やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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最終話 やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。

 

 

 雪ノ下雪乃のによる、真実の告白。

 それから向こう、また思考の奥深くへと潜り込んでいた。

 

 三人のうちから、誰かを選ぶ。それは誇張ではなく、究極の選択のように思えた。

 少なくとも俺は同じ問題にぶち当たったことがないし、もし経験があったとしても今と同じように悩んでいただろう。

 何せずっと遠ざけ、見えていない振りをしていた問題だ。一朝一夕で答えが得られるわけもない。

 

 ならば、どうするか。

 

 答えが見つからないなら、見つかるまで探し歩く。

 行き止まりで足を止められるのなら、別の道を歩いて行くしかない。

 

 

 

「うぅ、さぶ⋯⋯」

 

 二月一四日。

 世間で言うところのバレンタインデー当日は、あいにくの雪模様だった。

 今日は総武高校の入学試験のある日だから、俺たち在校生は休みだ。小町を送り出すなり向かった海浜幕張駅前で、俺はその身を震わせていた。待たせてはなるまいと、少し早く出すぎてしまった。

 俺の方から彼女たちを誘うのは、恐らく二度目だ。俺からの申し出を快く受けてくれたのは、普段の様子から予想ができたことだが⋯⋯と言うのは、自惚れすぎだろうか。とにかく応じてくれたことには、安心した。

 

「あ、お待たせです」

 

 そう言って一番にやってきたのは、一色だった。赤と黒のチェックスカートに白いセーター、それにトレンチコートを合わせたレトロチックなコーディネートは、装いは違うのにいつかの夏の日を思い出させる。

 

「おう。⋯⋯早いな」

「ええ、まあ間に合う電車でこれだけだったので」

 

 そしてそれっきり、沈黙が訪れる。

 今までならそんな沈黙ぐらい何でもなったのだが⋯⋯今はめちゃくちゃ気まずい。あれから少し時間が欲しいと言って部活にも生徒会にも顔を出していなかったから、余計にそう感じる。

 それにわざわざ学校が休みの日に呼び出しているわけだから、一色だって構えているだろう。だからもう、マックス気まずい。身から出た錆だろうが何だろうが気まずいもんは気まずいのである。

 

「先輩」

 

 人知れずそんな懊悩(おうのう)を繰り広げていると、不意に一色は俺を呼んだ。

 

「今、すっごいわたしのこと意識してるでしょう?」

「⋯⋯」

 

 そう言って一色は、まさに小悪魔と言った笑みを浮かべて見せた。

 ああ⋯⋯そうだこいつ、こういうやつだったわ。

 

「あ、お待たせー」

 

 俺が心の中で『一色いろは⋯⋯怖い子⋯⋯』と白目を剥いていると、そんな明るい声が届く。

 由比ヶ浜は藍色をした膝下丈のスカートに、淡桃色のプルオーバーのスウェットという姿だ。流石に雪が降っている中だといつものような服は寒いと思っているのだろう、ダウンジャケットを羽織っている。

 

「あ、おはようございます。そのスカート、いいですね」

「うん。これ前に買った福袋に入ってたやつ」

 

 そんな女子同士のファッショントークが始まると、途端に賑やかになる。

 俺の居ない部室で、あるいは生徒会室でも、そんな会話が繰り広げられていたのだろうか。そんなことを考えていると、こちらに向かって歩いてくる雪ノ下の姿が見えた。きっかり集合時間の五分前だ。

 

「おはよう。今日は一段と冷えるわね」

 

 そう言葉をした雪ノ下に、由比ヶ浜と一色が挨拶を返す。

 雪ノ下は足の細さがよく分かるテーパードパンツに、グレーのロングコートという出で立ちだ。みんな防寒対策はばっちりといった様相だった。

 

「それで、どこに行くんです?」

 

 全員が集合すると、一色は俺を見てそう言った。行き先を告げていないのだから、当然の質問なのだが。

 

「あー⋯⋯いや。実はあんまり決めてない」

 

 何じゃそりゃ、と言われてしまいそうだが、実際ノーブランなのだ。集まってもらっていきなり本題から話すのも中々ハードルが高く、いわばこれから過ごす時間は緩衝時間のようなものになる。

