「ほれブスッと……ん!? 間違ったかな……」
"ブスッと大成功!"
「身体が軽い……! しかも、なんだか全身に力がみなぎってきたみたい! これなら次のオープン戦も勝てるかもしれない……!」
「ふっふっふ、このおれの鍼灸院に相談するとはじつに良い選択をしたな。左半身の筋肉バランスはトレーナーにカルテを渡しておくから、助言をよく聞いて二人三脚で勝ち上がり、名バとなった暁にはおれの名をしっかり宣伝するんだぞ。お大事にな……!」
「はい! 本当にありがとうございました!」
ほぼ直角まで腰を折り曲げて深々とお礼をしてくれる少女に強面を怪しく歪めて手を振り、退室まで座って見送る。
「ねえ師匠〜! そろそろあたしにも施術させてよぉ〜!」
施術後に温めたお茶を運んできてたのは、ド派手な金髪を伸ばした不肖の弟子、安心沢刺々美だ。
そんな腕で人前に出せるかとあしらう男は、しかしウマ娘に見立てた木人形に黒い点が一見不規則に描かれた模型を相手に技術を段々ものにしている弟子の成長を日々しっかりと見守っている。
「お茶汲みもろくに上達しないおまえが施術だとぉ? そんな事をすれば適当なところに笹針を刺されたウマ娘がたちまち調子を崩し、天才のおれの名が傷つくだろうがぁ〜!」
「ギャーッ! 顔が近い上にメチャクチャ怖いっ!?」
ヒトやウマ娘の潜在能力を解放する数々の秘孔が生まれつき見えるという特異体質を持つ彼、秘孔のアミバこと網場鍼灸院長はその類稀な技術を日本ウマ娘トレーニングセンター学園、俗に言う中央トレセンのある府中競バ関連街の一角で発揮している腕利きの笹針師だ。
厳しい生存競争と淘汰の上に成り立つレースの世界、こと中央で己の夢に向かって駆けるウマ娘の悩みは尽きることがない。
もっと早く走りたい、ライバルに勝ちたい、練習が下手でケガをしやすい、愛嬌がなくてウイニングライブが苦手……それぞれ形の違う悩みを、誰しもひとつは持っている。
そんな彼女たちの悩みを解決する後押しとして、アミバはこの鍼灸院にて笹針による治療を行っているのだった。
「で、でも師匠、あたしそろそろ師匠超えたんじゃないかって思う時があるのよ! だから伝説の笹針師アミバの一番弟子のあたしにも一回くらいチャンスが────」
「ほれ、ブスッと」
「────欲しいのぉほぉっ!? っんはぁ〜〜〜っ♡」
「妙な反応をするな! 突いたのはただのリラックスして眠くなる秘孔だ」
「ワァォ、シゲキテキぃ……!」
「茶は貰っておこう。数年前に比べて、最近は飲める物になってきているからな……」
「ふぁい……♡」
ピクピクと寝台の横に倒れこむ不審な服装の弟子を施術室の奥にある薬品庫兼仮眠室にしまい込んでおく。
未来あるウマ娘たちに、このようなていたらくの胡乱な大人を見せるわけにはいかないからだ。
茶を一口飲んでひと息ついた所で、タイミングよく職員の案内を受けた次の患者が来る。
開かれた引き戸から現れたのは、見事な鹿毛の長髪に鍛え上げられた均整の取れた肉体と人を魅了するカリスマを持つウマ娘。
「ハァイ、あなたがアミバ先生?」
「そうとも、おれがアミバだ」
術前にまとめた問診表が職員より手渡され、それによると彼女はマルゼンスキーと言うらしい。
着替えてきた専用の施術服は薄緑の柔らかい上下で、右肩に小さく網場鍼灸院とプリントされていた。
「会いたかったわ、ここってばぜんぜん予約が取れないんだもの!」
もー、と頬を膨らませて腰に手を当てるマルゼンスキーは、どこか昭和チックな所作が垣間見える。
だが、アミバは弟子の奇行の方がよっぽどな代物であるせいか気にすることなく相槌を打って問診表と目の前の彼女の状態を照らし合わせ、彼女の他のウマ娘に比して強力な潜在能力を秘める肉体に内心で舌を巻きつつも、それ故に彼女がここに来た理由がある程度推察できていた。
「なるほど、見たところ外向だ。問診表にもある通り膝に不安があるというのは間違いない。アルファベットで言えばA形に外向する脚にはあまり負荷をかけてやれず、トレーニングによって追い詰める事でさらなる怪我につながることを恐れているわけか……」
「……! 驚いたわ、見ただけでそこまで分かるものなのね?」
「ふふ、このおれを侮るなよ。天才のおれにかかればこの程度わけないのだ」
手を口に当てて驚いてみせるマルゼンスキーにアミバは気をよくする。
事実、伊達に伝説と呼ばれてはいないアミバからすれば別段難しい話ではない。かれこれ十数年以上ここにいる経験則と秘孔に連なる経絡系の流れを併せて、目の前の人物を観察するだけだからだ。
ともあれ施術の準備が始まる。
マルゼンスキーを寝台へ寝かせたアミバは、両刃の細いナイフのような笹針を数本手に取った。
「笹針の経験はあるか?」
「今回が初めてよ」
「他のヤブに罹らずおれを選んだのは正解だ……。痛みに驚いて暴れるんじゃないぞ。すぐに落ち着くからな……!」
