水泳の教師は体育会系の文字を背負ったような――まあ、あくまで知識に当て嵌めての見方であるが――マッチョ体型のおっさんだった。
「見学者は無しか。例年の一年と比較しても珍しいな」
オレたちをグルリと見渡した教師は、物珍しそうにそう言った。
その言葉から推察するに、やはり『甘さ』という毒に溺れる生徒が、毎年少なからず出ているのだろう。……言葉だけならともかく、表情にまで出ているのがその確信を高める。
他クラスの時間割など知らないが、もしかしたら今年も『見学者』という名のサボりがいたのかもしれない。
「真面目なのは大変結構だが、そうなると次はそれに見合う実力があるかが気になってくるな。そんなわけで、準備体操をしたら早速全員に泳いでもらう」
教師は表情を変え、如何にもな笑みを浮かべて宣った。……『いま思いつきました』といった態を取っているが、おそらく出席者に泳いでもらうのは既定路線なのだろう。
「あの、先生? 俺、あんまり泳げないんですけど……」
男子の一人が申し訳なさそうに手を挙げた。……あれは誰だったか。名前は知っている筈だが、そう簡単には出て来なかった。
華琳の視線もあるので可能な限りクラスメイトと接触するよう心掛けてはいるが、それだけで人付き合いが上手くいけば苦労はない。
クラスメイトの前で堂々と過去を明かした以上、当初の路線とは異なり、ヘタに取り繕う意味はなくなった。加え、俺の根底には『他人は道具』という考えが強く根付いている。
それらが合わさった結果だろうか。この一週間、何人かのクラスメイトに接してみたが、まともに対応してくれたのは――北郷たちを除けば――たったの二人だけだった。
そんな理由もあり、オレがその二人――幸村と三宅以外で知っているクラスメイトは割と少ない。池や山内など普段から騒がしい相手であればともかく、それ以外となると名前と顔を一致させるのに時間が掛かるのだ。
「心配するな。俺が担当となった以上、夏までには泳げるようにしてやる。まあ本人にやる気がないなら無理にとは言えんが、泳げるようになっておけば後で役に立つぞ? 必ずな」
なんともまあ、意味深な返答だ。深読みすれば、『夏には水泳の実力を測られる何かがある』と言っているようなものだ。
北郷や華琳の影響もあってか、端から見ていてもDクラスの中には警戒心の高まったヤツらが増えてきたように感じる。件の生徒もそのクチだったらしい。教師の言葉を聞くなり、『こいつはやべえ』とばかりに表情を変えた。
「えっと、じゃあ、お願いします」
とは言え、やはり忌避感があるのだろう。その口から出たのは消極的な言葉だった。
全員で準備体操を済ませた後は、50メートル泳ぐように指示が下った。途中で無理だと感じたら、そこからは歩いて構わないとも。
加えられた一言によって、幾分か気が休まった生徒もいる様だ。
「はぁ……。億劫だ。とは言え、歩いても構わないのならまだマシか……」
幸村もその一人だった。授業である以上、サボる選択肢はないとのことだが、運動能力が低いため体育系の授業は気が乗らないらしい。
「まあ、無理はするなよ」
三宅がポンと肩に手を置いて慰めた。
弓道部に入るだけあって、三宅は落ち着いた性格をしている。運動部の中では精神修養のイメージが強い弓道部だが、やはり運動部であることに違いはなく、そこに所属する三宅もまた運動は得意な方だ。
基本的には一匹狼な気質だが、人付き合いが出来ないわけではない。本人によると不必要な馴れ合いが苦手らしい。
ムダな馴れ合いを好まないのは幸村も同じであり、オレもまたそうだ。
幸村は勉強を出来ない生徒を見下す傾向があるが、学力特化の代償として身体能力が低い。三宅は幸村ほど特化タイプではないが平均以上には身体能力があり、平均程度には勉強が出来る。オレは学力身体能力共に高水準だが、一般的な経験が圧倒的に不足している。……こんな具合にデコボコだからこそ、逆にオレたちは馬が合ったのかもしれない。
一クラスは男子20人、女子20人の計40人だ。自由に泳がせてはどれだけ掛かるか分からないため、教師の指示の下、5人ずつ泳いでいくことになった。
「やはり、きちんと管理されているみたいだな」
久しぶりに入ったプールは、オレに冷たさを感じさせることはなかった。適切に温度調整された水は、そう時間を経ずに身体へと馴染んでいく。