 

「なるほど、そんな感じなんですね」

 

 一色は若干呆れた顔を浮かべると、すぐに気を取り直して「じゃあ」と続けた。

 俺たちの視線が集まってくるのを確かめた後、一色は溌剌とした声で言う。

 

 

「東京に行きましょう!」

 

 

   *   *   *

 

 

 千葉から東京は、どの駅から乗るかにもよるが市内からなら一時間以内に行けてしまうぐらいに近い。

 これは東京郊外から東京都心部に行くのと同等の距離感と時間感覚であり、これはもう千葉は東京に含まれると言っていいと思う。いいわけがないが、そういうことにしておきたい。

 一色の提案を受けて東京に赴いた俺たちは、特に行くあてもなく山手線に乗った。平日のせいか思っていたより空いている車内で、由比ヶ浜は言う。

 

「ねえ。どこか降りたことない駅で降りて、散策してみるのはどう?」

「あ、いいですね。それ」

 

 由比ヶ浜の提案に一色がのると、自然に視線が雪ノ下の方へと向く。いいんじゃないかしら、と雪ノ下が返すと、それで行き先の方針は決定だ。ノーブラン男に否やを唱える由はないのである。

 

「由比ヶ浜さんが降りたことのない駅は?」

「んー、ほとんどだよ。行ったことあるのは渋谷、原宿、上野ぐらい?」

「わたしも似たような感じですねー。六本木とか御茶ノ水は行きましたけど」

 

 それから女子陣はそこは行ったとか、どこはまだとか、そんな会話を繰り広げる。

 (はた)から見たら、仲睦まじい女子三人のワンシーンだ。それはまるでいつも通りのようで⋯⋯まるで違う。沈黙を恐れるような会話の早さが、否応なく俺にその事実を突きつけていた。

 その原因は間違いなく俺で──少し呼吸が苦しくなる。

 何もかもがなかったことになったわけではない。けれどそこには触れないとする言動全てが、取り繕ったものに見えてしまう。

 あの修学旅行の夜、戸部が告白していたら葉山グループに訪れていたであろう、圧倒的な変化。それが今の俺たちに訪れるなんて、皮肉なものだ。

 

「先輩は?」

 

 僅かな会話の切れ目の後に、一色は俺の方を見て問う。考えごとをしていたせいで、一瞬何を聞かれたのか分からなくなった。確か山手線沿線で、どこに行ったことがあるかだ。

 

「秋葉、神田、新橋ぐらいだな。覚えてるのは」

「何で新橋?」

「いや何でって言われても」

 

 新橋と言えば酔いどれサラリーマンがテレビのインタビューを受けている印象が強いが、乗り継ぎの要となる駅なので行ったことはある。ビッグなサイトに行く時、乗り換えで利用することがままあるのだ。

 

「次はー、目黒ー。目黒──」

 

 そんな会話の間を縫うように、次の駅のアナウンスが流れる。由比ヶ浜はぐるりと視線を巡らせた。

 

「ねえ、目黒って誰か行ったことあったっけ?」

「まだ誰も行ったことはないはずね」

「じゃ、ここで降りようよ」

 

 由比ヶ浜の言葉に、一も二もなくみな頷きを返した。何せ行き当たりばったりなお出かけなのだ。こういう直感は大事だろう。

 目黒駅で降車すると、改札を抜けて大通りに出る。粉雪が舞う歩道を歩いていると、やはり目につくのは高級そうなマンションだ。

 

「へぇー。こういうところだったんですね」

 

 行こうと思ったこともないが、目黒は高級住宅街というイメージがある。走っている車も高級外車が目に付き、ハイソサエティの街という持っていた印象通りに見えた。

 ただそんなある種の東京らしい街並みも、雪景色の中だとやけに静かに感じる。来たことがないから普段の様子は知る由もないのだが、山手線沿線の駅でここまで人が少なく感じるのは珍しいことだろう。

 

「うわっ」

 

 目の前の信号が赤になって歩みを止めた瞬間、隣からそんな声が聞こえた。咄嗟に伸ばした腕に、転びかけた由比ヶ浜が掴まる。

 

