「……は? なあ、今なんて言った? もう1回言ってもらっていいか?」
オレの言葉を聞いた山内は、意味が分からないといった風に訊き返してきた。
仕方ないので応えてやる。
「愛里はオレの数少ない友だちだが、かと言って山内の発言に撤回を求めることは出来ない。反論に足る証拠を提示出来ない以上、ただの感情論でしかないからな。
だからオレに言えるのはこれだけだ。……愛里が交換対象となってDクラスに移るのならば、オレは明日にでもDクラスへのトレードを申請することにする。
と、こう言ったな」
「何でそうなるんだよ! お前、入学式の日に坂柳と約束してたじゃねえか! そりゃ裏切りだろ!」
応えてやったにも関わらず、山内は尚も理解しきれていないらしい。いや、理解しようともせずに吠え立ててくる。
「何故だ? オレは確かに華琳に協力すると契約したが、それは『実力を出す』という1点においてのみだ。クラスに関しては契約の外にある。……むしろ、これまで短いなりに観察してみたところ、オレがDクラスに移り歯応えのある相手となる方が華琳は喜ぶと思うがな」
「まあ、そうね。同じクラスでも刺激はあるけど、違うクラスになったらそれはそれで異なる刺激を味わえるでしょう。清隆が自らの意思でトレード申請を出すというのなら、私が止める理由もないわね」
オレの言葉をきっかけにクラス中の視線を集めた華琳はことも無しにそう言った。
「な、んだよ、それ……」
己が望みとは異なっていたのだろう華琳の返答に、山内は力なく呟くだけだ。訳が分からない、とその表情が語っている。
「ん~、キヨポンと愛里がクラスを移るんなら、私もトレード申請を出そうかな? まあ、通るかどうかは分からないけど……」
そこに、ダメ押しとばかりに波瑠加も同調した。
波瑠加の言葉通り、彼女が申請を出したとしても通るかどうかは分からない。それはオレに関しても同じことが言える。
だが、ここで重要なのは『通るかもしれない』という可能性だ。
水泳然りテスト然り、オレは実力の一端をこれでもかと披露している。ある程度見通しの利く者であれば、これから先はクラス対抗があるだろうことを予想出来て然り。
波瑠加の場合、『胸の大きさ』という1点だけで十分な魅力を持っている。愛里がクラスを移り、加えて波瑠加までもがクラスを移れば、このクラスから2大巨頭が消え去ることを意味している。……多くの男子陣にとって、それはこの上ない地獄だろう。
「『人脈は力』とはよく言われるが、『印象もまた実力』ということだ。
山内にとって、愛里は取るに足らない存在なのだろう。それを否定するつもりはない。――ただ、オレや波瑠加にとっては『このクラス以上の価値がある』というだけだ。オレたちにそう思わせるだけの人脈を愛里は築いた、とも言える。
率直に言えば、オレも愛里も波瑠加もクラスとの繋がりは薄い。付き合いのある人物など限られているのが現実だ。その点だけで考えれば、オレたちの印象は薄いだろう。何の力もないと判断されてもおかしくはない。愛里が交換対象として槍玉に挙げられるのも、妥当と言えば妥当だろう。
だが、現実はどうだ? 一端とは言え、オレの実力はお前たちも良く知っているだろう? 波瑠加もまた日常的に男子の視線を吸い寄せている。その事実だけで、確かな印象を残しているのは明白だ。
そして今ここで問われているのは、オレや波瑠加を失ってまで愛里を追い出す意味はあるのか、ということだ。……愛里が残留するのなら、オレとしてもクラスを移る理由はない。それは波瑠加も同じだろう。
そこら辺を踏まえた上で、クラスの皆には賢明な判断を期待しよう」
慣れないながらに論じてみたが、愛里の助けにはなったと思う。
愛里が自らの正体を明かせばこんな真似をする必要もなかったろうが、それは愛里の望むところではない。また、件のストーカー問題を踏まえれば、無暗に知らせるのも二の足を踏む。
以上のことから、愛里の正体を知られずして、愛里をクラスに残留させる方法があるとすれば、愛里を交換対象にすることのデメリットを挙げることだ。実現するかはどうでもいい。その可能性があるだけで、凡百の人間は躊躇する。
「……ふむ。少々話がズレたようだけど、愛里の移動に賛成の者は挙手を」
華琳が促すが、手を挙げる者はほんの僅か。