分かったわと彼女が頷くのを確認して、院内服の布越しの脚に触れる。経絡の流れを確認すれば、膝の秘孔に流れるはずの経絡系エネルギー、いわゆる気が膝裏から内腿にかけて滞留して澱んでいた。
気の澱みは不調の表れ。彼女の悩みの原因はこれだろう。
「ふむ、この辺りで力を込めるクセがついているな……生まれつきの要素が大きいが、おれにかかれば生まれつきのクセを調整する程度は些細なことよ……!」
「え、それじゃあ私の脚もバッチリ治っちゃうどころか、前より良くなっちゃうのかしら……?」
「なにを当たり前のことを聞いている。慎重に鍛え上げられた故に繊細過ぎるおまえの脚は、今日からおまえの全力を以ってしても決して壊れぬみごとな金剛石へと生まれ変わるのだあ!」
「〜っ! それってとても素敵だわ!」
体を起こしてパァッと表情を輝かせたマルゼンスキーは、ぜひお願いしたいと頭を下げた。
素直な性格のマルゼンスキーは、褒められると笹針の調子が上がっていくアミバにとって非常に好相性の患者だ。アミバは術後に自身の天才ぶりに驚き感謝を述べるマルゼンスキーを見るべく、施術を開始する。
「ふっふっふ……すべておれに任せておくといい、さあ施術を開始するぞ。笹針は肉体が緊張していればうまく刺さらん、緩めるには深呼吸がおすすめだ……!」
◆
スーパーカーの異名を取るシニア級ウマ娘、マルゼンスキー。
クラシック級二冠ウマ娘にしてシニア級においても大阪杯と安田記念を大差一着で駆け抜けるなど快速自慢のウマ娘なのだが、きたる天皇賞(秋)に向けてのトレーニング中に顕在化してきた脚部不安により、その出走を危ぶまれていた。
回復のみに励むため、勇気ある二週間の休養を取ったマルゼンスキーは、出来ることは何でもしていこうと握手を交わしたトレーナーの紹介によってこの鍼灸院にやって来ていたのだった。
その選択の結果は……。
"ブスッと大成功!"
「ふはははははっ! やはりおれは天才だ!」
脚と背中に刺さっていた複数の笹針を丁寧に引き抜くアミバの高笑いとともに、マルゼンスキーの身体がドクンと跳ねる。
血の巡りが劇的に改善され、澱みを押し流すように心臓が血液を送り出すのがわかる。
エンジンが温まっていくような、自分の中のギアがもう一段階踏み込めそうな感覚がマルゼンスキーを高揚させた。
今の自分は、ガラスのように脆い自身の脚を気にしながら走らずともよいという解放感と全能感が彼女を包んでいた。
「スゴいわ、バッチグーよアミバ先生! ここまで調子がいいのって初めてだわ!」
「それはいい、おまえは賢い選択をしたのだ。近所のトキとかいうヤブ医者でなくこのおれを頼ったことが正解だと分かっただろう?」
「トキ先生には薬膳の指導をしてもらってるから誰が正解とかは言い辛いのだけど……今はアミバ先生にとびっきりの感謝を伝えちゃうわっ!」
ありがとね! と両手でサムズアップをして喜ぶマルゼンスキーに、トキの高い評判は自動でシャットアウトされる都合のよい耳をしているアミバは得意げに頷いていた。
◆
それから数ヶ月後、シニア級秋の祭典である天皇賞(秋)に圧倒的な一番人気で現れたのは鹿毛のスーパーカー、マルゼンスキー。
アミバの治療を受けてからというもの、トレーニングにつきまとっていた怪我の不安が一切取れたことにより、潜在能力を持て余していた彼女の脚はついに完成した。
トレーナーは脚さえ丈夫なら同世代の誰にも負けないと信じるマルゼンスキーの才能に耐えうる脚を彼女に与えてくれたアミバに思いを馳せながら、自身とマルゼンスキーの集大成となるこのレースの顛末を見逃すまいとゲートに目をやった。
ゲートインを終えた優駿たちの立ち上るような闘志が目に見えるような静寂の中、開いたゲートから誰よりも速く飛び出したのはマルゼンスキーだった。
グングンと加速していく彼女のギアは安田記念の時に見せていたものから更に一皮剥け、もう一段階踏み込まれている。
天皇賞に出走するほどの実力と人気を持つ後続するウマ娘たちも、誰もマルゼンスキーに追いつけない。長い残暑に照りつける太陽がマルゼンスキーの影を伸ばし、だがその影すらも他のウマ娘たちは捉えることすら出来なかった。
そうして一度も速度を落とすことなくシニア級レコードを叩き出し、爆発したように歓声を上げる観客席に手を振るその姿は観客を大いに湧かせ、とある記者はのちのインタビューでマルゼンスキーをこう評した。
"太陽すら彼女には追いつけない"と。
◆
それから数ヶ月、府中のとある鍼灸院で強面の男が今日も悩めるウマ娘に笹針を刺す。
「素晴らしい! やはりおれは天才だ~!」
様々な悩みを持つウマ娘の感謝の言葉を聞いて、不肖の弟子が淹れたそこそこな腕の茶を啜る。
そんな日常を過ごす彼の診察室に飾られた新聞紙のスクラップには、
"有マ記念連覇のマルゼンスキー、ガラスの脚を救ったのはとある笹針師"
との大きな見出しがなされたマルゼンスキーのインタビュー記事が丁寧に切り抜かれていたのだった。