常に無月な一護さん   作:一葉 さゑら

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3. もし わたしが月だったなら それが永遠に交わるのことの無い 空と大地を繋ぎ留めるように 誰かの心を繋ぎ留めることができたのだろうか

003-1

 

 

 井上織姫は、かつて、虐めを受けていた。

 

 かつて、といっても、そんな記憶は決して薄れる物ではないし、そもそも、それほど昔でもない。ほんの数年前のことである。虐めた者は、彼女の髪の毛の色が生意気だと言った。その言葉は、言霊となり感情となり、やがて切断という現象を呼び起こした。つまり、鋏で乱雑に髪の毛を切り刻むという凶行まで進むことになった。

 

 その髪の毛は、兄が暖かい色で綺麗だと褒めてくれた、大切な物だったのに。

 

 しかし、虐めのきっかけなんて物は得てして、もっともっと、最も低俗で。虐めの原因が髪の毛だなんていうのは、虐めた者が自己の醜悪を認められないが故の言い訳でしかなかった。実際は、織姫の身体が膨らみを帯び、その容貌に艶が生まれ始め、周囲の目を集め始めたこと。

 

 いわゆる妬み僻み嫉みの感情。それが自分の中で処理できなくなってしまったことの顛末だった。自業自得を他人に押し付けてしまってはしょうもない。そんなのは大人の理論だと、井上織姫はただただ被害者だった。

 そんな織姫を救ったのがタツキであり、彼女は織姫の手を引き立ち上がらせ、そのまま虐めた者を退治する盾となった。

 だから、井上織姫の瞳にタツキという盾はとても美しく、眩しく映った、硬い(つよさ)の象徴だった。

 

 そんなタツキの親友が黒崎一護という男だった。

 不愛想で、長い黒髪に表情を隠した妙な男ではあったが、不思議と温かく優しい雰囲気を持った人だと、織姫は感じた。何かを諦めたような目が気に入らないとタツキは言っていたが、ケイゴや水色とじゃれ合う様子はむしろ、無邪気で純粋な印象を受けた。まるで漂白された白のようだと思った。

 気付けば目で追うようになり、ふとした彼の感情の機微に面白さを覚えるようになっていた。彼と交流する時間は凄惨な虐めの記憶を隠してくれるような気分にすらなれた。

 タツキが、相手を倒してしまうような攻撃的な盾なら、一護は優しさで包み込むような盾。

 彼もまた、織姫にとって、固い(いやし)の象徴だった。

 

「……まーた、一護のこと考えてんの? あんたも物好きよねー、織姫」

「そんなことないよ、タツキちゃん。黒崎くん、優しいじゃん」

「やぁーさぁーしぃーいー? あんた、それ正気で言ってんの?」

「うん。黒崎くんは、優しいよ」

 

 昼休みの教室の片隅。

 陽の光が照らす窓際で、二人の少女は一人の男を見ていた。

 ちゃらけたケイゴにクシャクシャにされた髪を鬱陶しそうにかき上げる一護。水色にからかわれ、憤るケイゴを眺めて笑みを溢す一護。

 

「あんなスカしたやつのどこが良いんだか。ブアイソだし、髪の毛はチャラついてるし……全く、昔はあんなんじゃなかったってのに」

「そうなの?」

「そりゃあ、もう。びえーって泣いて、ニコニコ甘えて。誰よりもガキだったんだから」

 

 へえー、と織姫は相槌を打ち、なんとなく今の一護のまま甘えん坊になった姿を想像した。

 目をキラキラさせて、大きく口を開けて笑い、ピョンピョンとせわしなく動いて、よだれかけを掛けた姿の一護を。

 

「けど、黒崎くんって大きいからベビーカー探すの大変そうだよね、タツキちゃん」

「大変なのはあんたの妄想だよ、織姫」

 

 呆れたようにため息をついて、タツキは片手に持ったパンにかじりついた。

 

 

 003-2

 

 

「── 一護! 虚だ!!」

 

 その晩、一護が予習復習を行っていると、突然後ろの押入れ戸がバタンと開き、そこから声が響いた。

 

「何事だ……ルキア。てか、お前そこに住んでるのかよ。もしかしてドラえもんだったんですか、お前は」

「そんなことはどうでも良い、虚だ!」

「いやまあ、全然よくないんで、それは後で問い詰めるとして。……それで? どこでだ?」

「──今、此処だ!!」

 

 短く叫ぶとルキアは手を伸ばし、一護のおでこを触れた。

 昼間と、同様の衝撃。

 そして、ヌルリと魂が抜けた。

 

(……霊圧が、ある──!!!)

