自分の部屋から出て、よく月の見える縁側で足を止めた。今日の月は満ちている。今は誰も部屋から出るような時刻ではない。その時刻が、一番自由な時であり、考えを巡らせる時刻でもある。
羅刹になってから、大分時が経った。腕が治ったものの、悩みの種は尽きない。使い勝手の悪い羅刹隊は、活動時刻の夜さえも殆ど動けない。変若水の研究でさえ、殆ど進んでいない状態。これでは何のために、羅刹になったのか。存在意義すら揺らいでしまう。志の為に歩みを止めないと決めたが、腕を怪我している時と同様、今も役に立っていないような気がして、たまらなく不安で仕方がない。今は血に狂うことがなくとも、いつか自分も血に狂い、完全に役に立つことさえ出来なくなる事を恐れている。
しかし、最近その揺らぎを抑えてしまう者がいる。必要とされることが、思っている以上に支えとなっている。
──こちらへ向かって来る足音が聞こえる。それは少し急ぎがちで、だからとはいえ、足の速度はそれ程早くもなく。こんな歩き方をするのはただ一人。食事を運んで来る足音が、いつから楽しみになったのだろうか。その足音を聞き分けられるようになってから、こちらへ向かって来ていることが分かると、心弾む自分がいる。しかし、もう食事を済ませており、普通の人間ならば既に寝ているはずの時刻。
「山南さん、ここにいらっしゃったんですね」
頭の高い位置に結った髪を揺らし、少女が微笑みかける。男装をしてはいるものの、声は明らかに女のもので、少年と言い張るには苦しいことだと今更ながら思う。
「こんな夜更けにどうされたのですか? 雪村君」
躊躇いがちに、こちらへ目を向ける彼女だったが、それは一瞬で、にこやかに答えた。
「山南さんに頂いてほしくて持ってきました」
差し出されたのは小さな包。両手で受け取る。中身が気になり、視線を送った。
「金平糖です。今日はみなさんからたくさんのお菓子を頂いたんです。それで、私だけ食べてしまうのも勿体無いと思
ったので、山南さんにも食べてもらいたくて持ってきました」
自分を見つめる眼には、仄かな熱を感じる。その熱は自分の感情に静かな火を付けた。
それを感じ、刺のあるような口調に変える。
「他の隊士と召し上がってよかったのでは?」
はっとしたような顔で、彼女は視線を逸らした。
彼女の好意に気づいてから、何度刺のある口調で話しただろうか。それでも、彼女は機会があればめげずに話しかけて来る。それに憤りを感じる。よりによって、何故羅刹である自分なのかと。
「山南さんに、食べて欲しいんです」
その言葉にどきりと心臓が跳ねる。彼女の好意は胸を焦がす。必要としているのは他の隊士でなく、自分なのだ。自惚れではない、と思う。そう思わされる言葉や仕草から、確実なものを口にされていなくとも分かる。それがどんなに嬉しくて苦しいことか。彼女を捉えたい衝動が、湧き水のように溢れそうで、蓋をする。
「貰い物ですけど、まだたくさんあるので……よかったらご一緒に如何でしょうか?」
茶の誘いだと言うのに、真面目な顔をして、真っ直ぐこちらの目を見つめて来る彼女。思わず、視線を外した。純粋な綺麗な目で見つめられると、先程閉めた蓋を開けてしまいそうだった。
もし、自分が彼女を捉えれば、彼女の笑顔を奪うだろう。自分の道に光などない。険しくて、先の見えない暗闇ばかりだ。そのような道に、彼女を誘い込むことなどあってはいけない。
「そのような気を使わなくても結構ですよ。私には、やるべきことがたくさんありますからね。菓子を食べる時間など
割けません。それに、君は羅刹ではないのですから、寝ていた方がいいと思います」
これ以上、近づいて欲しくはない。自分が捉えてしまいたくなる前に、嫌われてしまう方がいい。
彼女は眉を下げて、口をへの字に曲げている。しかし、それは束の間。意を決したように、一度唇を噛んだ。
「私は大丈夫です!」
身を乗り出すように、彼女は一歩踏み出し、こちらへと近づく。迷いのない瞳は輝いていて、真の強さが出ている。が、不安の色が出始める。
「ただ、最近の山南さんは元気がないような気がして……私に出来ることではないかもしれません。それでも、お話だけでも聞かせて下さい! 少しは気が晴れるかもしれません」
「気が晴れなかったらどうするのですか?」
敢えて、意地悪な質問をする。これで、踵を返してくれるといい。
「……お傍に居させて下さい」
耳に心地よい高い声が、奥まで響いた。彼女を見つめると、恐れのない瞳が向けられている。
あぁ、そうだ。こうと決めたら頑なな彼女は、決して弱くない。それが確信出来ると、勝手に蓋が開いた。どうしようもない感情が、体中を駆け巡る。
──もし、化け物が彼女に手を伸ばすことを許されるのなら、捕まえても笑顔が消えないのなら、今すぐ捉えたい。
「君には……敵いませんね」
彼女から「えっ?」と小さく声が漏れた。
「今日は雪村君の好意に甘えようかと思います。ですが、話したいことはあまりにたくさんありますから、君は眠れないかもしれませんね」
大きく目を開き、満面の笑みが溢れる。その笑顔は周りを明るくし、花が咲いたかのように鮮やかな景色に変わる。
「はい! ではお茶を用意してきます」
そう言うなり、彼女は駆け出す。今、一番捉えてしまいたい瞬間だった。生き生きとしたまっすぐな瞳、今にも歌いだしそうな微笑み。
気づけば、彼女の腕を掴んでいた。驚いた表情でこちらを向く彼女に、唇で捉えた。
柔らかな、唇の感触。これを味わってしまって気づく。たった今捉えたのではなく、既に捉えられていたことに。
無印のときに書いたものです。
山南さんに惚れて、どうして攻略対象ではないのかと思っていたときのものです。