鬼灯様と架空の大量殺人鬼な亡者。怪談みたいな物が書きたかったのです。
道と道とが交わり合う、辻には古来から精霊が呼びよせられるという。
盂蘭盆が終わる夜は、此岸も彼岸も祭りの盛り。
時刻は午後8時を少し回った頃。
かすかな草履の音は闇に溶け、鬼灯の降り立った暗い辻には女の声が響いていた。掠れた声の歌う歌。
途切れ途切れの子守唄に聞こえた。
辻の向かいには人影が立っている。白く、ぼうっと内側から光るような女の立ち姿。
白い浴衣…いや、長襦袢をはおり、足元は裸足である。
白い頭巾の下の黒い髪は、薄明るい篝火に濡れたように光る。
こちらを少しも振り向かない姿に、鬼灯は溜息をついた。
女は鬼灯のよく知る人物であった。今から二百年程前、地獄にやって来た女であった。とある貧しい商家から旧家に玉の輿に乗ったのは良かったものの、程なくして気が触れ、挙句、正月か何かの席で親族を手に掛け、終いには自害を遂げた女であった。
その事件は現世にとっても地獄にとっても余りに凄惨な物で、女の気が触れていた事もあり、裁判では大いに議論が交されたのである。
現世ではもう、記録がなければ誰も覚えていない出来事だったが、人間よりも遥かに長く生きる鬼にとって、それはまだ風化しきってはていない。
とりわけ、鬼灯は放心していた彼女の幽霊を地獄に連れてきた張本人だったのだから、その時の記憶は殊更、鮮やかだった。
清浄な夜の空気に異質なものを感じる。
あの時の臭いだ。
鬼灯は思い出した。
青畳の大広間。豪奢な襖絵が赤く塗り潰される程の血液。
大人は胸を裂かれ、子供は頭を落とされ、妊婦はご丁寧にも孕んだいた稚児をひきずり出されて殺されたのだとか…。
その血だまりの中で死んでいたその女は、別に持っていた懐刀を手に持って、自ら…。
そこまで思い出した鬼灯は、はて、と首を傾けた。
女が切り裂いたのは胸だったか、腹だったか。
そればかりがどうしても思い出せない。
血煙の中に女の死体。血塗れでどこを裂いたのか。
「もう、盆は終ったの?」
子守唄は途切れ、代わりに涼やかな声がそう尋ねた。
その声が、鬼灯を現代の8月の夜へ引き戻す。
目を伏せたまま、女が発したその言葉は、唄うような色合いを帯びていた。
「…戻る時間です」
鬼灯が少し黙ってから言う。矯めなければ息が出来なくなりそうだと。
「地獄の大釜の蓋がまた開くのね。もうすぐ、もうすぐ」
女が唄う。彼女は裁判の間も始終こんな調子で、取り留めのない意味の無い歌を口ずさんでいたのだ。その姿は一点の曇りも無く、無垢そのもので。しかし、犯してしまった罪の重さ故に地獄で呵責されている。
ふと、女が、顔を上げた。辻の真ん中を誰かが走って行く。
女と鬼灯など目に見えないかのように通り過ぎて行く。
「子供」
嬉しそうに女は微笑んだ。
その言葉は違わず、浴衣を着た子供達が何人か遠くを駆けていくのが見えた。
手に手に持ったリンゴ飴の着色料が、祭り提灯に艶やかに光る。
あの飴の赤色は何かに似ている。
通り過ぎて行く子供達を見送り、鬼灯はぼんやりと考える。
けれど、何に似ていたのかは思い出せない。
そんな鬼灯をよそに、女は子供の背中に手を伸ばすように両手を前へ差し出した。
細い指は地獄の業火に焼かれても、あくまで大理石の白さを誇る。
「楽しそうね。子供が居るって良い事ね…子孫が居るって寂しくないのね」
女はころころと笑った。その目は楽しそうで、優しげだ。
鬼灯は女の隣に立ち、彼女の手首をつかんだ。この女を地獄へ連れ帰らなければならない。
「自業自得ですよ。貴女が手当たり次第、殺して一族を根絶やしにしたんじゃないですか」
鬼灯の声色は低い。冷徹な鬼神の声は、亡者にとってどんなに恐ろしいものであるだろうか。
「だって、そうでもしないと、息が詰まりそうに苦しかったのだもの」
掴まれた手を見つめながら、無表情に女は答える。
「割に合わないことをしましたね。そのまま息をつまらせて死んでしまえば良かったのに」
鬼灯は溜息をついた。
熱帯夜の中に浮かぶ、冷たい手首。兇悪な殺人鬼のそれは華奢で、しっとりと柔らかい。
もし生きて血が通っていたら、どんなにか温かいだろう。
「後悔していない…と言ったら嘘になるわ。…寂しいなぁ。寂しいなぁ。生まれ変わったら、リンゴ飴、食べたいわ。あと、呵責はどれくらい続くのかしら…?」
髪をさらりと揺らし、首を傾げる仕草は妙にしならしく。
「さぁ。貴女、女も子供も10人は殺していますからねぇ。しかも、自害していますし、当分続くでしょうね」
そのくせ、少女のような表情に鬼灯は眉を顰める。
「…そう。それなら、まだ当分先ねぇ」
突然、女は身体をぶるりと震わせ、力強く鬼灯の手を振り払った。
夏の盛りに、さも寒いというように自らの身体を抱いて腰を曲げる。
「ごめんね。ごめんね。ごめんね。もう少し、待っていてね。リンゴ飴、食べようね。一緒に、食べようね」
涙を零しながら、やはりどこか節をつけて。
どこか遠くで祭り囃子。
小さな子供の笑う声。
嗚呼、もうすぐ、夏が終わる。
夏が終わる迄に、女がどうして死んだのか確かめなければならない。
振り払われた手を眺めながら、鬼灯は頭の隅でそんな事を思った。
へらり、と軽薄な笑い方をする神様は果たしてそれを知っていたのか。
読んでくれてありがとう!
新旧問わず日本の怪談が大好きで、びっくりするよりも淡々、じわりと怖いお話を書けたらなぁと思います。