「⋯⋯気をつけろよ。シャーベット状でも結構滑るからな」

「うん⋯⋯。ありがと」

 

 東京も昨夜遅くから雪が降ったらしく、歩道にも僅かだが雪が積もっている。

 由比ヶ浜は俺の腕から手を離すと、微かに頬を赤くしたように見えた。恥ずかしさか、それとも別の何かかは読み取れない。けれど服の上から伝わるはずのない熱を感じて、一瞬呼吸を忘れてしまう。

 

「大丈夫ですか?」

「うん。⋯⋯大丈夫」

 

 そんな短いやり取りの後に信号の色が変わって、長い横断歩道を渡る。

 無為な会話もそのままにそぞろ歩いていると、前を歩いていた雪ノ下の歩調が緩んだ。そのままゆっくりと、足が止まる。

 雪ノ下の視線の先は、小さなギャラリーだった。見聞きしたことのない作家たちの名前が並んでいるのを見るに、駆け出しのアーティストを集めたアート展をやっているらしい。

 

「ゆきのん、行ってみたいの?」

「いえ、そこまでではないのだけど⋯⋯」

 

 見上げた大判のポスターには『あなたの視点が変わるアート体験を』と大きく書かれている。

 なぜ雪ノ下がそのキーワードに惹かれているのかは、はっきりと分からない。しかし説明文にある『アートはあなたの視座の踏み台になる』とか『あなた自身が価値を決める』とか、普段の俺であれば白目を剥いてしまうような意識高い系の言葉が、今はどうにも気になってしまう。

 

「あ、学生は入場無料だって」

「なら入りましょう。寒いですし」

 

 一色の言うことももっともで、暫く外を歩いてきたせいで身体はかなり冷えている。

 暖を求めるように入り口をくぐると、学生証を持っていないことに気がついた。しかし受付の女性は特に何を確認するわけでもなく、「ご自由にどうぞ」とパンフレットを渡される。

 

「へぇー、こういうところ初めてきた」

 

 アート展ってみんなこんな感じなんだろうかと思いながら壁にかかった絵を見上げていると、隣に立った由比ヶ浜が呟く。

 その感想は俺とて同じだ。雪ノ下が興味を示さなければ、入ろうともしなかっただろう。

 パンフレットによれば、アートとは自分の主観を養う旅であるという。想像を膨らませながら観て欲しいという、主催者の想いがパンフレットの最後を結んでいる。

 

「うーん、これ花? だよね」

「多分な」

 

 多分、と言ってしまったのは、由比ヶ浜の観ている絵は輪郭のはっきりしないタッチで描かれているからだ。使われている色使いから、花のようである、ということまでは読み取れる。

 じっと観ていると、由比ヶ浜が惹かれるようにこの絵画の前から動かない理由が分かった気がした。

 どこまでも雰囲気が優しいのだ。それはまるで、彼女のように。

 

 由比ヶ浜結衣は、優しい女の子だ。

 事故で怪我をした俺の見舞いに来れなかったことをいつまでも気に病み、誰よりも調和を大事にする。奉仕部で、生徒会で、あるいは委員会活動で、どれだけ彼女がバランスを取ってくれていたことだろうか。

 だからこそ、由比ヶ浜から気持ちを吐露された時は驚いた。由比ヶ浜は誰より、四人でいることを望んでいたはずだからだ。

 

「先輩、先輩」

 

 考えごとをしながら絵を観ていると、一色がくいくいと袖を引いてくる。

 

「これ、何でしょうね?」

 

 言われてその絵を見ると、毛筆で殴り書いたような文字らしきものが描かれている。止め、跳ねがあるせいでそう見えるのだが、当然読めるような文字ではない。

 まるで何かを伝えたいのに、それをあえて隠すような表現は──まるで今までの一色のようだ。

 

 一色いろはは、我慢していた。

 おそらく彼女もまた、四人のバランスを欠くことを忌避していたのだろう。贈られたチョコが本命だと告げられた今、思い出せば出すほどそう感じる。

 積極的なようで一線を越えないようにする態度は、今思えば健気なほどだ。一色は一色の考えで、四人の関係性を大事にしてきたのだと分かる。

 