山内とて友だちがいないわけではない。実利と友情を天秤にかけ、友情を選ぶ者がいたとしてもおかしくはないだろう。
或いは、オレの言い様が気に入らなかったが故の反発もあるかもしれない。
所詮、出来ることなど推測だけであり、真実など分からない。
それでも分かることがあるとすれば――
「では、愛里の移動に反対の者は挙手を」
反対票の方が圧倒的に多いということだ。
自分に関わりが薄いのなら誰が移動してもいい。表には出さずとも本音は似たり寄ったりの筈で、だからこそちょっと揺らしてやるだけで実利を選ぶ者が多かった。……それだけのことだ。
こちらが何も言わずともそれを察してほしいのが理想だが、現状では高望みに過ぎる、ということだろう。
「では、多数決の下、愛里の移動は却下。……他に推薦のある者は?」
迷わずにオレは手を挙げた。
「はい、清隆」
「『人を呪わば穴二つ』と言うだろう? オレは山内を推薦する。
正直に言って、オレは山内に対して『ホラ吹き』以上の印象を持ってない。しかも、時折悪質なホラを吹くから始末に負えない。いつだったか、池たちとの雑談の中で言ってたな。『愛里に告白されたが、地味だからフッた』んだったか? 自分を持ち上げるために他人を扱き下ろす、典型的なそれだ。当時は聞き流したが、今となっては後悔しているよ。無意味に友だちを貶められて、我慢出来る筈がない。
平田は許容出来ないかもしれないが、その上でハッキリと言おう。実力を考えるならば、山内、お前こそがこのクラスにとって最も不要だ。そしてそれは、他ならぬお前自身が招いたことだ。端的に言うならば、お前はオレを怒らせた」
オレは文字通りにゴミを見る目を山内に向けた。
山内の『ホラ吹き』も使い様によってはこの上ない力となっただろう。特に交渉事においては大いに役立ったはずだ。話の中に9の偽りと1の真実を織り交ぜるだけで、相手は勝手に疑心暗鬼に陥ってくれる。全てが偽りならば見向きもされないだろうが、ほんの僅かに真実を含めることで、切って捨てることなど簡単には出来なくなる。……華琳もまた、それを期待していたに違いない。
だが、この2ヶ月と少しの期間、山内には何ら成長が見られなかった。武器たるホラを磨くでもない。本分たる学力を上げるでもない。身体を鍛えるでもない。人脈を広げるでもない。ただ言われるがままに、当たり前のことに気を付けて生活していただけだ。
普通ならそれを悪いとは言わないが、この学校においては話が異なる。実力で評価されるのがこの学校だ。ならば、実力を鍛えぬ者に価値などない。
この制度は、おそらく1年生に対する華琳なりの慈悲でもあるのだろう。
テストで1科目でも赤点を取ったら退学にするような学校だ。実力が低く、その上で鍛えもしない者に対して学校がどのような措置を取るかなど、少し考えれば想像がつく。場合によっては、強制的に退学者を選ばなければならないこともあるかもしれない。
あくまで可能性の段階だが、決して否定出来ない恐ろしさがこの学校にはある。
この制度は、『それが現実として起こる前の予行練習』と見ることも出来るのだ。
「少々言葉が過ぎる気もするけど、意見は意見か。――では、山内の移動に賛成の者は挙手を」
結果は分かりきっている。
そして案の定、クラスの大多数が手を挙げた。
多少意図的に貶めている部分はあるが、オレの発言内容は紛れもない事実だ。『山内はホラ吹き』というのがクラスの共通認識なのだ。
だからこそ、オレはその背をそっと押してやったに過ぎない。……オレの怒りを買いたくない、というのもあるかもしれないが、こうなる下地を作ったのは山内自身の振る舞いなのだ。
ともあれ、これにより山内と椎名のトレードが確定した。
実力のある者は迎え入れられ、実力のない者は放逐される。……残酷なまでの現実がここにはあった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
翌日。
いつもの席から、この2ヶ月ちょっとの間で見慣れた姿はなくなっている。その代わり、見慣れない姿がその席に座っていた。
交換トレードの結果、高円寺と山内がいなくなり、坂柳と椎名を迎え入れた。……その現実が、光景に現れている。
何とはなしに見ていると、うちの片方――高円寺が座っていた席に着いている女生徒が、杖を突きながらオレの方へと向かってくるではないか。
