時系列的には列車テロの前、ヴァイオレットが依頼を通して成長していく段階になります。ヴァイオレットがこなした依頼の一つに、こんなものがありましたよという話です。15,000字あります。お時間があれば、どうぞ。

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軍人と自動手記人形

 シリウス・エヴァンズが目を覚ました時、初めに目に入ったのは真っ白の天井だった。次に、鼻の奥を刺激する消毒液とかすかな血の匂い。

 ここは軍事病院のベッドの一つであり、そこに臥せるエヴァンズもまた、勿論軍人であった。濡羽色の髪と目、精悍な顔立ちに、しなやかで引き締まった筋肉のついた体躯。恐らく、二十代頭頃。目を覚ましたばかりの彼の目は虚ろだった。両手を握ったり開いたりして体の感覚を確かめる。

「やぁ、おはよう。」

「…ドクター。」

 彼に声をかけたのは、鈍色(にびいろ)の長髪を後ろでまとめた猫背の男だった。男は目の下に大きな(くま)をこしらえていて、軍医としての気苦労が窺えた。

「体調はどうだ?」

「少し手が…痺れますね。」

 エヴァンズはゆっくりと上体を起こして言った。

「…そうか。まぁ、そのくらいで済むなら上等だな。今回は本当に死んだと思ったぞ。なんせ、銃弾が頭に命中してるんだからな。」

 ドクターと呼ばれた男は白衣のポケットからゆったりと手を出し、軽く握った拳で自分の頭をこつこつとノックした。

「メットで急所は逸れたし、運良く弾丸も頭ん中には残らなかった…とはいえ、衝撃で脳が思い切り揺れちまったみたいだな。どんな後遺症が出るか分からん。」

「後遺症…」

「ああ。末端…つまり手足の震えや痺れ、頭痛、それから…記憶に障害が出るかもしれない。」

 彼は白衣のポケットの中で拳を握りしめ、喉から絞り出すように目の前の患者の絶望的な事実を伝えた。最善は尽くした。だが、完全には救いきれなかった。それが事実だ。既に罵られる覚悟は出来ていた。瞼を固く閉じ、彼はエヴァンズの次の言葉を待った。

 しかし、エヴァンズは。

「そうでありますか。感謝するであります。」

「──え?」

 軍医は驚いて、固く閉じた瞼を開いた。そして、目の前で満身創痍の患者が微笑んでいるのを見て、さらに驚いた。

「生きていれば、万事安泰であります。どんなに辛くとも、どんなに痛くとも。──生きてさえ、いれば。」

 何かを思い出す様に目を伏せて言った少しの間の後の一言に、軍医は胸を詰まらせた。

 ──こいつは、また隈が増えちまうな。

 病室の重い空気は、やがて看護師の扉のノックによって打ち破られた。

「スコット先生、面会です。シリウス・エヴァンズ様と面会したいと…」

 どうする、とスコットはエヴァンズに目配せすると、エヴァンズはこくりと頷いた。

「通してくれ。」

「──療養中失礼。」

 木の床をゴツゴツと軍靴で鳴らして入って来たのは、金髪をオールバックに撫でつけた男と、その部下二人だった。頬は()けていて、炯々(けいけい)と光る目は獲物を狙う鷹をおもわせる。

 上官らしきその男は部下たちに『待機』とだけ伝えると、スコットにエヴァンズの回復経過等を確認するため少し離れた。

「無様だな。『不死身の怪物』とまで言われた人間が。随分と人間のフリが上手くなったじゃないか。」

「…昔の話であります。」

 エヴァンズに話しかけたのは、待機と言付けられ手持ち無沙汰となった部下の一人だった。

「今も言われているじゃないか。昔とは違った意味のようだが。作戦の失敗も、仲間の死すらもそっちのけ。敵前逃亡は当たり前。生への執着は正に怪物並みだ。」

「…」

「そして部隊は全滅し、この様だ。お前は勇敢に逝った仲間達に対して、何を思ってる。」

 部下の男はエヴァンズを(そし)るように低い声で言った。

「自分は…」

 エヴァンズが遠くを見て言い澱んだ。それは男に気圧されている訳ではなく、言っても無駄だと考えて言い澱んでいるように見えた。

「自分は、自分の命が大切であります。必ず生きて戦場から帰ります。」

 エヴァンズのあまりに利己的な答えに、男の額に青筋が浮かぶ。

「貴様は…!」

「よせ。戯れるのもそこまでにしろ。」

 怒りのままに大声を出しかけた部下の男を、いつの間にかスコットとの話がついていた上官の男が後ろから嗜めた。

 その声は冷ややかで、部下の男がエヴァンズを謗った時より遥かに威圧的だった。

「失礼した。本人に関わる重要事項ゆえ、再度確認する。シリウス・エヴァンズで、間違い無いな?」

「臥したままで失礼します。確かに、自分がシリウス・エヴァンズであります。」

 エヴァンズが弱々しく敬礼をする。

「敬礼はいい。怪我人は楽にしていてくれ。今日ここに来たのは、ただの言伝だ。」

 上官の男は部下に右の掌を差し出すと、部下の男は麻紐で丁寧に結ばれ丸められた紙をその掌の上に載せた。

 上官は麻紐を解き、紙に記された字を読み上げた。

「異動司令。シリウス・エヴァンズを、本日を以て戦略特別攻撃部隊、通称『ヴァイオレット』に異動する。…以上。」

 その部隊の名を聞いた時、エヴァンズは自分の血の気が引いた音を確かに聞いた。震えるほど体が冷えるのに、汗が止まらない。一瞬でからからに乾いた喉を鳴らして生唾を飲み込み、自分がこれから所属する部隊の名を小さく唇から零した。