 そして、雪ノ下雪乃は。

 真っ白なキャンバスに黒い真円が描かれた絵を観て、その時を止めていた。

 

 絵とも主張ともつかないそれは、彼女ではなく俺だった。

 芯だけはあるのに、後は空っぽ。何も描けなければ、何も注ぎ足されない。

 彼女の姉曰く、俺は成長したのだと言う。確かに自身が変わって行った自覚はあるが、それを成長と呼んでいいのかは分からない。

 雁字搦(がんじがら)めになって、絡まって、答えが見えなくて。そんな人間を、成長したと称することができるだろうか。

 

「この絵は、私みたい」

 

 そして雪ノ下は、どこか寂しそうに絵を見上げながら言った。

 変わらないその表情からは、僅かな情報すらも読み取れない。

 

 本当に、分からないことだらけだ。

 俺も、彼女も、彼女たちも。

 

 

   *   *   *

 

 

 結局目黒では思いの外時間をつぶせるところがなく、早々に移動することになった。

 今度はちゃんと行き先を決めて移動しようということになり、相談の結果向かったのはお台場だ。

 

「また降り出したわね」

 

 ウインドウショッピングの後にヴィーナスフォートを出ると、雪ノ下は海を見ながら言った。

 さっきから雪は、強く降ったり止んだりを繰り返している。道の端や木々の上には真新しい雪が積もり、その経過を物語っていた。

 

「そろそろ帰る?」

 

 曇天が続いているせいで時間の感覚が分からなくなってくるが、もう夕刻と言っていい時分だ。この降り方ならまだ大丈夫だと思うが、交通機関が麻痺してしまうと帰れなくなる恐れもある。

 

「ああ、そろそろ帰るか」

 

 だからそう、言ったのだが。

 なぜか一色はわざとらしく俺の目の前を横切ると、芝生にしゃがみ込んで新雪に手を突っ込んだ。そしてギュッギュと雪玉を作ると──。

 

「えいっ」

「おわっ」

 

 どういうわけだか、急襲を受けた。一体この子、何やってるのん?

 突然の行動にポカンとしている雪ノ下たちに見られながら、一色はまた雪玉を作り出す。

 

「ていっ!」

「ちょっと⋯⋯っ。やったわね⋯⋯」

「結衣さんもっ」

「わぁっ! え、何? 冷たっ」

 

 そして始まる、女子三人による雪合戦。何やってんの、この子たち⋯⋯。

 

「何ボケっとしてるんです、かっ!」

「な⋯⋯っ。またやったな⋯⋯」

 

 そして当然のように巻き込まれて、俺も積もりたての雪に手を突っ込んだ。やり返さなくては標的になるだけである。

 飛び交う雪玉。

 弾け飛ぶ湿った雪。

 きゃあきゃあとはしゃぐ声。

 彼女たちが互いのコートに雪玉をぶつけ合う姿は、さながらじゃれ合う妖精のようだった。

 美しくて、幻想的で、どこか儚くて──。

 

「はぁ⋯⋯。このぐらいにしておいてあげるわ⋯⋯」

「いや、もうコートびたびたなんですけど」

「あははっ。あー、楽しかったー」

 

 だから、終わってしまう。いつか現実を見ないといけないから。

 楽しい、美しい光景はまやかしだ。甘美な夢だ。そしてこれは──ただの停滞でしかない。

 

「なあ」

 

 短く言うと、三人はすっと笑顔を引っ込める。

 俺はコートについた雪を払うと、一色に向き直った。

 

「俺の答えを、聞いてくれるか」

 

 その言葉が放たれた瞬間、にわかに緊張が走った。三人も真剣な、ともすれば沈痛とも思える表情を浮かべる。

 ここからは夢でも幻想でもない、現実の時間だ。今までのように見なかった振りも煙に巻くことだってできやしない。

 すぅ、と吸う。一瞬止めて、深く吐き出す。一色の瞳には、微かに赤くなりだした雲が映っていた。

 

