さて、あいつがボレアス家に招かれてから数時間、流石のエリスも大人しくなり静かな夜が訪れた。
悪鬼も眠る丑三時、されど獣は眠らず、動き出した。
自らの
無様に、無謀に、無防備と化した獲物を仕留めようと狩りを始める。
俺はその気配を察知し、思わず呆れた溜息を吐いた。
『おい、今すぐ起きることを勧める』
ベッドでスヤスヤと寝息を立てている獲物へ声をかけておく。
生態系とか色々考えると、あまり褒められた行為では無いが、人類種は生態系から離れていると言われているし、俺の過干渉は今更な話だ。
「ん、ん〜 何だよ。爺さ…、じいさん!?」
久しぶりにコイツに声をかけた気がする。
シルフィの処遇が気に入らず、しばらく口をきいていなかったが、これからの事を思うとそうもいかないだろう。
『起きたなら、寝たフリでもしながら扉に注意を向けておけ』
「何だよ急に現れてまた…」
状況をよく分かっていないにも関わらず、すぐに俺の言葉に従い寝たフリを開始する。
随分と俺の事を信用している様子に、パウロの件もあり少しバツが悪いが今はいい。
そして、音を殺した足音が鳴り響いた。
扉が音もなく開き、暗くなった部屋に廊下の光が大の字の影を伸ばしながら差し込む。
獲物の眠りを起こさないよう、哀れな獲物へ殺気塗れの獣の爪が突き刺さ━━
「うわぁああああ!!!!」
る、寸前に飛び起きた獲物が、振り下ろされた木刀を躱した事によって惨劇は回避された。
しかし、狩りが終わった訳では無い。
「なんで起きてんのよ!アンタ!!」
思わぬ対応に獣が声を荒げた。
「お、お嬢様!?」
何が起きているのか把握しきれていない獲物は狼狽しながら獣の固有名称を叫んだ。
思わず口に出しただけで何の意味も無かった。
なんでこんな事を! だなんて言わずもがな だからだ。
獣を怒らせた。それだけでこの夜襲の理由は充分だ。
獣の勢いは止まらない。
鮮血にして赤き獣と呼ばれたエリス ボレアス グレイラットの剣は止まらない。
「ガァあああ!!」
咆えた獣が上段から木刀を獲物の首へ振り下ろす。
「やられてたまるかぁ!」
しかし、獲物は腐っても水神流初級者にして全属性上級超えの天才魔術師、獲物は土魔術で生成した急造の棒切れで木刀を受け止めた。
殺気だらけのこちらを舐めきった乱雑な木刀を受ける事は容易だった。
しかし、返す暇もなく2、3と激しく打ち込まれる木刀を受け止めていくうちに、棒切れと木刀に次第に亀裂が走り始め、遂には両方とも砕け散った。
「チッ」
「嘘でしょ!?コレ人の骨より硬いんですよ!?」
剣が無いなら拳を使う。
パウロの様に失った剣の代わりに拳を構えた獣に獲物は声を上げた。
「お、お嬢様、この不毛な襲撃を続けるなら僕にも考えがあります!」
「なんですって?」
話を聞く位の慈悲か知性があったのか獣の拳が止まる。
「僕は寝ながらでも、あの浮かせる魔術を使えます。流石にこの意味分かりますよね…」
何故かこっちを見ながらコイツはそう言った。
俺にかけろと言う事だろうか…、まぁ別にいいんだが…。
しかし、確かにそれは交渉材料として有用な筈だ。
昼に隠れながら見ていたが、重力魔術で拘束されたエリスは無重力下で文字通り暴れ回ったせいで数分でグロッキー状態になってしまったのだ。再びああはなりたく無いだろう。
「…チッ、…わかったわ」
そう忌々しげにエリスは言うと部屋から立ち去った。
「覚えてなさい…」
そう、呪いの言葉を残して…。
その言葉に震え上がったコイツは早急に部屋に土魔術で作った鍵の様なモノをかけて、窓にも網戸の様なモノを取り付けてから俺に代わりに警戒してくれと頼んで就寝した。
30分にも満たない時間だったが濃い30分だった様に感じる。
そう言えば昼間にエリスを叩きのめした家庭教師は夜襲にあって最終的に辞めていったと遥か昔に聞いた事があった。
昼間の重力魔術が相当腹に立ったのだろう…。
俺の知るエリスも昔はそういう女だった。
気に入らない事が有れば直ぐに癇癪を起こして殴りかかって言う事を聞かせる。
そういう女の子だったと聞かされた。
教えてくれたのはアルフォンスさんだったか獣族のメイドさんだったかフィリップさんだったか、もう憶えていない。
みんな死んでしまった。
アルフォンスさんはフィットア領で再会したが他の人には会えなかった。
……結局俺はどうすれば良いのか分からないでいる。
俺はロアに来てあの赤い珠を見つけてしまった。
あの地獄の様な災害は起きるだろう。
どうすれば良いか俺には分からない。
泣きそうだ。