「これにて我々はお暇する。療養を邪魔をしたな。」

「…いえ。」

 病室を退出する間際、エヴァンズを一瞥した部下の瞳には変わらず蔑みの光が宿っていた。

「…ドクター。」

 男達が病室を去った後、エヴァンズはスコットに声をかけた。その顔は蒼白で、声は目覚めた時よりさらに弱々しいものだった。

「手紙と、ペンを。」

 スコットから手紙とペンを受け取ったあと、エヴァンズは手紙を書き続けた。

 それは夜の暗闇が地上に蓋をしてからも同様で、かすかなランタンの光を頼りに書き続けた。

「もう寝ろ。」

 ドアの軋む音を立てて入ってきたのは、スコットだった。

「明日からリハビリも始まる。今日は休め。」

「…もう少しで、書き終わります。」

 スコットはちらりとエヴァンズの横に山積みになった手紙の残骸を見て、ため息をついた。

「嘘つけ。手紙を書き始めてから何時間経ったと思ってる。本当は、一文字も書けていないんだろう。」

「…書けています。」

 エヴァンズは羽根ペンを持った震える右手を左手で抑えて言った。その様子を見て、スコットは再びため息をつく。

「…悪いが、その手じゃ厳しいんじゃないか。痺れて自分の手じゃないみたいだろ。引き金どころか、字すらまともに書けるとは思えない。」

 エヴァンズは目を伏せて唇を噛んだ。反論できなかったのは、スコットの言葉に間違いがなかったからである。

「ただ、手紙を書くなと言っている訳じゃない。そこまで手紙が書きたいのなら、代筆屋に頼めばいい。」

 自分を不審げに見つめるエヴァンズに、スコットは言葉を続けた。

自動手記人形(オート・メモリーズ・ドール)だよ。聞いたこと無いか?字が書けなくても、自分の言葉を手紙にしてくれるんだ。代金は私が払おう、とっておきのドールを呼んでやる。」

 だからもう寝ろ、とスコットは欠伸(あくび)をしながら出て行った。

 

 

 

 

 

 数日後、未だ諦めきれずベッドで手紙を前にペンを握っていたエヴァンズの前に、その女性は現れた。

 月の光を編んだような黄金の髪をダークレッドのリボンで飾り、瞳は海より深く空より澄んだ碧眼。

 細身の体を白のワンピースドレスで包み、プルシアンブルーのジャケットはドレスの白を引き締める。

 そして、胸元に煌めくのはエメラルドのブローチ。

 彼女は荘厳で、静謐で、奇妙で、そして何より美しかった。

 唖然とするエヴァンズに歩み寄ると、一歩手前でプリーツスカートの端をつまんで礼をした。

「お客様がお望みならどこでも駆けつけます。自動手記人形(オート・メモリーズ・ドール)サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです。」

 その声は玲瓏で、涼やかに耳に響いた。しかし、エヴァンズの頭を打ったのは、その美しい声ではなく、それが織りなした彼女の名前であった。

「…ヴァイオレット…。」

 無意識に口の中で転がしていたその単語は、本人にも知られることなく唇の外へ零れ落ちた。

「なんでしょうか。」

 ヴァイオレットは自分が呼ばれたものと思い、顎を引いたままエヴァンズを見つめる。

 その人形のような動作にたじろいだエヴァンズは、身振りを大きくして慌てて弁解をした。

「い、いえ。何でもありません。ただ、自分の所属する隊もヴァイオレット(すみれ)と呼ばれていまして。あ、いえその、無骨な名前だと言っているわけではなく。──良い名前だと、思います。」

「ありがとうございます。…この名をくれた方は、神話上の花の神様の名だと仰っていました。この名に相応しい女性になりなさい、とも。」

 スミレの花という意味ではなく、とヴァイオレットが付け加えると、エヴァンズは目を細めて口角を上げた。

「なるほど。尚更、良い名前であります。」

 ヴァイオレットは賛辞の言葉に再び礼をした。

「それでは、手紙の宛先と内容を伺ってもよろしいでしょうか。時間には限りがあります。」

 そこでエヴァンズは確かに、とうなずいた。自動手記人形サービスのことは聞いたことが無かったが、リハビリがてら傷病兵に尋ねたところ、富裕層を相手取ることの多い仕事で依頼料もそれ相応らしい。もしかしたら、時間がかかるほどスコットに迷惑がかかるのかもしれない。

「宛先は──妻に、お願いします。内容は、まだ…」

 エヴァンズが口ごもると、対照的にヴァイオレットが明朗に対応した。

「承知しました。内容はこれから考えましょう。タイプの速度にはある程度自信があるので、思索には時間が取れるはずです。」

 そう言って爪の先を噛んで手袋を外し、露わになった手を見て、エヴァンズは息を飲んだ。それは、エヴァンズは何度も何度も目にした、しかし彼女にはあまりに似つかわしくない──鈍く輝く、義手だった。