「一色」

「はい」

 

 俺が呼ぶと、覚悟の決まった声が返ってくる。

 これから悩み抜いた末の答えを言うというのに、不思議と心は落ち着いていた。だから精一杯穏やかな声で、俺は言う。

 

「一色は何だかんだで、真面目だよな。物事に対しても、人に対しても。⋯⋯部活と生徒会も大事に思ってるのが、分かる。見た目や態度からのギャップっつーか⋯⋯そういうところ、正直すげぇ惹かれる」

「⋯⋯っ。はい⋯⋯」

「由比ヶ浜」

 

 俺がその名前を口にすると、呼ばれると思っていなかったのか由比ヶ浜の肩がピクッと震えた。

 向き合った先の瞳には、固い表情をした俺が映っている。

 

「由比ヶ浜は俺のために料理、頑張ってくれたよな。イベントがあるたびに助けてくれて、なんか微妙な空気になるたびに取り持ってくれて⋯⋯そういう健気で優しいところ、めちゃくちゃいいと思ってる」

「⋯⋯うん」

「雪ノ下」

 

 俺がそう呼んで視線を向けると、真摯な瞳が待ち構えていた。

 どこまでも覚悟の決まった目が、俺を見つめ返している。

 

「正直、お前には憧れる気持ちもあったよ。強くて正しくて、曲がらない。時々おっかないけど人を思いやる気持ちも強いし、考えが似ているところとか⋯⋯嬉しいと思うこともあった。多分一番、俺を理解してくれていたと思う」

「⋯⋯ええ」

 

 それが、俺の素直な気持ちだった。ノーガードの、丸裸な本音だ。

 けれど次の言葉を聞いた時、彼女たちはどんな反応を返すだろうか。それが酷く、恐ろしい。

 

 

「だから、すまない。⋯⋯だれか一人を選ぶなんて、無理だ」

 

 

 一色は、由比ヶ浜は、そして雪ノ下は。

 宝石箱みたいに魅力の詰まった、素敵な女の子だ。どこからどう見たって、それは間違いない。

 結局、俺には人と関わる覚悟が足りなかった。

 誰か一人にありったけの想いを寄せる覚悟も、寄せられる覚悟も⋯⋯そして傷つける覚悟を、してこなかった。

 

「先輩⋯⋯」

「ヒッキー」

 

 色のない声が、耳朶(じだ)を撫でる。

 呆れられるのも仕方がない。期待されていた答えでないことも知っている。しかし俺にも、多少の言い分はあるのだ。

 

「だって、無理だろ⋯⋯。お前らいいやつすぎるし、魅力的すぎるんだよ! ラーメンもカレーもパスタも好きなのに一生それしか食っちゃいけないなんて決められるか!?」

 

 ポカーンと。

 三人は開いた口が塞がらないといった表情をしていた。

 

「⋯⋯なんと言うか、別の例えはなかったのかしら」

 

 しばしの間の後、雪ノ下は頭を抑えながら言った。

 けれどこれが、俺の出した答えだ。情けない、逃げと言われたらそれまでの、百点には程遠い回答。

 彼女たちに取って何も得るものがない、ともすれば本気で呆れられ見放されかねない答えだった。

 

「⋯⋯そうだね。でも」

 

 由比ヶ浜はそう呟くと、一色の方を見る。

 目を合わせた一色は、こくっと頷く。

 

「それって、わたしたちのことが好きってことでいいんですよね?」

 

 試すような、確かめるようなその目は、いつしか見覚えのあるものに変わっている。

 けど⋯⋯あれ?

