ようこそ天の御遣いのいる教室へ   作:山上真

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12話

 入学してから半月以上経ったある休日、私は有栖の部屋へとやって来ていた。

 義理の姉妹であるし、別段仲も険悪ではない。今までにも互いの部屋を訪れたり、他愛ない世間話をすることは何度となくあった。――が、クラスが異なったからこそ、一定ライン以上、踏み込むことはなかった。

 しかし、どうにも今回は空気が違う。その発生源は有栖。……どうやら、多少なりと踏み込んだ話をすることになりそうだ。

 

「さて、私たちの間に持って回った挨拶は不要でしょう。単刀直入に訊きますが、私がポイントの融資を頼んだらあなたは引き受けてくれますか?」

「ポイントの融資?」

 

 どういうことかと考える。

 有栖が資金難に陥ったということは無いだろう。この娘もまた頭はいい。天才を自称するだけの能力は確かに持っているのだ。そんな娘が、教師の甘言に乗せられて必要以上にポイントを使ったなど考えられない。

 ならば、欲しいものがあるのだろうか。……無くはないが、その可能性もまた低い。有栖お得意のチェスは、入学時に自前の物を持ち込んでいる。この短時間で壊れた可能性は低く、新しい物を欲する理由はない。

 それ以外としても、有栖は身体が弱いために選択肢は限られる。その中で真っ先に考えられるのは書物の類だろうか。

 だが、ここには立派な図書館がある。蔵書量もそれに見合ったもので、図書館を利用すれば大抵の本は読めるだろう。一部貸出禁止品もあるようだが、生徒である以上、基本的には無料で借り受けることが可能だ。よっぽどの読書狂でもない限り、わざわざポイントを消費して本を買う理由は少ないだろう。

 他にも選択肢が浮かんでは消えていき、最終的に残ったのは『無形のもの』に対する費用だった。

 ポイントで買えないものはない、とは入学初日に聞かされた言葉だ。これを少し穿った見方をすれば『買えるものは形のある商品に限らない』とも捉えられる。

 例えば何らかの権利が挙げられるだろう。『廊下を走ってもいい権利』や『授業中に携帯を弄ってもいい権利』とかだろうか。本来ならば実力を評価する上で減点対象になるであろうそれらを、ポイントを支払うことで減点対象から外すのだ。……可能性だけならいくらでも考えられる。

 しかし現時点では、これはあくまで推測でしかない。教師に訊ねたところで碌な答えは返ってこないだろう。

 当然、そんなことは有栖とて分かっている筈だ。

 

「何をしようとしているのかしら? その内容と額次第では考えなくもないわよ」

「何をしようとしているか。これは簡単です。私、あなたたちのクラスに移りたいんですよ。――費用についてですが、現時点では不明ですね」

 

 あっけらかんと有栖は答えた。

 私たちの推測が正しければ、進路の特典を受けられるのはAクラスの生徒のみ。ならば、評価次第でD←→CやA←→Bといったクラス自体の入れ替えは起こり得る。

 しかし、この学校がクラスの入れ替え方法をそれだけしか用意しないなど有り得ない。抜きん出た『個』としての能力。それ次第でクラスを移る方法も用意されている筈だ。まあ、十中八九に現実的ではない程に莫大なポイントが必要となるだろうが。

 なるほど、確かにそれならば有栖が融資を求めるのも分かる。必ずしも、個としての能力=個人で必要ポイントを溜める、ではないのだ。周りから見て、当人にそれだけの魅力と能力があるならば、支援するのは断然ありだ。……早い話が引き抜きである。それを可能とするための能力と魅力を周囲に示すのも、十分に実力と言えるだろう。

 

「あなた方も気付いていると思いますが、おそらく学校の評価基準に則った上でクラス分けがなされています」

「まあ、そうでしょうね。うちのクラスなんてひどいわよ? 初日に牽制していなかったら、ポイントは後先考えずに使い放題、授業中は私語や携帯を弄りまくり、遅刻や無断欠席の山だったでしょうね。個々の能力で光るものを持っている生徒も多いけど、客観的に見れば『問題児』や『劣等生』という評価は避けられないでしょう」

「そう、そこなんですよ。その考えで行くと、我がAクラスは『客観的に見て優秀な生徒』が振り分けられています。まあ少しばかり首を傾げたくなるような生徒もいますが、大半は文句のつけようもないくらい、世間一般で言うところの『優等生』でしょう。――が、だからこそつまらないのです」

 

 有栖は深々とため息を吐いた。

 