「ふふ、お久しぶりですね綾小路くん。華琳から話には聞いていましたが、まさか本当にあなたがこの学校にいるとは、この目で見るまで信じられませんでしたよ」
親密そうに言われても、生憎とオレには心当たりがなかった。
オレの過去は基本的に『ホワイトルーム』に終始している。日常的に出会う相手など限られていたし、そうでない相手として思い浮かぶのは、実力不足から放逐されたヤツら位のもの。……前者は有り得ないし、後者だとすれば態度が親密に過ぎる。
「……どこかで会ったことが? 悪いが心当たりがない」
「まあ、無理もありませんか……。私は坂柳有栖です。以前、1度だけ父に連れられて『ホワイトルーム』を見学したことがあり、その時にあなたを見ました。ガラス越しに視線も合ったんですよ?」
「坂柳、ということはお前は理事長の娘か。なら、有り得なくはないだろう。……が、悪いな。過去を思い出すのは苦痛なんだ。よってお前のことも思い出せない」
オレは正直に告げた。それが誠意というものだろう。知ったかぶってぬか喜びさせるのは気が引ける。
「私を覚えていないのは残念ですが、仕方ないと言えば仕方ないのでしょうね。ほんの一時の邂逅でしたし、そもそも言葉すら交わしていませんから」
「そう言ってくれると助かる。――オレからも訊いていいか?」
「私に答えられることでしたら」
「実際に『ホワイトルーム』を見知った者として、お前はあの施設をどう思う?」
こればかりは華琳や北郷に訊いても無意味な問いだ。何故ならあの2人はホワイトルームを知らないから。
だからこそ、ほんの僅かにでもあの施設を知る者の意見を聞いてみたかった。……理事長にも訊いたことがあったが、その答えはオレの望むものではなかった。年代も違えば視点も違うのだから無理からぬことと理解はしているが、その答えがオレの諦観を深めたのは紛れもない事実だった。
それでも、尚もこうして他の者に確認を取る辺り、オレはどうしようもなく焦がれているらしい。オレの意見に同調してくれる者に。オレの想いを後押ししてくれる存在に。
「あの施設について私の知ることなど非常に限られています。その前提において答えさせていただくと、率直に言って『無駄の極み』ですね。積み重ねたノウハウがいずれ役立つだろうことは否定しませんし、実際にあなたのような実力者も育っている。……が、私が聞いたそもそもの創設目的を考えると無意味に等しい。――これが私の見識に基づいた感想です」
果たして、坂柳の答えはオレの望むものであった。……ああ、そうだ。その通りだ。あの男の――父のやっていることなど意味が無いのだ。
無論、坂柳とオレとでは施設について知っていることにも差があるだろう。実際にあそこで育った者とそうでない者の違いもあるだろう。
だが、そんなのは些細な問題だ。重要なのは、父の否定者がいたことであり、『オレの想いは間違っていない』と感じられたことにあるのだから。
ジワリ、ジワリ、身体が内側から熱くなっていく。そんな気分に囚われる。
「く、くくく、ははは、はははははは……ッ!」
気付けば、オレは笑っていた。大口を開けて、笑っていた。
止めようと思っても止められない。……いや、もしかしたら止めようとすら思っていないのかもしれない。
それほどまでに、オレは愉快な気分になっていた。
なるほど、今なら分かる。
これが。
この心の底から湧き上がるような情動こそが『喜び』だ。
華琳と契約を結んだ時とも違う。愛里の柔らかな手を握った時ともまた違う。……どちらも心が震えたことに違いはないが、決して今回ほどではなかった。
「あ、綾小路くん?」
「はははははは……ッ! はぁ、はぁ、オレのことは清隆でいい。礼を言う、坂柳。お前のおかげで、オレは今までにないほど愉快な気分になれた。これ以上ないほどに『喜び』というものを実感出来た。……今のオレは、心の底から晴れ渡った気分だ」
この言葉に嘘はない。何事も気の持ちようということか。実際、景色が今までよりも色づいて見えるのだ。
おそらく、今まで無意識下で切り捨てていた部分が、ある種の余裕が出来たことにより見えるようになったのだと思う。
それほどまでに、オレは父という存在に抑圧されていたのだ。