 俺、そこまで言ったっけ。いや言ったな、まちがいなく。

 

「あー⋯⋯。まあ、そういうことになる⋯⋯な」

「じゃあ」

 

 とん、と一色は地面を蹴った。

 

 一気に近くなる距離。

 

 接近する顔と、艶めく唇。

 

 そして頬に感じる、初めての柔らかさ──。

 

 

「両思いなら、別にいいですよね。このぐらい」

 

 

 俺の頬から唇を離した一色は、どこまでも小悪魔めいた笑みを浮かべていた。

 ⋯⋯マジかよこいつ。

 さっきまで全然、そんな雰囲気じゃなかっただろ。

 

「一色さん⋯⋯」

「いろはちゃん⋯⋯」

 

 そしてかけられる二人の声は、南極の如き冷たさだった。

 俺が責められているわけでもないのに、思わずゾクリと背筋が震える。

 

「あはは。唇じゃないんだからいいじゃないですか」

 

 悪びれもせずにそう言うと、一色は俺の背中に隠れた。

 いや、おい。これをどうしろと⋯⋯。

 

「そうね、唇はさすがに譲れないわ」

「ちょっ、ちょっと待ってゆきのん!? それならあたしだって!」

 

 そう言いながら、ジリジリと近づいてくる雪ノ下と由比ヶ浜。

 あざと可愛い後輩は、俺の背中に隠れたままきゅっとコートを引いてくる。

 

 

「せんぱーい。ここで決めなかったこと、後悔しないでくださいね?」

 

 

 どこか吹っ切れた様子の一色と、冗談なしの真顔でにじり寄ってくる二人。

 今までの関係性ではあり得なかった、予測不能の展開に心臓はただ逸っていく。

 

 これはもう──もはや否定のしようがない。

 なるほど、これがモテ期かと、俺はまた新たなステージが訪れたことをひしひしと実感していた。

 

 

「ヒッキー、動かないでよ」

 

 

 ああ、やはりだ。

 

 やはりと言わざるを得ない。

 

 

「覚悟しなさい、比企谷くん」

 

 

 ──やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。

 

 

 

 

 

 






あとがき


 最後までお読みくださりありがとうございました。
 約十ヶ月に渡って続いたこのお話も、ようやく完結です。

 さて、あとがきらしくこの作品のコンセプトについて、お話します。
 今まで私が長編を書く時は、伝えたいことやメッセージ性というのを大事にしていました。ある意味、独りよがりの書き方です。
 昨年、全身全霊の作品を二作書き終えた後、私は思いました。もう書きたい話は書けたから、今度は思いっきり楽しんでもらえる話を書こう、と。

 そんな思いもあってか、この作品では何度も日間ランキングの上位に入り、本当にたくさんの方に読んでもらえることが出来ました。
 流石にもう慣れましたが、更新するたびに何千人という方に読んで貰えているということに最初は内心ビビってました。はい。

 この話の連載中、世界でも日本でも暗いニュースが続きました。
 みんな必死に行きてるのに理不尽な目にあったり、嫌になることもたくさんあったと思います。
 そんな中で毎週の楽しみに、あるいは癒やしになればいいなという想いがあったからこそ、毎週の更新を続けることができました。頂いた感想や評価などフィードバックがその原動力になったのは間違いありません。
 毎週楽しみにして頂いていた方には寂しいかも知れませんが、今まで一番長い話を書き終えて安堵で胸いっぱいです。

 そして、そして。
 Twitterでは告知していましたが、なんとこの作品、マルチエンディングなのです!
 この作品はpixivと同時連載していまして、pixivとハーメルンでは最終話だけ内容がちがっています。

pixiv版最終話『俺にモテ期がくるのは、まちがっていなかったかも知れない。』
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18617752

 どちらの結末の方が良かったか感想等で教えてもらえると、作者が喜びます。

 はい、ここからは宣伝です。
 今作で興味を持ってくれた方へ、前述した過去作のご案内!

『まちがった青春をもう一度。』
https://syosetu.org/novel/257731/
 今作の対になるお話です。これを書き上げた後に思いついたのが今作だったりします。

『さよなら愛しき記憶たち。』
https://syosetu.org/novel/269647/
 八雪シリアスです。重めの読み口です。でも読んで損はさせません。

 このお話はこれで終わりますが、私にはまだまだ皆さんを楽しませる用意があります。
 すでに新しい連載が始まっているのです!

『塩対応の後輩が俺にだけ甘い。』
https://syosetu.org/novel/300300/

 初めての八色長編です。こちらもよければ楽しんで下さい。


 それでは最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。

 またいつか、一緒に遊んで下さい。
 さようならば、ごきげんよう。


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