 しかし、ヴァイオレットから何も話がないことから、自分から聞くのは無遠慮だと考えエヴァンズはそのまま話を続けた。

「感謝します。なかなか会えない妻に手紙を送りたいのですが、何を送れば良いのか…」

「なるほど。それでは、定番ですが近況報告等はいかがでしょう。」

 ヴァイオレットの提案にエヴァンズは腕を組んで唸った。

「戦場の報告をしても…」

「では、奥様との馴れ初めを書かれては。同僚にこのような手紙を得意とする者が居りますが、常套手段だと聞いています。」

 次の提案には、頬をかいて照れ臭そうに笑って言った。

「照れますね。妻も照れ性なので、最後まで読んでくれないかもしれません。──妻は、言葉の意味を人一倍よく考えるのです。職業柄。」

 なので、とエヴァンズは照れ臭そうな顔に影を作って続けた。

「──愛してる、とも一度しか言ったことが無いのであります」

 ぎしり、とヴァイオレットの方から音がした。

 エヴァンズが顔を上げると、それは彼女の義手が鳴らした音だった。

「旦那様は」

 ヴァイオレットは初対面では気づかないほどささやかに唇を震わせて、エヴァンズに問うた。その震えは、期待と焦燥と、わずかな寂寥。

「旦那様は、その言葉をご存知なのですか。」

 ──『愛してる』という言葉を。

 唐突な彼女からの初めての質問に、エヴァンズは口を開けた呆けた顔を隠しきれなかった。

「知らないのでありますか。」

「──よく、分かりません。」

 一目見た時から人間離れしているとは感じていたが、ここでエヴァンズはその心象をより強くした。

 そして、彼女とかつての自分を重ね、最愛の人を思い描きながら答えた。

「自分はその言葉を、妻に教わりました。意味を知ったのはここ最近なので、説明はし難いのでありますが…ずっと側に居たい人に対して、そう言うらしいです。」

「それは、良いものですか。」

 思いがけず食い下がったヴァイオレットに驚きつつ、エヴァンズは少し笑って答えた。

「ええ、とても。──ところで、自分からも一つ、質問を許して頂けませんか。」

「なんでしょうか。」

「エヴァーガーデン殿は、とても大切な人…例えば、この人が居なくては自分はどうにかなってしまうと、それくらい大切な人に、どんな手紙を贈るのでありますか。」

 エヴァンズのその質問に、ヴァイオレットは少し俯いて顔に影をつくる。瞬きと息さえしなければそのまま芸術品になりそうな美しさに、エヴァンズは慌てふためいた。

「な、何か言えない事情があるのなら結構であります!それとも、不快な思いをされたなら申し訳ない。謝罪を…」

「手紙は」

 ヴァイオレットの玲瓏な声が遮った。

「…私用の手紙を書くのは、随分昔に辞めました。」

「ど…どうして」

 つい、エヴァンズは尋ねてしまった。単なる好奇心が言葉となってこぼれ落ちたものだった。何か立ち入ってはいけない領域を覗き込んでしまったことは薄々分かっていたが、どうしても口が動いてしまった。

「届いて欲しい人に、もう手紙が届かないからです。」

「どうして…届かない手紙などないはずです。実際、貴女はこんな戦地にまで赴いてくれました。その方がいる場所は、戦場より過酷な場所なのですか。」

 どうして、どうしてと子供のように質問を繰り返す。理性が止めた。本能が止めた。経験が止めた。だがそれ以外の何かが、それら全てを押しのけて言葉を紡いだ。

「…最後にその人を見た場所は、戦場でした。」

 

 好奇心は、猫をも殺す。

 

「──その人はもう、死んでしまいました。」

 

 鋭く息を吸い込んだ。そのまま瞬きも息も忘れ、世界でそこだけ時間に置き去りにされたような錯覚の中で、冷や汗だけが流れ落ちた。

「…え、え?」

 やっとゆっくりと時間が動き始めたとき、エヴァンズが口にできたのは間抜けな声だけだった。

「し、しかし。その人以外にだって、手紙は書けます。いえ、書けなくてはなりません。なぜ、その人に届かないからと言って、手紙を」

 理由など、分かっていた。慌てて戸惑って狼狽してふためいて戦慄して、喉の奥で言葉がこんがらがった。結果吐き出された言葉は、とんでもなく野暮で生産性のないものだった。

「…その人に届かなければ、意味が無いからです。その人でないと駄目なのです。」

 胸が爛れていく感覚を覚えた。

 ──ああ、そうだ。そうなんだ。この人はずっと、待っているのだ。口では死んだと言っても。心が全てを否定する。

「──貴女は、強いですね。強くて、綺麗だ。」

「いいえ。…いいえ。私は弱いです。私は剣で、盾でした。それなのに、何も守れなかった。私は弱いです。とても…」

「容姿や戦闘能力の話ではありません。…容姿も美しいのは確かですが。自分が言っているのは、心の話であります。」

「心…」

「はい。エヴァーガーデン殿は、何かを信じる心というのがどれだけ尊いか、ご存知でしょうか。」

 ふるふると首を振って否定するヴァイオレットに言葉を重ねる。

「貴女は、その人をまだ待っています。亡くなったと、口ではそう言っても、あり得ないと信じ続けている。」

 亡くなった、と言う部分だけ心なしか声のトーンが小さくなる。

「…いいえ。確かに死んだと聞きました。」

「自分の心で、お願いします。」

 眠る人々を優しく抱く夜のような眼差しが、ヴァイオレットを捉える。

「──私は…」

 ヴァイオレットが俯いたとき、その視線の先にはいつもエメラルドがあった。彼女がかつて『うつくしい』と評した、軍人の瞳とよく似たエメラルドが。

 

