもまた、両手をおろした。

 

「殺さないでくれて、ありがと……」

「元々、殺すつもりはなかったが」

 

一護は右手の無月をほどき、気まずそうに頭をかく。

 

「それでも、剣ちゃんはあたしの絶対だから……」

 

 やちるは、そう言うとくるりと後ろを向き、剣八の刃こぼれと言うには欠けすぎた斬魄刀に触れる。「もう、コレは使えないね……」と静かに微笑んだ。

 

「剣ちゃんね、前に言ってたんだ『死んでから負けを認めろ。負けて生きてたら、生き延びろ』って

「けど、あたしは、剣ちゃんが全てだから……

「──だから、殺さないで……!!」

 

 彼女を知る者なら十人の内十人が『らしくない』と言うであろう言動と迫力。

 支離滅裂な物言いがその容姿と合わさって労しい。

 もしも愛染が聞けば、取るに足らない戯言だと笑って斬るだろう。否、死神であれば誰であれ敵の泣言に耳を傾ける者はいない。なぜなら、こうした情に訴えかける命乞いは虚の常套手段であり、人を象った悲鳴は日常茶飯事であるからである。であればこそ、少女の吐き出す甘言など、吐いて捨てるが如き他愛も無い事象であるはず。

 

 ──なのだが、如何せん、一護は無月といえども齢15歳の青二才。青い事こそ、その職務である。

 意識を失わせる、その一手すらも緩んでしまう程にはこの手のやり取りに弱かった。

 

「……待て」

 

 ゼェゼェという呼気と共に絞り出された剣八の掠れ声が、一護の情状を掻き立てる。目が焼けて一時的な失明状態に陥っているようで剣八の伸ばした腕は一護はおろか、やちるにすら届いておらず、微妙に二人のいる方向とは違う空をかくにとどまった。けれど、その動作が何かを害するものではない──何かをかばう動作であったことは、初心者の一護であっても容易に察することができた。

 それは、やちるにとって剣八が全てであるように、剣八にとってもやちるが全てだったという簡単な話ではないのだろう。と一護は自身の複雑な生立ちと母を重ねて思う。

 

「……想い合っているのか」

「──違ぇよ。人間の共感性に巻き込むんじゃねぇ。これがお前と、俺の勝負だってことだ」

「剣ちゃん……」

 

 やちるは寂しそうに呟く。

 例え剣八の前に滴る未来が絶望の汚泥で塗れていたとしてもやちるは迷うことなく飛び込むだろう。なぜなら、やちるの言うように彼女の全ては彼であり、彼が彼女に『やちる』の名を与えた瞬間から、彼女は彼の鮮烈な記憶で生かされているのだから。

 通じぬ思いに、やちるの涙腺が崩れかけ目の玉がじわりと飽和する。

 助けに来たはずが、いつの間にやら悪者のような立場。

 一護はバツが悪そうに再び頭を掻いた。

 

「「……ッ!!」」

 

 感情の起伏の少ない一護にしては、珍しい感情の破裂。

 奇しくも同時に、大きく顔を歪ませ、舌を打った男がいた。

 阿散井恋次六番隊副隊長である。

 

(……眼帯と鈴の縛りは──なかったのか!? あの更木隊長が手も足も出ないとか──有り得ねえ!)

 

 朽木ルキアとの面会後、いても立ってもいられず幾ばくも経たぬ内に建物の上を飛び越え、一護の元へ向かった阿散井恋次は、黒よりも暗い霊圧の中心で跪く剣八とそれを見下ろす一護を目に思わず立ち止まり、心内に叫んだ。

 フラッシュバックするルキアとの遣り取り。目を背けてきた強大な何者かが自分の背を喰らいつくそうとするヒリヒリとした感覚。

 有り得ない、と心の表層が否定しても、死神として鍛錬を積み重ねた理性と、阿散井恋次という才能が生み出す本能が情けない程に認めたくなくて見つめたくもない……黒崎一護に対する評価が、背を焦がした。

 

「──今の内にやるべきか……」

 

 言葉は薄い息とともに出るが、阿散井恋次の右足は終に動かず、やり取りは一護とやちるに戻る。

 

「別に、俺にも積極的に侵すべき領域にいる自覚はあるんだ。──ただ、それでも譲れねえものもあるってだけで。ええと……更木剣八、であってるよな。こっちも猶予は無い、通してくれるだけでいい……納得してくれねえか?」

「……納得、だぁ? テメェ、まだそんな甘ェこと言って──」

「──なら、なんで始解を使わないんだ? こっちは卍解込みで戦ってたんだが──甘いのは更木剣八、お前の方じゃないのか?」

 

 一護は、無情にも首を傾げて更木剣八に問いを投げかけた。

 問われた剣八は空きかけた口を噤み、やちるは物言いたげに口をむにむにと動かす。

 

『剣ちゃんは最強なんだ』

『解号さえできれば負けない』

『だから、早く──』

 

 いっそ、ぶちまけてしまおうか。そう思うほどに狂おしい悔恨と慚愧の念がうずまいて、どうしようもない卑賤意識をかけたてる。見るものが見ればただ負け犬が吠えているだけなのかもしれない、と考えてしまいそうになる。

 ただ、やちるが一護の前に立ち塞がるのは、剣八へのあたたかな気持ちと、あの更木剣八の懐刀であるという矜持故のものでしかなくなっていた。

 そんな威圧とも言える問いをした当の本人は二人への意識もまばらに下手な霊圧感知を行い、必死に覚えたルキアの霊圧を辿っている。

 

 一方、更木剣八は、二人の間にて今までに感じたことのない、当人にとってはえも言えぬ感情を抱いた。それは時を同じくして阿散井恋次の抱いた感情と似ていたが、致命的に違ったのは一護との雌雄が決していたこと。そして、隊長としての立場がそれを冷静に見つめていたことだった。

『甘い』だのなんだのと煽ってみても梨の礫。ここまで来てはどうしょうもない。

 

「──チッ!! 殺せよ……いや、テメェにそれができるワケねぇか」

「俺は死神を殺すためにここに来たんじゃない。救うために来たんだ」

 

 明確に諦観感情を孕んだ物言いに一護は素気なく答える。

 そして、ふと剣八とやちるに背を向けた。

 

「──見つけた」

 

 目線の先には阿散井恋次の姿、その背から伸びる霊圧の残滓。朽木ルキアと直前にあっていた阿散井恋次に纏わりついた彼女の残り香が、獣道に付着した足跡のように遥か遠くに存在する建築物へと伸びていくのを一護は感じ取った。

 

「──待って!!」

 

 やちるが一護の裾を掴んで引き止める。

 

「待つって……お前、なんで」

 

 霊圧知覚を長時間行っていた事。剣八と切り合っていた直後だった事。剣八とやちるのこれ以上ない危機感が潜在的な『繋がり』を強めていた事。そして、一護が何も知らぬ唯人であったこと。

 様々な原因が3人の中を交錯し、一護は常識では考えもしない事実に気付く。

 

「お前なんで──霊絡が、剣八と絡まっているんだ?」

「──!!!」

 

 やちるの手が、一護の裾から滑り落ちる。

 一護はこれ幸いと瞬歩で駆けていく。彼にとっては電線に引っ掛かるビニール袋を見つけた程度の疑問だった。

 剣八にとっても、その真意を理解するには知識が足りず、ただ浅い息を吐いたのは草鹿やちる……そして、壁に隠れた阿散井恋次だけだった。

 

 

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