「は、はあ。よく分かりませんが、どういたしまして。それと、私のことは有栖でいいですよ、清隆くん」
「分かった。今後ともよろしく頼む、有栖」
握手をしあう。愛里とはまた違う感触の柔らかさだった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
教室に入った俺を出迎えたのは、綾小路の哄笑だった。
その珍しさに、思わず呆気にとられてしまった。
「おはようございます、北郷くん。これからよろしくお願いしますね」
そんな俺を正気に戻したのは、椎名さんによる挨拶だった。
「あ、ああ。おはよう、椎名さん。こちらこそ、よろしく」
「ところで、1つお訊きしたいのですが、あの時点でこうなることを想定していたのですか?」
「いや、流石にこうなるとは思っていなかった。……が、遠からず波乱が起きるだろうとは思っていた。
俺は華琳をよく知っている。彼女が生徒会に入り、剰え副会長になったんだ。何が起こるか分からなくても、何かが起こった時のために布石ぐらいは打っておくさ。……正直に言えば、あの時点では椎名さんの勧誘もその1つに過ぎなかった」
これは事実だ。華琳が動くことは知っていたが、それにより物事がどう転ぶかまでは分かる筈もない。
逆に言えば、転ぶことは分かっているのだから、可能な限りの準備を整えておくことは出来たわけだ。
「なるほど、前情報の段階で後れを取っていたわけですか。そして、物の見事に私と龍園くんは言質を取られてしまった。あなたを相手に『
結果、大半は申請を出したくても龍園くんへの恐怖から動けないでしょうが、私に限ってはその軛の外にいることが出来た。そして申請を出し、通ってしまった。……これからのDクラスは、より厳しくなるでしょう。
龍園くんも自らのミスを認めているでしょうが、それを誘発したのは北郷くんです。まず間違いなくDクラスの矛先は北郷くんと私へ――このクラスへと向けられるでしょう。
あなたにとって、私にはそれだけの代価を払う『価値』がありますか?」
柔和な雰囲気を崩さぬまま、椎名さんは問うてきた。
客観的な事実として、椎名さんは龍園の独裁政権から脱出することに成功したのだ。
その事実は、燻ぶっていた火に薪を突っ込んだに等しい。我も続けとばかりに申請を出す者が、Dクラスから続出する筈だ。……が、現実はそんなに甘くない。十中八九にその申請は通る筈がない。未来ならまだしも、現時点で他クラスについて知っていることなど少ないのだから。俺が椎名さんを知れたのも、結局は偶然の産物だ。彼女が小テストに対して真面目に向き合わなければ、あの時点で俺が知ることは無かっただろう。
しかしてその行為は、より厳しい弾圧を齎すこと請け合いだ。希望は絶望へと反転し、Dクラスの生徒たちは脱出を果たした椎名さんへと憎悪を向けるだろう。責任転嫁も甚だしいが、それが人間というものだ。
直接的な問題行為を働くとは思えないが、校則に引っ掛からない範囲で何かを仕掛けてくることは十分に有り得る。それが搦め手というものだし、未だ謎が多いSシステムを把握する上でも役に立つ。
どこまでが『問題行為』として認識され、どこまでは認識されないのか。それを知ることは、この学校で生き残るための重要なピースだ。
あの龍園ならば、『報復』と『模索』の一挙両得を狙ってきても不思議ではない。
頭のいい椎名さんが、その程度のことを分からぬ筈がなかった。
「勿論だとも。……何だかんだと言ってところで、遅かれ早かれ他のクラスとぶつかり合うのは必然だ。今回の件は、そのタイミングと攻勢度合いに変化を齎しただけに過ぎない。それでも初手である以上、『様子見』のレベルを超えることもないだろうしね。受け手側としても、逆に探りを入れられる」
「それを聞いて安心しました。私もクラスの一員として協力すべきところは協力しますが、基本的には日常を謳歌させていただきますので」
「それで構わないよ。研鑽は必須だけど、こんな学校だからこそ日常を楽しめなくなったらお終いだ」
茶柱先生が教室に姿を見せたのは、それから間もなくのことだった。
骨折で入院する事になりました。
執筆はPCでしてるため、次話の投稿は未定となります。
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