「私は、生きていると、思っています。」

 

 その絞り出したような言葉が、あるいは堰き止めようとしたような言葉が、否が応にもそれが本音だと思わせて、エヴァンズに息をつかせた。

「根拠も確証もなく、ただその人だからという理由で、信じて…待ち続けられること。それはとても尊いもので…人は、それを『愛』と呼ぶのであります。」

「愛…」

 ヴァイオレットの紺碧の瞳にさざ波が立ち、微かに揺れ動いた。

「しかし、私の周囲の人間は…それを、愚かだと言います。もう待ち続けるのはやめろと。」

「それも…貴女を思ってのことです。良い環境に恵まれましたね。確かに、不確定なものを信じるのは愚かなことかもしれません。ですが…」

 エヴァンズは目を細めて笑った。

 

「愛とは元来、盲目なものであります。」

 

「ところで、手紙の内容が決まりました。タイプの準備を。」

 澱みかけた空気を変えるようにエヴァンズが声をかけると、ヴァイオレットは黙って頷くとタイプライターに手をかけた。

「それでは…        、とお願いします。それだけで結構です。」

「よろしいのですか。まだ時間はあります、もっと練った文章でも…」

「いえ。これで充分です。充分、妻には伝わります。」

 ヴァイオレットは一瞬腑に落ちない顔をしたが、すぐに受け取った言葉を字に書き起こした。瞬く間にタイピングを終えると、タイプライターから紙を引き抜いて肩に掛けたポーチにそっとしまった。

「本日は、自動手記人形(オート・メモリーズ・ドール)サービスのご利用、ありがとうございました。またのご依頼を心よりお待ちしております。」

「手紙を、よろしくお願いします。」

 口上を述べて美しく礼をするヴァイオレットに、エヴァンズは託すように敬礼をした。

「それと…エヴァーガーデン殿。」

 声をかけてから、これは言うべきなのかと迷って瞳を右往左往させ、唇を何度か軽く開閉すると、やっと心を決めたように濡羽色の瞳を彼女へ向けて言葉を告げた。

ヴァイオレット(すみれ)の花弁は…一度散ってしまうと、もう二度と元に戻ることは無いのです。」

「それは…どういう意味でしょうか。」

 深く黒い彼の瞳には、疑問符を浮かべる美しい女性が映っていた。

「いえ、良いんです。分からなければ、それで。別れの言葉は詩的になりがちなのであります。」

 ヴァイオレットはそれでも腑に落ちない顔をしていたが、深い意味はない、というエヴァンズの言葉に一度礼をして病室を後にした。

「良かったな、明日の出撃に間に合って。ギリギリだった。」

 ヴァイオレットと入れ替わりで病室に入ってきたのは、軍医スコットだった。

「ええ。本当に。」

「…ヴァイオレット(すみれ)の花弁、か。」

「…ええ。」

 エヴァンズは、盗み聞きかと問いただすこともなくただ肯定した。

「死ぬなよ。」

 いい加減安心して寝かせろ。そう言ったスコットの顔はまさしく医師の顔だった。

「無論です。妻から返事が届くまで、自分は死ねません。」

「…そうかい。」

 

 

 

 

 

 その夜、夢を見た。

 真っ暗な空間だった。暗い、というよりかは黒い、どこまでも深い虚無の中にエヴァンズは立っていた。

 どこからか声が聞こえた気がした。振り返ると、そこには先ほどまで居なかったはずの迷彩服を着た男たちが無数に立っていた。顔は覗き込めば吸い込まれるような虚。皆体格は様々だったが、手に持つ銃と迷彩服、顔面の虚は共通していた。

 そして、その迷彩服には見覚えがあった。それは、今まで彼が幾度となく弾丸を叩き込んだ敵の迷彩服だった。

 虚の一つが叫び声を上げた。それは死に際の断末魔、悪魔の絶唱。その声に呼応する様に周りの虚たちも悲鳴を上げはじめた。

 その悲痛な声は総て、エヴァンズの前で散っていった、否エヴァンズが散らせた命の最後の悲鳴だった。

「…っう、うあああああああ!」

 いつの間にやらエヴァンズの手には馴染みすぎた銃が握られていて、一心不乱に虚たちを撃ち殺した。 

 弾丸が貫くと、彼らは霞のように消えた。再び黒いだけの空間が広がり、ぜえはあと荒く息をしたところでエヴァンズは胸に異様な感覚を覚えた。

 そのあたりを触れると、ぬるりとした嫌な感触。何かが気管から迫り上がってくるのを感じて咳き込むと、それは血の塊だった。

「隊長…」

 また、背後から声がした。その声の主はかつてのエヴァンズの部下で、今はもう顔も見れないはずの男だった。その男が、銃剣でエヴァンズの背中を貫いていた。

──なぜ守ってくださらなかったのですか。

 その目は怨みに燃えた目だった。すまない、という言葉もその目を見ると薄っぺらく聞こえて、喉の奥にかたまりとなって堰き止められる。

 不意に、ずぶりと体が沈んだ。無数の手が、黒い床から伸びて脚を引っ張ったからだった。

 酷い、何故あなただけ、苦しい、助けてと罵倒の言葉が空間に響く。その度に、すまない、すまなかったと頭の中で呪文のように唱えるしかなかった。無数の手が喉元まで届き、飲み込まれる──そう思った時、エヴァンズは意識を取り戻した。