 

 ルキアが感じたのは一般的な隊士と同程度の霊圧の雰囲気。

 そう、3回目にして一護は、無意識ながらも、霊圧のコントロールに目覚めていた。漠然と垂れ流していた力の奔流をありえない密度に圧縮し、その身体に抑えたのだった。

 ルキアはさらなる観察をしようとしたが、事態は待たず、二人の間には巨大な虚の手が飛び出す。

 

「今回は、消えちまわねえってことは、そこそこ力のある奴ってことだよな?」

 

 勿論、霊圧が垂れ流しであれば問答無用で塵になっていた。

 

「一護! 斬魄刀をだせ!」

「斬魄刀ってのは、あの刀のことか。……いや、どこにあるんだ?」

「貴様の、今のその姿は始解だ! 多分! であるならば、霊圧の通りが最も良い物が斬魄刀である筈だ!」

「霊圧の通りねえ……なら」

 

 ガッと、虚の腕を握り、虚空から引きずり出す。

 そして、そのまま現れた仮面を掴み、外へと投げ飛ばした。

 

「──全身だ」

 

 身体から薄っすらと立ち上る漆黒の霊圧。

 ルキアは纏うタイプの常時開放型斬魄刀か、と勘違いに納得する。

 虚は目論見が外れたと、一護とルキアに背を向けて駆け出した。

 

「追うぞ! 一護!」

「ああ」

 

 今の黒崎一護は、無月であれど、経験値はまるで無い。

 例えるなら、MPの値が無限に近いレベル1勇者。

 使い方を知らなければ無意味の長物。

 霊力を納めてしまえば、ただの一般死神代行系高校生である。瞬歩も鬼道も使えない一護は大人しくルキアの後を追った。

 

「虚は現世と尸魂界の間の世界から来る。奴が其処へ逃げ帰ってないということは、逃げる先に目的があるはずだ」

「目的? 前に言っていた、より高位の魂がこの先にいるってことか?」

「否、それならば私を狙うはずだ。この私を無視して行くということは、恐らく──そこに虚である理由があるはずだ」

「……つまり?」

「つまり、想いの元だ!」

 

 想い、その文字ほどのロマンチックな感情ではない。

 なにしろ、虚は本質として、悪霊である。であるならば、その想いはきっと、もっと残酷で蔑視されるべき感情だろう。と、ルキアは顔を顰めて、駆ける足を速めた。

 

 

 003-3

 

 

「悲しいな織姫! 声すら忘れられるとは!」

「どういうことだ、井上の兄貴が、──なんで、虚なんかになってるんだ……!」

 

 十分にも満たない追いかけっ子の末、一護が防いだ一撃が暴いた事実は、少なくない衝撃を与えていた。

 

「一護、よく、そして冷静に聞け。虚は元々人間の魂だ!」

「……そうさ。僕らは人間だ。今となってはもう昔のことだけど。それこそ、誰の記憶に残らないほど、ね」

 

 チラリと、虚は織姫を見る。

 

「なら、人間だっていうなら……なんで家族を殺そうとするんだ。それは、どう考えてもそれは理性から外れたことだろう」

 

 一護の、問いかけに虚は嗤う。

 

「君は理性を人間の本質とするのかい? なら、それは違うよ! 人間──生命の本質は忘れられないことさ! 僕らは忘れられた瞬間死ぬんだよ!!」

 

 虚は、井上昊は、慟哭し一護の腕を振り払った。

 そして、呆然とする織姫の魂へと向かい、腕を伸ばす。

 

「織姫! 俺の声を忘れたな! 俺へ祈ることをやめたな! 俺を殺したな!」

「お、お兄ちゃん……なの? それに、黒崎くん、なの? その姿は?」

 

 そのまま首を捕まれ、息苦しそうに呻く織姫を見て、昊は、まだ自分だけを見ないのかと憤る。

 

「なぜ、なぜだ、織姫! 俺達は二人でずっと生きてきた。織姫を育てたのは俺だ! 織姫を守って来たのは俺だ! 俺のものだ!! 俺はお前の為に生きてきた、だから、織姫も俺のために生きるべきだろう!! 決して忘れず祈り、常に想うべきだ……それができないなら、せめて! ──俺のために死ぬべきだ!!」