「いえ、光るものを持った生徒も少ないながら確かにいます。以前の私であれば、それで十分に楽しめていたでしょう。――しかし、今の私はあなたを知っている。一刀さんを知っている。……ハッキリと言わせてもらうならば、彼らでは物足りないのですよ」

「なるほど、言いたいことは分かるわ。……ただ、あなたも気付いているでしょうけど、推測通りならその内クラス対抗が起こる筈よ。あなたの言い様だと、勝負をする前から敗北宣言をしていることになるんじゃないかしら?」

「確かにそうですね。Aクラスを率いてあなたたちを含めた他のクラスと戦う。それは魅力的ですし、面白そうです。そこに嘘はないと断言します。その点で考えると、私の言っていることは敗北宣言に等しいでしょう。――が、それを秤にかけた上で、私はあなたたちと一緒のクラスになる方が面白いと感じた。それだけのことです。ぶっちゃけ、Aクラスであることに拘りなんてないですからね。私は、私が楽しければそれでいいのです」

 

 私と二人きりということもあるのだろうが、有栖は何の衒いもなく言ってのけた。

 他人の顔色を窺い、己が意見を封殺する。周囲と円満な人間関係を築いていく上で、それは確かに必要なことだろう。――だが、言ってみればそんなもの、凡人ゆえの処世術だ。天才を自称する有栖には似合わないことこの上ない。

 

「それでこそ有栖、というべきなのかしらね。感心すべきか呆れるべきか分からないわ」

「誉め言葉と受け取っておきますよ」

 

 私の言葉もなんのその。澄まし顔で有栖は紅茶を口に運ぶのだった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 月末となった。

 相変わらず池や山内は遅刻寸前に登校してくる。クラスメイトの大半が何らかのグループに属し、その中で勉強を教え合ったりしている。授業中の私語や携帯弄りはない。……こんな具合に、我らがDクラスは代わり映えのない日々を過ごしていた。

 だが、大枠で変化は見られなくとも、細々とした部分では変化が見受けられる。

 綾小路はクラスメイトからの当たりが柔らかくなった。これは水泳の授業で実力の片鱗を見せつけたことにより、その過去に信憑性が生まれたからだろう。つまりは綾小路の対人能力の低さにも納得を抱けるようになったのだ。

 クラスメイトは綾小路のことをホラ吹きと思っていればこそ、まともに対応していなかった部分もある。その根幹となるべき部分が覆ったのなら、ある意味では当然の出来事と言えるだろう。

 とは言え、綾小路自身は幸村や三宅と行動することの方が圧倒的に多いようだが。

 鈴音は佐倉さんと一緒に行動することが増えた。流石に毎日ではないが、放課後や休日には度々一緒にいるようだ。……何をしているかまでは分からない。訊いても鈴音は教えてくれなかった。

 それと、時折そこに長谷部さんも加わっているようだ。朝方一緒に勉強しているのを見かけるようになった。

 洋介も軽井沢さんと一緒にいることが増えた。……が、付き合い始めたとかではないらしい。

 

「たぶん、僕と彼女が付き合うことはないだろうね」

 

 寂しげな笑顔の洋介を見れば、詳しく訊くことは憚られた。

 俺と華琳、桔梗はあっちこっちへ行ったり来たりだ。早い話が他クラスとの交流である。

 今はまだしも、いずれはクラスで対抗戦が起こることは目に見えている。そうなってからでは、交流を持つのも容易ではない。

 その一方で、別クラスとの協力を強制される行事なんかもあると想定しておくべきだろう。『堀北学写真集』からもその様子は見受けられた。……なお、件の写真集は既に5万ポイントで桔梗から鈴音へと譲渡されている。

 ともあれ、だからこそ今の段階で動いておく必要がある。敵対するにしても協力するにしても、相手の情報を持っておくに越したことは無いのだ。自分で直接見知ったことであれば、戦略なり戦術の精度を上げることも出来るだろう。

 そんな風に過ごしていたある日のことだ。

 担任である茶柱先生が受け持つ、3時間目の社会の授業にて小テストを行うことになった。これで内容が社会だけであれば茶柱先生の教育方針による判断だとも思えたのだが、主要5科目が揃っていることからして学校側の判断なのだろう。……このタイミングで小テストを受けさせるのは、学校側の予定通りというわけだ。

 

「今回のテストはあくまで今後の参考用だ。成績表に反映されることはないから安心しろ。まあ、カンニングをしようものなら分からないがな」

 

 全くもって言葉遊びが好きな学校だ。このテストが学校の予定通りなら、参考とするのは何も学校側だけとは限らないだろう。実際、それを証明するかのように難問が複数含まれている。