「まずは、感覚を取り戻すことに重点を置くか」
実力が気になると宣ったような教師が、このままで終わらせることはあるまい。これはあくまで、誰がどの程度泳げるのかを確認しているだけだろう。ならば、確認が終わった後は本格的に実力を測ってくるに決まっている。
入学式のあの日、自分の過去と実力の高さをクラスメイトの前で告白したオレだが、幸か不幸か、それを披露する機会がなかったのだ。現時点での授業は座学オンリー。当てられれば答えるが、そんなものは所詮、授業内容をきちんと理解出来ていれば誰でも分かることでしかない。いくら答えたところで、『実力の高さ』を証明することにはならない。
だが、ここに来てようやくその機会が訪れた。いい加減、誰もが理解出来るほどの実力を示さなければ、皆がオレに持つ印象は山内と同じ『ホラ吹き』だろう。オレの対人能力が低いこともあるのだろうが、そういった点もまた人付き合いが上手くいかない理由であると推察している。要するにクラスメイトはオレの過去に信憑性を抱いていないのだ。……無理もないが。
だからこそ、これは絶好の機会と言える。特に競泳となれば、対戦の形式こそ取っているものの、直接に関わるのは自分だけ。例えばこれが、同じ対戦でもサッカーのPK戦みたいなものならヤバかったが、競泳ならば対戦者は別のコースであり、向かい合うこともない。実力の高さを示すには十分だ。
そう考える一方で、山内と同じと思われるのはどうにも我慢が出来ない自分がいた。……以前は誰にどう思われようと気にしなかったことからすると我ながら不思議だが、良い変化だと前向きに受け止めている。
ある意味、鳥籠という点ではこの学校もホワイトルームと同じだが、その中身は明確に異なっている。人工的な調整を受けたかどうか。その違いが刺激となって、オレに影響を与えているのだろう。或いは、未来への希望を抱けたことも一因かもしれない。
そんなことをつらつらと考えていれば、教師からスタートの合図が出された。それを受けてオレも泳ぎ始める。
速く泳ごうとは思わない。前言通り、まずは感覚を取り戻すことに専念する。……ここ最近、水泳はご無沙汰だったのだ。オレとて人間である以上、どこかが鈍っていて然りである。
意識の違いは明確に現れ、50メートルを泳ぎ切る頃には完全に感覚を取り戻していた。これならば、問題なく実力の高さを披露出来る。
「ふむ、まったく泳げない者はいないようだな。……では、これより実力を見せてもらおう。男女別に50メートル自由形で競争してもらう。ヤル気を出してもらうために御褒美も付けるぞぉ。男女それぞれ、一位になった生徒には俺から5千ポイントをプレゼントだ! ――ただし、一定タイム以上かかった奴には補習を受けさせるからな」
歓声と悲鳴、二種類の声がプールに響き渡った。
「マジかよ。最悪だ」
『ドンマイ』
オレの身近なところでは幸村が悲鳴の筆頭であり、泳ぐ前から肩を落としていた。補習を免れないだろうことは泳ぐ前から分かりきっている。泳げる勢のオレと三宅は、異口同音にそんな彼を慰めた。
レディーファーストというわけでもなかろうが、まずは女子から泳ぐこととなった。それによって上位五名を算出。泳いだばかりの女子に休憩をさせる一方で男子に泳がせ、同じく上位五名を算出。その後は女子の上位五名が泳ぎ、続いて男子の上位五名が泳ぐという寸法だ。
池と山内を筆頭に、クラスの男子はその大半が女子が泳ぎ始めるのを今か今かと待っている。正直に言わせてもらえば、そのノリにはついていけそうもない。確かにルックスに優れた女子が多いのは認めるが、オレとしては『だから何だ』というのが正直な思いなのだ。
とは言え、オレとしても興味を持つ相手はいる。それが華琳を始め、堀北と櫛田――いわゆる北郷グループだ。男子は男子、女子は女子でグループを組んでいる連中が大半を占める中、そこだけは男女混合となっている。しかも北郷、平田、華琳、堀北、櫛田とクラスでも能力的に優れたヤツらが所属しており、圧倒的なリーダー性を誇っている。なので、坂柳グループと呼ばれることもあれば、平田グループと呼ばれることもあったり、櫛田グループと呼ばれることもある。或いはリーダーグループとも。……堀北グループと呼ばれないあたり、彼女の対人能力の低さが如実に表れていた。かく言うオレもここに所属する形になっているのだが、綾小路グループと呼ばれたことは一度もなかった。