 

 ガパリ、大きく口を開けて織姫を喰らわんとする昊を、一護はその上顎を掴み、織姫から剥がすように投げ飛ばした。

 クローゼットに後頭部を打ち付けた昊は、呻きながらもすぐに立ち上がる。

 

「兄が、妹に向かって死ねなんて言うんじゃねぇ。俺らが妹より先に生まれるのは、殺す為じゃねえ、守る為だろうが」

「守るさ。守るために殺すんだ。死な(わすれ)ないためにも!!」

「……救えねぇ、救えねぇよ。ホントに井上がお前を忘れたんだと思ってるならよ」

 

 一護は構えていた両腕を下ろし、昊に首締められた反動でぐったりとする織姫を指した。

 昊は一護の見せた、憂いを帯びた目と戦意のない動作に釣られてその先を見る。

 

 ……そこにあったのは、六花の付いた小さなヘアピンだった。

 それは、昊が『気分転換に髪を切った』と言う織姫を見かねて買い与えたヘアピンだった。気分転換というには、あまりにも悲しい表情をした織姫に笑顔になってほしくて、けどどうすればいいのかも分からない。そんな中で行った苦肉の策だった。

 

「あのヘアピン、あげたんだってな。井上が言ってたぜ、『お兄ちゃんのくれた初めてのプレゼントだから毎日つけてる』ってな。あいつは一度だって祈るのを止めてなんかいない。お前と同じくらい、あいつだって寂しがってたんだ」

「……織姫」

「──お兄、ちゃん」

 

 息も絶え絶えに、織姫は昊へと手を向ける。

 

「私、お兄ちゃんが居なくなってから、ずっと祈ってたよね。毎日、あの仏壇に座って、ずっと……私、祈ってたんだ。──死にたいって、祈ってたの。毎日が苦しくて、哀しくて、どうしょうもなくて。……けど、たつきちゃんに出会ってそれじゃあ駄目だ、って思った、思えたの。お兄ちゃんを想うのは悲しい時じゃなくて嬉しくて楽しいときにしようって」

「……」

「……お兄ちゃん。私、お兄ちゃんが守ってくれたから、今、幸せだよ。だから、ありがとう……だいすきだよ」

 

 どんな脅威の前に立ち、護り、後ろに隠してくれる盾。

 織姫にとって昊もまた、堅い(きぼう)の象徴だった。

 織姫は痣のついた首が痛むのか眉を顰めつつも、精一杯の笑顔を浮かべる。「……そう、か」と昊は顔を伏せて呟いた。

 

「気付かなかった──俺は、忘れられていなかったのだな」

 

 ズルズルと尾を行きずらせ、ゆっくりと昊は一護へと歩みを進めた。怒りも殺意もない、緩慢で隙だらけの動作だった。

 

「──殺せ、一護。この感情を忘れぬ内に」

 

 一護は何も言わず、ゆっくりと、右腕を上げる。

 そして、先のルキアの言葉を思い出し、霊力を手のひらに込めた。

 ボッと、黒い霊圧が手のひらに集まり、流動し、弧のような形を描き始める。一護は、直感的にコレが、目の前の虚を屠り得るものだと分かった。

 

「……織姫、すまなかった」

「──うん、いいよ」

 

 昊は目を閉じた。

 目の裏に浮かんだのは味方のいない、ひたすらに辛い日々。父親に殴られ、母親になじられる非道(ひど)い日常。お金もなく、好きなことなど何もできない二人暮らし。

 そして、その中で輝くように咲き誇る、織姫の笑顔。

 

 織姫も目を閉じた。

 目の裏に浮かんだのは、昊との最期の朝。

 もらったヘアピンが、まるでいじめの象徴のようで、まるで綺麗だと言ってくれたあの言葉が嘘のようで、無性に気に食わず、拗ねて背中で昊を見送ったあの瞬間。

 そして、伝えることのできなかった、大切な挨拶。

 

「……お兄ちゃん、いってらっしゃい」

「ああ──逝って、くる」

 

 部屋に黒い閃光が瞬く。

 そうして、その最強は、また一つの塵を生み出した。

 涙のようにはらはらと散る、哀しい灰だった。


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