 一科目4問の全20問で、各5点配当。問題自体は非常に簡単で、入試問題より2段階ほど低く感じる。

 だからこそ、ラストの3問がこの上なく異質だった。間違っても、高校1年のこの時期に習う内容ではない。ちょっとやそっとの予習では決して解けない難易度だ。

 俺は解ける。呉で軍師を経た経験からか、学問に対する意識の持ち方、頭の使い方というものがこの上なく向上しているおかげだ。以前と違い、今では予習復習も苦ではない。

 華琳もまた大丈夫だろう。そもそもの頭の出来が、華琳と俺では段違いなのだ。こちらに来た当初ならともかく、坂柳家の力も使って色々と学んだ今の華琳には問題にもなるまい。

 だが、果たして鈴音と桔梗はどうだろうか。最近は一緒に勉強していないので確かなことは言えない。それでも予想を立てるとすれば、予習の進め具合によっては1、2問は解けるかもしれないが全問正解は不可能、と言ったところか。

 しかしそうなると、他の問題の異常な簡単さも異質に思えてきた。

 いや、待てよ。先生は何と言っていた……?

 なるほど、だからこその『成績表に反映されることはない』という発言か。裏を読めば『成績表以外には反映される』とも取れる内容だ。

 これは来月に支給されるポイントに関わってくると見るべきだろう。この難問を解ければ支給ポイントが上乗せされる。その逆に簡単な問題を間違えれば、それだけ支給ポイントが減らされる。……おそらくはそういう寸法だ。

 こんな簡単な問題なんだ。流石にDクラスでも大丈夫だろう。――そう思いつつも、一抹の不安を拭いきれない。

 今日の放課後にでもフランチェスカ組のチャットで確認を取ることに決め、俺は問題を解きにかかった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 5月を――正確には5月になって初めての登校日を迎えた。

 早速ポイントを確認する。確かに昨日より増えてはいるが、10万には遠く及ばない。……残高をメモしていなかったのが痛いな。たぶん7万は超えているが8万には及ばない、と言ったところか。どうやら思いの外減点された様だ。

 ポイントを確認していると、チャットの着信を告げる機械音が鳴った。

 

 桔梗:私は7万と少し増えてたんだけど、皆はどうだった?

 一刀:覚えてる限りだと、7万以上8万未満ってところだな。

 鈴音:そうなると、やはり評価はクラス方式と見ていいようね。私も支給されたポイントは同じくらいだったし。

 華琳:やれやれ、参ったわね。あれだけ発破をかけてこの結果とは……。

 洋介:僕もショックだよ。皆、あんなに勉強を頑張っていたのに。

 清隆:皆、じゃなくて軽井沢が、じゃないのか? 

 洋介:皆で間違ってないよ。確かに軽井沢さんも頑張ってたけど、他の人たちもそれぞれに頑張っていたんだから。

 清隆:オレとしても幸村、三宅、池の勉強を見てやってのこの結果だからな。正直、現実を受け止めきれてない部分はある。

 鈴音:あら、それを言うなら私もよ? 佐倉さんに長谷部さん、沖谷くんの勉強は割と見たつもりなのだけれどね。 

 華琳:まあ、こうしていても埒があかないわ。おそらくは今日にでも学校からネタ晴らしが入るでしょうし、大人しくそれを待つとしようじゃない?

 一刀:賛成だ。ぶっちゃけ、朝飯もまだ食ってないし。

 清隆:オレも同じだ。

 桔梗:私もまだ。良かったらまだの人で一緒に食べない? 

 華琳:いいわね。それじゃあ一刀の部屋に集合で。

 鈴音:分かったわ。出来合いの物で悪いけど、何か持っていくわね。

 洋介:お言葉に甘えてお邪魔させてもらうね。僕も何か持っていくよ。

 清隆:味の保証は出来んが、オレも何か持っていこう。

 一刀:おい、俺の意思は確認しないのか(笑)

 華琳:その必要があるとでも(笑)

 一刀:はいはい、了解。

 

 そういうことになったので、チャットを終えたら折り畳みテーブルを引っ張り出した。

 元々部屋には備え付けのテーブルが用意されているが、当然と言うべきかあまり大きくない。1人や2人で使う分には問題ないが、人数が増えると途端に厳しくなる。まして華琳を始めとした女性陣と話し合いをするとき、寮則の関係もあって俺たち男子の部屋はなにかと会場になりやすい。そんなわけで用意した代物である。