 がばり、と上半身だけで勢いよく起き上がる。

「はぁっ、はっ…」

 肩で息をする彼の寝巻きは汗でぐっしょりと湿り、喉はからからに乾いていた。

「…水…。」

 強烈な吐き気と頭痛を耐えながらベッドから這い出ると、水のある厨房へ向かった。

 カップを手に、蛇口を捻る。なみなみと水を満たし、カップを口元に運ぼうとした時、手が一際大きく震えて手からカップが逃げ出した。

 カップは硬質な音を立てて床と衝突し、あたりに水溜りを作る。顔をしかめながらカップを拾おうとして、ぴたりと動きが止まった。

 彼の全身が震えていた。手だけでなく、全身が。これが後遺症でないことは、既に彼も理解していた。再び呼吸が荒くなり、汗を拭ったばかりの肌がじっとりと湿りはじめる。

 ついに彼はその場に座り込み、自分の両の肩を抱き締めるようにうずくまってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「…死にたくない…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼はかつて、獣であった。全てを破壊し、やがては自らをも滅ぼす破滅の化身。初めて戦場を駆けたのは、十二の頃。病を患った母の治療費のため、自ら志願して入隊した心優しい少年のはずだった。

 生還した初めての夜は、死ぬほど吐いて寝付けなかった。悲鳴と銃声の残響が頭の中を巡っては消え、生きている実感を嗚咽と共に噛み締めた。

 そんな夜を一年ほど過ごした頃、彼は死体を踏み歩けるようになっていた。

 また一年経つと、彼は鼻唄を歌って人を殺せるようになっていた。

 より金を稼ぐためには、より敵を殺せば良いと考えていた。その為には、彼は壊れてしまう他道は無かったのだ。

 銃を失えば殴り殺す。

 腕を失えば蹴り殺す。

 脚を失えば咬み殺す。

 命を失えば呪い殺す。

 それが彼の信条となった。もっとも、その強さ故銃すら失うことはなかったようだが。

 彼の絡む生存者報告書には、修正点が多い。それは、彼の部隊が撤退、あるいは全滅した際も単騎で敵陣に潜り込み、敵部隊を荒らしに荒らして誰もが死んだと思った翌日単独で帰還するからである。彼のせいで『全滅』という字が黒く塗り潰され『生存者一』と書き直された報告書は一つや二つではない。

 そうして『不死身の怪物』と呼ばれ始めた彼のもとに、訃報が届いた。

 彼の母の訃報だった。

 同封されていた彼の母からの手紙には、エヴァンズへの惜しみのない愛が綴られていた。

 しかし、彼はもう既に、壊れきってしまっていた。

「愛って、何だっけ。」

 首を傾げた彼の瞳は、涙で滲んではいなかった。

 翌日、彼は数日の休暇を貰うと母の葬式へ向かった。親族のみで執り行う小さな葬式だった。

 余った休暇で、図書館へ向かった。調べ物をするためである。棚から重く分厚い辞書を引き抜くと、『愛』という言葉を探した。そこには、ひどく機械的な言葉の羅列がのさばっているだけで、感情の一種だという既知の事実を再確認しただけだった。

「…埒があかない。」

 エヴァンズは顔をしかめて辞書を棚に戻すと、司書に声をかける事にした。

「失礼します。『愛』とは何か、知りたいのですが。」

「え?」

 声をかけられた女性は、プロポーズかナンパかと勘違いして顔をしかめたが、エヴァンズの怪訝そうな表情にそうではないと気づいたようだった。

 しかし、この女性こそが後に別の言葉でプロポーズを受けエヴァンズの妻となる、ソフィア・クローバーだった。

 ソフィアは腕を組んで唸ってから、エヴァンズの瞳を真っ直ぐに見つめて答えた。

「…例えば、この人と離れてしまったら自分はどうにかなってしまう、って人は居ないかしら。」

「銃を手放すと、若干不安に感じます。」 

「か、変わってるわね…でも、そうじゃなくて。銃は壊れたりしても代わりがあるでしょ。もっとこう、かけがえのないものよ。」

 首を傾げるエヴァンズに、ソフィアは続ける。

「つまり。ずっと側にいたい、この人でなきゃダメだって時に、愛を感じるのよ。」

 それなら。母のもとを離れて金を稼ぎに出たあの日の自分は、

──母を愛してはいなかったのだろうか。

「それは違うわ。」

 ソフィアはきっぱりと否定した。

「肉体的に側にいるだけじゃなくて。離れていても互いに想い続けられる事、心が側にいることも、愛してるということなのよ。」

──あなたは確かに、お母さんを愛していた。

 エヴァンズの瞳から、雫が零れ落ちた。それが涙と分かった時、もう止めることは出来なかった。

 とっくに乾いてしまったと思っていた涙が、心が、体の奥の奥の方から止めどなく、どうしようもなく溢れてきた。

 母の最後の手紙を思い出した。紙いっぱいに綴られた母からの愛。あの時首を傾げただけだった母の言葉も、今受け止めようとするとひとつひとつの言葉があまりに重かった。

──母は、最後くらい自分と共に居たかったのかもしれない。

 その今となっては届かない想いもまた、彼の胸を燃やす薪となった。

「うっ…ぐ、う」

 その嗚咽は確かに初出撃の夜のもので。愛を知る少年のものだった。

 エヴァンズはしばらく、初対面の女性の前で泣き続けた。

 