ともあれ、名実ともにクラスのリーダーとしての座を
それ以外だと『能ある鷹』を見つけられたら御の字と言ったところか。まあ、いるかいないかも分からないのだが。いるとしたら、当初のオレと同じ方針を取っている可能性は否めない。
そんな理由から、オレもまた熱心に女子が泳ぐのを見つめていた。
北郷グループの女子では、まず堀北が泳ぐことになった。
「ほう……」
序盤で他の女子を置き去りにした後は、そのままトップを維持。更に距離を離すことはなかったが、詰められることもなく、安定して泳ぎ切った。泳いだ後も息を乱していなかったことからして、全力を出していないことは明らかだ。
それで27秒ほどなのだから、全力を出せば更に1、2秒ほどはタイムが縮まるかもしれない。過去には空手と合気道をやっていたそうだが、現在は特に運動部にも所属していない身でこれなのだから、十分といえば十分だろう。
その次のグループには櫛田がいた。途端に男子から歓声が上がる。入学式の日に裏の顔を暴露して、今朝には北郷との仲睦まじい様子を見せていた彼女だが、思春期の男子にとって『それはそれ』ということか。まあ、基本的には人付き合いの良い笑顔の美少女だからな。
櫛田のタイムは30秒台。今日はどことなく身体の動きがおかしかったが、それでもこれだ。果たして本調子であればどれほど縮まるのか、興味は尽きない。
その次のグループにも一人、見どころのある生徒がいた。……が、生憎とその生徒の名前がすぐには出てこなかった。
「凄いな。堀北もかなり速かったが、まさかそれ以上とは……」
「小野寺だったかな。確か水泳部だった筈だ」
オレの隣で見物している幸村と三宅のやり取りが耳に入る。
なるほど、水泳部。だとするならば、26秒台という堀北以上の速さにも納得がいく。しかし堀北とは異なり、泳ぎ終わった姿には若干ながら息の乱れが見られる。水泳部なればこその全力投入か、或いは休憩時間で立て直せるとの算段か。
そして、とうとう最後のグループ――すなわち華琳の番が回ってきた。
これだけは何があろうと見逃すわけにはいかない。そう思っているのはオレだけではないようで、北郷に平田、堀北に櫛田、そしてクラスから満場一致で自由人と認識されている高円寺までもが熱い視線を送っていた。
錚々たるメンバーからの視線だ。並のメンタルなら委縮しても仕方ないだろうが、華琳相手にそのような心配は不要だ。逆に『よく見ておけ』と言わんばかりに笑みと視線を送ってきたのがそれを証明している。
「速い!?」
「スゲエ!? なんだよ、この速さ!?」
果たして、結果は早々に示された。不埒な視線を向けていた池や山内ですら、本来の目的を忘れて呆気に取られている。
タイムは24秒を切っていた。驚くことに、水泳部である小野寺に2秒以上の差をつけているのだ。それでいて息を乱してもいない。つまりは余裕を残している。
「取り敢えず挨拶代わりに、と言ったところだけど、お眼鏡には適ったかしら?」
プールを上がった華琳は、オレ――だけではなく、周囲の実力者たちに向かってほほ笑んだ。
オレの返事は決まっている。
「挨拶代わりとしてはな。おかげで、オレもお前の眼鏡に適う部分を見せなきゃならない」
「ハッハッハッ、流石は華琳ガールだ。お返しに、私も少しばかりヤル気を見せないといけないねぇ」
「これは完全に俺も乗る流れだよなぁ……。しょうがない。綾小路も高円寺もヤル気になってるし、本気でヤルか」
「頑張ってはみるけどさ。僕、流石にあんなタイムを超えられる気はしないんだけど……」
「よっしゃ、やってやんぜ!」
言葉を返したのはオレを含めた五人の男子。或いは闘志を、或いは困惑を露わにして並び始めた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「これで愉しく見れそうね」
男子が並び始めたのを見て、華琳さんが楽しげに言った。
確かに、と同意せざるを得なかった。付き合いだけなら私と一刀さんもそこそこ長いが、生憎とその本領を見たことはない。他の面子は言わずもがなだ。
それでも、一刀さんに限って言うなら、何度となくその実力の片鱗は目にしている。