 テーブルをセットしたら朝風呂に入って寝汗を流す。元々ポイントを確認したら入るつもりだったので、用意自体は済ませてあった。

 こうして風呂場で一息つくと、桔梗の私物が増えていることを実感する。シャンプーにリンス、ボディソープが男物と女物の両方揃っているし、脱衣所に行けば女物の歯ブラシもあるのだ。……あれ以来、時折桔梗は俺の部屋に泊っていく。必ずしも毎回抱くわけではないが、彼女ほどのいい女を定期的に抱けているのは間違いない。これで日常生活に張りが出なかったら嘘というものだろう。

 皆が来るとなればのんびりと浸かっているわけにもいかない。距離的な都合上、間違いなく洋介と綾小路の方が先に来るはずだ。一応女性陣には合鍵を渡しているが、男性陣には渡していないのだ。もちろん、許可の無い者に合鍵を渡さないよう管理人にも交渉してある。

 そんなわけで、入浴自体は手早くすませた。制服に着替えて玄関の鍵を開けると、間もなくにして呼び鈴が鳴った。

 扉を開けると私服姿の洋介と綾小路。それぞれが片手にナイロン袋を引っ提げている。

 

「おはよう、2人とも」

「おはよう、一刀くん。早速で悪いけど、レンジを使わせてもらうね」

「おはよう、北郷。オレも同じくだ」

 

 間取り自体はどの部屋も変わらない。案内なしに二人はキッチンへと向かった。

 

「それにしても、2人は私服で来たんだな。初めて見た気がする」

「そうだったかな……。最初は制服で来ようかとも思ったんだけど、部屋も近いしね」

「右に同じくだ。人数が人数だし、場合によってはこれも部屋に持ち帰る必要が出てくるしな」

 

 綾小路が引っ提げている袋を持ち上げる。

 そう言われれば流石に納得した。ハッキリ言って寮のキッチンは狭い。一人で使う分には問題ないが、文字通りに『学生の一人暮らし』を想定した内容でしかないのだ。人数が増えれば必然的に洗い物も増える。

 階層の違う女性陣は制服で来る可能性が高く、容器もまた俺の部屋に置いていくことになるだろう。それ自体は構わないが、時間次第では下校後に洗うことになりかねない。そうなった場合、全員分の容器を流し台に置けるかと訊かれたら首を傾げざるを得ないのだ。

 2人はそれを危惧したのだろう。言葉通り部屋も近いし、どの道戻る可能性があるのなら、わざわざ制服に着替えてくる必要性もまた薄い。

 

「洋介のは鳥の唐揚げか? 旨そうだな」

「ありがとう。……と言っても、僕が作ったものじゃないけどね。これは軽井沢さんが作ってくれたんだよ。勉強を見てもらってる御礼だってね」

「軽井沢が……。正直に言って意外だな。端から見てて料理の出来ないイメージを持っていた」

「まあ、その気持ちも分かるけどね。人は見かけによらないってよく言うでしょ? 軽井沢さん、ああ見えて結構家庭的なんだよ」

「しかし、そうなると、それを頂くのは軽井沢さんに悪い気がしてくるな」

「その点も大丈夫だよ。僕たちがクラスのことで話し合っているのも、その際に男子の部屋が会場になることも、当然だけど軽井沢さんも知ってるから。むしろ、そうなった場合に皆で摘まめるような物を作ってくれてるんだよ。ありがたいことにね」

「これまた意外だ。……そういうのを気配りが出来るっていうのか?」

「うん、そうだね。まあ、だからこそ、その対象に選ばれなかった相手にはぞんざいになりがちで、そこが危惧するところではあるんだけど……」

 

 そんな話をしていると、再び呼び鈴が鳴った。どうやら女性陣もやって来たらしい。

 挨拶を交わして部屋に上げると、互いの持ち寄った料理が次から次へと温められる。電子レンジはフル稼働だ。

 その後、和洋折衷の料理を皆でつつきあった。……華琳がそれぞれの料理に対する評価を口に出さなかったことに安堵を覚えたのは、俺だけの秘密である。




今回で5月に突入しました。……が、原作読んでてちょっとよく分からないところがあります。
原作1巻で茶柱先生が5月最初の登校日に「中間テストまでは後3週間」と言っているので、GWで5月冒頭が休みだったとしても、たぶん中間テストは5月中だと思うんです。
が、2巻になると、いきなり7月に飛んでるんです。……佐倉視点だと6月最終日ですが。
そんでもって7月のクラスポイント発表後、同じく茶柱先生が「中間テストを乗り切った1年へのご褒美」と言ってるんですよね。

判断が付かなかったし、描写に従い7月になってケンカ事件が起こって~なんてことになってれば、原作のDクラスが期末テストを乗り越えられるとは思えなかったので、本作では中間テストは5月中とさせていただきます。ご了承ください。

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