 

「…申し訳ありません。取り乱してしまいました。」

「いいですよ。誰だって泣きたい時くらいあります。」

 エヴァンズが鼻をすすりながら詫びると、ソフィアは笑って答えた。

「あ…あの。お名前を、聞かせてくださいませんか。」

「ソフィアです。ソフィア・クローバー。」

「クローバー…殿。」

「ソフィアでいいですよ。あなたは?」

「シリウス・エヴァンズであります。」

「シリウス。また分からないことがあったら聞いてね。」

「しかし、自分は離れた場所で働いているので。いつまた来れるか…」

「手紙があるじゃない。」

「手紙…」

「そう。貴方のペースで良いわ、けれど書いた手紙は必ず届く。貴方が手紙を書いた時、私たちは想いを等しくできるのよ。」

「それは…愛、でありますか。」

 赤らめたソフィアの顔が、印象的だった。

 それからエヴァンズはソフィアに手紙を送り続けた。ソフィアも、丁寧に返事を書いて送り返した。

 虫の鳴く夜も、空気の澄んで星が美しい夜も、手がかじかみ息を吐きかけて温める夜も書き続けた。

 そして咲き誇る花が美しい季節となった時、エヴァンズは再び休暇を貰って故郷へと戻った。足の向かう先は、あの図書館。あの司書へ、あの時と同じように声をかけた。

「ソフィア。」

 ソフィアは意外な訪問者に驚いて振り返った。

「あら、シリウス。休暇を貰えたのね。今日はどんな言葉かしら。」

「今日は…」

 鼓動がうるさい。ソフィアに聞こえていないかと心配になる。

「今日は、貴女に教わった…その…愛、を…自分なりに、伝えに来ました。」

 だんだん小さくなっていくその言葉を聞いて、それが自分へのプロポーズだと気づいたソフィアは顔をぱっと紅葉のように赤くした。

 エヴァンズは乾いた唇を湿らせて、心を決めたように息をついてから言葉を続けた。

「言葉に真摯な貴女の態度に惹かれました。──貴女とずっと共にいたいと、そう思いました。貴女でなければ駄目なのです。

 目を失っても、ずっと手を握ります。

 手を失っても、ずっと隣で歩みます。

 足を失っても、ずっと愛を語り続けます。

 命を失ってしなえば、空から見守り続けます。

 ソフィア・クローバー殿。愛しています。自分と…結婚してください。」

 彼女は、潤んだ瞳で答えた。

「──はい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 濡羽色の瞳を開いた。

「おはよう。よく眠れたか?」

 再び目を覚ました時、やはり目の前に居たのはスコットだった。

「良い夢と、悪い夢の両方を。」

「そうか。…特攻隊の装備が届いてる。飯食べたらそれ持って第二演習場に行け。」

 エヴァンズの敬礼を見届けて、スコットは病室を後にした。

 その後で口にしたぱさついた糧食はいつも以上に喉を通らなかった。

 第二演習場に集められたのは、エヴァンズを含めた5人の男たちだった。彼らの目の下には例外なく青いクマが出来ていて、泣き腫らしたように目の赤い者も居た。

「全員、傾注!」

 そこに、体格の良い男が現れた。胸についた徽章から上官だと判断した5人は、条件反射的に敬礼をした。

「これより、戦略特別攻撃部隊攻撃作戦の説明を始める!」

 特別攻撃部隊ヴァイオレット(スミレ)の装備は、多くの点で一般の歩兵部隊とは異なる。旧式で時代遅れの銃、やたら機動性に優れた防弾ベスト、そして──男1人で抱えられるくらいの、爆雷。

 

 特攻隊『ヴァイオレット(スミレ)』。一度散ったらもう二度と元には戻らない、人間爆弾である。

 

「貴様らの任務は、敵の野営地の壊滅だ。発見が遅れてしまったため西の森から徐々に範囲を広げ、今では犠牲者無しでは潰し得ない強力な拠点となっている。そこで勇気ある貴様らの出番だ。1人が爆雷を抱えて突撃、他四人は突撃を援護しろ。」

 勇気、という言葉に男の1人が小さく乾いた笑いを漏らす。上官が睨め付けるが、男も濁った目で睨み返した。あまりの凄みに一瞬怯む。

「…了解。」

 エヴァンズは消え入りそうな声で返事をした。普段なら声を張らない返事には怒号と鉄拳が飛ぶのだが、今回ばかりは従順な態度に満足したように深く頷くのみだった。

「頼んだぞ。最後まで帝国軍人らしく()れ。19:00(ヒトキュウマルマル)より、作戦を開始する。それまでは…自由だ。解散。」

 そう言って、上官は胸を張ったまま何処かへ行ってしまった。

「よう。正真正銘、最後の自由時間だってよ。どうする。遺書でも書くか?」

「…ローガン。」

 エヴァンズに皮肉めいた口調で語りかけてきたのは、先程上官に喧嘩を売った男だった。

「つってもまぁ、俺の目はもう使いもんになんねぇからよ。遺書なんて書こうにも書けねェんだがな。」

 くくっ、と自嘲気味に笑う。

「…病気でありますか。」

「白内障だ。てめーの酷ェ泣きっ面拝めねーのが残念だぜ。」

 出口へ向かっていたエヴァンズの足がぴたりと止まる。それに伴って、隣で歩いていたローガンが二、三歩先に進んでしまってから振り返る。

「おい、急に止まるな。」

「自分は、泣きません。」

「…はァ?」

「自分は、死にません。遺書も書きません。死ぬわけにはいかないからです。皆さんも必要ありません。死ぬ事を計画に入れる馬鹿がどこに居ますか。自分は必ず帰ります。帰らなければならないのです。」