兄さんに紹介されて出会った頃は、学力は平均程度、運動は平均より少し上といった有様だった。だからこそ――兄さんに認められていることもあって――当時は必要以上に嚙みついた記憶がある。……忘れたい、私の黒歴史だ。
まあ、その人柄に触れている内に、一刀さんの優れたところは学力や運動ではないということは理解出来た。己の欠点を素直に認め、教えを乞うことを厭わない。それでいて、教えてくれている相手に対しても、長所短所関係なく言うべきことはきちんと言うのだ。それは兄さんに対してだけではなく、私に対しても同じだった。
端から見ているだけではなく、我が身を以て体験すれば、人間としての器が大きいことは嫌でも分かった。
そんな一刀さんだが、入院したのを境に成長率に大きな違いが見受けられる。習熟や理解の速さが格段に上がっているのだ。
私と桔梗さんは華琳さんの招待で坂柳家の別荘を訪れたことがある。もちろん一刀さんも一緒だった。一刀さんは何度か訪れたことがある様で、近くの体育館なども勝手知ったるとばかりに使っていた。流石はお金持ち御用達と言うべきか。そこには弓道場や屋内プールもあった。
一刀さんの向上した実力。その片鱗を目にしたのはその時だった。私と桔梗さんが初めての弓道に苦戦する一方で、一刀さんは皆中を成し遂げていた。季節外れのプールでは純粋に楽しんだが、戯れに競争した時は、私と桔梗さんを置き去りに一刀さんと華琳さんのデッドヒートが繰り広げられた。
そんな一刀さんが本気で泳ぐという。私にとってはそれを見れるだけでも楽しいが、そこに爆弾発言をかました綾小路くんや、一刀さんも実力を認める高円寺くんも参戦するというのだから、期待は膨らむ一方だ。運動能力に優れる平田くんや須藤くんもいるのだから尚更である。
最初のグループには綾小路くんと須藤くんの姿があった。さて、その実力はどれほどのものか。
「ウッソでしょ!? マジで!?」
軽井沢さんが驚愕の声を上げた。いや、声を上げているのは軽井沢さんだけじゃない。そこら中から大なり小なり上がっている。……声に出してないだけで、私だって驚いている。
流石は運動部と言うべきか。鍛え上げられた肉体が示す通り、須藤くんは見事な泳ぎを披露してみせた。タイムだってそれを裏切らず、25秒を切っている。華琳さんには負けたが十分なものだ。
しかし、綾小路くんはそれに輪を掛けて速かった。タイムは華琳さんよりも上の22秒台。
「まあ、オレも挨拶代わりにな。……どうだ、お眼鏡には適ったか?」
プールから上がった綾小路くんは平常通りの様子で華琳さんに問いかけた。息を切らしてもおらず、彼もまた余裕を残している。
「ええ。……けれど、参ったわね。私、負けず嫌いなの。鈴音たちには可哀想だけど、次は全力を出そうかしら?」
そう言って、華琳さんは不敵に艶然と微笑んだ。心なしか周囲の空気が歪んでいるような気がする。……正直、勘弁してもらいたい。
その後も続々と人間びっくり箱と言わんばかりの結果が示された。平田くんは25秒台とまだ現実味があったが、高円寺くんと一刀さんも綾小路くんに負けず劣らずのタイムを叩き出したのだ。
それを見続けた結果、突如として先生から決勝の中止が言い渡された。まあ、高が水泳の授業で公式の日本記録や世界記録が破られるかもしれないのだ。一刀さんに華琳さん、綾小路くんと高円寺くんは、先生にそう思わせるだけのポテンシャルがあることを示してしまった。
そうと知った上であれば先生も中止を強行しなかっただろうけど、流石に初顔合わせの場でコレは先生の心臓に負担が大きかったのだと思われる。
「綾小路、高円寺、北郷、坂柳、以上の四名には各1万ポイントを支給する。前言の撤回に対する詫びも兼ねてな。あの速さだったらもっとポイントを渡してもいいと思うんだが、俺の権限で動かせるポイントにも限りがあるんだ。悪いがそこは理解してくれ」
見るからに疲れ切った顔で先生はそう言った。
その後は授業の終了まで各自自由にしていいことになった。ただし、補習対象者には先生の指導が入る。
諦めきった顔で指導を受ける佐倉さんが印象的だった。
そんなわけで水泳回でした。
主要キャラのタイムは原作と微妙に変えてあります。
また、期待された方には申し訳ありませんが、決着は持ち越しです。
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