 まるで自分に言い聞かせるような言葉だった。死人のように歩いていた他の三人も、エヴァンズの言葉にぴくりと反応した。

「…ざけんな。」

 真っ先に反応したのは、隣で歩いていたローガンだった。づかづかと歩み寄ると、胸ぐらを掴んで顔を突き合わせる。ほとんど見えなくなった双眸で、エヴァンズの黒い瞳と視線を衝突させ合った。

「ざけんな!生きて帰るだァ!?夢見てんじゃねえ、見させんじゃねえ!いくら不死身の怪物でも死ぬときゃ死ぬ、それが今だ!『ここに呼ばれた』時点で分かってンだろうが!死ぬ事を計画に入れる馬鹿?!そりゃヴァイオレット隊そのものだろーが!俺たちゃもう捨て駒なんだよ!そんなに戦場で死にたくねーなら、俺がこの場で殺してやろうか!」

 エヴァンズを突き飛ばし、ぜえはあと息をする。しかし倒れ込んだエヴァンズはじっとローガンを見つめ続けた。

「貴方達も死なせません。神に誓って。」

 ローガンは彼には見えないその黒い瞳から逃げるように踵を返した。

 

 

 

「生憎と、神は信じてねぇ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 19:10(ヒトキュウイチマル)、静寂と闇が包む森の中を五人の男達が静かに進軍していた。

「…クソが。」

 目の前に広がる闇が否応なしに男達の心臓をバクつかせ、嫌な汗を伝わせる。それは真夏の森と相まって不快指数を爆発的に跳ね上がらせ、ローガンは小さく悪態をついた。

「…しっ。」

 何も見えない隣から声がした。馬鹿真面目な顔で唇に人差し指を押し付けるエヴァンズを想像して、くつくつと喉で笑う。

「そんなにびびんな、まだ俺らの拠点からもそう離れてない。敵さんが正気ならこんなとこまで斥候なんてさせねぇ。そんなに気ィ張ってたら、野営地に着いて何にも出来なくなっちまうぞ。」

 自分に言い聞かせるような台詞だったが、納得したのかエヴァンズの方から人差し指を下げる気配がした。

「それに、俺は耳がいい。リスが逃げる音すら聞き逃さねー自信がある。敵さんが小枝でも踏もうもんなら一発で分かるさ。だが、今は静かだ。」

 そう言いながら、ローガンは違和感を感じ取っていた。

 

 ──静かすぎる。

 

 気配を感じ取る能力に長けているのはローガンだけではない。野生生物、つまり鳥や小動物だってそうだ。

 人間がここに立ち入ったのなら、それこそリスの一匹や二匹逃げてもいいはずである。しかし、鳥の羽ばたく音はおろか、動物の足音ひとつ聞こえない。

 考えられる可能性は二つ。『そもそもこの森には動物が少ない。』もしそうでなければ──

 

──『自分たち以外の人間が既にここに居て、生き物たちは逃げてしまっている。』

 

 思考がそこに辿り着いた時、肌が粟立つのを感じた。

 あんなに静かだった空間の向こうから、カチャリ、とかすかな金属音がローガンの耳に届いた。

「全員、伏せろ!」

 ローガンが叫ぶ。間一髪、下げた頭の上を銃弾の嵐が唸りを上げ、ヘルメットを掠めていった。

 腹這いのまま障害物になりそうな木に向かい、背中を預ける。

 人は視覚に83%、聴覚に11%知覚情報を割いている。白内障を患っている上暗がりで何も見えない中、ローガンは優れた聴覚で知覚を補っていた。しかし今鼓膜に届くのは、銃声、銃声、それと銃声。知覚の94%を遮断されたローガンはパニックに陥っていた。必死に情報を取り入れようと耳を澄ますが、耳に入るのは絶望、恐怖、地獄、殺意、戦慄、災厄──

 

「ローガン!」

 

 ──希望。

 エヴァンズの呼んだ自分の名前が耳朶を打ち、はっとする。

「聞こえますか、ローガン!彼らの銃撃部隊は前衛が発砲している間後衛が再装填をし、前衛の弾切れと同時に後衛がローテーションして前に出ます!なのでこの銃撃はまだ止まりません!隙が出来るのは死体確認の為照明を照らした時、一瞬だけ発砲が止まります!照明がついた瞬間、みんなを連れて逃げてください!」

「逃げろって…お前はどうするつもりだ!」

「自分はここで殿(しんがり)を務めます!皆さんの元へは行かせません!」

「ば…馬鹿野郎!特攻隊(ここ)に所属してるって事は、お前だってどっか怪我してるって事だろ?!死んじまうぞ!」

「こうするしか方法は無いんです!」

「…っ!必ず生きて帰ってこい!約束だ!」

「ええ、神に誓って!」

 その瞬間、森には再び静寂がもたらされ、代わりに闇が奪われた。ローガンは無事だった部隊の面々に安堵し、進軍してきたのと逆方向に一目散に駆け出した。

「走るぞお前ら、着いてこい!銃は捨ててけ、そんなガラクタ何の役にも立たねぇ!」

 全員が着いてくるのを確認して、ちらりとエヴァンズの方を振り返った。

 

 

──生憎と、神は信じてねぇ。が、怪物(お前)は神じゃねえ。

 

 

「1人たりとも逃すな!追え!」

 逃げ出した敵に泡を食った銃撃部隊は、慌てて追撃のため歩を進めた。しかし、その為に銃を下ろしたのが間違いだった。

「おおおおおおおおおああああああッ!」

 咆哮を上げ、エヴァンズが突進する。

「な…」

 気づいた前衛部隊が銃を構え直したが、遅かった。エヴァンズが発砲した弾丸は吸い込まれるように敵の額に命中し、エヴァンズは動揺する敵陣の懐に飛び込むことに成功した。

 エヴァンズは自身の銃剣を投げ捨て、近場にいた敵の腕を捻って銃をもぎ取ると、そのまま背中に突き付けた。

 銃口が一斉にエヴァンズに向くが、味方に命中する事を懸念して引き金を引けない。だがエヴァンズはその一瞬の硬直の間に引き金を引き、背中を撃ち抜いた。銃声と共に血の花弁が宙を舞い、自らに降りかかる血から眼を守ろうと敵達が本能的に目を瞑る。そして、その眼は永久に開かれる事は無かった。

 

 その怪物は、舞うが如く。返り血のメイクアップと、敵から奪い取った銃の衣装を身につけて。招待された舞踏会は、命奪い合う戦場。彼と共に踊ることが出来る人間は一人として居ない。洗練された動きは、本人にも知られることなく命を刈り取っていく。

 

 しかし、敵が一向に減らない。どうやら応援が到着したようだ。しかも、初めは予想外の混戦に統率が取れていなかった敵も、少しずつ冷静さを取り戻してきた。

 それだけでは無い。吸い込まれるように額に命中していたエヴァンズの発砲が、だんだん当たらなくなってきていた。

 それもそうだ。そもそもエヴァンズは手の痺れで銃など撃っても当たる筈がない。それを経験と勘で修正し、命中させてきた。恐ろしい集中力だ。だがその集中力も、長い戦闘の中で奪われはじめる。

 逆に敵側は、同士討ち(フレンドリーファイア)を気にせず発砲する様になっていた。味方を気にして撃たなければ、いつの間にかこちらが殺されているからだ。

 ついに右腕に被弾し、銃が手から落ちた。

「…っ!」

 熱く燃えるような痛みが迸り、眉間に力が入る。

 

──ここまでか。

 

 そう考えた時、初めに頭に浮かんだのはソフィアの顔だった。

 

『この人でなきゃ駄目だ、って時に愛を感じるのよ。』

 

 彼女は、獣だった自分にいろいろな事を教えてくれた。自分は臆病だった。ただ逃げていた。人を殺す恐怖を、さらに人を殺す事で慰めた。思考を放棄して、目を瞑って、自分が命を奪

っているという事実を拒否した。

 けれど、彼女から勇気を教わった。受け止める勇気。立ち向かう勇気。誰かを守るための勇気。

 

 既に手を繋ぐ右手は失った。けれど、まだ共に歩む脚がある。

 

「おおおおおおおおおおッ!」

 エヴァンズが声を上げて立ち上がる。敵の銃口が一斉にエヴァンズに向き、次の瞬間銃弾が殺到する。

 エヴァンズは銃を抱えて身をかがめ、敵の懐に潜り込む。左手でも弾丸が当たる位置まで。

「撃て撃て撃て撃て!何故当たらん!」

「既に命中してます!」

 銃弾が命中し、尚倒れないエヴァンズに敵が戦慄する。

 弾丸が足を貫き、崩れ落ちそうになる。既に痛みは感じない。倒れないよう歯を食いしばり踏ん張ると、空いた風穴から血が吹き出した。

 

 もう、共に歩む脚も無い。エヴァンズは血を吐きながら吠えた。

 

「俺は!不死身のエヴァンズだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◼︎◻︎◼︎◻︎ ◼︎◻︎◼︎◻︎ ◼︎◻︎◼︎◻︎ ◼︎◻︎◼︎◻︎ ◼︎◻︎◼︎◻︎ ◼︎◻︎◼︎◻︎

 

 数日後、のどかな農村に住む女性のもとに、二通の手紙が届いた。

 

『死亡報告』

 

 一通目にはそう書かれていた。

 瞬きを一回、二回。耐えきれたのはそこまでだった。視界がどうしようもなく歪んで、便箋にひとつふたつとシミを作った。

 逃げるように二通目の封を切った。ぐらつく視界の右下に、今最も会いたい人の名前を見つけた。彼からのメッセージを読んで、ついにその場で崩れ落ちてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

『ずっとそばにいます。』

 

 

 

 

 

 

 

「…うそつき。」

 

 嗚咽混じりの非難の声は、宛先を見失って空へと消えた。




読了ありがとうございます。同時にお疲れ様でした。現役高校生の筆者が通学の電車の中など少しずつ時間を見つけて書いたので、話の繋がりが変だったり、冗長な文章だったりしたと思います。よろしければ、感想、批判、中傷等よろしくお願いします。改善して、次へのエネルギーにしたいと思います。


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